仲間の覚悟、ミアの覚悟

 自己紹介が終わり、各人はバラバラに散っていった。

「じゃあ、あたしは行ってくる。君は隊長レグセーの言うことをちゃんと聞くんだよ」

 スフォーセネさんはそう言い残して古びた地下道の奥へと消えていった。

「リアサターセ、スフォーセネはどこに行ったの?」

「他の角層棟基ネピンタフさ。彼女はこれから仕事をするんだ。君には別の仕事をしてもらう」

 リアサターセさんは部屋の奥へと視線を向けた。そこには別の部屋に通じた出入口があり、そこからこちらを覗き込む者がいた。

≪わあ〜、小さなセサ人だ≫

 ミアの思ったことが伝わってきた。体躯たいくの大小は個人差か性差、そうでなければ大人と子どもの差のはずだ。ただし極僅ごくわずかに役割の違い(例えば蜂や蟻のような)で大きさの違う知的生物ナーサイムルートもいるらしいが。そのセサ人はリアサターセさんに呼ばれてこちらに来た。

「あなたはどうして小さいの?」

 リアサターセさんが慌てた。

「プミアィエニ、そういう質問は失礼だよ」

「えっ? ……ごめんなさい」

 風船がしぼむようなミアの落胆と、申し訳ない気持ちが伝わる。俺が生きていた時に直接見たミアは、口調が朴訥ぼくとつとしていたので感情の変化は少ないと思っていた。でもレナンを内側から見れば本当に感情が豊かだ。悪気がないのに気配りが苦手なのは世間知らずだからか?

「あたしは子どもだから小さいんよ」

 その人が答えた。大人のセサ人よりも声が高く、幼さを感じさせるような音の柔らかさがあった。口調から気にしていないように感じた。セサ人の感情表現はまだ把握できていないけど。

「あたしリプ。セサ人よ。あんたは貴種天人リイェイッカの子どもでしょ?」

「うん」

「男の子?」

「女の子」

 ミアが答えた。セサ人から見れば貴種天人リイェイッカの性別は分かりにくいのか。俺から見たセサ人の性別が分かりにくいように。

「じゃあ、あたしと同じだ」

 リプと名乗った少女はミアに近付いてきた。嬉しそうだ。その好意はミアにも分かるようで、ミアのレナンに喜びが拡がる。リアサターセさんが言った。

「プミアィエニはリプと一緒に仕事をしてもらいたい。リプ、彼女に仕事を教えてやってくれないか?」

「分かった。プミアィエニ、付いてきて」

 ミアはリプに付いていく。やがて少し大きめの部屋に着いた。リプの説明ではここは食糧倉庫だそうだ。

「プミアィエニって長い名前ニンね。貴種天人リイェイッカ名前ニンって、みんな呼びにくいよ。ねえ、セサ人みたいに『ミア』って呼んでいい?」

 知畜使具ゼレスィツヴォカ貴種天人語リイェイッカケムトを話すことを強要され、彼等の本来の言語ケムトは人名など一部の単語を除いて消滅している。セサ人の単語は短いものが多いのだけど、まさかここで『ミア』の単語が出るとは思わなかった。

「『ミア』ってなあに? わたしはプミアィエニよ」

 貴種天人リイェイッカには渾名ニックネームという文化がない。特に名前ニンを短縮されるのを嫌う。

「もしかして嫌だった?」

「ううん」

 だけどミアは単に疑問に思っただけだった。

「じゃあ決まり! プミアィエニはこれから『ミア』よ。貴種天人リイェイッカのお友達なんて初めてだから、あたし嬉しいな」

「『ミア』……」

 ミアは本来の名前ニン以外で呼ばれたことに戸惑い、そしてその不思議な感覚に喜んでいた。俺と家族も偶然『ミア』と呼んだけど、その時も嬉しそうだったな。過去に何かあったのか?

