たびだちのまえ(ソラト視点・本編前)

 祖父は、齢六十をこえても隙あらば馬と姿をくらませ、数日後に若衆でも手に余りそうな獣を手土産にひょっこりと帰ってくる、孫の目から見ても豪気で、愉快な老爺であった。

 反してその息子である父はどちらかといえば寡黙なひとで、けして嫌っていたわけではないけれど、幼心ながらに取っつきにくくもあり。気づけばソラトはいつだって、祖父のあとをついて回っていた。

「じじさま、おじじさま」

 愛馬に荷をくくる祖父の服裾を引くと、祖父はソラトとそれと同じ、虎目石色の瞳をこちらに向けた。祖父は強面ではあるのだけれど、ソラトに向けるまなざしはいつだってやわらかく、やさしい。

「おれもついてゆく」

「おう、いいぞ」

 いしし、といたずらを企む少年のように祖父が笑う。祖父がソラトの言葉に首を横にふることはほとんどない。「初孫を甘やかしすぎだ」とは祖母の言である。


  *


「笛はどうだ。上達したか」

 祖父に後ろから抱きかかえられるようにして馬に揺られていたソラトは、投げかけられた問いに顔をしかめた。

「むつかしい」

 七つの誕生日の祝いにと、祖父とともに笛をつくったのは先日のことだ。毎日吹いてはいるのだけれど、笛は未だ、突飛で間の抜けた音を立てるだけだった。

「そうだろう、笛は難しい」

「じじさま。笛、おしえてよ」

「教えて吹けるようになるもんじゃない」  

 祖父はソラトに甘い。けれどこれだけは、どれだけ乞うても首を縦に振らない。

 祖父の笛の音が好きだ。力強くて伸びやかで、どこかあたたかい。あんな風に吹けたら楽しいだろうにと思う。

 はやくうまくなりたい。先日ツムギやスオウに「へたくそ」と馬鹿にされたばかりだ。ソラトは周りの子ども達と比べるとどうにも不器用で、できることよりできないことの方が多い。

 むう、と頬を膨らませると、空いた手で頭を乱暴に撫でられる。

「まあ、頑張れ。笛ができるにこしたことはない。なんてったって女にもてる」

「……じじさまはすけこましだって、ばばさまが言ってた」

 祖父の呵呵とした笑い声が草原に響く。

「何を言う。じじはばばさま一筋だぞ」

 祖父が晴れ渡った碧天を見上げ、眩しげに目を細めた。空のあおがいつになく立体みを帯びて、果てなきものをソラトに示す。

「たのしみだなあ」

 祖父の言葉に首をかしげる。

「なにが?」

「お前が大きくなっていくことが」

 太陽のひかりと風が、踊る。


   *


 笛を口許からはなし、盛られた土と石に向かってソラトはつとめて、わらう。

「じじさま、いってくるよ」

 踵を返し空を仰ぐと、重苦しい灰色の雲がそこにある。それしか、ない。

 目を伏せ、祖父の声を反芻する。たのしみだなあ、と。果てのない、えいえんにつづく世界をあいするように紡がれたことばを、自分の添え木にする。

「……どうにかして、みせるから」

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