第5話 はじめての冬へ

その1


 高校入学以来、朝、歩き続けてきた、デパート横の通り。神社の境内。おばあちゃんのいる木造の古い家の前あたりの歩道。幾種類もの街路樹の落葉が目立ち始める季節、大抵の風景はほとんど変わらないのだけれども、定点観察をしていたとしたら、一つだけ欠けているものがあった。木造の古い家の中にいるはずであろう、おばあちゃんの姿が、途絶えてしまっている。もちろん、僕は定点観察をするまでもなく、おばあちゃんを見かけなかった日が何日続いたか、と気にかけていた。様々なことを想像した。一番いい想像が、少し寒くなってきたので、窓を開けて幼稚園・小学校の小さい子たちの姿を見るのを、しばらくお休みしているだけではないか、というもの。ちょっと悪い想像が、病気でしばらく入院でもしているのかな、というもの。もう少し悪い想像が、実は老衰がひどくなり、独り暮らしをもうさせておけないと考えた身内が、介護施設に入れてしまったのではないか、というもの。

 ただ、どれもあくまで想像であって、おばあちゃんが独り暮らしなのかどうかも分からないし、健康なのかどうかも分からない。

 もうすぐ冬も深まってくるであろう、11月の10日過ぎ、その日、目が覚めると、雨が激しく降っていて、気温も急激に下がり始めていた。すぐそこまでいらして祝詞を上げて下さっているであろう神様にご挨拶しようと窓を開けると、自分の吐く息が白く外へと流れて行った。

 今朝は何かいつもと違う感じを受けた。気温は昨日までと違う。天気もここ何日か晴れが続いていたので違う。でも、そういうことではなく、街全体の雰囲気が、何だかいつもと違うような気がする。

 僕は、いつもの時間に出かけようとしていた。お父さんと一緒にご飯を食べている時、お父さんが、突然、こんなことを言った。

「雨だけれども、雨が降っているんじゃないような気がする」

 僕は、お父さんの言う意味が分からず、え?、と聞き返してしまった。

 お父さんは、いや、ごめん、と言って、またごはんを食べ続けた。

 お父さんとの会話はこれだけだった。けれども、何だか会話の長さ以上の行間があったような気がして、僕の心の中に、不安と安心とが4:6くらいで植えつけられたような気がする。

 玄関を出て、いつもの道を歩き始める。デパート横の大通りを通り、神社に向かう真っ直ぐの道を、今日はお日様に背中を後押しされることもなく、曇天で土砂降りの中、木造のおばあちゃんの家の付近へと歩いて行った。

 今日も、幼稚園の小さな可愛らしい子達や、小学校低学年の元気な子達はいるはずだった。

 土砂降りなら、幼稚園や学校指定の黄色いレインコートを着て、晴れの日とは別の可愛らしい姿を見せるはずだった。

 けれども、なぜか、今日はおばあちゃんの家の付近には、人影が無い。大人も子供も誰もいない。ただ、大通りをいつも通りの車の量が行き交っているだけだ。

 雨降りで、通園や通学の時間が微妙にずれているのだろうか。いや、以前も土砂降りの日は何回かあったけれども、そんなことはなかった。

 右斜め前方に、おばあちゃんの家が近づいてきた。もうすぐ前にかかる。僕は、おばあちゃんがいつも子供たちを眺めていた窓の方を見ていた。窓は閉まったままで誰の顔も見えない。このまま通り過ぎてしまうのだろうかと思った瞬間、

「あんちゃん、あんちゃん」

 僕は右斜め前方の窓の部分を見ており、自分よりも少し後ろの方からその声がかけれらたような気がした。

 けれども、その声は、僕の真横から、右の耳に掛けられた声だった。

 右真横からの声、と分かったのは、ちょうど僕の真横に玄関の引き戸が50cmほど空いていたからだ。でも、僕は咄嗟には誰の声か分からず、一瞬、目をうろうろさせた。

 ようやく視線が下に落ちた時、そこに、多分、あのおばあちゃんと思われる人が横座りのような恰好で座り込んでいるのが見えて、初めて、ああ、この人の声だったんだな、と気づいた。

 状況から考えて、この人はあのおばあちゃんだ。

 けれども、本当に、花の鉢を傍らに、窓から小さな子達を笑顔で見ていたあのおばあちゃんなのだろうか。

 窓にいた時にはきれいに結われていた髪は、くしゃっと、なっている。

 座り込んでいる土間の脇には、新聞紙がくしゃくしゃと無造作にばらまかれているように見える。そして、見るともなしに見てしまった玄関脇の部屋には、ごみとごみ袋がかなりの量、散らかっている。

 ああ、やっぱり、独り暮らしだったんだ、と、謎解きの答えが出たような不思議な感覚と、ああ、なんて憐れなのかというまっとうな感覚とがあり、どちらも、僕の本心だった。

 これらのことを、2秒ほどで急速に理解した僕は、おばあちゃんの言葉を待つ余裕があった。余裕?

 実は、僕は、これらのことを、分析的に理解し、冷静に対処しようという、そういう感覚を持っていた訳では決してなかったのだ、と、今になれば、はっきり分かる。それは、つまり、こういう感覚だったのだと思う。

‘どうなっても、構わない’

 ついこの間、太一が言っていたこの言葉。

 お父さんのうつ病のことなのか、16歳という僕の年齢の漠然とした不安なのか。それとも、久木田のような人間達とのやり取りを忘れ切れないからなのか、なんだかよく分からない部分が多いけれども、

‘どうなっても、構わない’

 この感覚があったのだと思う。

 だから、その後の行動も、深く考えずに取ったのだろうと思う。

 おばあちゃんは、あんちゃん、あんちゃん、と言った後、僕が何か質問を挟む時間もないくらいの間合いで、次の言葉を言った。

「角曲がった所のタバコ屋の自動販売機で、サイダー2本ほど買って来てくだされ」

と、おばあちゃんは、言ったのだ。

 おばあちゃんは、手に千円札を持っており、それを僕に差し出した。

 ‘どうなっても、構わない’という感覚で、ぼうっとして千円札を受け取り、はい、と言ってから、傘をさして、隣のお寿司屋さんの角を曲がるとすぐにタバコ屋と自販機があった。

 僕は、脳に膜がかかったような状態で、自販機で売られている飲み物の種類を見た。 

 サイダーそのものはない。おそらく、お年寄りなので、炭酸飲料全般を‘サイダー’と表現したのだろうと解釈した。

 千円札をしゅるしゅると自販機のお札投入口に吸わせ、おばあちゃんが言う‘サイダー’のイメージに近そうな、グレープの炭酸飲料を2本買った。おつりを持って急ぎ足でおばあちゃんの所に戻った。

