第6話 新しい春
その1
クリスマスは僕の家はほぼ関係ないので、なんとなくケーキを一人2個ずつ計6個買って父母子で食べた程度で済ませた。本当は2個×4人=8個というのを特にお母さんは望んでいたのだけれども、どういう訳か、兄ちゃんは冬休みにも大学から帰省しない、と言ってきた。
僕はなんとなく気になっていたのだけれども、兄ちゃんはお父さんを避けているのではないだろうか。直接的にはうつ病のことで、だろうけれども、根はもっと兄ちゃんが小さい頃から、そして、お父さんがもっと若い頃から、2人の父子としての交流はあまりうまく行っていなかったような気がする。
古い木造のおばあちゃんの家が無くなっていた時のお父さんのコメントも、肉親としての関係に当てはめてみたとしたら、冷たい、と言えるかもしれない。親子や夫婦と言った‘情愛’よりも、‘普遍的な何かと人間’みたいな感覚が前面に押し出されていたように思う。本当は、情愛もある程度は必要なのかもしれない。けれども、世の歴史を振り返ってみれば、肉親の肉親に対するお世辞や欲目がどれほど本人にとって有害なものであったかというのは、検証に枚挙を厭わない。そういったことは、つまりは、身内の愚痴な‘情愛’なのだろう。結局それが自分の国を自ら滅ぼしてしまうことすら多々あった。
けれども、そういったことを、どろどろの現実離れした日々の生活の中で、理解して生きていくことが人間にできるだろうか。
兄ちゃんが家の中や学校で、どんなもやもやを持って生きてきたのかは僕には分からない。けれども、自分の場合を思い出して想像はなんとなくできる。
自分の場合は久木田たちとのやり取りの中で、家族に相談する、ということが全く無かった。それは、‘恥だ’と思い込んだ自分の責任ではあるのだけれども、お父さんやお母さんが自分のことを知らない、という風に感じると、家族に対して冷めた感覚を抱いた記憶がある。けれども、不思議なもので、高校に入って太一との引き続いての交流、さつきちゃん・遠藤さん・脇坂さんたちとの出会い、陸上部の先輩方・同輩との日々の精進、といったことがうまく回りだすと、家族に対する自分の目も少し暖かなものになったような気がする。お父さんの‘仕事の世界’には、これが無かったのかもしれない。
翻って兄ちゃんの場合はどうだったのか。
僕よりも遥かに頼りがいがあり、自分の意見を持っている兄ちゃんだけれども、何か、そういう割り切れない思いや悩みを抱えていなかった筈はないだろう。
もしかしたら、お父さんが‘普遍的な何かと人間’という感覚で兄ちゃんに話をしたことがあったとしたら、
「じゃあ、どうしてお父さんはうつ病になったの」
と、問いかけたかったのかもしれない。
言っている文脈の内容そのものは‘そうかな’というものだったとしても、言った本人がそれとは反対のことをしたり、反対の目に遭ったりすれば、‘なあんだ’と、そっぽを向いてしまうのが人情だろう。兄ちゃんはお父さんに対して、
「偉そうなことを言っておいて、自分はうつ病になったじゃない」
と、言いたかったのだとしたら・・・
もし、そうだとしたら、とても悲しい。
兄ちゃんは、いつ、家に帰ってくるんだろう。
クリスマスはそんな思いだけで過ぎ、年末・年始は毎日雪かきをして過ごした。
期末テスト期間中から降り出した雪は年が押しせまるにつれてしんしんと降り積もり、平野部でも50~60cmの積雪がそのままの状態で続いた。除雪して、その上にまた降り積もる、という感じだ。
自分の家の雪かきはもちろんだけれども、以前、町内会で出た、お年寄だけの家のボランティア除雪は、結局、町内の人間でやってみよう、ということになった。あまり強制のような形にすると、かえって除雪してもらう側のお年寄りが気を遣ってしまうので、まあ、できる人ができる範囲で、という感じになった。それなりに体力のある若い人間、しかも、勤め人でもない高校生の僕は頻繁に出動した。
僕の町内は商業施設が多く、本当にそこで生活している、という住人の家は十数戸程度と少ない。その半分が今やお年寄りだけの生活だ。また、それ以外の家も、子供のいる家はほとんどない。小学生の子がいる家は、もう、ない。町内にあった小学校も、数年前、少し離れた生徒数の多い学校に統合され、廃校となった。町内での最年少は中学2年の男子生徒。弘樹くん(ひろきくん)という。その次に若いのが僕だ。僕と弘樹くんは2人だけでコンビで連日出動ということもあった。
お年寄りの家に行くと、
「こんにちは、除雪にきました」
と、がらがらと玄関の引き戸を開けて挨拶し、どこの部分の雪をどかせばいいか聞く。お年寄りたちは大抵は遠慮する。
「門から玄関まで、人が歩ける幅だけよかしてくれればいいよ」
けれども、歩きづらくて転倒してしまう、ということはなんとしても避けないといけないので、余裕を持って歩けるようにできるだけ広く除雪する。ただし、気を付けなくてはいけないのは、‘つるつるにならないように’除雪する、ということだ。
純粋な‘雪’の状態で積もっているのならば下のコンクリートが見えるまですっきりとずらしてしまって大丈夫だ。コンクリートの上にそのまままた雪が降り積もるだけなので。
気を付けないといけないのは、水がある場合だ。特に、中途半端に融雪の水が流れてきていて、除雪した上に水が残った状態になり、そこが凍ってしまうと、除雪したせいで却って滑りやすくなってしまう。かといって、雪が踏み固められて圧雪になると、表面がつるつるになって、これも滑りやすくなる。
僕も弘樹くんも、子供の頃から雪で遊んできた経験からそこは心得ているので、ちょうどいい塩梅に除雪する術を知っていた。
大抵の家は除雪が終わりました、と声をかけると、ありがとう、と玄関でお菓子か何かをくれて、そのまま失礼する。けれども、中には、上がってお茶でも飲んでいきなさい、と熱心に勧めて下さる家もあった。それでも大体は断るのだけれども、一軒だけ、‘寂しいから’としきりに奥さんが勧める家があり、とうとう玄関をくぐって上がったことがあった。
旦那さんと奥さんとの二人暮らしの家だった。2人とも80歳ほどに見える。
上がるとテレビとコタツの置いてある部屋に通された。旦那さんはコタツにあたって、テレビを見ながらお茶を飲んでいた。僕たちも失礼します、と言って正座して、コタツ布団の中に膝頭を入れた。奥さんが、
「膝を崩してね」
と言ったけれども、何となく2人とも正座したままでいた。
正直、こちらから振る話題はなく、何を話そうかと思っていたが、そんなことに困る必要はないとすぐに気が付いた。奥さんが、自分の息子たちのことを話し始めたのだ。
「長男は大学教授になって大阪にいるのよ。次男は厚生労働省の室長になって、霞が関で勤めてるのよ」
僕も弘樹くんも、どういう反応をしていいか分からなかったので、とりあえず僕の方から、へえ、凄いですね、と言ってみた。
するとそれを皮切りに息子たちの小さな頃から大きくなるまでの詳細な‘神童ぶり’が奥さんの口からとめどなくあふれ出てきた。
「長男は小学校の頃からずっと学級委員長だったし、次男は中学では2年・3年と続けて生徒会長になったのよ。2人とも部活は剣道部で高校まで続けたわ。長男はインターハイにも出場したのよ。文武両道だったわね。高校は2人とも西條高校よ」
西條高校は県内の高校で東大合格者数が毎年トップの、私立のエリート校だ。奥さんの話はまだ続いた。
「2人とも手のかからない子でね。親に心配かけるようなことは一度も無かった。就職して結婚してからはとにかく仕事一筋でね。海外への出張もしょっちゅうだし、次男の方は、国会が始まると、議員の先生方と夜中まで連絡を取り合って大きな政策を立ててるみたい。孫達も頑張ってるみたいで、親たちに負けないように勉強やら習い事やらで忙しいみたい」
そう言って、2枚の写真を見せてくれた。1枚は小学校入学式の男の子の写真。もう1枚は幼稚園くらいの女の子と、男か女か分からいなけれども赤ちゃんとが並んで映っている写真だ。
「男の子は長男の子。女の子たちは次男の子」
赤ちゃんは、女の子だったようだ。弘樹くんは奥さんに何気なく聞いた。
「お孫さんはまだ随分小さいんですね?」
