新宿@side W/猫に鈴
シーナには何度電話をかけてみても、一向に連絡がつかなかった。そうこうするうちに、晶良のスマートフォンの電池はもう限界を迎えていた。
「――一度、部屋に戻るか……」
晶良はタップに繋いでおいたモバイルバッテリーを思い浮かべる。
遊鳴荘の玄関を開けて、勢いよく二階へと上がると、突然、共用ダイニングの方から声をかけられた。
「あんた。何処ほっつき歩いてたのよ?」
ふてくされた様子のシーナがソファに寝転んでいた。
「うわっ! シーナっ!? 何度も電話したのに、なんだってこんなとこに……」
「そっちこそ。せっかく来てあげたの、にっ、」
言いながらシーナがソファから跳ね起きると、『電気の武者』のジャケットTシャツがめくれて、一瞬、滑らかなお腹が見える。
「――今日はどうやって入ったのさ?」
共用玄関は確かに施錠されていた。
「さっきまで、たっちんがいたのよ。ユージくんと約束があるって出ていったけど」
無断侵入を疑われて少し不満そうに答えると、シーナは急にもじもじとしはじめた。
「――で、あ、あのさ。あんたに頼みがあって来たんだけど……」
「頼み?」
「そっ。あ、あんたが言うからさ、瑠璃に連絡して、こ、今度、実家に行くことにしたわ」
照れくささに耐え切れなくなって、シーナの視線がふらふらと泳ぐ。
「ホント!? ついに向き合う気になったんだな!? きっと、ボタンの掛け違いだからさ、きちんと話をすれば大丈夫だよ」
シーナが素直に自分の忠告を受け入れたことに晶良は驚いていた。また、同時に、この不器用な女の子が家族と和解できることを願った。
「でさ……あんたも一緒に……来てくんない?」
シーナは視線を逸らしながら、モゴモゴと呟く。
「えっ!? 俺っ? なんで?」
予想だにしなかったシーナの頼みに、晶良は思わず訊き返してしまう。
「いや、やっぱり、言い出しっぺには見届ける義務があるっていうか、焚き付けたんだから責任取れっていうか、死なばもろともっていうか……」
「最後の方はなんだかアレな感じだけど、要するにビビってんだろ……?」
晶良にそう指摘をされるとカチンときたようで、シーナの猫目が大きく見開かれる。
「えぇ、そうよ。ビビってるわよ、悪いっ!?」
顔を紅潮させながら開き直ってみせるシーナ。
「はははっ、いや、悪くないよ。そうやって弱いところを素直に見せられないシーナが――」
――そうか。あぁ、そうなんだな。
晶良はふっと独りで小さく笑う。
「……あ、あたしが……あたしが何なの……?」
シーナが不安と期待の入り交じった瞳で晶良を凝視する。
頬を朱に染めて、落ち着かなげに答えを待っているシーナの姿は、とてもいじらしく、晶良の胸を名状しがたい多幸感で満たした。
この感じは手放してはいけない。そのために、どうしなければいけないのかは……わかっている。
「俺は……シーナのことが……」
「――ことが……?」
シーナが身を乗り出して、胸の前で掌を強く握り締める。
ガタンッ!