 飲み物をおばあちゃんに手渡しする。おばあちゃんは、受け取るとその2本とも土間に置いた。なぜ2本か。僕は、おばあちゃんが、飲料水もろくになく、この2本を今日一日かけて飲むつもりなのだろうと想像した。そして、僕に頼んだ理由は、歩いて買いに行くことができないほど足が弱っているのだろうと考えた。

 僕は、おつりを渡そうとした。

「お礼に、取っといて」

 受け取ろうとしないが、そういう訳にはいかない。もう一つ白状すると、地方とは言え、県庁所在地の、市で一番大きな老舗デパートから神社へ向かって真っすぐ進む大通りにあるその家の玄関で、通学・通勤時間のさなかに起こっているこのやりとりを気味悪く思ったのだ。おばあちゃんが、ではない。状況が気味悪かったのだ。強いて言えば、場所・時間は現実そのものだが、この土砂降りは現実離れしているかもしれない。そして、そもそも、この大通りに、この古い木造の家があったことそのものも、現実離れしていたのかもしれない。

 けれども、僕は、この状況を結局は受け入れて、自販機で飲み物を買ってきた。ぼくの精神状態が、‘どうなっても、構わない’というものだったからだろう。

 僕は、ううん、という感じで、おばあちゃんの掌に、じゃらっと、つり銭を渡した。

 おばあちゃんは、そんなこと言わんと、という感じでいたが、雑然としている土間の横の部屋にすっと左手を伸ばし、透明なかさかさした袋を掴んだ。

「せめて、これ、取っといて」

 僕の前に示されたのは、‘かきやま’の袋だった。

 自分が小さな頃からローカル番組なんかのテレビCMで流れていた、地元のおかき・せんべいメーカーが作った‘かきやま’だった。

 僕は、んー、と思ったが、始末のつけ方がひとつだけ心に浮かんだので、

「ありがとうございます」

と、そのかきやまを受け取った。

「また、頼むね」

 おばあちゃんがそう言ったので、ああ、この状況は、おばあちゃんにとってはそこまで切迫したものではなく、また次の機会、みたいな感覚で話せる内容なのだろう、と感じ、少し安心した。ひょっとしたら、僕が窓から子供たちを見るおばあちゃんの笑顔を見ていたように、おばあちゃんは、いい若いもんのはずの僕が、とぼとぼと俯いて神社の方へ向かって歩いて行く姿を見ていたのかもしれなかった。それこそ、さつきちゃんが、僕を何度も神社で見かけていたと言ったのと同じように。

 けれども、瞬間、僕の心に、こんな想像が電気的に点滅した。

 この家の男の名前の表札は、おばあちゃんの旦那さんのものだろう。2人の間に子供がいたのか、孫がいたのかは、分からない。

 もし、いたのだとしたら、色んな経緯はあったのだろうけれども、今、こうして独りで暮らしていることは、おばあちゃん自身の蒔いた種だ。仮にそこまで言うのが酷だとしても、さつきちゃんのおばあちゃんやお母さんとはまた違った生き方をしてきたことは否定できないのだろう。

 けれども、僕は、とても悲しいような、このおばあちゃんが愛おしいような、反面、このおばあちゃんの境遇を、冷たいくらいに冷静に見つめるような自分がいて、自分自身がいたたまれなかった。

 そして、‘どうなっても、構わない’という気持ちからか、こんなことを言ってしまった。

「神社の方に向かって、手を合わせとってください」

 ‘合わせとってください’というのは、おばあちゃんの昔人間らしい語り口がついうつった言い方だった。こうしたらあなたは助かるんじゃないか、という感じで言ってしまったような気がする。

「そんなこと・・・・」

 おばあちゃんは、そう言った。・・・の後に続く言葉はそのまま出て来なかった。僕は、こんな状況の中、突然に、学校に遅れないかという、現実的な思考が浮かんだ。

 こんな中途半端な、尻切れとんぼの状況ではあったけれども、僕は、思わず、‘かきやまの袋を持ったままで、おばあちゃんに向かって軽く手を合わせ、目を閉じた。それを挨拶にして、僕は玄関から、神社の方へ向かって歩き始めた。

 歩きながら、僕は、さっき合わせた手を、心の中でまだ合わせたままでいた。

 隣の鮨屋の戸を開けて、‘横の家のおばあちゃん、見ててあげてください’、と言おうかとも思った。けれども、僕は、そのまま神社に向かって歩き続けた。

正面の鳥居前の横断歩道を渡って、ノンストップで鳥居をくぐり、お社にお参りをした。

僕は、少しだけ急いでいた。夏休みの、自主トレ系マラソン部のチェックポイントにしていた、ここから200mほど離れた別の神社へお参りし、その先にあった民家の、真新しい格子戸の軒先におられた、お地蔵さん、お不動さんの所に是非とも行くべきだと、直観していたからだ。

僕は、速足で歩いた。できれば走りたかったのだけれども、この土砂降りで走ると、防水の効いていないバッグの中のテキスト類が濡れて全滅する恐れがあった。

 速足の方が、足の筋肉が余計にこわばる。僕は、足がつりそうになるくらいに力を込めて歩いた。神社の横から境内に入ってお参りし、すぐに民家の軒先に向かう。

 その軒先の雨樋からは、通常の水の流れではなく、ドバドバと水があふれて、雨樋自体が滝の製造装置のような形になっている。

 お地蔵様、お不動さまの祠を見ると、ガラス扉の中に、ペットボトルのお茶がお供えしてあり、ローソクに火がともされていた。僕は、傘を肩に立て掛けるような恰好でさしたまま、左手の薬指と小指でバッグをひっかけて持ち上げ、バッグのポケットから財布を取り出した。お賽銭を入れ、ローソクの火を消さないよう、風の吹き入り具合を確かめながら、ガラス扉を開けた。自分の体を盾にして、ローソクの火を守る。

 かきやまの袋の置き場所を探し、ここなら邪魔にならなそうだ、というスペースに、かきやまをお供えした。

 僕はガラスの扉を閉め、そのままの態勢で手を合わせた。

 僕は、‘縁’、というのがきれいすぎるとしたら、‘因縁’、とでもいうようなものを感じた。

 このかきやまは、僕のお供えものではない。あのおばあちゃんのお供えものだ。

 あのおばあちゃんが、神様や仏様とどういった縁があったのかは、分からない。でも、僕の体そのものは、どういう訳か、今、神社を経て、お地蔵さん、お不動さんの前にある。そして、僕はトランスポーターとして、かきやまをお供えした。

 もし、僕が、かきやまではなく、700円ほどのつり銭を受け取っていたとしたら、それでも僕の体は、お賽銭を運ぶトランスポーターとなったのではないだろうか。では、かきやまとお賽銭では、どちらがおばあちゃんにとっては功徳となったのだろうか。それは、僕には全く分からない。お金は受け取れないけれどもお菓子はいい、みたいな、僕ごとき人間の浅知恵は、結局、あまり役に立たないような、そんな気がした。


