4-2
後で迎えが来るからと、唯奈と千愛莉ちゃんが帰った後も、麗は僕の部屋に残っていた。麗は少し居心地が悪そうに見える。僕らは隣り合わせに座って、ボケッと佇んでいた。
「何か変な感じね」
「唯奈と一緒に僕の部屋に居たこと?」
麗は小さく首を横に振った。
「距離を置かなきゃって思ってたのにね。ハジメが一人にさえならなければ、それこそもう私は来る必要が無いはずなのに。結局、紅輝を含めて三人でまたハジメの部屋に来なきゃならなくなっちゃった」
「麗の意思としてはどうなの? 来たいのか来たくないのか」
「来たいわよ。ハジメに会いたい」
ギョッとして麗のほうを見ると、麗は真っ直ぐ僕の方を見ていた。
「何で、唯奈にしても、そんなこと平気で直接言ってくるかな……」
やっぱり子供扱いされている気がする。僕は麗の目を直視できなかった。
「しょうがないじゃない。あんたは私たちにとってはいつまでもちっちゃな弟。何か染み付いているのよね。芳香さんの、ハジメの前では悪いことが出来ない、みたいなの。良い子のハジメを悪い子にしてはならないって芳香さんが口酸っぱく言ってて、私は、それなら私たちを連れてこなければ良いのに、なんて思ってたのに、結局私たちが染まっていったのよ」
麗は切ない顔をして言う。姉さんがどこまで三人のことを理解していたのか、僕は気になった。
「それにしても、いつの間にかしっかりしてきたのね。芳香さんのことだって、もっとショックを受けると思ったから今まで言えなかったの。ごめんね」
そう言って麗は、今度は僕の頭を撫で始める。何となく無抵抗ながら、僕は目だけは不満そうに返した。
「あれは……唯奈が取り乱したから、僕まで取り乱せなかっただけだよ」
僕は昨日、心細くなって泣いてしまった。そして今日、姉さんのことを聞いたときには確かにショックだった。唯奈があんなに悔しそうに泣くから僕は何も言わなかったけれど、僕だって悔しい。姉さんが死んでしまうきっかけを作った人たちは、何か報いを受けるべきだと思う。
しかし、それによって紅ちゃんが危ない目にあうのはごめんだった。姉さんが紅ちゃんのためにしたことを無下にするような真似はしたくない。だから僕は、復讐よりも紅ちゃんが以前のように過ごしてくれることのほうが大事なのだ。
「唯奈が怒ってくれたから、僕が怒らなくて済んだとも言えるかな。僕は弱いから」
僕は弱い。その言葉は、少し震えたような声になってしまった。すると麗は、僕のことを抱きかかえるように控えめに覆った。
「ううん。ちゃんと、強くなってるわよ。もっと早く紅輝のことを言っていればよかったわね。本当に。そうすれば、あんな風にぶつかり合うことも無かったかもしれない」
麗は悲しそうな顔をしていた。麗には一番負担をかけてしまっている。姉さんの事情を知って、紅ちゃんと僕らのバランスをとってくれていた。僕がもっと強かったら、その負担は減らせたはずだ。
「ごめんね」
「私のほうが悪いのよ。ごめん」
こうやって慰められているのも情けない気がするのに、あまりにも心地よくて、麗の暖かさに委ねてしまう。麗は僕よりも小さいのに、しっかりとお姉さんだ。
少しの間こうしたあと、麗の体は離れていった。名残惜しいと思いつつも、いざ麗の顔を見ると、さっきのことが恥ずかしく感じた。
「……さっきの、来ていいとか悪いとかの話」
僕は、その感じをどうにかしようとして、ちょっとした意地悪を言うことにした。
「それは麗にしても、唯奈や紅ちゃんにしても、普通の高校生として大人しく過ごせば僕の家に来ることに何ら問題は無いんじゃないの?」
僕はそもそも論を提示した。でも、麗は笑ってくれなかった。
「今更、よ。それに、私は無理。だって、極道の娘だもん」
「そんなこと無いよ」