その時、階段の方から大きな物音が響いてきた。不審に思った二人が階段を覗き込むと、
「ち、違うんだ、アッキー! ユージのやつが、面白いことがはじまるから戻ろうって言うからさ……」
辰生が階段を踏み外したらしく、妙な体勢で固まっていた。
「よう、アッキー。邪魔しちゃったかな。全部辰生が悪い。ねぇ? 燈子ちゃん」
「もぉー、バレちゃったじゃないですかぁ。だから、かおるんを前にしようって言ったんですよぉ」
「アッキーさん、ごめんなさい……」
四人が階段の中腹で団子状態になっていた。
「みんな何してんですか、って、仙波、さっき帰ったんじゃないの!? 薫ちゃんまで!?」
団子の中に燈子と薫を認めて、晶良が驚いて尋ねる。
「えへっ。そこで、かおるんにばったり出くわしちゃって。そしたら、やっぱり晶良くんを一回ぶっ飛ばしておこうって話しになって……」
燈子が悪びれた様子もなく答えていると、途中から薫が引き継いだ。
「で、ここまで来たら、たっちんさんとユージさんが、玄関でこそこそやってたんで、ちょっと混ざってみました」
あははっと笑う薫は、なんだか楽しげだった。
すると、晶良の隣で肩を震わせていたシーナが、おもむろに口を開いた。
「みんなで見世物にしてたってわけね……。意図して見せるのは好きだけど、勝手に見られるのはムカつくのよね……」
シーナのこめかみには青筋が浮かんでいた。それに気付いた辰生が
すると、シーナが大きく脚を上げて、勢いよく辰生の頭へ
「あっ!? やばっ」
辰生が掴まえようと手を伸ばすと、
「うわぁぁぁっ!?」
踵落としが不発に終わったシーナが、バランスを崩して階段から脚を滑らせる。前のめりになるシーナの手首を晶良がどうにか掴むが、勢いに引っ張られて、一緒に辰生を目がけて落ちていく。危険を感じたユージが、咄嗟に振り返って燈子と薫を庇おうとするが、既に間に合わず、全員が雪崩のように階段を土間へと転がり落ちた。
「いてて……大丈夫か、みんな?」
ユージが尋ねると、それぞれが返事や文句を口にしながら反応を見せた。
「ったく、シーナもよく考えてからやれよな……」
晶良が腕を擦りながらシーナを見やる。
「は、反省してるわよ……」
むくれながらシーナは、ぼそっと洩らすと、胸の前で付き合わせた指をぐにぐにと絡ませる。すると、
「いえ、無茶苦茶なところがシーナさんの魅力ですからっ!」
横にいた薫がシーナに思いきり抱きついた。
「あのぉ……ユージさん? もう大丈夫なんで、脚を擦ってもらわなくても平気ですよぉ?」
「おっと、燈子ちゃんの美しいおみ足に、何かあってはと、つい心配で」
「ユージっ! どさくさに紛れてなにやってんだよ!? 羨ましいじゃねーか!」
「たっちんさん、本音が駄々漏れです」
シーナに頬擦りしていた薫が、その動きをピタリと止めて冷静につっこむ。
「い、いや、別に本音とかじゃなくて……そうだ、アッキー。さっき、途中だったろ? 続き、続きっ!」
言い逃れが苦しくなってきた辰生が、話題をすり替えにかかる。
「そうです、アッキーさんっ! そこんとこハッキリ聞かないとっ!」
「そうだよ、晶良くんっ!」
すると、それまで全員の様子を黙って見ていた晶良が突然、笑いはじめた。
「――ははははっ」
土間に座り込んだまま、晶良は笑い続ける。
「おい、アッキー。大丈夫か?」
辰生が不審に思って問いかけると、
「いや、大丈夫ですよ。俺、今が最高に楽しいと思って」
笑い過ぎて涙が滲んだ目元を擦りながら、晶良が答えた。
どこかで鈍い震動音が響く。
「そりゃ、お前は楽しいだろうよ。だから、多少は俺らに娯楽を提供してくれてもバチは当たらないだろ? さっ、続きをどーんと」
辰生が手を差し出して、晶良を立ち上がらせる。
響く震動音に音楽が連動しはじめる。
階段途中に転がった、辰生のスマートフォンだった。グルーヴィなベースラインが流れはじめる。
「アッキーさんっ!?」
「晶良くんっ!?」
「んじゃ、シーナちゃんの方から訊いちゃえよ、ほらっ」
ユージが腕を引いてシーナを立たせると、その背中を軽く押した。
促されたシーナは晶良の正面に進み出ると、耳まで真っ赤にしながら、もじもじと切り出した。
「――で、あたしのことが……なんなの?」
「――『I Can't Turn You Loose』 だ」
「えっ? あぁ、この曲ね」
辰生のスマートフォンから、ソウルフルなオーティス・レディングの歌声が響いてくる。
「何を歌ってるか知ってる?」
シーナがそう言って意味ありげに微笑む。
すると、晶良はわざとらしく肩を竦めてみせた。
「――さあね」
――『愛するおまえを離さない』――
それは、そんなソウルの古いラブソングだった。
〈了〉
熊猫パンチドランカー 藍澤ユキ @a_yuki
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