ヤンキー姉は説教弟に逆らえない
秋月志音
プロローグ
家の前に立つのは見るからに関わってはいけない女だった。
セミロングの髪は茶色に染められ、スカートは短く、シャツは中に入れない。なんとだらしないことか。
なぜか眉間にしわを寄せながら、腕を組んで仁王立ちしている。背が低くせいか、そういうもの全てが子どものごっこ遊びにも見えるのが虚しい。
そんな彼女を自宅の二階から眺めていると、パッと目が合ってしまう。ジッと見つめ合ったあと、そのままの表情で彼女は口を開いた。
「開けて」
良く聞こえなかったけれど、そう言っているのだと口の動きでわかった。
睨みをきかせておいて、ボソッと言ったのはそんな些細なお願い。どうやら彼女は中に入れてもらいたいらしい。
しかし、インターホンを押さない。
僕が気づいているから押す必要がないという判断なのだろうけど、さも当たり前のように開けてもらえるという態度が気に食わないので、僕は彼女を見下ろしたままの状態でいる。
なんてことはない。彼女は格好つけているのだ。だから僕は彼女に嫌がらせしたくなる。
「いや」
僕は小さい声でそう呟いた。きっと彼女も口パクで理解できるだろうと思う。
「開けてよ」
表情は変えないのだけれど、目だけはどこか寂し気に見えた。何だかんだで小動物系なのだ。仕方ないので開けてあげよう。僕は一階へと降りていった。
「ハジメぇ、何ですんなり開けてくれないんだよ! こっち見てんのにひでーべ」
べ、とつけたりするが、決してどこかの方言というわけではない。
そう、彼女はヤンキーなのだ。
彼女はたびたび、僕、
「いや、
「だってハジメが見えたから。すぐに降りてくると思うべ」
だっても何も、あんな風に立っている人間に誰が進んで関わろうと思うものか。防衛本能に従うと、決して近づいてはならないと判断を下す。実際に危ない人かは別として。
「何で普通に立ってられないの? 眉間にしわ寄せて必死に睨みつけようとするの? 何と戦ってるの?」
そんな近づいてはならないような人間に対し、僕は果敢にも、口撃をしていく。
人類の疑問をしっかりと投げかけなければならない。周囲を威嚇して一目置かれたいという、ヤンキーという存在に対して。
「あん? だって、舐められないようにしねーと駄目だべ」
「その、べってのやめてくれない?」
「はいっ!」
良い返事だ。
「誰がいるのか分かんないから気なんて抜けないじゃん」
「いや、抜いてよ。僕の家なんだから」
「ハジメの家だからだよ。不良の寄り付く家」
それは自身のことを言っているのだろうか。そう返したいところだけれど、残念ながらこうやって僕の家に寄り付く不良は一人ではなかった。
「もう帰る?」
「早っ!? そんなつれないこと言わないでよハジメちゃぁん!」
急に以前の呼び方に戻ったりする。そういえば、付き合いも長くなったものだ。
「……とりあえず、手を合わせていってやって」
そう言って、二人で仏壇のある居間へと向かった。
古い一戸建ての我が家は、仏壇も年季の入ったものだった。その前には、二年以上前から遺影が置かれている。これが唯奈がこの家にやってくる理由だった。
「…………」
静かに手を合わせる唯奈の真剣な横顔は、とても綺麗だった。
本当に、いつもこんな表情をしていたほうがよっぽど舐められないと思うのに。そういうところも、この人はバカなのだ。
そして、手を合わせられるほうもバカだ。遺影に写る若い女性は僕の姉、
「一回忌ぐらいは三人揃ってほしかったよね」
ちょっと以前のことを嫌味な感じに言った。唯奈は僕からどころか、写真の中の姉さんからも目を逸らした。
「姐さん、ハジメはこうやっていつもあたしを虐めています。昔はよい子だったのに。昔はよい子だったのに……」
