番外小話(随時更新)
ハルハとハフリ(二章3前後)
すとんと眠りに落ちた瞬間、ハルハはいつも灰色の世界の中にいる。灰色の草原、灰色の空。山の噴火で空が閉ざされ幾月か経った頃から、ハルハはこの夢を見るようになった。
灰色の草原にぽつんと立ち尽くしながら、ハルハはぎゅうっと目を閉じ眉根を寄せて――思い出そうとする。空の色草の色光の色。それらは灰色の雲に覆われたハルハのずぅっと奥にあって、どんなに力んでも浮かび上がってはこない。灰色の夢は終わらない。冷たい風がぴゅうっと吹いて、身体が内側から震える。思わずがくんと膝が折れて、そのまま地面に座り込む。
このままなんの色も思い出せないまま、ただうずくまって震えるしかないのだろうか。村もいつか、こんな景色になってしまうのではないか。
ふいに目の前にとあるものが現れた。木で作られた小さな笛と、革で作られた手袋——数日前のハルハの誕生日に、父と母がくれたものだった。反射的に手に取って、手袋をつける。じんわりと温かくなる。すこしだけ、嬉しくなる。
けれども。我がままだとわかっているけれども。
ハルハが欲しいのは、もっと他のものなのだ。
なにが欲しいと言われたら、ハルハは一番、空が欲しい。爪の先程の大きさで構わない。あのあおを見たい。見たい見たい見たい。そうしたら、夢は灰色ではなくなるから。この例えようのない怖い思いをしなくて良いから。
それを一度だけ、母に伝えたことがある。母は一瞬驚いたような顔をして――そのあと、ひどくさびしそうに笑った。そうね、ハルハ。それはおてんとうさまにお願いしなきゃね、と言いながら。
いつも明るくやさしい母が、あんなにも壊れそうな顔をしたことにハルハはとても驚いて、怖くなって。それ以来だれにも空が見たいなんて言っていなかった。ただ、眠るとき、起きるとき、密かに空を見ながら願うのだ。
おてんとうさま、おてんとうさま。少しだけでも良いから、空を見せてくださいと。
けれどその願いはかなえられることなく。夢から覚め、また夢に落ち。それを繰り返して何日かが経った。
それはとある日のこと。
ハルハは灰色の世界の中で、大きな羽音を聞いた。その音に導かれるかのように、はっと目が覚めて飛び起きる。父と母がいない。幕家から飛び出す。すると、そこにいたのは。
父と母と。久方ぶりに見る人物――兄だった。目が合うといたずらっぽく微笑む。「おいで。おいでハルハ」と呼ばれる。おかえりなさいと咄嗟に伝えると「ただいま」と返された。
ちょっと待ってて、と兄が父と母に伝えて、大幕家の方に向かっていった。なにがあったの? と母に問うと、母は少し考え込んでからいった。あのねハルハ、ひとり家族が増えるのよ。ハルハにとってはお姉さんになるわね。
一体何のことだか、起きたばかりの頭には理解できずに、ハルハはただ首を傾げた。あたらしいかぞく。おねえさん。言葉だけが耳を通り抜けていく。
すると、兄が呼ぶ声が聞こえた。父母についてゆくと、そこには兄と、もうひとり。
あ、と声が漏れた。
それはおんなのひとだった。自分よりはずっと年上で、兄よりは少し年下のように見える。ぶかぶかの外套を羽織っていて、裾から白い足が二本のぞいていた。下裾着を履いていないのだ。こんなにも寒いのに。ああ——このひとは『外』の人なのだ。
母が嬉しそうにそのひとに駆け寄り、父が続く。母があまりに早口で何かを言うものだから、そのひとはずいぶんと戸惑っているようだった。すると今度は兄が焦り始めて――そのひとが一瞬ひとりになる。
無意識に、外套の裾を掴み、引いていた。そのひとは、ハルハと目を合わせるように屈んでくれる。ふわりと、細い髪が揺れる。その色は――金。淡くも温かい、光の色。
とくんと、ハルハの中の何かがはねる。
さらにその前髪の奥にあるのは、緑の色の瞳だった。空に向かって枝を伸ばし、青々と茂る木々の色。
きれい、と思わず声が漏れた。そのひとは、恥ずかしげに笑う。
あのね、と言葉を紡いだ。
「ぼく、ハルハ。ついこの前ね、ろくさいになったんだよ」
そうなんだ、とそのひとは優しく言って、ハルハの髪をなでた。そのとき――「フゥ」と胸元から風のようなさえずりがして。
「とりさん?」
「フゥっていうの」
「フゥ」
そこにあったのは、ハルハが一番欲しかった色だった。
「きれい。空のいろだ!」
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