その2


 12月に入り、期末テスト期間中なので部活は休みだった。

 僕とさつきちゃんは、マラソン大会の後、日曜日、何度も、バレー部顧問で数学の先生様である、園田先生のいる職員室にお邪魔した。ただし、2人で、ではない。遠藤さん、脇坂さんも、である。ついでに、太一も、「ずるいよ」と言ったので、バレー部の練習が終わる時間にもはみ出して、僕たちもバレー部員と一緒になって、わいわいと数学の質問をした。

 つまり、太一も、僕、さつきちゃん、遠藤さん、脇坂さんの中に混じりたかったのだ。僕たちはなんとなく、‘5人組’みたいな感じになった。恋人でも何でもないけれども、‘僕とさつきちゃん’という風に周囲から見られるよりも余程ありがたいと思った。しかも、5人でやっていることは、いわば、学生の本分だ。それから、ちょっとだけ、学生としてではなく、15歳・16歳の人間としてあれやこれやくよくよしていることを話し合ったりするような感じにもなった。この5人組の方が、さつきちゃんのおばあちゃんやお母さんにとっては、余程安心感があるだろう。

 園田先生様は、数学オタクとも言えるような膨大な知識量を僕たちに存分に披露してくれた。正直、僕には理解しがたい部分があったけれども。

「数学は、法であり、哲学であり、神学ですらある」

と力説する園田先生様に対し、僕は、いや、そこまでは、と内心思うのだが、それこそ、思いは十人十色で大丈夫なエリアだと割り切ればいいのかもしれない。

 ちなみに、園田先生は、‘様’をつけて敬いなさい、という。

「園田先生様~」と職員室に泣きつきに行けば、

「そうか、よしよし」

と、迷える僕たちに手を差し伸べてくれる。しかし、僕たちのことを思ってというよりは、数学を何としてもこの世でかなりの高ポジションに持っていこうという執念を感じる。

 それに、本当は‘先生’と十分尊敬しているのに、‘様’までつけると、‘先生’の重みが羽毛のように軽くなってしまうようで、どうかな、と思うのだけれども。

 こういった、自分達の努力2割、園田先生様の気合い5割、運3割、といった感じで、期末テストを無事乗り切れそうだった。


 僕は、実は、古い木造の家のおばあちゃんと、‘サイダー’と、かきやま、お地蔵さん、お不動さんの話を、5人組の中では、さつきちゃんだけに話した。太一にも話そうと思ったのだけれども、信頼しないとかそういうことではなくて、こういった‘感覚’そのものを、僕がこれまで繰り返してきた、浮世離れした行動の背景から説明するとなると、太一にもそれなりの時間とエネルギーを消費させることになるので、まずは、さつきちゃんに、と思ったのだ。

 僕がさつきちゃんに話したのは、おばあちゃんから声を掛けられた土砂降りの日から一週間ほど経ってからだった。教育委員会の会議が持ち回りで鷹井高校で開催されるため、授業が午前中で終わる日だった。会場の関係で、すべての部活が休みとなった。

 授業が終わりHRの始まる前のちょっとの時間で簡単にあらましだけ伝えると、さつきちゃんは、んー、と考えてから、帰り道、歩きながら話を聞かせて貰ってもいい?、と言った。

 実は、学校の帰り、2人で一緒に帰ることは一度も無かった。家の方向としては同じなのだけれども。もちろん、僕は部活、さつきちゃんは夕飯の支度があるから、というのもあったのだけれども、いわゆる、そういう、彼・彼女っぽいことをするのは、さつきちゃんのおばあちゃん、お母さんとの約束違反のように、自分なりに考えていたというのもあるのだ。だから、さつきちゃんが時折神社にお参りするのは分かっていたけれども、あえて、重ならないように、声もかけないように、と、意識していた。

 もちろん、自分の意志や心がしっかりしていれば、状況と関係なく、浮いた気持ちは起こらないのだろうけれども、自分にはそこまでの自信が無かった。

 さつきちゃん自身は、一緒に帰るからどうだとか、そんな意識すら持っていなかったろう。

 けれども、それ以上に、僕が今日しようとした話が、これまでの話の中でも、かなり大事な話だと心したので、2人だけで、それなりの時間を取りながら、聞いてくれようとしたのだろう。

 さつきちゃんは僕が歩く横を、自転車を押しながら、半歩ほど後ろを歩いた。

 2人で並んで歩いている、という事実がそれで消える訳ではないけれども、学校周辺は人が大勢いるので、なんとなく、気が引けるのだろう。校門を出てしばらくすると、僕の真横に並んで、話をしやすい位置に立って歩いてくれた。

 実際に、僕がおばあちゃんに‘サイダー’を買ってきてあげた日に通った‘チェックポイント’を、方向としてはほぼ逆に、実際に辿りながら帰ることにした。

 歩きながら、僕は細々と説明した。自分の心理描写をするのは非常に難しかったので、事実を時系列に伝えた。ただ、あの、‘どうなっても、構わない’という心理描写だけはどうしてもしないといけないと思ったので、太一には申し訳ないけれども、太一の言葉をいくつか借りて、説明した。

「土砂降りの日だったんだ・・・」

 さつきちゃんが何気なく呟いたので、僕は首の辺りまで真っ赤になって、11月も後半の寒さなのに、汗が出てきてしまった。

 さつきちゃんもすぐに気が付いたようで、少し慌てながら、

「ううん、図書館の土砂降りとかじゃなくて」

と、フォローではなく、更に傷口に塩をすり込むような言葉が出たので、余計に汗が出てきた。それでも、さつきちゃんは余程真面目なのだろう、フォローをあきらめずに、まだ別の表現でフォローをしようと頑張ってくれる。

「ただ、土砂降りの日の、始業前の時間に、それだけのことをやったのが、凄いな、と思って・・・」

 そうこうしている内に、いつもの神社まで来て、2人でお参りした。一緒にお参りするのは、あの花火大会以来だ。

 それから、今度は、200m程離れた、自主トレ系マラソン部の僕のチェックポイントだった神社にお参りした。さつきちゃんは初めての場所だ。

「こんな所にお宮さんがあったんだ」

 平日のお昼時、境内は、しんと静まり返っている。神職の方の家がお社のすぐ脇にあり、そこから、お昼ご飯なのだろうか、何か煮物のにおいだけがただよってくる。

 境内を出て、民家の軒先に向かう。

 民家の前の通りには誰もいない。何軒か間を置いて個人商店の酒屋さんもあるけれども、配達に出ているのか、店の中に人気はない。

 僕とさつきちゃんは、お地蔵さん、お不動さんの祠の前に立った。

 さつきちゃんは、じっと、お地蔵さん、お不動さんを見つめている。

 高校生の男女が、祠の前に並んで立っている、しかも、民家の軒先の、という状況は、多分、その民家に住んでいる人だけでなくて、近所の人も、ちょっと、嫌がるような気がしたので、ささっとお参りして、僕たちはまた歩き出した。

