いちばんになれない(スオウとソラト)

 昼下がり。仕事を終えて愛馬ホムラを厩舎に帰したスオウは、広場の隅で熱心に翼獣の毛づくろいに励む年上の幼馴染みを目に止めた。一仕事終えたあとだろうに昼食も後回しにして、時折ティエンに話しかけはすれど手を止める様子はない。

 いつもと変わらぬ真面目くさった面持ちを、スオウはふいに崩してやりたい気持ちに駆られた。

「ソラトってさあ」

「なんだ?」

 気配には気づいていたのだろう、ソラトは驚く様子もなく背中を向けたまま返事をする。その態度がどうにもどこか余裕ぶっても見えて、腹の底で苛立ちめいた感情がちりとはぜた。

 さて、どうしたものかとしばし黙考して記憶をたどる。この幼馴染は鈍感かつなかなかに図太いところがあるので、動揺させるのは意外と難しい。

 唐突な内容でいい。今まで触れていないので何かあっただろうか——と、考え、脳裏に浮かんだのは一人の顔だった。「これだ」と思うものを手繰り寄せ、スオウはそっと口角を引き上げる。

「結構長いことマトイ姉ちゃんのこと好きやったよな」

 ぼと。ソラトの手から抜け落ちた刷子が、間抜けな音を立てて地面に落ちる。

 ぎこちない動作でこちらを見たソラトの表情は、感情が抜け落ちていてなかなかに間抜けだった。蒼白というのは大げさだが、明らかに動揺している類の無表情だ。

「ばれとらんと思っとった?」

 渋面を作るソラトの思い通りの反応に、吹き出すのを必死でこらえながら、

「そういえば、」

 あくまでも、自然な体を装って。

「ハフリちゃんとマトイ姉ちゃんってなんとなく似とるかも? 大人しそうに見えて結構打たれ強いところとか、あと」

 胸が大きいところとか、と言いかけて口をつぐんだのは、自制心が働いたからであり——ソラトが眉間のしわを解いてきょとんとした顔をしたからでもあった。

 予想では、ソラトは気まずそうな顔をしてだんまりを決め込むか、赤面してたどたどしく否定をするかのどちらかだったのだが。

(なんやその、『考えもしてなかった』って顔——)

「似てないよ」

 ソラトが迷いなく口にした言葉には、棘も焦りもなかった。

「ハフリとマトイさんは、全然違う」

 何を思い出したのか、ふっと無防備に苦笑する。やわらかい表情を目にした瞬間、スオウは頭皮に爪を立てて髪をかき乱したい衝動に駆られた。

(本ッ当にさぁ…)

 胸の奥の暗い穴。腹の底でくすぶる火。渇きにも似た苛立ち。

 この幼馴染みの愚直とも言える素直さとどうしようもない鈍感さは、スオウのなかの汚いものを露わにする。

 引き出したかったのはソラトの中の汚いものであったはずなのに。それを見て、内心笑って、安心したかったというのに。

 黙り込んだスオウに、ソラトが立ち上がって歩み寄る。

「スオウ?」

 拒むように一歩退いた。

「……ようゆーわ」

「?」

「胸のデカイ女が好きなん知っとるからな!!」

「な……?!」

 一瞬にして沸騰するかのごとく耳の先まで真っ赤に染めたソラトを見てわずかに胸がすく。

「ったく、突然なんなんだ。言いたい放題言うけどな、お前だって——」

「ざんねん、オレは胸より腰と足派」

「な、」

 反撃を試みるソラトを一笑に付す。口下手な幼馴染は、口喧嘩でスオウに勝てたことがない。口喧嘩と弓の腕前だけは、負ける気がしない。

(ほんまその二つだけ、やけどな)

 背を向ける。「スオウ」と。どうした、と問いたげな呼び声は無視した。変なところだけ聡い、と舌打ちをこらえて、足早に去る。きっと自分は今、誰にも見られたくない顔をしている、と思う。

(わかってる。オレは、こんなだから。だから……『いちばん』になれない)

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