奥さんは、ええ、まあ、ちょっと昔の写真だから・・・と何だか歯切れの悪い返事をした。
僕は、ひょっとしたら、と思い、訊こうか訊かないでおこうか迷ったが、何だか訊かずに終わらせることの方が、このご夫婦のためにならないような気がしたので、あえて訊いてみた。
「息子さん方はよく帰っていらっしゃるんですか?」
奥さんが何も言わずにいると、旦那さんが代わりに答えた。
「息子らも仕事が多忙だからね。しょっちゅう会うこともできない」
僕は、あきらめなかった。
「今年はこんな雪だから、息子さんたちも心配してるんじゃないですか?」
「ああ、心配して何度も電話をかけてきてくれたよ」
「お正月はお帰りにならないんですか?」
旦那さんは少しムッとした感じで僕の質問に答える。
「なにしろ、国の大きな仕事を2人ともしてるからね。忙しくて帰ってる暇がないんだよ」
「でも、‘大雪だ’と話したら、心配して、‘帰ろうか’とおっしゃったんじゃないですか?」
旦那さんはもう、何も話したくないような、困った顔をしていた。奥さんが助け船を出した。
「ほら、町内の若いあななたちのような子がね、雪かきしに来てくれるんだ、って話してやったの。そしたら、次男はね、‘若者がお年寄りを大切にするのは日本古来の美徳だ。その子らの修養にもなる。日本は安泰だ’って、あなたたちのことをたいそう褒めてたわよ」
「褒めてた?・・・僕らの修養?・・・・日本は、安泰・・・?」
僕は誰にも聞こえないように、口の中でそう呟いた。呟いてみて、自分で寂しくなった。この奥さんの息子に褒められたって嬉しくとも何ともない。僕は、このご夫婦と息子さんたちの状態をどういう言葉で表現してよいのか、心の中に候補の単語がくるくると浮かび上がった。その中に、‘恥知らず’という単語も一瞬出てきたが、あまりに激しい単語だったので、実際に軽くぶるぶると首を振って打ち消した。僕が少し首を動かした様子を見て、弘樹くんは、びくっ、と反応した。
けれども、奥さんの話は、もう少し続いた。
「わたしらもね、息子らに負担やら心配やらかけないようにね、自分らが少しでも健康で元気で長生きできるように毎日頑張るのがわたしらの仕事だと思ってね。色々と研究してるのよ」
と、コタツの上に幾種類も並べられた健康補助食品の類を指さした。
「おかげで、元気に、誰にも迷惑かけずに、なんとかお父さんと2人で暮らしてるから。本当にありがたいことだわ」
奥さんがそう言うと、旦那さんはようやくにこっ、とした顔をした。
僕は、ありがとうございました、失礼します、と言って、コタツから立ち上がった。
その家を出ると、僕と弘樹くんは公民館に向かった。その日の除雪が終了すると、公民館でお年寄りたちの健康状態はどうだったとか、困ってる様子はなかったかとかを報告する。そして、皆でお疲れさん、と言って、温かい飲み物を飲むのだ。
「小田さん」
公民館に向かう途中、弘樹くんが訊いてきた。
「写真を見たから、ああいう話をしたんですか?」
僕は、弘樹くんの方に軽く顔を向けた。
「随分小さい頃の写真しかなかったからね。多分、あのご夫婦は、息子さんたちとは何十年も会ってないんだと思う」
「えっ!」
「電話はしてるだろうけれども、多分、息子さんたちとだけだと思う。息子さんのお嫁さんとは、こっちからかけた時に、たまたまお嫁さんが電話を取ったら挨拶交わすくらいだよ、きっと。お孫さんたちとは多分、会うどころか、何十年も電話ですら話したこともないと思う。あの、写真の男の子の、声変わりした声も聞いてないと思う」
自分で話すのも寂しいような話をしながら、公民館に着いた。
その日は僕たちのコンビの他に、魚屋の旦那さんと、町内に支社の事務所を構える大手企業の営業マンの人とのコンビだった。魚屋の旦那さんは、70代後半だがそうは見えないくらい屈強な体で、‘まだ体の動くうちは’と除雪に参加している。ちなみに、‘魚屋’といっても、魚の小売ではもうスーパーに勝てないので、先代からの魚市場での仕入れルートを駆使して、刺身やオードブルの仕出しを武器に、地域の会合や冠婚葬祭の会食なんかの需要を取り込んで生き残っている。営業マンの人は、支社長から‘行け’と命令されて出てきたそうだ。魚屋の旦那さんが言う。
「支社長から直々に命令が下るなんて、あんた、相当偉いポジションなんだね」
「いや、支社と言っても4人しかいないもんで・・・・」
東京出身なのだろう。営業マンの人は、テレビで聞くようなきれいな標準語で話す。それを聞いて魚屋の旦那さんは、
「えっ、たった4人?あんたの会社、うちの県を随分軽く扱ってるんだな?」
「いや、支社を置くだけでも十分重要視してますよ。中には5県ひとまとめに営業所で扱ってる所もあるんですから」
「いやいや、冗談だよ。何かの縁でこの県に赴任してきたんだから、ありがたいよ。おまけに、除雪までしてもらって、あんたも、あんたの会社もいい人たちだよ。ほんとにありがとう」
営業マンの人は照れながら、言った。
「これも、CSRの一環ですから」
「シーエスアール?」
弘樹くんがその単語を反復した。僕はそのアルファベットを新聞の経済欄の文脈で見たことはあったけれども、正確な意味は知らなかった。
「あれ、知らない?英語とか社会の授業とかで習わないの?」
僕も弘樹くんも、いいえ、と首を振った。
「Corporate Social Responsibilityの略だよ。企業の社会的責任、と言って、単に自分の会社の利益だけを追求するんじゃなくって、社会の中での会社、っていう風に、地域社会や広くは国際社会の中の一員としてのボランティア活動なんかを例に、役割を果たそう、っていう動きだよ。今の世の中の企業は皆、CSRに取り組んでるよ」
僕と中弘樹くんが、へえー、と感心すると、
「いやいやいや」
と、魚屋の旦那さんが割って入る。
「そんなの、日本人はみんな昔からやってるよ。今更、何言ってんの」
魚屋の旦那さんが段々と演説口調になってきた。
「たとえば、この辺で商売してる人たちは、皆、氏神様に寄進してる。お祭りの時とかだけじゃなくってな。知り合いの社長は、大きな取引ができた時に、ポケットマネーで寄進してるよ」
魚屋の旦那さんは、熱いコーヒーをすすりながら雄弁に語る。
「氏神様の隣に食品卸をやってる会社があるの、知ってる?」
僕は、はい、と頷く。
「あすこの社員が朝、掃除してるのは、ありゃ、自分の会社の敷地じゃない。神社の周りのごみなんかを拾ってるんだよ。自分とこの掃除は、それが終わった後にさっとやってるだけだよ。それも別に社長が命令してやってる訳じゃない。何となく、社員が神社が隣にあるのに、自分ちを先にするのは申し訳ない、って思ってやってるだけ」
「確かに、CSRそのものですね」
営業マンの人が言うと、魚屋の旦那さんは、
「いやいやいや」
と、また、打ち消す。
「こっちがCSRを真似たんじゃなくって、昔からやってる当たり前のことを勝手にCSRって呼んでるだけのことでしょ。でもまあ、あんたの会社は当たり前のことをやるだけでも偉いよ。今は、当たり前のことすら損だと思ったらやらないからね」
うーん、と、営業マンの人も、僕たちも、納得せざるを得ない、明快な解説だ。
「それに・・・君は小田さんちの子だね。君は佐伯さんちの子だね。名前は?」
魚屋の旦那さんの問いに、「かおるです」「弘樹です」とそれぞれ答える。
「かおるくんと弘樹くんか・・・参考までに、いいことを教えといてあげようか」
自分でお代わりのコーヒーをポットから注いで、続きを話し始めた。
「商売はつまり、奉仕をして自分達の生活の糧を頂く、ってことだ。じゃあ、その奉仕っていうのは誰に対してするものか、分かるかな?」
「お客さんに、ですか?」
弘樹くんが答える。
「確かに、それも間違いじゃない。でも、実は、商売人の奉仕は、本当は氏神様に対してするものなのさ」
営業マンの人が、不思議な顔をする。
「氏神様・・・ですか?」
魚屋の旦那さんは、そうだよ、と頷く。
「店を構える商売人も、お客さんも、氏神様から見れば、皆氏子だ。商売人は、お客さんという氏子の向こうにおられる氏神様に奉仕する気持ちで日々のサービスをするのさ。