「あるの。私をそういう目で見ない人って少ないわよ。ハジメは昔から知ってるからわからないかもしれないけど、どうしてもそういう目で見られるもの」
麗は自虐的に笑った。麗にはまた別の苦しみがあるのだ。
「でも、だからハジメに会いたいのかもね」
麗の表向きの顔は偉そうで強気なものなのに、裏はこんなに暖かくて優しい。こっちが本当の麗ならば、もっと、ずっとこんな表情をしていてもらいたいと思った。
「そっか。じゃあ結局、僕の家に来ないと駄目だね」
「そういうことにしておいて」
そう言って僕らは笑いあった。僕らは小さいコミュニティで傷を舐めあっているのかもしれない。でも、それはもう小さな絆のようになっていて、僕にはそれが必要だった。麗も必要としてくれている。きっと唯奈も、紅ちゃんも。
「迎えが来たみたい」
外には黒い車が止まっていた。家の人、きっと真二郎さんだろう。僕は麗と一緒に下まで降りると、挨拶がてら一緒に外に出ていった。
僕が頭を下げると、真二郎さんは車の中から気さくに手を振ってくれる。そして車はゆっくりと動き出し、角を曲がって見えなくなった。僕はふわふわした気分になりながら、少しの間その場に立ったままでいた。
「お父さんが帰ってこない……」
夕食を終え、しばらく自分の部屋に居た後、ふと麦茶を飲みに台所へ行くと、そんな声が聞こえてきた。もちろん、母さんだ。僕はそれを聞こえないフリをしながら、無言で麦茶をコップに注いだ。
「お父さんが帰ってこない……」
二回目。これも僕には聞こえていない。そういうことにして、麦茶を一気に飲み干した。まだ風邪っぽいので水分補給は重要なのだ。
ちなみに、別に父さんが家をずっと空けているわけではなく、ちょっと帰りが遅くなっているだけだった。これは珍しいことではなく、三日に一回くらいの割合であることだった。つまり、父さんが遅くなることも当たり前で、それについて母さんが寂しそうにしているのもいつものことだった。僕は聞こえないフリをしたまま、二階への階段に足をかけた。
「ハジメちゃーん」
いつの間にか母さんは僕の近くに移動して、僕の腕を強く握っていた。僕は思わず目をいっぱいに開いて母さんを見た。
「な、何?」
「聞こえてたでしょ? 聞こえてるでしょ?」
「いや、僕に言ってるわけじゃないと思ったから」
「いやいや、今、ハジメちゃんしか居ないじゃない! ハジメちゃんに言ってるんじゃない!」
母さんは別に酔っ払っているわけではない。だからこそ、このテンションはより面倒くさいところだった。
「独り言かと」
「独り言なら二回も言わないじゃない! あーん! ハジメちゃんがこんな冷たい子に育ってしまうなんて!」
心外だった。ちょっと面倒くさいことを避けただけなのに、何故こんな言われ方をされなければならないのか。
「もうすぐ帰ってくるよ」
「私にこの広い部屋でボケッとテレビを見て過ごせって言うの? この家にもう一人居るはずなのに、その人は私に何もしてくれないの?」
母さんにうるうると甘えたような目をされる。僕はため息をついて、一緒に居間へ入っていき、テーブルを挟んで座った。
「そういえばハジメちゃん、紅ちゃんと何かあったの?」
いきなりそんなことを軽口で言ってくる。単刀直入といったそれは、僕の胸を軽く突き刺した。
「何でそう思うの?」
「だって、一昨日あんな感じに帰ってきて、今日来たのが唯奈ちゃんと麗ちゃんでしょ。誰かと何かあったのなら、紅ちゃんしかいないじゃない」
僕の交友関係の狭さが原因なのか、はたまた母親がしっかり息子のことを見ているということなのか、すっかり見透かされていた。
「まあ、ちょっとね」
「ちょっと、ねぇ……。駄目よ、紅ちゃんを仲間外れにしちゃあ」
僕だってしたくない。僕は反射的に頷いた。