そういうのは、遺影の中であろうとちゃんと目を見て言おうね。姉さんも今ごろ唯奈の頬に指を突き刺しているところだろう。お前は変わってなさすぎる、とか。
「女みたいな顔して……」
「それを言うな」
人のコンプレックスに軽口で攻撃しないでもらいたい。女の子と間違われるのは、この歳だと結構傷つくのだ。
同級生の男よりも背が低くて、母親寄りの容姿をしている僕は、昔から女の子と間違われることが多かった。流石に最近は減ったけれど。
その後、お茶を飲んで雑談すると、唯奈はすぐに帰ろうとする。もっとゆっくりしていけばいいのに、どうも急いでいるようだった。
「父さんと母さんにも会っていけば?」
「……おばさんたちと話したいけど、他のが来るかもしんないじゃん」
舐められないように、とか言いつつ、そんなことを言っちゃうのか。怖いわけではないだろうけど、そういうときでも堂々とするのが強い人間ではなかろうか。
「また来るから」
「うん」
そう言って、僕は唯奈を送り出した。こっそり僕は寂しい気持ちになる。姉さんが生きてたころは本当に賑やかだったから。
次の日、また別の不良が現れた。
ベンツを乗り付けると、プライドの高そうな女が降りてくる。
いつもかたぎではない人たちに囲まれている彼女は、人を見下す癖がついている。それが雰囲気にも出ていて、見ているとどうにも不快感が沸いてくる。
いかにもお嬢様とも言えるが、いかにも悪いことをしていそうとも言えるような、そんなタイプだ。
服は唯奈と同じように、シャツを出してだらしない感じに着ている。波打った長い髪はよく似合っていた。
彼女は偉そうな顔をしながら、インターホンを押した。どうやらそこは違うらしい。
「来てあげたわよ。ほら、入れて」
「いや」
僕はゆっくりと引き戸を閉めていく。
「ちょっと! 私に対してその扱いは無いでしょう!?」
全く、ブライドも高い、声も高い。高飛車とはよく言ったものだ。バカは高いところに上りたがるとかもあるし、高い、という文字は彼女に当てはまり過ぎるのだ。
「……わかったよ。あんまり外で声を出さないで。コウモリが寄ってきちゃうから」
「誰が超音波発生器よ!」
空を見上げると、心なしか何かがざわめいているような気がした。早く原因を家の中に入れよう。僕は麗を家へ上げた。
目的は唯奈と同じだった。居間へ行くと、麗は正座をして手を合わせる。無言で目を瞑り、真っ直ぐに姉さんに向かって祈っている。その横顔は聖職者のように見えた。
部屋へと上げてやると、麗は座布団へどっしりと腰を下ろした。麗はバニラっぽい香水の匂いがする。いつも同じ匂いなので、それが僕にとっての麗の匂いだった。
「……さて、準備はいいかな?」
僕はいきなり切り出す。もう調べはついているのだ。
「何の?」
訪問しておいていきなり切り出されたのだ。麗からは間の抜けた声が返ってくる。
「麗、最近いじめとかしてた?」
「あぁ? そんなことするわけないでしょう」
まあ、麗も根っからの悪人ではない。悪人なら僕もわざわざこんなことを言わない。
「同級生を脅している人がいて、麗はその人を締め上げたんだっけ?」
「……そうよ。別に、こっちが正義でしょ?」
ニヤッと笑うそれは、全く正義という言葉とはかけ離れたものだった。そして、問題はその続きにある。
「その人を制裁と称して、学校へ来られなくするくらいに脅したんだってね。麗のバックの人たちを使って。行き過ぎた私刑だよね」
「……だって、仕返しとかするかもしれないでしょ? だから色々考えて、恐怖で支配するという結論に――」
「やり過ぎだよね?」
「…………」
麗は目を逸らした。絶対この人はわかってやっているのだ。
「じゃあ! その子が脅されたままでよかったって言うの? 金を取られてたのよ?