じゃあ、商売人はどういう気持ちで氏神様に奉仕するのか分かるかい?」
今度は僕が答える。
「商売繁盛を願って、ですか?」
ううん、と魚屋の旦那さんは首を振る。
「商売始めて駆け出しのころは商売繁盛を願っての奉仕でもいいよ。でも、いつまでもそのままだと、一代で店は潰れてしまうよ」
「?」
僕たちが疑問符を頭の上に浮かべる様子が見えたのだろう。魚屋の旦那さんは、ははっ、と笑って、答えを言ってくれた。
「この土地で商売させていただいてありがとう、って、氏神様に奉仕するのさ」
どうだ、と言わんばかりのにこやかな顔でさらに続ける。
「たとえば、弘樹くんの家や土地の所有者は誰だい?」
「まだ相続してないので、おじいちゃんのままだと思います。」
「法律上はね」
僕は、何となく、分かってきた。けれども、営業マンの人と弘樹くんには、やはりこの感覚がなかなか伝わらないようだ。
「かおるくんは分かるか?」
僕は、なんとなく、そうかな、とは思うけれども、恐る恐る答えてみる。
「氏神様の土地、ですね」
魚屋の旦那さんは、おっ、という顔をする。
「そうだ。みんな自分の土地だって思ってるけどさ。‘金出して買ったんだから、ここは俺の土地だ’と人間が好き勝手に言ってるだけの話だよ。みんな、氏神様の場所に住まわせてもらって、商売させてもらって、生かしてもらってるだけなのにな」
うーん、と、営業マンの人と弘樹くんは、感心なのか腑に落ちないのか分からないけれども、今までに聞いたこともないような話を聞いて、驚いているようだ。
「それに、商売が上手くいくのと家を上手く次の代にバトンタッチする作業とは、車の両輪だよ。いや、むしろ、次の代にバトンタッチすることこそが、唯一最大の目標だな。そうしないと、誰も家の神様や仏様を守れなくなる。いや、世代を超えてずっと一緒にある、っていう感覚が消えていく。俺ひとりでいくら墓やら仏壇の仏様やら神棚の神様やらを守ろうと思っても、死んじゃったら誰かにやってもらわんといかんからなあ」
唐突に弘樹くんが呟いた。
「僕も年をとるんですよね?」
‘そうだな’と魚屋の旦那さんが返事をする。
「たとえば、俺の顔をみてごらん」
まじまじと魚屋の旦那さんの顔を見ると、日焼けした上からまた日焼けし、シミと皺が無数にでき、皺の谷にシミが呑み込まれているような感じだ。
「まだ体が動くとか強がっててもこんなもんだよ。これで‘俺はまだ若い’って言ってたら、恥ずかしいし、憐れだよ。でも・・・」
魚屋の旦那さんは、間をおいて話の続きをしてくれた。
「年寄りを許してやってくれよ」
それは、とても遠くから聞こえるような、トンネルの向こうから点のように差す光のように聞こえるような、そんな声だった。
「俺も、自分の父親を許せなかったけれど・・・
でも、やっぱり、親やじいちゃんばあちゃんや、他所ん家の年寄りも、みんな許してやってよ・・・」
僕たちは、じっと、魚屋の旦那さんの言葉を光の点でも見るような思いで聞いていた。
「かおるくんは、自分ん家のじいちゃんを知らないだろう」
僕は、じいちゃん、と言われて仏間の鴨居に並べて掛けられたご先祖の写真の中の、自分が生まれる前に亡くなったおじいちゃんの写真を思い浮かべた。
「はい、知りません。僕が生まれる前に亡くなりました」
「俺は、かおるくんのじいちゃんをよく知ってる。いや、‘よく’というのはちょっと違うか。かおるくんのじいちゃんの記憶が強い、ということかな・・・
俺の父親と、かおるくんのじいちゃんは、この町内で生まれ育った友達同士だよ。
父親は長生きしたけど、かおるくんのじいちゃんは、若死にだったな・・・」
魚屋の旦那さんはポットを手元に寄せて自分のカップにコーヒーを注ぎ、みんなもどうだ、と、僕たちのカップにも淹れようか、という素振りを見せた。あ、僕がやります、と弘樹くんが、残り3人の分を淹れてくれた。
「8月の花火大会には行ったかい?」
魚屋の旦那さんの問いに、僕と弘樹くんは、はい、と頷き、営業マンの人は、残業中に会社の屋上から見ました、と答える。
「あの日はこの市の空襲の日だった・・・
もう、第二次大戦のことを覚えている人もあまりいなくなったけど、焼夷弾が雨のように降って来て、街じゅう、火の海になった・・・
あの花火大会をやる河原には火を逃れて大勢の人が逃げてきた。熱さに耐えきれず、水を飲むと安心して、そのまま息絶えてしまう人も大勢いた」
僕のおばあちゃんから、空襲の話は少しだけ聞いたことはあったけれども、おばあちゃんは、ショックを受けるような説明や描写は敢えてしないようにしていたのかも知れない。魚屋の旦那さんの話はそれからしばらく、火の海となったこの市の、その日の姿を、映像で見るよりも恐ろしく、僕たちの想像力にも期待するような巧みな語り口で、気が付くと、体が硬直するくらいの緊張感が漲っていた。
「そんな中で、大勢の人は、仏壇を持ち出そうとした」
まさしく、起承転結の‘転’に当たるような急激な展開の話を魚屋の旦那さんは出してきた。けれども、僕は咄嗟に、ああ、やっぱり、そうなんだな、と納得できた。
「でも、仏壇まるごとは大変だ。なので、仏様のお軸や像、先祖の位牌なんかを頭陀袋に詰めて、持って逃げるんだ。それから、若いもんがじいちゃんばあちゃんを背中に負ぶって逃げるんだ。わが女房やわが子の前にな」
相槌も打たずに僕たちは聞いていた。
「日本人、って、そういう人間なんだよ・・・
その日、かおるくんのじいちゃんは、俺の家の仏様なんかを持って逃げるのを手伝ってくれた。
かおるくんのじいちゃんたちは、いつもそういう準備をしてたんだろうね。戦争が始まってからは仏壇の中のものをすぐに持ち出せるように、朝晩のお参りが終わる毎に、頭陀袋に入れてたんだろうな。
自分の父親も準備はしてたんだろうけれど、運悪く、荷物を置いておいた場所が火の回りが激しかったのか、あきらめて、ばあちゃん・・・つまり、君らの世代から見ればひいばあちゃんを負ぶって逃げようとしてた。
けれど、ばあちゃんは、‘仏様が、仏様が’、って言って、地べたにへたり込んで、動こうとしないんだよ」
営業マンの人も、弘樹くんも、何だか信じられない、と言った相槌を打ちながら、話の続きを聞いている。
「そしたら、かおるくんのじいちゃんとばあちゃんが、それこそ、かおるくんのひいばあちゃんの手を引いて逃げて来ててな。かおるくんのじいちゃんは、‘俺、小柄だから’って、さっと火の中に入って行ってな。いつも行き来してて間取りなんかも全部知ってるから、そのまま仏様をひっつかんで、取って来てくれたんだ。
大した人だと思ったよ。
この記憶は、自分もその頃はまだ小さくて、はっきりした記憶じゃなかったよ。けれども、大人になって俺の父親の話を聞いたりしながら、記憶に肉付けしてきた感じだな。白黒テレビの映像がカラーテレビになった感じかな」
魚屋の旦那さんは、すっかり冷たくなったコーヒーをごくごくとうまそうに飲んだ。
「まず、神さん仏さん、それから年寄りをひっ抱えて空襲の中を駆けずり回る。兵隊さんではないけれども、日本人って、割とこんな感じじゃないかな。もちろん、皆がみんなそうできる訳じゃない。やむにやまれず神棚も仏壇も焼かれた家や、泣く泣く家族を置いて逃げた家、本当に色々だった。
ほら、東北の震災があったろう。
あの時、津波が来るってのに、近所のお年寄りや寝たきりの人を放っておけないって、ひっ抱えて逃げようとしたけれど間に合わなくて自身も亡くなった、って話がいくつもあったろう。
俺は、ほんとに、涙が出たぞ。
今も、昔も、日本人って、こんなんだな、って、思った」
僕たちが公民館を出るころはお昼過ぎになっていた。今日は、世間は仕事納めの日だ。
営業マンの人も、主なお客さんに年末の挨拶をすると言っていた。
僕は、今日の公民館での4人の集まりをとても不思議に感じていた。あれ、と思ったのだ。
僕のお父さんは、‘大人な人たちの集団’のはずの会社で、なんだか子供のような不合理な出来事に悩まされているようだ。だから、僕は、社会人が必ずしも大人な人たちではないということに、大きな失望と不安を抱いていたのだ。