 けれども、と思い出した。

 僕の家のおばあちゃんがまだ生きていた頃。僕が幼稚園の頃だったと思う。

 おばあちゃんは僕を連れて、近所に散歩に出かけることがたびたびあった。

 近所、と言っても、結構遠くまで歩いた気がする。

 桜並木のある川べりには、お地蔵さん、お不動さん、観音様、それに、水神さま、といった、神様や仏様の祠が、いくつもいくつもあったのを覚えている。そして、その川べりをずっと歩いて行くと、僕が毎朝お参りする神社の裏手に出た記憶が、かすかにある。

 もし、この僕の記憶が、本当に確かならば、老人と幼稚園児が歩いてたどり着くには、相当な距離だ。‘遠足’どころか、老人・幼稚園児の、体力的に‘弱きもの’2人にとっては、‘小旅行’といったレベルの距離だと思う。

 そして、終着地点であるその神社の桜の木に、八分の花が、あの、桜の咲く独特のにおいをただよわせていたのを思い出した。視覚や聴覚や触覚ではなく、‘嗅覚’の記憶は忘れがたいものなのかも知れない。けれども、今、あの時のにおいを、ああ、こういう匂いだな、と、まるで今嗅いでいるように感じるのがとても不思議だ。

 もし、僕が、嗅覚によって思い出した記憶の通りだとしたら、僕は、お父さんに連れられて桜を見に神社に行っただけでなく、それ以前の、おばあちゃんに連れられて、神様、仏様の祠にお参りし、神社にお参りした記憶が、刷り込まれていたのかもしれない。だから、僕は、無意識のうちに、あるいは、体の細胞が勝手に求めて、毎朝お参りしに行っているのかもしれない。

 そして、僕の家のおばあちゃんに連れられて行ったその記憶の中で、僕は、道行く人たち、神社にお参りに来ている他の人たちの笑顔も思い出した。

 おばあちゃんが、僕の手を引いて歩き、祠の前で2人して手を合わせていると、道行く人たちが、にこにことほほ笑みをかけてくれるのだ。

「ぼく、お参り偉いね」

と、頭を撫ぜてくれるお年寄りもいた。

 これが、ほんの10年ちょっと前のことだったはずだ。

 けれども、僕とさつきちゃんは、こうしてお参りすることが、後ろめたいような、‘ちょっと、変な奴ら’とでも見られかねないような、そんなことすら想像して、堂々とできない。

 おばあちゃんに手を引かれていた時は、老人と幼児だから、周囲の人は何となく納得していたのだろうか。

 そうではないような気がする。その頃は、神様、仏様にお参りすることが、ごく自然で、少なくとも年配の方々の間では、好ましいことだったのだろうと思う。いや、今でも、ごく有名な神社仏閣を旅行のような感覚で巡る人も大勢いることと思う。若い人たちも、結婚して子供が生まれれば、お宮参りにも連れて行くだろうし、七五三もある。僕のおばあちゃんが生きていたころ、家族揃って、氏神様に、夏越の大祓や年越の大祓に行ったことがあったが、決して年配の方だけではなく、若い世代の家族連れも大勢、お祓いを受けにきておられたのを思い出す。

 けれども、ごく切実に、毎日の日々の暮らしをこうして暮らしていることと、神社仏閣がそこに幾つもあることとを結び付けている人たちというのは、どのくらいいるのだろうか。

 こうして街の中を歩いているだけで、よく見ると、驚くほど多くの神様・仏様がおられることが分かる。道端におられるお地蔵様も、よくよく見てみると、そこかしこにおられ、その場所が非日常で、日常との境がとても曖昧な感じがする。

 いや、実はそうではないのかもしれない。

 たとえば、さつきちゃんが、神社にお参りするのは、戊辰戦争で戦死されたご先祖のことをさつきちゃんのお父さんから聞かされたからだと言った。さつきちゃんの家庭は、確かに周囲の家庭と比較すると、ちょっと古風な感じは受けるけれども、さつきちゃんのおばあちゃんやお母さんの考え方、生き方は、地に足の着いた、現実的なだけではなく、ある意味合理的なものにも思える。

 そう思い当たると、道端におられるお地蔵さまのその場所が非日常・非現実なのではなく、僕たちのいる場所が、どんどん非日常・非現実化してきているのではないだろうか。だから、現代の今の時間を生きている僕たちのいびつな生活空間は、お地蔵さまからご覧になると、とても奇異で憐れな‘非現実’の虚ろなものに見えているのかもしれない。

 少なくとも、10年ちょっと前、おばあちゃんが僕の手を引いたその周囲に近寄ってきてくださり、「お参り、えらいね」と声をかけてくれた人たちは、道端のお地蔵さまを現実世界のものとして捉え、自分達は、お地蔵さまが見守るその世界の中の住人だと感じていたのではないだろうか。

 お父さんが、兄ちゃんと僕を

「桜を見に行こう」

と、あの神社へと連れて行ってくれたのは、実は、現実逃避ではなく、どんどん非現実の虚ろの世界となっていく僕たちの生活空間、お父さんにとっては一番長い時間を過ごす職場の‘非現実’から、神社という本当の意味での‘現実の場所’に一旦立ち返りたかったのではないだろうか。周囲から見れば現実逃避なのだろうけれども、実際は‘現実回帰’だったのではないだろうか。けれども、‘現実回帰’した人間は、虚ろな生活空間に立ち戻った時、本来の現実をその虚ろな場所に少しでも根付かせなくては、と感じてしまう。そうすると、他人との軋轢も生まれるだろうし、まず第一に自分で自分を苦しめてしまう。

‘自分は、こんなことでいいんだろうか’と。

 太一の、あの言葉が、何度も僕の胸の中によみがえる。

「どうなっても、構わない」

 決して投げやりなのでもなく、責任を放棄したのでもない、その感覚。僕を思いやるわけではないけれども、結果的には小学校の時以来僕を救い続けてくれたその感覚。もし、この太一のような感覚があれば、もしかしたらお父さんも、うつ病にはならなかったのかもしれない。


その2


 最後に、僕とさつきちゃんは、古い木造のおばあちゃんの家に向かった。

 大通りをデパートの並びの方向に渡り、家の手前の方からじっと様子をうかがいながら、できるだけゆっくりと歩いて近づいた。

 何だか、おばあちゃんが引き戸を半開きにして待っていて欲しいような、ただ静かに通り過ぎてしまいたいような気持が入り混じって、少しだけ視線を落とした。だんだんと家の玄関が近づいてくる。