脅したのだって、私のいないところでもっと酷いことになると思ったからよ。
いじめとかでも、教師が介入することで酷くなることがあるの知ってるでしょ? 中途半端は駄目なのよ」
まくし立てるように麗は言ってきた。基本的に、彼女は口が強く、口ケンカで負けているところはほとんど見たことがない。僕が相手のとき以外は。
「麗はさ、その人が悪いことをしてるってことに、しめた、って思ったでしょ?」
「は?」
そう、僕は彼女の本質をしっかりと理解している。正義という仮面を被った、退屈嫌いな彼女の。
「どうやって貶めてやろう。そんなことを考えたでしょ? 人助けしたいってことは別なんだ。結局、退屈している時に懲らしめる権利を与えられたから、退屈しのぎに正義の味方をしただけじゃないか」
「そんなことないわよ! 本当に、その子が心配で……」
麗は怒りと共に、悲しい表情を浮かべる。後者も彼女の本音で、その子を助けたいという気持ちがないわけではなかったから。
「麗ちゃん」
急に以前の呼び方に戻してみる。この前、唯奈にされたことを参考に。
「麗ちゃんが悪意でやってるんじゃないってのはわかってるよ。ただ、脅したあとその人は登校拒否してるらしいじゃないか。
相手が悪いことをしたからって、麗ちゃん自身がその人と同じようなことをしたら、麗ちゃんだって悪人になっちゃうよ。わかるでしょ?」
「だって――」
「だってじゃない」
僕は重い感じに言い放ち、麗のことを睨みつけた。すると、麗の目が泳ぎ、少し涙目になってきた。
「な、なんでハジメちゃん、そんなに厳しいのよ!? 私、そんなに悪いことしてないのに!」
麗も以前の呼び方に戻ってしまう。お互いが「ちゃん」を付けていた子どもっぽい呼び方は、僕が皆にとって幼い子どもだったからこそ成り立っていた呼び名だった。
「悪人だから何をしてもいいってことはないよ。それ以上に、麗ちゃんがそうする必要がない。その人を苦しめるのは、麗ちゃんじゃなくていい」
「私、悪くないもん」
「じゃあ、もう二度とうちに来ないでね。もう関わりたくないから」
最終手段は、この一言だった。絶交。これは僕が昔から使っている手で、一番使った相手は、もうこの世にはいなかった。
「な、なんで!?」
「はい。もう出ていってね。さあ、立って」
僕は麗の隣に立って、そう促す。麗は僕を見上げながら、ついに涙が流れていた。
「ハジメちゃん、私が嫌いなの?」
「今そうなった」
麗が本当に悲しそうな顔で泣くものだから、いい加減、僕だってかわいそうになってくる。しかし、ここで僕が引くわけにもいかない。これが僕の仕事だから。
「立って」
僕は特段、感情を込めずに言い捨てた。麗は僕が相手でなければ怒って立ち去るだけだろう。
「う……」
麗は首を横に振る。子どもっぽい泣き顔は、昔から何も変わっていない。
「じゃあどうするの?」
「……謝る」
こうなったら聞き分けのいいものだった。麗は、どうすれば良いのかをちゃんと分かっているはずだ。だから、僕もこれ以上責める気にはならない。
「そう。良かった、麗ちゃんと絶交しなくて済んで」
僕はそう言って笑ってみせる。子ども化している麗を安心させるためだ。
「は、ハジメは……何かずるい」
そんな僕の意図を察してか、麗は吐き捨てるように嘆いた。
「麗。麗が弱いものの味方をするのは良いことだと思うよ。でも、それをやりすぎて敵を作るのは良くない。だって、麗に仕返しが来るかもしれないじゃないか」
「私に仕返しする根性のあるやつなんていないわよ」
確かに、極道の娘にそんなことをする人間はいないかもしれない。麗は組の人間や、その権威で味方にした別の手先などによって、十分すぎるほどに身を守っている。
「それでも、だよ。目立ち過ぎるのは良くない。ただでさえ、麗は目立つのに、恨みを買うことで何かの時に的になることがあるかもしれない。麗を守っている盾が不変のものだっていう確証なんてないんだから。僕は麗が心配なんだよ」
麗は、今度は照れたような表情を浮かべる。これが僕にとっての最大限のアメである。
アメとむち。これは麗に効果抜群だった。
「わ、わかったわよ。ハジメの言うこと聞く」
こうなると僕の言いなりである。ちょろい感じだが、これも僕と麗の仲によりできることだった。
「でも、どうして私のクラスメイトのことを知ってるの?」
同じ高校とはいえ、一年の僕が二年の麗の情報を知るのはなかなか難しい。しかし、僕には情報屋(無料)がいるのだ。
「唯奈から聞いた」
「あんのクソガキ! 絶対いつか懲らしめ――」
「懲らしめる?」
麗は電気ケトルなど足元にも及ばないくらいのスピードで沸点へ至った。僕はそれにすぐ冷水を注いでやる。
「……ううん」