けれども、今日の魚屋の旦那さんの話は、本当の意味での‘大人’の話だった。営業マンの人も僕は好きになった。弘樹くんも、とても誠実な中学生だな、っていうことに初めて気づいた。
ああ、こんな大人の世界も、ちゃんとあるんだな。僕は深く深く深呼吸して、大いなる安心感に包まれたような、そんな感じで家路についた。
その2
年末は概ね除雪と冬休みの課題で過ぎていった。
元旦だけは雪がやんで、日の光が差す快晴だった。それだけで雪が溶ける訳ではないけれども、初詣はどこの神社も参拝者が多かったようだ。
マンガやドラマならば、仲良しグループで一緒に初詣に行くのだろうけれども、僕たちはそれぞれの氏神さまに初詣に行くのが、各家庭の習わしだ。僕の家の氏神様は市で一番大きな神社だ。自主トレ系マラソン部のランニングコースの最終チェックポイントだった神社だ。
さつきちゃんは親水公園のすぐ近くの神社が氏神様だ。みんなそれぞれに三が日を過ごしたはずだ。
部活も、各自、自宅の近所の公共の体育設備等を使ってトレーニングするように、という指示で、学校には冬休みに入ってからは行っていない。
けれども、僕はこのまま冬休みが終わってしまうのもなんだか寂しいような気がした。大雪のため、部活の各自トレーニングも、僕の場合は結局除雪がトレーニング代わりだった。
ちょっと体を動かしたいな、除雪以外で、という気持ちがあった。
僕は、市営体育館のアリーナの二階が、屋内ランニング周回コースとなっているのを知っていた。ジムもある。けれども、ただトレーニングをするだけ、というのもなんだかな、と思った。ならば、自主トレ系マラソン部の初稽古をしようか、と思いついた。
そう、市営体育館は、さつきちゃんの家の向かいの親水公園の中にあるのだ。
「ごめんね、遅くなって」
さつきちゃんが、薄いピンクのウィンドブレーカーを着込んでたったっと市営体育館のロビーの自動ドアをくぐってきた。
ベンチに腰掛けていた僕も立ち上がり、2人して同時にお辞儀をした。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
一応年賀状はお互いに出していたけれども、改めてこんなやり取りをすると、何だか照れ臭い。さつきちゃんはそんな素振りは全く無く、ふふっ、と笑っている。
じゃあ、ということで、利用券を買って、さっそくランニングコースを走り始める。よくよく考えたら、自主トレ系マラソン部とは言いながら、二人並んである程度の距離を走るのは、これが初めてだ。今まではそれぞれの自主トレコースを走った後で合流してクールダウンで軽く走る程度だった。
軽く走りながら、僕たちはぽつぽつと話をした。年末はどう過ごしたのか、初詣はどうだった。僕は、除雪や、魚屋さんの旦那さんの話もした。さつきちゃんは、うんうんと相槌を打ちながら、真剣に聞いてくれた。
「かおるくんのおじいちゃんって、凄い人だったんだね」
僕は、改めてさつきちゃんにそう言われると、ああ、そうかな、って思った。確かに、火の中にさっと飛び込んで行くなんて、なかなかできることじゃない。僕はおじいちゃんに会ってみたかった、と、素直に感じる。
気がつくと、いつの間にかペースが上がっている。さつきちゃんは、全く息を乱さずに走っているが、僕の方は、やや余裕が無くなってきた。
「今日は軽めにしとこ?」
さつきちゃんは僕の様子を見てなのか、小一時間で切り上げようと言った。
僕は、渡りに船、とは言わないけれど、少しほっとした。
今日、さつきちゃんを自主トレ系マラソン部の初稽古に誘うに当たって、さつきちゃんから一つ条件が出ていた。
走り終わったら、日向家に年始の挨拶に向かうこと。とはいえ、要はお茶でも飲みに来てさつきちゃんのおばあちゃんとお母さんに、久しぶりに顔を見せて欲しい、ということだった。
お正月なので、本当はある程度きちんとした格好でお邪魔すればよいのだろうけれども、ジャージにウインドブレーカーという姿でそのままさつきちゃんの家まで歩く。さつきちゃんも同じ恰好なので、まあ、いいだろう。
さつきちゃんの家に着くと、座敷に通された。隣の仏間との境目の襖が開けられ、二間を使い、敷居を跨げて和テーブルが二つくっつけて並べられている。
「ごめんね、明日、親戚の人たちが年始の挨拶に来てここで食事を振舞うから」
さつきちゃんの家は本家なので、お盆にもこういうことがあるのだろう。と思った。
すぐに、さつきちゃんのおばあちゃんとお母さんが座敷に入ってきた。2人とも、にこやかな顔で、すぐに畳に手をついた。僕も慌てて正座して畳に手を着いた。
「あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします」
と、何度も頭を下げ、年始の挨拶を交わした。見ると、さつきちゃんもおばあちゃん、お母さんの少し後ろで手を着いて挨拶してくれていた。
「かおるくん、いつもありがとうね。何もないけれど、ゆっくりしていってね」
ありがとうございます、というと、2人とも部屋を出ていき、僕とさつきちゃんの2人がやたら広い座敷と仏間に残された。
さつきちゃんがお茶を入れてくれる。
「お菓子も食べて。本格的にごはん、という訳には行かないけれど、おせちを少し取り分けたから、よかったら食べてみて」
見ると、僕が勧められた座布団に座ったそのテーブルには、お正月らしく鈴本亭の練り切り。それから、黒豆や昆布巻き、出汁巻き玉子が取り分けられて並べられている。
「黒豆はわたしが煮たんだよ。それから・・・」
さつきちゃんはちょっと照れたような感じでテーブルの上を指さした。
「出汁巻き玉子の、ちょっと形が悪いのも、わたし」
僕は、じゃあ、
「いただきます」
と、手を合わせてから小皿に黒豆と出汁巻き玉子を取り、箸をつけた。
さつきちゃんは、正座した膝の上で手を軽く組みながら、
「どうかな?」と僕に訊いてきた。
僕は、感じたままを言った。
「ほんとうに、おいしい」
さつきちゃんの目が途端に明るくなり、にこっと僕に笑いかけた。
「ありがとう、うれしい。その家々の味があるから、多分、かおるくんのお母さんが作るおせちとは違うかもしれないけど、よかった」
一種類ずつ食べた後、さつきちゃんはお茶を淹れ直してくれた。練り切りを小さく切り分けて口に入れると、普段は羊羹しか食べない鈴本亭の和菓子の、また違った繊細な味を知った。
お茶を飲みながら、何気なく、隣の仏間の仏壇の横を見ると、掛け軸がかけてある。そこには、銃剣を持ち、背嚢、いわゆるランドセルを背負い、真っ直ぐな姿勢で前を見つめる人が立っている。
「このひとが・・・・」
「わたしのご先祖さま。戊辰戦争で戦死された、かおるくんが朝お参りしてる神社にお祀りされているひと」
「耕太郎に、似てるね・・・」
そのひとは、とても涼しい目をしている。その目が耕太郎とそっくりだった。
戦いの中で死んでいく。それが一体どんなことなのか、僕には想像もつかない。けれども、そのひとは、本当に涼しく、凛々しい表情で、ただ真っ直ぐに立っていた。
「耕太郎が生まれた時、このご先祖さまの生まれ変わりだ、って、おばあちゃんが言ったんだって。生まれたばかりでも、それくらい似てたんだね、きっと」
「この人は、軍人だったの?」
僕は戦国時代の小説はそれなりに読んだのでなんとなく時代背景を頭の中に描けるが、戊辰戦争のこととなると、よく分からずに聞いてみた。
「ここの藩の藩士だったんだって。武士、だね。ここの藩はいわゆる官軍だったから、武士として行ったんじゃないかな。どの場所で戦死したとか、詳しいことはわたしも・・・おばあちゃんもはっきりとは分からないみたい」
武士、と聞いて、更に自分の想像を超える。もちろん、歴史小説に出てくる武将や戦のシーンは僕が読んだ小説の作者それぞれの描写が素晴らしく、目の前にその人物の姿や声まで浮かぶようだが、戊辰戦争となると、本当はもっと近い、より現実的なものの話であるだけに、このひとが、どんな風に戦いの中に身を置き、あるいは出陣の時に家族と別れ、どのようにして傷つき、あるいは傷つけ、そして、死んでいったのか、考えられない。いや、考えることが、怖い。考えるとそれは、遠い戦国時代の話ではなく、そのひとの傷が、生々しい痛みとなって感じられるような気がするから。もし、自分が刀で斬られたら、あるいは斬ったら。このひとが手にしているような銃剣で撃たれたら、突かれたら、あるいは相手を撃ったら、突いたら、どういうことが起こるか。血が出る、痛く苦しい、あるいは、人の命を奪ったということの重み、そういった当然のことが、改めて思い起こされる。
