ファイティング中央パーク/バベルの都庁

 ※ ※ ※


 たとえ望まなくとも、変わらずにはいられない。

 あなたも、わたしも。

 そのままではいられないのだ。どんなに強く願ったとしても。

 そして、いつかは忘れてしまう。

 なにを願ったのかも。


 ※ ※ ※


 日曜日、新宿中央公園ではバザーが行われていて、いつもよりも多くの人で賑わっていた。そんな賑やかな公園を、陰鬱な面持ちの晶良が俯いたまま通り抜けようとしていると、聴き覚えのある声に呼び止められた。

「晶良くんっ!」

「――せ、仙波!?」

「こんにちは。今日はいい天気だね」

 燈子が青空を眩しそうに見上げながら、ゆっくりと近づいてくる。

「なんで、ここに?」

 なんとなく警戒心が働いて、晶良は身構えてしまう。

「バザーに来たの。ってのはウソで、晶良くんの部屋へ行くところだったの。よかった、途中で会えて」

 にこっと微笑む燈子の眼は、口元ほどには笑っていなかった。

「連絡してくれればいいのに」

「連絡したら晶良くん、逃げそうなんだもん」

 燈子が小さく笑い声をたてる。

「んで、何の用なの? 俺、行くとこあるんだけど」

 そうは言ってみたものの、南口の楽器店にギターの弦を買いに行くだけだったので、大した用事でもなかった。

「冷たいなぁ、晶良くん。かおるんとうまくいかなくて、落ち込んでるんじゃないかと思ったから、慰めに来てあげたのに」

 燈子が意地の悪そうな笑みを浮かべる。

「なっ!? 仙波、何か知ってるのか!?」

 不意打ちを喰らった晶良は動揺を隠せなかった。

「ううん。知らない。でも、晶良くんのことは知ってる」

「えっ?」

「晶良くんのことだから、好きだって言われて、かおるんのことを受け入れそうになったんじゃない?」

 自信ありげに燈子が問いかける。

「……」

 燈子に言い当てられて、晶良は言い返すことができなかった。

「やっぱり。だって、晶良くんは意思薄弱の優柔不断くんだもんね。好きだなんて言われたら、相手のことが好きになっちゃうでしょ? 優しくしちゃったんでしょ? でもね、それって優しさじゃないよ」

 徐々に燈子の声に鋭さが混じる。

「優しさってね、強さなんだよ。時には自分の心が痛んでも決めなきゃいけないの。優柔不断はただの弱さ。流されるのなんて、もう、ぜんぜん違う。それを優しさと混同しちゃダメなの。だから、晶良くんのは優しさじゃない」

 まったくなっていない、とばかりに、燈子が首をゆるゆると左右に振る。

「――じゃあ、どうしろって言うんだよ?」

 燈子に痛いところを指摘をされて、不愉快そうに晶良が言い返す。

「晶良くんだって、ホントはわかってるんじゃないの? ってか、みんながわかってる。わかってないのは本人だけなのかな? まぁ、自分のことって結構わからないもんねぇ」

 決定的な何かが明るみに晒されるような、そんな直感に晶良が声を低める。

「なんのことだよ」

 すると、燈子は晶良をまっすぐに捉えながら、じとっと醒めた目を向けてくる。

「――知ってた? 晶良くんはいつもシーナちゃんを見てるよ」

 そして、面白くなさそうに燈子がたたみ掛ける。

「かおるんだって、それ、ちゃんと知ってるんだよ。なのに優しくなんてして……残酷だと思わない? そんな簡単に、誰にでも優しくなんてしないでよっ!」

 燈子は声を震わせながら語気を荒らげると、その先を、かすれるような押し殺した声で続けた。

「――わたしねぇ、晶良くんがわたしのこと、どう思ってるか知ってるよ。晶良くんはねぇ、わたしがからかってたと思ってるでしょ? ふざけてキスしたと思ってるでしょ? でもね、それって違うよ。先に勘違いしちゃったのは、わたしなの。晶良くん……誰にでも優しいのにさ、わたしにだけ優しいのかと思っちゃったんだよね」

 晶良を見つめてくるその瞳は、憂いに揺らいでいた。 

「――仙波……」

「ホント、バカみたいだよね。まぁ、昔の話だけど。でも、晶良くんは今でもそれをやってた――」

 そして、燈子は深く息を吸い込んだ。


「――ムカつくんだよっ! この優柔不断野郎っ!」


 燈子が声を張り上げると、何人かの通行人が視線を向けてきた。しかし、一瞥すると、すぐに興味を失ったように行ってしまう。


「……ごめん」

 思わず視線を逸らした晶良が、ぽつりと洩らすと、間髪入れずに燈子が被せてくる。

「謝んないでよ。なんかわたしが負けたみたいじゃん」

「いや……そういうつもりじゃ……」

 晶良は言うべき言葉を持ち合わせていなかった。

「シーナちゃんにもフラれたらさ、」

 燈子の声が平素の柔らかい、甘えたようなものに戻る。

「フラれてぼろぼろになったらさ、その時は、わたしが付き合ってあげる。そして、惨めな晶良くんを大笑いしてあげる」

 そう言うと、燈子は今までに見せたことのない、完璧な笑顔をしてみせた。しかし、その表情は、誰をも惹きつけるほどに柔らかく魅力的なものなのに、どこか寂しげな色が透けていた。