「唯奈ちゃんと麗ちゃんは仲直りしたの?」
「それはもう大丈夫だと思うよ」
「そう、良かったね」
母さんはにっこりと笑う。母さんも、三人の仲を気にしていたのだ。二人はもう大丈夫。でもそのことは、より紅ちゃんだけを置いてけぼりにしているような感じがして、僕は複雑な気持ちになってしまう。
「紅ちゃんのこと気になる?」
「そりゃそうだよ」
母さんはまた見透かすように言った。僕のことなら何でもわかるのだろうか。
「みんな一緒じゃなきゃ駄目よね。多分あんた達はそういう部分が強かったのよ」
「強かった?」
母さんは圧倒するような笑顔になる。
「誰だって、一番自分が良いと思う自分で居たいじゃない。優しくなれて、強くなれて、頑張れて。そんな風になれるのが、あんた達がみんな一緒に居るときじゃないかな。みんな別の顔を持ってるから、そういう気持ちが強くなってたのよ」
唯奈も麗も、僕と居たいと言ってくれた。三人とも、他の人が思っている印象と、僕が知っている顔に大きな差異がある。僕の知っている三人は、優しくて楽しい。唯奈と麗、それに紅ちゃんも、そんな自分で居たいと思っているということだ。
「そうなのかな」
「そうよ。芳香がそうだったもの。芳香、あの子達と居る時から、本当に良い顔をするようになった。責任感とか、そういう色々なものが、芳香の内のほうから自然に出てきたんだろうね。私ね、芳香が昔荒れていたのは、帰る場所が無かったからだったんだって思ったのよ」
母さんは目を細めた。僕はチラッと姉さんの写真を見る。姉さんは小さく笑っていた。
「帰る場所?」
「多分、本当の自分が居る場所がわからなかったのよ。一番良い自分がわからないから、探してたんだよね。強い自分とか、格好良い自分とかそういうものを。そして最初はハジメちゃんだったんじゃないかな」
母さんの言葉に、僕は目で、どういう意味かを問うた。
「芳香はハジメちゃんのことが可愛くて、この子を守ってあげたいって思った。そういう気持ちが、芳香の中で一番大事なものになって、それが芳香にとって一番良い自分だったのよ。それから紅ちゃんを連れてきて、唯奈ちゃんを連れてきて、麗ちゃんを連れてきた。一番良い自分で居られる場所を、作っていったのよ」
「姉さんは、僕のために紅ちゃんたちを連れてきたんじゃないの?」
友達が居なくて、いつも一人だった僕のために、姉さんは三人を連れてきた。僕はずっとそう考えていた。
「それもあるかもしれないけど、それだけじゃないよ。芳香が心を許したから、ハジメちゃんに会わせたいって思ったのよ。三人ってどこか芳香に似てるでしょ? 芳香は自分に近いものを三人に感じたんじゃないかな。何というか、表面に出している顔よりも内側にある顔のほうがずっと魅力的じゃない? あの子たち」
母さんの言うことに、僕は納得していた。僕が三人を必要としていることも、三人が僕のことを気にかけてくれていることも、その場所が自分が自分らしいと言える数少ない場所になっているからなのだ。僕は三人の前だと、叱りつけることも出来るし、いっぱい話すことが出来る。唯奈は背伸びをしない等身大の姿を見せてくれる。麗は明るく冗談を言うし、時には凄く優しくなる。紅ちゃんは気を抜いて、ただの大人しい女の子になってくれる。それが、僕たちの居場所での姿だった。
僕は姉さんの写真を見る。姉さんだって揃ってないと嫌だよね。一人ずつ来たって、そこはまだ姉さんが居た場所にはなってくれない。僕にとって一番好きだった頃の姉さんで居てほしいから、三人を連れてこなければならないのだ。
「紅ちゃんも、連れてこないとね」
僕が呟くと、母さんは、ふふふと笑った。
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