第7話 終章
昼過ぎ、日向家の4人が、揃ってうちの玄関に立っている。
昨日の葬儀を終え、お世話になった方々に改めて挨拶に回るのがこの地方の習わしだ。
4人とも、礼服を着て、僕とお母さんが出てくるのを待っていた。
「色々とありがとうございました。葬儀も昨日、滞りなく済ませることができました」
さつきちゃんのお父さんがそう言うと、4人は深々とお辞儀をした。
僕のお母さんは、正座をして手をついてそれに応える。僕も慌てて正座をし、手を着いて頭を下げた。
「ご心痛の中、さぞ、お疲れになられたでしょう・・・」
二言三言互いに遣り取りしたあと、それで・・・と、さつきちゃんのお父さんが切り出した。
「わたしたちは大方、皆さまへのご挨拶も済みました・・・
それで、失礼なお願いとは思うんですが、今日の午後、かおるさんを少しお借りできないでしょうか・・・」
僕は、どう反応していいか分からず、さつきちゃんのお父さんの次の言葉を待った。
「・・・さつきが、少しでいいからどうしてもかおるさんと話がしたい、と言ってるんです。
ご迷惑とは思うのですが、後で家にお越しいただけないでしょうか・・・」
さつきちゃんは、無言で頭を下げた。
僕のお母さんが、言った。
「息子でお役に立てるのでしたら、喜んで・・・
かおる、ご仏前にお線香を上げさせて頂いて来なさい」
それでは、後ほど、と、帰りかけた時、僕のお母さんが、さつきちゃんに声を掛けた。
「さつきさん」
「はい」
さつきちゃんは顔を上げ、お母さんの方を向く。
「・・・・これからも、お料理、頑張って続けていってね・・・・」
さつきちゃんは、少し恥ずかしそうに、
「・・・はい、・・・ありがとうございます・・・」
と、もう一度お辞儀をして、外へ出て行った。
年始には開けられていた襖は閉じられ、仏間には四十九日までの祭壇が設えられていた。
僕はお線香を上げ、手を合わせておばあちゃんを偲んだ。
仏壇の隣に掛けられた、‘そのひと’の掛け軸に目を移す。
さつきちゃんは礼服を着替え、もう普段着姿だった。2人でいる仏間に、‘そのひと’は静かに立っている。
「掛け軸、かけたんだ・・・」
「うん・・・」
僕は、もう一度‘そのひと’に目を移して、涼しげな瞳を見つめる。さつきちゃんが、‘わたしが’と一言言ったので、ぼくはふっと後ろを振り返った。
「わたしが、かけたの・・・おばあちゃんが、見たいんじゃないかな、って、思って」
「うん・・・」
僕は、それ以上、何も言えなかった。
さつきちゃんがおばあちゃんに風邪をうつしたのは、事実だ。それが原因で、おばあちゃんが肺炎になったのも、事実だ。
ものごとは、自分の都合のよいようには、作り変えることはできない。前向きに解釈したとしても、それは、あくまでも解釈であって、事実そのものは変えることはできない。
けれども。
けれども、その事実が原因となって、次に起こる事実の種を頂くことは、できる。
新たな‘縁’をいただくことは、できる。
僕は、お通夜の晩、眠れなかった。
今まで、僕と‘縁’があったひとたちの顔が次々と浮かんだ。
僕のおばあちゃん。さつきちゃんのおばあちゃん。古い木造の家のおばあちゃん。久木田の顔すら、浮かんだ。
久木田との‘縁’が無かったら、僕と太一の親友としての‘縁’も無かったろう。そして、5人組も無かったかもしれない。さつきちゃんとも、きっと、‘縁’が無かっただろう。
そして、僕の眠れない頭の中にはやがて、魚屋の旦那さんが話してくれた、会ったことの無い、僕のおじいちゃんの顔も、もう少しで見えそうな気がした。
そして、なぜか。
なぜか、今、仏間に涼しげに立っている、‘そのひと’との‘縁’も感じずにはいられない。僕は、こんな姿の男になりたい。お父さんも、こんな涼しさで生かしてあげたい。
「さつき」
さつきちゃんのお母さんが、襖の向こうから声をかけた。
「そろそろ寒くなる時間だから、かおるくんを途中まで送ってあげなさい」
僕とさつきちゃんは親水公園を通り抜けて、上流には僕がランニングコースとして渡っていた橋のある、その川の下流の土手まで歩いてきた。