僕のおばあちゃんが小さい頃にしてくれた話なのだが、川で魚を獲ることを生業としていた漁師が、魚の命を奪っていた、ということで成仏できずにいた。そこへ旅のお坊さんが通りかかり、何日かかけてその漁師のためにお経を上げると成仏できたそうだ。おばあちゃんは、そのお坊さんが偉い、ということに主題を置くよりも、殺生はたとえそれが仕事であっても神仏の慈悲がないと許していただけないものなのだ、という風に話してくれた。
掛け軸の中にいるそのひとは、武士だ。徳川時代のある意味太平の世にあったとしても、武士としての緊張感の中で日々の勤めをし、そして、いざ何かあった時には、やむを得ず殺生、しかも魚ではなく、人との命の遣り取りをするという殺生もしなくてはならない、ということを意識して生きていたはずだ。
けれども、その人の姿からは、そういった悩みや苦しみが感じられない。ただ、静かに、涼しく凛々しく、真っ直ぐに立っているだけだ。なぜなのだろう。僕たちはごく普通の日常を送るだけで心に垢が溜まり、苦悶の表情で地べたを這いずり回るような有様なのに。僕のお父さんも、このひとのような涼しい姿になってくれたら、と思う。それは、お父さんの現在の姿が嫌いというよりも、このひとの姿があまりにも好ましいからお父さんにも苦しみが消えたこのひとのような姿になって欲しい、と、ほんとうに心からそう思う。
「さつきちゃん、ありがとう。そろそろ失礼するね」
「うん・・・こっちこそありがとう。また来てね」
僕はそろそろ晩御飯の時間になるので、さつきちゃんのおばあちゃん、お母さんにもお礼を言って、家路についた。
僕は掛け軸の中にいる、あのひとに、また会いに来たいと思った。
その3
年が明けてからはあっという間に日が過ぎた感じだ。自主トレ系マラソン部の初稽古の日以来、雪は断続的に降り続け、記録的な大雪となった。ただし、僕たちがずっと小さかった頃の水準に戻った、という感じだったのだけれども。
積もった雪に閉じ込められるような気分になるせいもあり、陸上部の練習も、バスケ部やバドミントン部に頼んで、週に一日だけ、体育館を使わせてもらって、少しでも広いスペースで走ったりトレーニングをしたりできるよう、配慮してもらった。とはいえ、体育館をネットで区切って半分借りるだけのものではあったけれども。なので、バレー部の横で僕がダッシュを繰り返したり、ということもあり、太一とお互いにちょっかいを掛け合うこともあった。体育館が使えない日は、校舎の空いたスペースを使いトレーニングだ。安全に注意しながらだけれども、階段ダッシュはこの冬でおそらく万回単位の往復を繰り返したと思う。のびのびと走れないストレスで却って覚悟が決まり、よし、冬場はひたすら筋力アップだ、と雌伏の時を過ごす武士団のような気持ちで、僕たち走り幅跳びチームは体を苛め抜いた。
実はトレーニングの方が密度・集中度・疲労度とも高く、外で実際に跳ぶよりも疲労回復が重要になる。また、きちんと休息を取らないと柔軟な筋肉もつかない。ただ、硬いだけのスジ肉がつくだけになってしまう。短時間・超集中を合言葉にぶっ倒れるようにして部活の終了時間を迎えた後は、夏場よりも30分~1時間近く早い時間に解散になることもあった。
そんな時間、僕は、市の図書館に通った。通うたびに土砂降りの日のさつきちゃんへの告白の気恥ずかしさが蘇るけれども、あれが始まりだったのかな、と今にすれば思う。学校の課題や、自分なりの自習をしたあと、書架にある本をひも解いた。
この冬、僕は本も読みまくった。文庫本は貸し出し中のことが多かったので、いわゆる全集の中に収録されているものを読んだりした。吉川英治の「三国志」も読んでみた。それから、山岡荘八の「伊達政宗」も読んでみた。全集なので一冊一冊が重かったけれども、借りて家で読むことも度々あった。その他に、お父さんがある経営者のことを調べていたこともあったので、いくつかの経営書コーナーの本もパラパラと読んでみた。
僕は、何だか目の前の世界が、少し幅を増したような気がした。もしかしたら、成功した経営者の言葉には‘運’というものを前面に押し出したきれいごとと捉えられるものもあるのかもしれないけれども、幾人かの経営者の本には、人間の根源的な苦しみを吐露した、本当に若い後輩たちに向けた言葉がいくつも煌めいていた。
僕は、‘運’そのものも実は、必然であり恵みであり、自分の思うとおりになることと‘運がある’ということはイコールでないことにぼんやりと気が付いた。
‘思うとおりにならない’というのなら、じゃあ、何が君の‘思う’ことなのか、と訊かれたら、僕は咄嗟には答えが出ない。
たとえば、僕は‘走り幅跳びを極めたい’という思いは叶っているとは言えないけれども、‘走り幅跳びをしたい’という思いは叶っている。
お父さんの場合、うつ病になり、‘充実して仕事したい’という思いは叶っていないかもしれないけれども、たとえば、‘癌で死にたくない’という思いがもしあったとしたら、それは今のところ叶っている。
ものごとを良く解釈する、というよりも、ものごとそのものが必然であり、事実よいものなのだろう。極端なことを言えば、僕がどう思うか、というのはどうでもいいことで、僕が不満に思おうが満足に思おうが、僕の目の前にある状況・事実・現実は、‘よいもの’なのだ。僕がそれに気付こうと気付くまいと、僕の‘思い’など二の次でいいのだという気がする。人間に対してどうするか、というのは人間を超えた何かの分担・仕事なのだろうと思う。
僕は太一は本当に大した奴だと思う。僕がこんなことをああだこうだと考えるはるか前、小学校の時に太一は既に、‘どうなっても、構わない’という、感覚を自分の行動を以て、皆に言い放っていたのだ。
二度と戻ることのない毎日を僕はこんな風に過ごした。
さつきちゃんにはちょっとした変化があった。さつきちゃんは陸上部やバスケ部(背が低いにも拘わらず!)など、いくつかの運動部からアプローチを受けていたけれども、意外な部がさつきちゃんを口説き落とした。
家庭科部だ。これは顧問の先生直々の説得交渉だったので、さつきちゃんもさすがに断り切れなかったようだ。部活もせずに毎日夕飯の支度を任されている健気な女子生徒がいる、という噂を聞きつけ、初老の女性顧問が、さつきちゃんに家庭科部の活動に、少しの時間でもいいから参加しないか、と誘ってくれたそうだ。
最初は断っていたらしいけれども、週二日でいい、という特別待遇でそれならできるかも、とお母さんとも相談して決めたそうだ。
さつきちゃんは自分だけ特別扱いされることが他の部員に申し訳ないと思ったけれども、それは杞憂に過ぎなかった。先輩にも一年生部員にも、さつきちゃんの人柄がよく伝わるのだろう。ある種敬意をもって接してくれるような部分もあるようだ。また、さつきちゃんの料理の仕方を見て、これはさつきちゃん本人もそうだけれども、さつきちゃんのおばあちゃんとお母さんが只者ではないということに気づいたのだろう。
「うちのお母さんには言えないけど・・・ひなちゃん(‘日向’からもじったさつきちゃんの愛称)のおばあちゃんとお母さんに味見してもらって、評価を聞かせて」
と、毎回タッパーにその晩のおかずを持たされる。さつきちゃんはどうしたものかと戸惑ったけれども、部員たちが本気で評価を聞きたいのだと分かると、おばあちゃん・お母さん・さつきちゃんで、味見をし、まずい部分やよい部分をディスカッションする。そして、遠慮なくその評価と、こういう風に手を加えたらどうかというポイントを次の回で率直に話す。かなりの酷評をすることもあるようだ。もちろん、さつきちゃんが話すと、酷評も‘真摯なアドバイス’としてきちんと相手に伝わるのだから、不思議だ。