僕が笑顔で睨みつけると、麗は再び大人しくなった。
「唯奈とは全然話さないの?」
「……別に。話す必要がないんだから、仕方ないじゃない」
ばつの悪そうな顔をして、麗は僕と目を合わさないようにしながら言った。
「まあ唯奈とはそのうち仲直りするだろうとは思うけど。問題は紅ちゃんだよね」
「……知らない」
そう言った麗は、今度は冷たい表情を浮かべた。
今日は家の前に二人の女性が立っていた。一人はきりっとした美人で、もう一人はふわっとした女の子だった。凸凹コンビと言った感じで、見た目の印象も良い。僕は二階の窓から二人を確認すると、インターホンが鳴る前に一階へと向かった。
「いらっしゃい」
「うん。おじゃまします」
「おじゃましまーす」
二人を家に上げると、まずは居間のほうへ向かう。そして、二人揃って姉さんに向かって手を合わせてくれる。
いつも思うことだけれど、手を合わせてるときの紅ちゃんはどこか辛そうに見える。まだ姉さんを想ってくれているのか、あるいは後ろめたいことがあるのか、その両方か。
二人を僕の部屋まで上げると、お茶と茶請けにもらい物の八つ橋まで提供した。随分扱いが違う気がするが、そんなものなのだ。
「一昨日は唯奈、昨日は麗が来たよ。今日は紅ちゃん」
このきりっとした美人が、不良三人娘の一人、
「そうか」
「へぇー、私、二人とも会ってみたいなぁー。紅輝さんの親友なんですよね?」
このふわっとした女の子、
髪を二つに分けて、背もかなり低く、僕と同い年には見えないくらいに幼く見える。とても良い子なのだけど、少し空気を読めない人であり、少しおバカさんであり、凄く天然な人だ。
「昔、な」
「紅輝さんのお友達のことは知っておきたいです! 子分一号として!」
「子分は取ってないつもりだけど……」
千愛莉ちゃんは以前、男に絡まれていた時に紅ちゃんによって助けられたらしく、それ以来、よく懐いている。
最近はうちに来る時も一緒だ。千愛莉ちゃんの明るさは、紅ちゃんを柔らかくしているように見える。あまり人と関わろうとしない紅ちゃんに、千愛莉ちゃんはありがたい存在だった。
紅ちゃんはクールで口数が少ない。それは昔からで、姉さん達といるときでもいつも静かだった。
僕にとって良いお姉さんなのだけれど、僕は紅ちゃんのだらしなさやボケっとしたところも知っている。素の紅ちゃんはかなりのほほんとした人だった。
しかし、昔は獰猛なところがあって、口が出ない分、手が出てしまう人だった。
見た目はそれほど強そうには見えないけど、元々格闘技をしていたからか、紅ちゃんは強かった。力より技というタイプで、相手の攻撃を避けながら、急所に当てるということをしているらしい。今は大丈夫なのだけれど、昔は危険人物だったようだ。
唯奈の威嚇とも、麗の虎の威でもなく、紅ちゃんは本当に強い。そんな強い紅ちゃんだからこそ、一番心配な姉だった。
「二人とも悪そうに見えるけど良い人だよ。バカな唯奈と偉そうな麗。紅ちゃんと三人合わせて、僕の姉さんには松竹梅トリオとか言われてた。松坂、竹原、梅木だから」
「へぇ~」
紅ちゃんを無視して、僕は千愛莉ちゃんに説明した。千愛莉ちゃんは何でも凄く楽しいものみたいに反応してくれる。
「早く仲直りしてもらいたいものだけどね」
僕が言うと、紅ちゃんは両手でお茶を手に持って口元へと近づけたまま静止した。無理やり用事を作ったみたいな動きだった。
「どうしてケンカしてるの?」
都合のいい質問をしてくれる千愛莉ちゃん。紅ちゃんはギョッとした顔をして千愛莉ちゃんを睨んだ。
「三人とも、不安定な時期があってね。不幸なことも重なって、紅ちゃんが麗に怪我させたんだ。そこから三人は決裂」
「怪我?」
千愛莉ちゃんの質問に、僕は少し言い淀んでしまう。これを言って、千愛莉ちゃんが紅ちゃんを怖がるかも知れない、と。
「怪我自体は大したことじゃなかったんだ、すぐに回復したし。でも、関係は回復しなかった。そして、三人が不安定だったのは……僕の姉さんがきっかけ」
「ハジメ」
紅ちゃんが不安そうな顔で僕を見ていた。しかし、僕はそれを無視した。
「三人とも、僕に対しては昔のまま。でも、三人は今お互いを避けあっている。姉さんが原因で三人がこうなってるんなら、僕が何とかしないといけない。だから僕が三人の仲を取り持ちたい。そう思ってるよ」
いつの間にか、千愛莉ちゃんはポカンとした顔でこちらを見ていた。それは、千愛莉ちゃんに言っていたはずの言葉が、僕の独白に変わっていたからだろう。
姉さんがいなくなってから数年たった今、僕は怒っていたのだ。
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