 引き戸は開いていなかった。おばあちゃんがこの家の中でどうしているのか、目では見えない。ただ、心の中で、いい想像、悪い想像の両方を繰り返すことしかできない。

 僕たちは家の前をゆっくりと通り過ぎた。


「中におられるのかな」

 先に話しかけてきたのはさつきちゃんの方だった。

「多分、いると思う」

 僕はただ一言そう言うしかなかった。

 さつきちゃんはいつも何か考える時、絵に描いたような‘んー’という考える顔をする。

 けれども、今はただしばらくの沈黙の後、‘んー’という予備動作もなく、たっ、とこう言った。

「お父さんに話してみたらどうかな」

 僕は、一瞬‘お父さん’という予想しなかった単語にのみ反応してしまった。

「お父さん、って、誰のこと?」

僕の間抜けな質問に、さつきちゃんはちょっとだけ笑った。

「かおるくんのお父さん」

「僕の?」

「うん」

 あえて表現するなら、真面目で暖かな笑顔で、さつきちゃんは僕に言ってくれた。

「多分、かおるくんのお父さんは、こういう話を真面目に聞いてくれる気がする。それに、‘雨が降っているんじゃない気がする’ってその日の朝にお父さん言ってたんだよね?」

 僕は、ああ、さっきその話もしたな、と、うん、と頷く。

「多分、かおるくんのお父さんには、この話の感覚が分かってもらえると思う」

 僕もそれは感じていた。けれども、僕は、この家のおばあちゃんのことをどうすればよいのだろう、と思っていたのだ。お父さんにそういうことが相談できるとは思っていない。

「多分、答えは出ないと思うけど」

 さつきちゃんは、ううん、と首を軽く振った。

「答えを出す必要はないと思う。それに、答えを出すのはわたしたちにはできないよ。きっとそのおばあちゃんにも、子供なのか、兄弟なのか分からないけれども、身内はいるはずだし。もし、本当に誰もいなかったとしても、隣の家の人や町内の人がいるから、その人たちを差し置いてわたしたちが解決します、というのは違う」

「そっか・・・」

 僕は何となく、寂しい気はしたけれども、さつきちゃんの言うことに‘違うよ’と言える部分はひとつも無かった。

「それに、そのおばあちゃんにとって何が‘解決’なのかも分からないよ」

 さつきちゃんが続けて言ったこの意味はなんとなく僕にも分かった。

「そうだね。あのおばあちゃんにとって、‘ひとりぼっち’、ってことは、変わらないね・・・」

 けれども、それは僕だって同じような気がする。今は、家族もいて、友達もいて、こうして隣にさつきちゃんもいる。けれども・・・

「僕がもし、あのおばあちゃんの歳まで生きてたら、」

 僕は一旦言葉を切って、さつきちゃんの目をじっと見つめてから、漠然とずっと心の中にあった、けれども、口に出してはいけないような気がしていたことを言った。

「僕もひとりぼっちかも」


その3

 

 さつきちゃんと別れて家に帰り、お母さんと一緒に、お昼のうどんを食べた。

 とりあえず明日の予習を何となくやってから午後のけだるい時間をぼうっと過ごしていると、お父さんが帰ってきた。

 今日は、お父さんの月に一度の病院の日だった。午後からの半日休暇を取り、精神科へ行くのだ。ああ、そういえば、今日だったんだ、と、何となくお父さんがいる台所へ向かった。

 お父さんはテーブルでコーヒーを飲んでいた。僕も自分のカップにコーヒーを注ぎ、レンジで温めてから、お父さんの向かいに座った。

 お父さんは録画して溜まっていた深夜枠の情報番組が映し出されているテレビの画面を見、背中を丸めてコーヒーを飲んでいた。

「かおるも午後は無しだったんだ」

 お父さんは、顔を僕の方に僅かに上げて、呟くように言った。僕は、うん、とだけ答え、そこで会話は一旦途切れた。

 僕は、再び会話を始めようかどうしようか、迷った。昼にさつきちゃんと検証して歩いた経路のこと、土砂降りの日、おばあちゃんに‘サイダー’を買ってきて上げたこと。まず、話そうかどうしようか、もし、話すとしたら、どこからどこまで話そうか、考えて無言の時間がしばらく経過する内に、お父さんの方から会話が再開した。

「今日、病院の日だった」

 話題を始める、という前触れの言葉からお父さんが話し始めた。

「お父さんがこんなこと言っても意味ないかもしれないけれど」

 お父さんは間を少し取りながら、自分にも言い聞かせるように続ける。

「もし、かおるが、何か学校のことでも他のことでも、嫌なこととかあったら、何でも話してな」

 お父さんは、そこで一瞬目をつぶる。また、ふっと目を開けてこう言った。

「本当に、何でもいいから、話してな」

 お父さんは息子の顔色や態度から悩みがあるとか調子が悪いとか気付いたり、あるいは、読み取ろうとしたりする人ではない。その辺、お父さんは、おばあちゃんからよく注意を受けていた。だから、今もお父さんは僕の様子を読み取った訳ではなく、一般論として言っているだけだろうと想像する。

 けれども、せっかくお父さんの側からこういう話が出たので、僕は、話すことにした。

 まず、土砂降りの日のサイダーの件を当日の事実どおりに。その後、ちょっと躊躇したが、さつきちゃんと僕の、今日の検証の話。それから、余計なおまけかもしれないけれども、さつきちゃんが、お父さんに話したら、ということも最後に付け加えた。

 さつきちゃんがお父さんに話したら、という部分で、お父さんは、えっ、という顔をし、それから少し俯き加減で笑った。

「その日向さんとかおるはどういう間柄?」

 僕はさすがに家族の前では‘さつきちゃん’ではなく、‘日向さん’と話していた。なので、彼氏彼女でもなく名前で呼び合う関係、という説明もしづらい。

 割と真面目な悩み事とかを相談し合えること、太一も含めた男女の仲好しグループの一員であること、などを、できるだけ、変な間柄ではないということを強調しつつ説明した。

 隣で夕飯の支度をしているお母さんの顔が徐々に険しくなっていることへの配慮でもあった。

 僕は全体のコメントを訊く前に、このことから改めて訊いた。

「どうして、あの日、‘雨なのに、雨が降っているんじゃない気がする’、って、言ったの?」

「そんなこと、言った?」

 お父さんの答えに、拍子抜けする。けれども、僕の拍子抜けの反応を見るか見ないかの内に、

「きっと、無意識で自動的に言ったんだな」

とお父さんは呟いた。独り言を言うようにお父さんは続ける。

「変な奴かと思うかもしれないけど」

 僕は、お父さんのことを、随分小さい頃から‘変な奴’と思っているので、今更何を言われたところで、驚きもしない。

「たまに、こんな風に思う」

 お父さんはコーヒーを一口飲んで、続けた。

「降っているのが雨じゃなくても、別にいいのかな、って」

 僕はお父さんの言っている文章の表面上の意味は分かったけれども、何が言いたいのかは全く想像できなかった。そう思って考え込みそうな僕の様子を見てか、お母さんが声をかけてきた。