‘人徳’という言葉とともに、‘普段が大事’ということを改めて勉強させられた。真摯でない人間がある日突然、その場しのぎの真摯さを振りかざしても説得力がない。‘普段が大事’というのはとても恐ろしいことでもある。取り返しがつかない物事というのは基本的に、特に僕たちのような学生にはまだ少ないとは思うけれども、‘普段’をおろそかにしたツケは自分自身の心を苦しめる。‘自滅’への道につながるのだ。それは学校の勉強が遅れるとかそういう薄っぺらい意味のことではなくて、自分自身の人格を貶めるといった、重たいことだ。
そして、さつきちゃんをスカウトした最も大きな理由が、実はあった。
高校の家庭科部をはじめとした文化部にも、いわゆるインターハイのようなコンクールや大会があり、さつきちゃんは家庭科部の秘密兵器兼・‘行動・立ち居振舞いを以て手本となる’部員のコーチ役に抜擢されたのだ。顧問の平岡先生は、なかなかしたたかだ。もっとも、さつきちゃんは自分自身がコーチなどということは言われていないし、意識もない。その謙虚さ自体がさらに手本となる部分でもあるのだけれども。
こうして僕たちはそれぞれ高校生として、嬉しいことも辛いことも噛みしめながら日々を過ごした。
そして、今日。3月24日、高校1年目の終業式を迎えた。
二週間前には卒業式があった。陸上部の先輩方の中には泣いている人が何人もいた。
走り幅跳びチームのリーダーだった松本さんは、しっかりと胸を張って式に臨んでいた。
松本さんは隣の県にある大学に進学する。大学の合格発表の後、学校に挨拶に訪れ、
「大学ではインカレ出場を目指します」
と、静かに語っていた。
その4
終業式の後、それぞれ教室に戻り、最後のHRが始まるまで、5人組で雑談をして過ごしていた。
実は、昨日、一昨日と、さつきちゃんは珍しく風邪で熱を出して学校を休んでいた。終業式にはなんとか間に合ったが、マスクをしての登校だ。口に出して言うと恥ずかしいので決して言わないけれども、マスクをした顔もなかなかいい感じだ。
雑談の中から、話題は、‘文理選択’のことになった。
5人組全員が文系コースに進むことはもう知っていた。ただし、その理由についてはお互いに秘密にしていたので、最後の日に‘告白’しようということになったのだ。
遠藤さんには‘児童心理学をやりたい’という、非常に明確な理由があった。医学的なアプローチではなく、コミュニケーションを主体とした研究がしたいということで、文系にしたそうだ。初めて知ったのだけれども、遠藤さんは幼稚園の頃は極端な人見知りで、自閉症に近いとお医者さんから言われたこともあったそうだ。幼児期の過ごし方は、一個の人間にとって極めて重要だという遠藤さんの考えを聞き、遠藤さんとさつきちゃんが親友であることの本当の意味が分かったような気がした。
脇坂さんは、‘歴女’だ。戦国時代のことはそうでもないらしいけれども、聖徳太子のことを小学校の社会の時間に習った時に、こんなスーパーマンがいたんだ、ということに非常に感動して歴史に興味を持ったらしい。戦国時代以前の貴族の時代に興味があるということで、純粋な歴史というよりも、その時期の文学からのアプローチをしてみたいという。
そして、太一。太一は‘なんとなく文系、って程度だよ’と照れて本当のことをなかなか言わなかったけれども、皆でしつこく追及すると、珍しく恥ずかしそうな顔をして話してくれた。
「弁護士になりたいんだ」
みんな、えっ、とびっくりした。勝手な印象だけれども、太一はいわゆるそういう職業とは最もかけ離れた人間のような気がしていたからだ。なぜ?と他の4人が一斉に訊いた。
「いや・・・恥ずかしいんで内緒にしてたけど、夏休みに弁護士事務所にインターンシップに行ってたんだ」
そういえば、8月半ば頃から2週間ほど、太一の消息がぷっつりと途絶えた期間が確かにあった。
「ほんとに、たまたま、なんだ。親がしつこく、将来、どうするんだ、って訊いてきて、早い内に皆より先行しろ、みたいな嫌な言い方をされて。
だから、とにかく表面上だけでも親を安心させようと思って、ネットで色々調べてたら、県の弁護士会が、学生に法律の仕事に興味を持ってもらおう、っていう取組をしてて。
応募してみたら、市内の弁護士事務所のインターンシップに当たって。
個人情報満載だし守秘義務もある仕事だから、学生のインターンシップに任せられる仕事なんて、限られてて雰囲気を味わうくらいの感覚だったけど。大体、コピー取りだって、訴訟資料だと依頼主の情報がいっぱい載ってるから、僕にコピーの仕事をさせるために助手の人が仕訳をわざわざしたりして却って手間だったみたい。
でも、狭い事務所だったから、依頼主と弁護士の接見もドアの外まで筒抜けで。
‘あいつだけは許せん、地獄に落としてやってください!’って叫ぶ依頼主もいたし、‘先生、なんで敗訴したんでしょう?娘と暮らせないくらいなら死んでしまいたい!’って大声で泣き出す依頼主もいたし・・・娘の親権を離婚した夫と争っていたんだろうね。夫への恨みもそうだけれど、舅・姑が‘あんたの娘じゃなく、わしらの孫なんだ’って言ったのがとても悔しい、って泣き続けてた。
お金や恨みや妬みや・・・そういった、人間の醜い部分がむき出しの仕事なんだな、って初めて知った。
だから、法律の仕事、っていう以前に、本当は、人間の‘宿業’みたいなものを理解しないとやってはいけない仕事じゃないかな、って感じたんだ。多分、医者も人間の苦しい部分や生への‘執念’みたいなものを扱うから、‘宿業’を理解しないとやる資格がない仕事だな、って思う」
あまりにも迫力を持って語られるので、僕たちは太一の顔を凝視して聞いていた。
「‘私は弁護士です’って胸を張る前に、人間として、法律よりももっと大事なものの道理が分からないとできない仕事だ、って捉えると、却ってやってみたい、って思ったんだ。
もし、弁護士試験になかなか受からなかったら、税理士でも司法書士でもなんでもいい。お金だとか欲だとか人間の一番嫌な部分に関わる仕事が手っ取り早い、って思ったんだ」
「手っ取り早い、って何が?」
思わず僕が太一にそう訊くと、太一はにこっ、と涼しげにほほ笑んで答えた。
「世の中を良くするのに、だよ」
うーん、と、皆唸った。太一はやはり只者ではない。確かに、法律の仕事と捉えるのではなく、現代において、‘合法的に’人と人が争う場だと考えると、より深く人間というものに向き合わないと始末に負えない難仕事だ。それに、そう考えると、‘どうなっても、構わない’と涼しげな心を持つ太一にならできる、とも思う。
次は、さつきちゃんの番だ。脇坂さんが素直に言う。
「ひなちゃん、‘食’に関することなら、理系で攻めるのかと思ってたけど・・・」
さつきちゃんは、軽くほほ笑んでから話し始めた。
「わたし、料理する時は結構‘感覚’とか‘反復’に頼ってるから、あまり一つ一つの作業を理由づけすることは得意じゃなくって・・・・だからという訳じゃないけど、‘食文化’っていうか、お年寄りから若い人に代々受け継がれてきた料理の‘精神’みたいなものをまとめてみたいな、って考えてる。‘料理’を通じて人の心をバトンタッチしていくみたいなことを表現できないかな、って。それで・・・・
最後は‘いい母親’になるのが目標かな・・・
だから、どちらかというと文系寄りかな、っていう、結構いい加減な選択だよ」
ああ、そうか、と僕は納得した。おそらくみんなも納得しただろう。さつきちゃんは、自分やおばあちゃん・お母さんの生き方そのものを誰かに伝えていきたいんだ、と分かった。
年末の除雪の時、‘次の代にバトンタッチすることこそが、唯一最大の目標だな’という魚屋の旦那さんの言葉が心の中に蘇った。
さあ、さつきちゃんまで回って来て、なぜか僕が最後だ。実は、僕の理由が一番曖昧だという自覚がある。いや、それどころか、皆の理由を聞きながらようやく今この場で自分自身の理由を整理していた、というのが本当のところだ。なんとなく遠藤さんから時計回りに順番が進んだので、僕が最後なだけだ。深い話を4人分聞いただけに、皆の眼がきらきらと期待に膨らんで僕を見ているような気がするのは、自意識過剰だろうか?