「じゃあね、今日はもう帰るね」

 燈子はくるりと踵を返すと、そのまま一度も振り返ることなく行ってしまった。

 独り取り残された晶良の胸中には、様々な想いが入り乱れていた。燈子を傷付けていながら、今まで気が付かなかったこと。良かれと思って取った行動が、薫を更に悲しませていたであろうこと。そうした事実を、指摘されなければわからなかったこと。そして、シーナのこと……。

 まずは、薫と話をしなければならない。晶良はスマートフォンを取り出すと薫の番号を呼び出した。


「都庁の展望室に行きませんか?」

 連絡をした時には渋谷にいたという薫は、新宿までやって来ると晶良にそう言った。

 都庁の展望室へ上がると、一面の大きな窓から差し込む光と、開けた眺望が二人を迎えた。

「晴れてるから、すごい遠くまで見えますね」

 薫は窓まで走り寄ると感嘆の声を上げた。

「俺、初めて来たよ」

 密集した建物が、どこまでも連なる光景は非日常的だった。

「わたしは前に来たことあります。あっ、ほら、あの辺りが遊鳴荘ですよ」

 そう言って薫は下の方を指差した。

「この街で、みんな暮らしているんですね……」

 景色を眺めたまま、薫は眼を少しだけ細めて呟く。

 そんな薫の背中に向けて、晶良は話し始めた。

「薫ちゃん。俺、謝らないと……。薫ちゃんがどういう想いでいたか、全然わかってなかった。わかってもいないくせに、あんな風に言うべきじゃなかった。無神経だったよ……ごめん」

 窓から下界を眺めたまま、薫が振り返らずに応じる。

「そんなことないですよ。わたしも、わかっていてやったことですから……。アッキーさんが思っている以上に利己的ですよ、わたし」

 薫は少し顔をあげると、窓ガラスに映った晶良の姿をちらりと見やった。

「いや、でも……」

 晶良が言葉に詰まると、薫が先に口を開いた。

「――わたしはシーナさんになりたかった。シーナさんと同じ世界を見ることができれば、あんなかっこいい女の子に、自分もなれると信じていたんです。……おかしいですよね?」

 ゆっくりと晶良の方へ向き直ると、薫は自嘲するようにシニカルな笑みを浮かべた。

「だからシーナさんのことを、二人のことを、ずっと見ていました。そうしたら、いつの間にか、わたしもシーナさんと同じ気持ちでアッキーさんを見ていることに気が付きました。でも、アッキーさんが見ていたのはシーナさんで、わたしじゃなかった。やっぱり、わたしはシーナさんにはなれませんでした」

 そこで一旦区切ると、薫は視線を少し落として続けた。

「シーナさんと同じ世界を見ても、わたしは、わたしでしかなかった。何者にもなれなかった。でも、もう止められなかったんです。全部わかっていたのに……誰が傷付くことになっても、たとえそれがわたし自身であっても、もう止められなかった……そういうことなんです」

 そこまで一気に話すと、薫はまた自嘲的に口元を歪める。

「――自分だけ傷付いたような顔しておいて、けっこう利己的だと思いませんか、わたし。謝って損しちゃいましたね、アッキーさん」

「――いや、薫ちゃんをもっと知ることができたよ。だから尚更……ごめん」

 晶良は真っ直ぐに薫の眼を見つめた。

「そんなのやめてくださいよ、なんだか惨めな気持ちになります」

 薫が逃げるように少しだけ視線を逸らす。

「――行くんですか、シーナさんのところに?」

「――そのつもりだよ」

 その瞬間、晶良の胸に鋭利な痛みがチクリと刺さる。

「そうだとわかったら、なんだか欲が出てきちゃいました……」

 それは、ほんの一瞬の出来事だった。すっと薫の手が晶良の両頬に添えられたかと思うと、柔らかくて温かい感触が晶良の唇を覆う。近すぎて焦点が合わない。晶良が身じろぎひとつできずにいると、薫は重なった唇を小さく動かして、晶良の下唇を軽くついばんだ。そして、ゆっくりと離れていく。

「先に行ってください。わたしは、もう少しここにいますから」

 薄っすらと頬を染めた薫が、上目づかいに晶良を見上げて微笑む。

「……薫ちゃん」

「シーナさん、暇してると思いますよ。さっきわたしがドタキャンしたんで」

 そう言って薫は笑うと、晶良の背中に手を当てて、ちょうどやって来たエレベーターへと晶良を押しやった。

「行ってらっしゃい」

「あぁ、確かめてくるよ……」

 晶良がエレベーターに乗ると、扉は音もなく閉まる。展望室に独り残った薫は、エレベーターの前に立ったまま、閉じられた扉をいつまでも見つめていた。

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