「お父さん、かおるを悩ませるような変なこと言わないで」

 お父さんは、ごめん、と言って、そこから10秒くらい、誰も何も喋らなかった。僕は、このまま話が終わってしまったら元も子もないと思い、慌ててお父さんに、平気だから続けるように促した。

 お父さんは、話を再開した。

「たまに、こんな風に感じるんだけど。土砂降りの中を歩くと、スーツが濡れる。そしたら、スーツの裾がぺたっとふくらはぎの辺りにくっつく」

 よく分からないけれども、続きを聞く。

「でも、会社に着いて、仕事をしてる内に乾く」

 まだ分からないけれども、僕はじっとお父さんの胸の辺りを見て聞き続けた。

「多分、これが雨じゃなくて、汗でも同じことになるはず。真夏なんかに、たまにそうなる」

 さすがに、結論がどこに行くのか、不安になってきた。もしかしたら、お父さんは、何かの冗談を言っているのだろうか。

「降ってるのが雨じゃなくて、汗だとどう?」

 どう?と言われて、僕は、ちょっとだけ間を置いて、答えた。

「すごく、嫌な感じがする」

 お父さんは、少しだけ真剣な顔をして、僕の顔を見つめ、さらに僕に言った。

「なら、降っているのが雨じゃなくて、水だったら?」

「・・・雨って、水じゃないかな?」

 僕の答えに、お父さんは目を閉じた。ゆっくりと目を開けて、呟く。

「雨は、水じゃなくて、雨だよ」

 僕は、なぞなぞをしている気分になる。もしくは、こういうのを禅問答というのだろうか。

 何か言おうと考えるけれども、言葉が出て来ない。僕がむずむずしている内に、お父さんがまた喋りだした。

「結果が同じなら、降っているのが雨じゃなくて、水でも同じかな、って、多分、その日の朝の天気を見て、かおるに何気なく言ったんだと思う」

「水でも同じだとしたら、どうなるの?」

 お父さんは、5秒ほど、じっと考えていた、ように見える。

「もし、水が降っていたら、手っ取り早いから、スーツの裾からふくらはぎ辺りまで最初から水道の水で濡らして行こうと思った」

 僕は、何か勘違いをしているのだろうか。何故か話が噛み合わない。お父さんへの質問を重ねる。

「なんで?お父さんも土砂降りだから濡れると思ったの?」

 お父さんは、少し苦しそうに答えてくれた。

「お父さんも、朝、会社に行く前に、神社にお参りしてる。その土砂降りの朝は、濡れると思ったんだろうな」

「えっ、お父さんも神社にお参りしてるの?」

 お父さんが神社にお参りしているのは、ありそうなことだと思った。でも、お父さんは僕もそうしていることは意外なようだ。でも、お互い、一体何をやってるんだろう、と、僕は可笑しくなった。似た者同士というよりは、同じ穴の狢、というのがぴったりする。

「会社の駅の近くの神社にお参りしてる」

 お父さんは続けて話してくれた。

「かおるが神社にお参りしてると聞いて、何だか責任を感じる。結局、父親と似たようなことで悩んで、似たようなことをしてるんじゃないか、って思って」

 僕は、お父さんの言うとおりのことも少しはあるけれども、お父さんが気にする程のこともないと思っている。

「お父さんのせいじゃない」

 僕が一言そういうと、お父さんは、そうか、と言い、少し間を置いて、ありがとう、と言った。

 お父さんは、古い木造の家のおばあちゃんのことについては、ごく簡単にコメントしてくれた。

「その家の前をたまに通ってあげたら?声をかけられたらまたご用を聞いてあげてよ」

 ただ、それだけだった。

 けれども、そのおばあちゃんのことを不気味だとか嫌な感じだとか思っている様子が全く感じられない。それどころか、ごく当たり前のことのようにお父さんは反応している。

 さつきちゃんが、お父さんがこういう感覚が分かると言っていたのは、本当だった。

「あんたたち・・・」

 間に割り込んできたのはお母さんだった。なんだか、とても怒っているように見える。

 お母さんは、僕に対して腹を立てているのか、お父さんに対して腹を立てているのか。‘あんたたち’と言ったのだから、両方なのだろう。

「・・・わたしは、本当に、疲れた」

 お母さんの、右目の眼尻にじわっと涙が浸透しているように見える。そこからは、お母さんが一方的に話す時間になった。それも言葉少なに、けれども、激しさを持って。

 僕は、お母さんのこういう姿を見るのは、おばあちゃんが亡くなってしばらくの間、気が張り詰めていた時の蒼白な顔を見て以来だ。

「おとうさん」

 お母さんは、少し声が震えている。怒りなのか、悲しみなのか、苦しみなのか、それらすべてなのか。お父さんと僕は、ただ聞いているだけだった。

「かおるまで・・・・・」

 どういうことなのだろう。自分が悪いとはっきり言われている訳だけれども、なぜかお母さんの話の続きが早く聞きたい。

「うちのおばあちゃんが亡くなってから、お父さんが病気になって・・・

 そのうちに、わたしも年を取って・・・

 お父さんが好きで病気になったんじゃないこともよく分かってるけれども・・・

 でも、つらい」

 お父さんは、金縛りにあったように背中を少し猫背にして台所の床に目を落とし、その態勢で固まったままでいた。

 僕は、お母さんの顔を見ることはできなかった。普段も話をする時にまじまじとお母さんの顔を見つめることはない。今は、顔を反らす訳ではないけれども、お母さんと視線を合わせることが、やってはいけないかのような暗示に、僕はかかっていた。

「お父さんも、かおるも、もう、おかしな挙動はやめて」

 そう言うと、お母さんは、台所から出て行った。

 一瞬前まで夕ご飯の支度をしていた気配の残る台所に2人取り残されたお父さんと僕は、間抜けな悪人そのものだった。けれども、お父さんは、それでも責務を感じてか、僕に話しかけた。

「お母さんには」

 お父さんはさっきからの姿勢は崩さずに、声だけで僕に話しかける。

「嫌な思いをさせた。

 ‘もう嫌だ’、って、思っていたはず。兄ちゃんやかおるにも言っていないけれども、おばあちゃんが亡くなった時のことから始まって、お父さんの病気のこととか、色んなことで・・・結局、お父さんが負担をかけた。