僕は、心の中で深呼吸をしてから、口をゆっくりと開いた。
「僕は・・・」
一言そう言った後、躊躇していた気持ちに整理を付けて、一気に語り下ろそうと決心した。
「僕は、死ぬまでに、一冊でいいから、小説を出版したい」
‘えーっ’と誰か笑うかと思ったけれども皆、真剣な顔のままだ。その様子を確認しながら、スピードをつけて話し切るべく、自分の決意表明のための道具である口を動かし続ける。
「僕は、‘本’というメディアの影響力というものを改めて感じた。影響の及ぶ広さ、という点では、ネットやテレビや音楽のように大勢の人間に同時に達する、ということは難しい。けれども、一旦、一人の読者に一冊の本を手に取って読み進めて貰えたなら、その‘一個人’に対して本が与える影響の深さ・大きさは他のメディアよりも凄まじい、と思う。もしかしたら、‘一冊の本を2人並んで一緒に読む恋人たち’なんて特殊な状況もあるかもしれないけれども、普通は本を読むときは読者と著者と一対一の真剣勝負だ。
そして、与える影響の‘質’がもっと問題だと思う。
ここまで‘超個人的’に深い影響を与えるメディアである以上、著者の責任は想像以上に大きい。‘ポジティブ’と‘ネガティブ’、っていう分け方はしたくはないけど、苦しみから逃れたいと本を手に取った人が、読み進めるごとに更に闇の底に沈みこむような本も実際にある。悲しみに浸ることで癒されることもあるけれど、著者の姿勢次第では癒しまでいかずに絶望することだってある。
反対に、一冊の本がきっかけで人生が動き出す人もいる。僕にとってはそういう‘原動力’候補の本がこれまでに何冊かあった。それは、‘縁’というものの力が働かないと、出会えないんだと思う。読者が‘救われたい’と本を求めるのと同じように、本の方でも‘救いたい’と読者を求めているはずだ、と感じる。そういう‘縁’はたくさんじゃなくっていい。一生に一冊だけでも、いい。たとえ、出版部数が極端に少ない、‘売れない’本だとしても、もし‘助けて’‘助けるよ’、っていう望みが一人でも二人でも叶ったら、こんなに嬉しいことは、ないと思う」
そこまで話したところで、じっと考えながら聞いていた太一が僕に疑問をぶつけてきた。とても挑戦的な目だ。そして、真剣な目だ。
「かおるちゃん・・・それって、‘文学部’っていう意味なの?小説を書くって文系じゃないとできないことなのかな。そもそも、‘小説を書く’ってことに専念しないとできないことなのかな」
さすがに太一は鋭い、と思う。僕と太一がこれだけ長い年数親友でい続けたのは、なあなあの関係だったからではない。違う、と思ったことは違う、とはっきり言う。いい、と思ったことはとことん、いい、と認める。そんな関係だったからだ。自分の恥ずかしい姿を一部始終見られてきた太一だからこそ、僕はそれができる。そして、今、5人組の中でも太一はそれをしようとしている。つまり、この5人組も、‘親友’になりつつあるのだ、と感じた。
太一は、その作業を続ける。
「かおるちゃん。僕も小説は読むけど、僕の好きな作家はみんなそれぞれ‘日々の生活’を地道に積み重ねて生きてきた人たちばかりだよ。‘猫もけ’の村松悠作さんだって、ほんわりとした暖かな作品の裏では何度も苦しい想いをしながら生きてきた生々しい人生があるんだと、行間から伝わってくる。もちろん、‘文学’、っていう区切りで小説を書く、ってこともありだと思うけど、‘切り貼り’みたいになっちゃわないかな?」
僕は、ああ、やっぱり太一だ、と認めざるを得ない。僕は、そこまでは思い至ってなかった。僕は、今、太一の言葉を聞いて軌道修正することを素直にみんなに伝えようと思った。
「太一が言うのは、‘本の世界に逃げ込むな’ってことだよね・・・確かに、自分自身が実際に経験しないことを書くとしたら、空虚なものかもしれない・・・だから、僕は、何かの仕事をしながら書くよ。仕事のために書いて、書くために仕事をする。そうすれば、僕は仕事の中で僕以外の人たちの人生と出会い、それを書くことで、また仕事の幅も広がる・・・・そんな風になれたら、どうだろう?」
太一はうーん、と唸りながら答えた。
「でも、それだとかおるちゃんの希望とは違うんじゃない?」
僕は割とすっぱりと言い切ることができた。
「‘書くことを仕事にする’、っていう願いは叶わないかもしれないけど、‘小説を書く’、っていう願いは叶うよ。それで、もし、太一1人だけでも読んでくれたら、‘読者に届ける’、っていう願いも叶うよ」
太一の目が深さを増した。さっきまでの黒一色の目が途端に濃いブルーのように、海の底まで続くような深度を示す。僕は、太一その人ではなく、太一の目の海の底にある何かに届くように、話した。
「 ‘文学部’かは分からないけれど、書いて自分の人生にフィードバックして、またそれを更に増幅して書く作業に滲み出させる。そういう環境をまとまった時間取ってみたいんだ」
ここまで言って、僕は心の中で一度、息継ぎをする。太一の瞳の奥の海の底まではもうすぐだ。
「僕は、涼しい、風のような、それでいて太陽の力強い光か、それでなければ月の優しい光か、そんなものが滲み出るような、そんな小説を書いてみたい。それが、手っ取り早い、って思うんだ」
「手っ取り早い?」
今度は太一が僕に訊いた。僕は、ようやく太一の心の底に着地したような気がした。
「人が、生きるために」
僕が、そう言った後、
「俺が」という低い声がした。僕はびっくりして、がたっ、と椅子を引いて後ろを振り返った。
そこに立っていたのは、成績もよく、竹を割ったような性格で、バスケ部で一年生からレギュラー入りしている、クラスでも一目置かれた川名くんだった。
見ると、川名くんの他にも男女5~6名が5人組の机の周りに集まって来ていた。いつから聞いていたのだろう。僕は、顔だけでなく、首筋までかあっと赤くなるのが自分でもわかった。けれども、川名くんは落ち着いた真剣な声で続けた。
「俺が理系を選んだのは、手に職のような何かを身に着けて、将来きちんと就職して生活の糧を得たいからだ。みんなの話を聞いた後ではなんだか世知辛い話かもしれないけど、俺は自分の選択には胸を張れる。
俺はまだ16歳だけど、俺の父親は60歳だ・・・俺が大学へ行く頃は定年になるはず・・・」
遠藤さんが、静かに語った。
「川名くんの選択もわたしの選択も、‘種’だよ。きっと、それぞれの実を結ぶよ」
すると、今度は、別の女子生徒が話し始めた。
「わたしが理系を選んだのは・・・・」
僕は、不思議な感じがした。この5人組はどちらかというとクラスでは目立たない人間の集まりのはずだった。なのに、いつの間にか人が集まって、その中に僕もいた。これまで、殴りや蹴りや嘲笑といったネガティブな輪の中心に封じ込まれていたことは何度もあった。
僕は、却って戸惑いを覚える。ほんとに、これが僕なのだろうか、と。僕がこういう輪の中にいて場違いではないのだろうか、と。でも、みんながそれぞれに話している様子をみると、それは僕が考えなくても、別に構わないことだ、と気が付いた。ネガティブな輪も清々しい輪も、何かの縁だ。さあっ、と風が吹いて澱んだ空気が入れ替わるような感覚が突然、僕に訪れた。
ただ、さつきちゃんがさっきから俯いている。まだ風邪の具合がよくないのだろうか。
その5
さつきちゃんから電話がかかってきたのは、その終業式の夜だった。
風呂から上がって、お父さん、お母さん、僕で夜11時台の民放ニュースを見ていたときだった。電話を取ったお母さんが、僕に子機を渡した。
「日向さんから・・・・」
僕は、もしかして、春休みの間に自主トレ系マラソン部をやろうという誘いかな、と思って一瞬気分が浮き上がった。けれども、それにしては遅い時間だし、風邪がまだ良くなっていないはずだから、変だな、とは思った。それに、子機を渡したお母さんの表情も、なんだか今までに見たこともない、微妙な表情だ。いつもさつきちゃんから電話がかかってきたときの、嫌そうな顔、というのともちょっと違う。
僕は子機を受け取ると、‘こんばんは’とさつきちゃんに挨拶した。
その後、3秒ほど間があったので、‘もしもし’ともう一度声をかけようとする前に、さつきちゃんの風邪っぽい声がした。
「祖母が・・・」
‘祖母?誰だ?’と一瞬思い、ああ、さつきちゃんのおばあちゃんか、とすぐに思いつく。なんで今更‘祖母’なんて、と思ってまた少し間を置いた後、
「亡くなりました・・・・」
‘う!’と僕は声にならない声を、喉の奥で押し殺した。
「明日の夜7:00から駅北のセレモニーホールでお通夜です。葬儀は明後日の朝10:00から同じセレモニーホールで・・・」
僕は、ぼんやりとニュースの画面を見、大リーグの日本人投手がオープン戦で調子を上げているという映像を虚ろに眺めた。
「・・・祖母はかおるくんやみんなが花火大会の夜、家に遊びに来てくれたとき、とても賑やかで喜んでたから・・・よかったら、お参りしてください・・・
女子には言っておくので、申し訳ありませんが、日野くんにはかおるくんから伝えてください・・・」
僕は、慌ててペン立てのあるテーブルからボールペンとメモ用紙を取って、式場と時間を書き留めた。