川の向こう岸にあるビルの下の階の方まで、日は傾いてきていた。まだ、河原には雪が残っているけれども、後は溶けていくだけだ。
三月の終わり、冬の空を覆っていた厚い雲のカーテンも取り払われ、きれいな茜色にだんだんと空が染まっていく。
流れている川に、その夕陽が映し出され、二つの夕陽の距離が徐々に縮まっていく。
こちら岸の少し上流の左手にある、市で二番目に大きな総合病院の、西側の窓が、夕陽でオレンジ色に、一斉に輝いている。僕は、誰か、窓から、夕陽を見ているんだろうな、と想像する。
さつきちゃんは、病院の方を向いて、立ち止まった。
「あそこに、おばあちゃんが運ばれたの・・・」
僕も、体を病院の方に向ける。
「おばあちゃんが、亡くなったところ・・・・でも、・・」
僕は、体の向きはそのままに、顔だけさつきちゃんの方に向ける。
「わたしと耕太郎が生まれたところ・・・・」
ほんの、少しだけ、さつきちゃんが笑った。
「僕も、あの病院で生まれたんだよ・・・」
「えっ、ほんと?」
さつきちゃんの声が少し、弾んだ。
「かおるくんは、4月8日生まれでしょ?」
「えっ!何で知ってるの?」
僕は、太一以外には自分の誕生日を話していない。太一がさつきちゃんに言ったのか?
「入学式の日に、日野くんから、‘かおるちゃん、入学式が誕生日なんて、いいねー’って、言われてたでしょ。あ、今日が誕生日の男の子がいるんだな、って思ってた」
そうだったのか。
「だから。その時に、かおるくんの誕生日と、‘かおるくん’っていう名前も覚えたんだよ」
僕は、なんだか、恥ずかしくなって、夕陽に目をやった。
「わたしは5月1日生まれだから、もしかしたらかおるくんが赤ちゃん検診で病院に来た時、新生児室のわたしと会ってたかもしれないね」
さつきちゃんが、はっきりと笑っている。笑顔は、突然に訪れる。ああ、いいな、って、実感する。
「かおるくん」
「うん」
「4月になったら」
「うん」
「掛け軸のご先祖様が祭られている、かおるくんが毎朝お参りしてるあの神社に」
「うん、うん」
「桜を見に行こうよ」
この市の桜は、暖冬の後でも雪の多い冬の後でも、4月にならないと咲かない。
僕は、さつきちゃんに向かって、こう言った。
「耕太郎も連れて、6人で、ね」
さつきちゃんとの‘縁’がずっと長い年月を共に歩むものなのか、どこか途中で別々の道を歩むものなのかは分からない。けれども、今、こうして‘縁’があった、ということで十分だと思う。その後に、また、次の代、次の代と‘縁’はいただける。じたばたしない、と思った。
‘6人で’という僕の答えに、さつきちゃんがちょっと残念そうな顔をしたと感じたのは僕の思い過ごしだろうか。
そのさつきちゃんは、なぜか夕陽とは反対の方向を見上げて、
「あ」
と声を上げた。
さつきちゃんはあまりにも眩い夕陽の逆光を浴びて、真っ黒なシルエットになっている。その影となったさつきちゃんの表情が全く分からないまま、僕もさつきちゃんが見ているであろう同じ方向を見上げてみる。
「あ」
僕も全く同じ声を上げてしまった。
夕陽と全く同じ高さの反対方向に、有明の月があった。
月末近く。かなり欠けてしまっているけれども、夕焼けとは反対の方向の、まだ青い空に、白く、はっきりと、かがやいている。
そして、面白いことに、たった十秒で、夕陽が少し下がった分だけ、月が空に昇って行くのが分かる。
僕たちはその入れ替わらないシーソーのように夕陽が沈み月が昇る様子の面白さと、夕陽と月の美しさとで、ひょこひょこと、何度も何度も首を振り返り振り返り、おひさまと、おつきさまを見比べた。
日があるから、月は輝き。月が輝くから、夜が漆黒の闇になることはない。たとえ、新月の夜でも、月は必ず、そこにある。
そして、月がそこにあり、ひかりを放つということは、日が沈んだ後も、日が必ず月の向かいに存在し、かがやき続けていることの証拠に他ならない。
もうすぐ、僕たちの、高校2年生の春が始まる。
月影のいたらぬ里はなけれども
ながむる人の心にぞ住む
おしまい
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