 だから・・・」

 そこで、お父さんの言葉は途切れた。5秒、10秒、時間が過ぎる。

 僕は、耐え切れなくなった。

「お父さん」

 お父さんは、そこで、やっと固まっていた姿勢を和らげ、僕の顔に視線を向けた。

「僕、また、そのおばあちゃんの家の前を通ってみるよ」


その4

 

これが、先月の11月、僕とさつきちゃんが、土砂降りに‘サイダー’を買った日のコースをほぼ逆になぞらえた日の出来事だ。

その日のハイライトは、なぞらえたことそのものではなくて、僕の家での、父母僕とのやり取りだった。

お母さんは、その日以来、急激に口数が少なくなった。

今、12月。実は、さつきちゃんと2人でコースをなぞらえた日以降、古い木造のおばあちゃんの家の前は通っていない。つまり、僕はお父さんの言ってくれたことを実行してはいない。おばあちゃんがあの後どうなったのか、気にならない訳がないけれども。

とにかくはまず、期末テストをなんとかやり尽くすことを最優先に考えよう、と方針を定めた。寒波の影響で急激に冷え込んできたことと、テスト期間中で部活が無いということを理由にして、朝ではなく、神社へお参りするのは、帰り道に遠回りをしてということにした。おばあちゃんの家の前は通らない。

本当は、怖かったのだ。

もし、家の前を通って、自分一人の時に、おばあちゃんがまた声をかけてきたら。そして、この間よりももっと深刻な様子だったら。それこそ、命にかかわるような。僕は、卑怯者だ。それを、認めなくてはならないのに、気付かないふりをしている自分が耐えられなかった。さつきちゃんから‘おはよう’と声をかけられても、ものすごい後ろめたさがあり、小さな、へなへなした声で返事をするだけだった。僕は、言い訳に、テストが終わったその日に、必ず行く、と心に決めることで、辛うじて罪悪感を他所にうちやってしまっていた。

週末から期末テストが開始された。

数学。数学のテストの時間は、これまでは途方に暮れるばかりだったけれども、園田先生様と5人組とバレー部員のお蔭で、チャイムが鳴るまで知恵を振り絞る、という感じで歯向かうことができた。結果はともあれ、最後の1分まで粘ることができたのは、自分を褒めてやりたい気分になる。あの、白井市の10kmを走り終えた時の感覚と何となく近いような気がする。

期末テストなので、5科目以外の教科もあり、長丁場だったが、なんとか終わった。

テスト期間中に初雪が降った。12月半ばになっているので、ここ近年のこの県の初雪としては標準的なタイミングだろう。ここ数年は降って積もっても、少し溶けてはまた少し降る、というパターンの繰り返しだった。

けれども、今年の降りはかなり激しい。粉のように細かい雪だと思っていると、そういう粉雪の方が、短時間で一気に積もりやすいという、小学生の頃、この県の街の辺りでもまだ‘豪雪’と呼べるような雪が降っていた時の記憶が蘇ってきた。

もともと電車通学の生徒は雪が降っても電車だけれども、自転車通学の生徒は、さすがに雪が降って、強引に乗り続ける訳にもいかないので、バス通学となる。さつきちゃんも、距離的には遠回りとなるが、雪が積もってからはバス通学に切り替えていた。

テスト最終日。最後の音楽のテストを終えると、みんな、硬直した体がようやく動き出すように、部活に向かう者、友達と連れ立ってどこかに寄って帰ろうと相談している者等々、それぞれに思い思いの動きをし始めていた。

「ようやく終わったね」

 さつきちゃんから声をかけられ、‘ほんとだね’と、僕はわざとらしく背伸びをして見せた。

「わたし、夕飯の買い物して帰るから、また、明日ね」

 雪が積もった中を一回家に帰ってからまた買い物に出かけるのは大変なので、バスの経由地の途中にあるスーパーで買い物してから帰るのが、テスト期間の途中からのさつきちゃんの日課になっていた。僕は、これから部活だ。とは言っても、雪が積もってグラウンドも使えないので、校舎の一角を使って、短時間の筋力トレーニングをする程度だ。

 終わったら、おばあちゃんの家の前を通って帰るつもりでいる。ようやくこれで、少しは卑怯者でなくなれるのだろうか。よく分からない。


その5


 部活は1時間程で切り上げた。雪の降りが極端に激しくなってきたからだ。部のみんなはいそいそと帰り支度をして、お疲れ様でした、と帰路に着く。

 僕は、長靴で雪を踏み固めながら学校の敷地から外へ出た。

 概ね、車道も歩道も融雪装置が施されているので、歩く幅のスペース程度は雪がばしゃばしゃしたシャーベット状になっており、長靴を履いていれば楽に歩ける状態だ。けれども少し細い歩道になると、融雪装置はなく、小学生の頃そうだったように、人が歩いて雪が固まった部分をなぞって歩くようにしなくてはならない。そのポイントを踏み外すと、ずぼっ、と長靴が雪にはまってしまう。それぐらい、久しぶりの大雪になりつつあった。

 おばあちゃんの古い木造の家の前の歩道は広いので融雪装置がある。この雪で融雪装置がなかったら、おばあちゃんの家の前の除雪は誰がやればよいのだろう。

 そんなことを考えながら、おばあちゃんの家の方向へ向かって歩いた。

 そういえば、何年か前、町内で、お年寄りの一人暮らしの家の除雪を町内の人でやったらどうかという話が出たことがあったらしい。その時に、こんなことを言った人がいたそうだ。

「その家の若いもんは、みんな死んだのか?」

 いや、都会で勤めているはずだ、とか、県内にいるけれども若夫婦と子供らだけで核家族の生活してて、親の家には顔も見せん、とかいう事情が大半だったらしい。

「なら、まず、その若いもん共がこっちに帰って来て、除雪すりゃよかろう」

 こう言った人が冷たいのかどうか、僕は分からない。けれども、お年寄りたちだけの家ができてきたのは、出て行った‘若いもん’の意思だけではなく、究極的にはお年寄り自身が‘まあ、いいか’と受け入れた結果ではなかろうか。ひょっとしたら、半ば老人虐待とイコールのような激しい強制でお年寄りに‘核家族化’を迫った若いもんもいないとも限らないけれども。

 その年は結局雪がそんなに降らず、ボランティア除雪の話もする必要が無くなったのだけれども、今年はどうもそうはいかないようだ。

 こんなことを考えている内に、そろそろおばあちゃんの家に着くだろうと思っているのに、なかなか目標物が見えてこない。雪が積もって景色が変わったせいだと思ったが、もうじき見えてくるはずの左斜め前の風景に妙な違和感がある。

‘あのお寿司屋さんの建物、あんなに大きかったろうか’