それから、ようやく、さつきちゃんは、いつもの話し言葉に戻った。けれども、それは、僕が今までに聞いたことの無かったさつきちゃんの声だった。泣いていた。
「・・・わたしが、・・・・おばあちゃんに、風邪をうつしたから・・・・おばあちゃん、昨日の夜から咳き込んでて・・・今日・・・昼に呼吸がおかしくなって、・・・救急車で・・・・・肺炎、と、心不全、の、合併症で・・・・
わたしの、せいで、おばあちゃんが・・・・」
最後はほとんど聞き取れなかった。僕はさつきちゃんの嗚咽が終わるまで、何十秒も、何も言えないでいた。お母さんが心配そうに僕の電話の様子を見ている。お父さんも僕の表情をのぞき込んでいる。
さつきちゃんの嗚咽が一区切りついた時、僕は、ようやく、言葉をかけた。
「・・・・電話してくれて、ありがとう・・・お参りに行くよ・・・
今日は、ゆっくり休んで・・・・おやすみなさい・・・・」
僕が、時間をかけて、そう言うと、さつきちゃんは、‘うん、おやすみなさい’と、かすれた声で電話を切った。
僕は、馬鹿だ。‘子供’もいいところだ。
学校でさつきちゃんのマスクをした顔を見て、‘かわいい’と思っていたのだ。
そして、電話がかかってきた時、‘春休みもさつきちゃんに会える’と、浮ついたのだ。
さつきちゃんはその時、どんな気持ちでいたのか、僕は、自分自身を、‘恥さらし!’と怒鳴りつけようかと思った。ほんとに、一瞬、何だかわからないけれど、大声が出そうになった。
そのタイミングで、
「どうした?」
と、お父さんが声を掛けてくれたので、すんでのところで大声を出さずに済んだ。
僕は、電話の内容をできるだけ短く2人に話した。短くしか話せなかった。とくに、‘風邪をうつした’ということは、言わないでおこうかと思ったくらいだった。
けれども、お母さんが、さつきちゃんの様子が普通じゃなかった、何?、とかなり突っ込んで訊いてきたので、短い、単語で話した。
お母さんも、‘わたしが姑に風邪をうつしたせいで’というほぼ同じ経験をしていたので、ああ、と僕は話しながら、心の中で呻いた。そして、さつきちゃんのおばあちゃんの‘死’をそっちのけで、自己嫌悪に溺れている自分にも‘何なんだ、お前は!’と殴り飛ばしてやりたい気分がする。
僕がそんな様子で心の中がうろうろしている様子を見透かしたのか、お父さんが、
「・・・お参りさせてもらいなさい・・・」
と、静かに言った。それから、さらに続ける。
「葬儀だと近所の方たちもお参りして込み合うだろう。迷惑にならないよう、明日のお通夜にお参りさせて貰え」
お母さんはしばらく黙っていたけれど、やはり、静かに話し始めた。
「友達みんなで、何人?」
と訊いてくる。
‘4人’、とつぶやくように答えた。
「じゃあ、わたしが車を出す・・・かおる、皆に連絡して・・・電車で駅まで来る子は駅で拾う。太一くんも、行くよね?太一くんは直接家まで迎えに行くから・・・わたしも、お参りする・・・」
お父さんはお母さんに、悪いけど、頼む、と言っている。お母さんは、うん、とそれに答えている。そんな光景をぼんやり見ながら、僕は皆に電話をかけ始めた・・・・
その6
鷹井高校の制服は、男子は黒の詰襟の学生服、女子は濃紺のセーラー服。正装として制服でお通夜に参列することにした。
セレモニーホールの入り口で、さつきちゃんのお父さんとお母さん、さつきちゃん、耕太郎が並んでお参りに来る人たちに言葉を出さずに挨拶をしている。さつきちゃんも耕太郎も、黒の礼服を着ている。僕たちが前に行くと、軽く目を合わせてお辞儀をした。
さつきちゃんの顔色が、明らかに悪かった。
僕たちが一般の参列者の座席に座ってしばらくすると、式が始まった。
おばあちゃんの遺影は、何年か前に撮られたものなのだろう。最後に会った時よりも皺が少し少ない、笑顔の写真だった。
「お寺さんがお着きです」
係員の案内で、お寺さんが祭壇の前まで歩いてくる。合掌して椅子に腰かける。参列の人たちもそれに合わせて合掌した。
とても若いお寺さんだ。もしかしたら、まだ二十代半ばじゃないだろうか。この宗派は剃刀しなくてもよいので、黒々とした豊かな髪の、眉がきりりとした、青年だ。
お寺さんがお経を上げ、式を執り行う間、僕は、じっと、おばあちゃんの遺影を見つめていた。途中途中で、なぜか、うちの亡くなったおばあちゃんの顔が、自分の脳の中の映像に割り込んでくる。そして、不思議なことに、あの古い木造の家のおばあちゃんの顔も脳裏に何度か浮かんだ。
お経の最中に、焼香が始まった。僕たちの席の列の横で、係員が
「お焼香を・・・」
と、促す。
祭壇の前まで進み、焼香し、手を合わせ、お寺さんと遺族に軽くお辞儀して席に戻ろうとした時、はっ、とした。
さつきちゃんが、声を出さずに、取り乱さないようにと、堪えて泣いていた。涙だけが、じっと閉じた目からじわじわとこぼれていた。
お経が終わり、お寺さんが故人を偲んで、話をした。
「日向さんの家にわたしが月参りに行くときは、このおばあちゃんがわたしのお相手をしてくださいました。
お経を上げる間、一緒に手を合わせ、ご先祖の供養をしてくださいました。そして、お経が終わると、お茶を出してくださり、まだ寺を継いだばかりの若輩者のわたしに、何かれとなく四方山の話をしてくださいました。
わたしが一番印象に残っているのは、夏の暑い盛りに月参りに伺うと、決まって‘クリームソーダ’を作って出してくださったことです。
氷を入れた大振りのグラスにサイダーを注ぎ、市販のバニラアイスを箱からスプーンですくって、‘どのぐらい?’とアイスの量を聞いてくださるのです。
‘それくらいで’と、わたしが言うと、必ずそれよりも少し多めに掬って入れてくださいました。そして、レモンの輪切りに切れ目を入れたのをグラスの縁に差して、私に、‘どうぞ’、と勧めてくださるのです」
‘サイダー’という単語を聞いて、僕は、はっ、とする。古い木造の家のおばあちゃんも、‘サイダー買って来てくだされ’、と言った。‘サイダー’というその響きが、もう、遥か昔の出来事のように、感じる。
「・・・日向さんのおばあちゃんは、とても愛らしく、親切なおばあちゃんでした。若輩のわたしを、孫のようにでも思ってくださったのでしょうか。そこに座っておられる本当のお二人のお孫さんのことも、とても可愛がっていらした。自慢のお孫さん方だったのでしょう」
参列の人たちが、遺族席の最前列にいるさつきちゃんたちの方を向く。さつきちゃんは、静かに、そのままの位置で、誰にともなく、軽くお辞儀をした。それに倣って、耕太郎も軽く頭を下げた。
「生まれたら死ぬのは誰しも逃れることのできない事実です・・・ご年配か、若いか、ということではありません・・・おばあちゃんにとっては、これが天寿であり、それを全うされたのだと、わたしは、そう、おばあちゃんご自身が、にこやかに言っているように感じます・・・」
お寺さんは、もしかしたらおばあちゃんが肺炎になったいきさつをある程度知っているのかもしれない。そんな気さえする、真摯で暖かな話だと思った。
お寺さんが退席した後、喪主である、さつきちゃんのお父さんが参列者に対して挨拶をした。
「・・・母は、最初の長男を‘麻疹’で小学校一年生の時に亡くしています。わたしは次男です。わたしが物心ついた頃、母の姑、つまり、わたしの祖母に嫁として仕えていた母は、長男を亡くしたばかりの悲しみを表に出すことを控えていたようでした・・・・
でも、お彼岸の頃、‘一緒にお墓参りに行こうね’と幼稚園だったわたしの手を引いて、お寺に向かって歩いている途中、突然、道の真ん中で立ち止まってしまったのです。
わたしが母を見上げると、母は、泣いていました。‘わたしのせいで’と、言ったのがちらっと、聞こえました・・・・
兄は生まれつき体が弱くて食も細く、小さい頃から食べさせようとしてもなかなかたくさん食べてくれなかったようです。母は、自分の作る食事がもっと‘食べたい’、という気持ちを湧き起こさせるものだったら、丈夫に育って、麻疹にかかっても、まさか、死んでしまうことはなかったのではないか、と自分を責めていたようです。当時にしては珍しく、大学の家政学科を卒業していたことも、更に母を苦しめました。自分が‘食’の勉強をしていたのに、と・・・
だから、母はそれまで以上に食事に気を遣っていたのが、なんとなく伝わってきました。特に、姑に対しては、年を取り、段々と体も衰えていくので、ご飯を炊くときの硬さから、味覚の衰えに合わせた味付け、など。それでいて、食べ盛りの子供もおいしい、と感じる料理を作ろうと、工夫に工夫を重ねていたようです。
その母の工夫を妻が教わり、そして、今、娘が受け継ごうとしています・・・・
先ほど、お寺さんがしてくださった‘クリームソーダ’の話・・・・
本当に、母らしい話をしてくださって、ありがたいです・・・・」
さつきちゃんのお父さんの声が、微かに、震えている。
「今日は、お参りくださって、ありがとうございました・・・・」
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