 まだ日没前だけれど、雪と空を覆う、この地方独特の冬の分厚い雲で夜のようになった空の下、準備中のお寿司屋さんの入り口から、中で仕込みをやっているであろう店内の灯りが外にこぼれてくる様子を見て、単純に、こう思ったのだ。

「・・・・・・」

 けれども、僕は、お寿司屋さんの手前で、言葉が全く出なかった。僕は、そこそこ驚いたときは、一人でも、‘えっ’とか‘うっ’とか、口に出すか心の中でか、何らかの驚嘆の呻きをするはずなのだ。

 なのに、僕は、口にも心の中にもなんの呻きも出なかった。‘無音’で驚いた。僕の家のおばあちゃんが亡くなった時ですら、こんな状態にはならなかった。

 お寿司屋さんの手前、には、車が停まっている。1台だけではなく、5台。そして、雪も積もっていない。車のタイヤの下を、降り始めでガンガン作動している融雪装置の水がどぼどぼと流れている。

 僕の真正面の空間に、やや高層のアパートがある。こうしてみると、ああ、おばあちゃんの家の裏は、そういえばアパートだったんだな。裏側に窓があったら、おばあちゃんの家の中がアパートの住人から丸見えで困ってたろうな、と、そんな感想を、今この局面で持つ僕は、冷静と言えるのだろうか。

 おばあちゃんの家が跡形も無くなって、コインパーキングが、そこにあった。

 おばあちゃんの家があったので今まであまり意識していなかった裏のアパートが、コインパーキング分の空間を置いて、大通りから良く見える状態になっていた。

 理由は僕には把握できない。ただ、目の前の事実を把握するだけだ。

 おばあちゃんの家はもう、ない。コインパーキングが、ある。おばあちゃんは、ここにはいない。

 そして、‘理由’は想像するしかない。おばあちゃんは身内に引き取られたのか。病院や施設に一人で入っているのか。それとも。亡くなってしまったのか。

 僕は、5分ほどそこに立ったまま、コインパーキングの敷地全体を焦点を合わせないような感じで、見ていた。

 ふっと、見ると、コインパーキングのゲートの上に防犯カメラがあるのが目についた。僕は、自分がなんだか犯罪者のような気がして、その場を離れた。足はなぜか、今来た方向を戻り始めるように動いていた。僕は、犯罪者が街の中を歩くときはこうなんだろうな、というくらいこそこそした心で歩き続けた。

 僕は、おばあちゃんから貰った‘かきやま’をお供えしたお地蔵さま・お不動さまの祠のある民家の前まで来た。

「ああ・・・」

 今度は声が口をついて出た。

 祠の場所には雪が積もっていた。祠の上に、ではなくて。

 祠があったはずのその場所の上に、雪が積もっていた。事実だけを把握する。

 祠はもう、ない。お地蔵さま・お不動さまももう、そこにはおられない。

 僕は、傘をたたんで新雪の上に置き、手袋を外し、しゃがんだ。本当はそんな挙動をしているのをこの民家やこの近所の人に見られたら嫌がられると思ったけれども、どうなっても構わなかった。僕は、素手で祠があった辺りの雪を、ざざっとどかした。長靴をはいた足でずらすのはいけないような気がしたので。

 コンクリートが雪の隙間から見える。水に濡れていてやや分かりづらくはあるけれども、祠のあった場所のコンクリートは周囲のコンクリートの色と違っていた。汚れておらず、新しいコンクリートがそこに流し込まれたのだと認識できた。

 では、理由は?

 お地蔵さま・お不動さまは、どこかのお寺に移られたのか?それとも・・・?

 僕は、どうなっても構わない、という勢いで、民家の格子戸を叩いて中の人に訊こうとする直前の動作まで至った。けれども、その時、ライトをつけた車が、雪のせいで音静かに背後から通り過ぎて行ったのをきかっけに、気持ちの昂ぶりが凪いだ。

 僕は、雪をよかして濡れたままの手に手袋を着けた。歩き始めた。

 なんだか分からないけれども、右の眼尻に涙が滲んだ。

 そういえば。お母さんも何故だか右目の眼尻に涙を浮かべていたな、と、そんなことを思い出した。

 

その6


 古い木造のおばあちゃんの家が無くなり、お地蔵さま・お不動さまもおられなくなっていたことを、僕は、お父さんとさつきちゃんだけに話した。お母さんには話すことはできなかった。

 さつきちゃんは、僕の話をじっと聞き、俯き加減の目に涙を浮かべているのが、僕にははっきりと分かった。因みに、建設会社に勤めるさつきちゃんのお父さんからさつきちゃんが教えて貰ったところでは、一軒の家を壊してコインパーキングを作る工事には三週間ほどあれば十分なのだそうだ。

 僕のお父さんは、こんなことを言った。

「おばあちゃんの家にあった、仏壇や神棚はどうなったのかな」

 お父さんの言葉はなんだか唐突な感じがしたけれども、確かにそう言われたらそうだ。

 僕は、自分が、祠の辺りの雪をよかすときに、素手でよかしたのを思い出した。

 もちろん、そんなことはないのだろうけれども、おばあちゃんの家が更地になるとき、重機で家の壁や柱と同じに粉砕して、仏壇や神棚もいっしょくたに瓦礫になってしまったのではないか、という錯覚に陥った。

 仮に、工事の前に搬出して、何らかのお祓いのようなことをしたのだとしても、もし、あのおばあちゃんの後に、花や榊を新しくしたり、ごはんやお菓子をお供えして毎朝・毎夕、お参りする人が誰もいなくなってしまったのだとしたら。それは、究極的には重機で粉砕して廃棄するのと同じことではないのだろうかと、恐ろしくなった。

 僕が素直に、怖い、というと、お父さんは、こんな言葉を返してくれた。

「仮に、わたし(お父さん)が、どんなに心から家の神棚や仏壇に向かって、供養したとしても、自分が死んでその後誰もいなければ、とても申し訳ないことだし、せいぜい自分の寿命がくる何十年かの間しかそれができないのは残念なことだ。人間が儚い、というのは、命が短いとか弱いとかいうこととは全く別次元のことのような気もする。それは、決して変わらず存在し続けるものがあるのに、自分はその永遠に存在し続ける‘何か’と一緒に添い遂げることができない、ということだと思う」

 ああ、僕の漠然とした不安は、こういうことだったのかな、と、お父さんの話を聞いて少しそんな気になった。だからと言って、それを取り除く方法は誰も示せないし、僕も考え着くことがないけれども。


 おばあちゃんはどうなったか。お地蔵さま・お不動さまはどこに移られたか。

 どこかの誰かに訊けば、分かることではあるのだろうけれども、訊かないままにしておきたい。自分の心の中で消化・熟成させ、自分の想像が事実とイコールになるような、そんな生き方を少しはしていきたい。


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