「お友達……」

 ミアは嬉しそうだ。

「それじゃあ、リプのことは何て呼ぶの?」

「リプはリプよ」

「他に呼び方はないの?」

「うん」

「そうなんだ」

 リプを本名メイニン以外で呼べないことにミアは不満のようだ。

「じゃあ、これを見て」

 リプが早速、仕事について説明を始めたので、ミアは気を取り直して話を聞いた。


    ♦ ♦ ♦


 仕事の合間の休憩中になり、ミア/俺は広間で景映面メプネーンを眺めていた。

 ミアとリプの仕事は仲間たちの食事の準備だ。準結晶器ミエニキアーファのあるミアはすぐに仕事を学習し、平穏な日々が過ぎていった。

 今はウアンターレ人のソポイトさんが射剱フーイメアで仕事をしている。使用しているのは射剱・第三型フーイメア・ユースレイ灰色雫デールポリン』。俺が死ぬ前にテレビで見たのと同じ機種だ。表面に塗装されたデザインだけが違う。

 様々な種族スネプスィ知畜使具ゼレスィツヴォカとして支配されている現状がいかに理不尽かを理解してもらおうと、映像などのメッセージが入った情報録片ネスンティカ情報媒体メディアコンテンツ)を散布するのがソポイトさんの仕事。要はビラ配りだ。戦団ダーナーにこちらの基地が発見されるのを防ぐため、灰色雫デールポリン操作者サジェクーは基地から離れて仕事をする。基地とは連絡を取らない。だから万が一、遠隔操作の電波を逆探知されて操作者サジェクーの所在地が戦団ダーナーに発見されても、基地が突き止められないようになっていた。

 灰色雫デールポリンは民間でも使用しているような飛行機械ではなく、軍用の『武器』らしい。簡単に入手できる代物じゃないけど、リアサターセさんは元はただの貴族イユーセじゃなくて『二重の[Ⅻ]一/二〇〇ヴェネクタイ・ソウヒューラウルタ』だったから、過去に一族の護衛として灰色雫デールポリンを所有する許可を得ていて、それをここで使用しているそうだ。

 ミア/俺はリアサターセさんの準結晶器ミエニキアーファを見せてもらったことがある。ミアの準結晶器ミエニキアーファは無色透明で混じり気のない純粋な射光石グラシャール水晶クオーツ)だけど、リアサターセさんのは透明な射光石グラシャールの中に金色チロスの繊細な曲線が何本も入っている。この鉱物は金ではなく『金繊石ミュース』(地球名では金紅石ルチル)という鉱物で、これを含む射光石グラシャールは『金流水チロウイム』(金紅石入水晶ルチルクオーツ)と呼ばれる。

 貴種天人リイェイッカで八万人に一人しかいない『二重の[Ⅻ]一/二〇〇ヴェネクタイ・ソウヒューラウルタ』とは言え聖帝崇国アーナサイデク全体で二四〇億人もいるが、彼等の準結晶器ミエニキアーファの中で紫射光石ラトグラシャール紫水晶アメジスト)の一六億人の次に多いのが『金流水チロウイム』の一一億人だ。ただ、紫射光石ラトグラシャールと違って金流水チロウイム家系シホーごとに模様が違う。多くの金流水チロウイム射光石グラシャールの中に無数の金繊石ミュースが入っているが、リアサターセさんのは金繊石ミュースがたった二〇本しかない。右上がりの線が一二本、それと交差する左上がりの線が八本だ。どれもが内側に向けて緩やかなカーブを描き、まるでゆっくりと昇る竜巻のように見える。そして左上がりの八本のうち一本だけが他の七本から少し離れている。

 ミアはこの準結晶器ミエニキアーファを知っていた。

 この準結晶器ミエニキアーファには固有名エイフニンがあり『春嵐スノアワーエ』と呼ばれている。そしてそのニンはそのまま家名シヌンスノアワーエ家シホー・スノアワーエ』になっている。

 リアサターセさんの本名メイニンは『リアサターセ・スノアワーエ』だったんだ。

 いや、もはや本名メイニンじゃなかった。ミアがこのことを知っていたのは『リアサターセ・スノアワーエ事件』を知っていたからだ。

 かつて名門だったスノアワーエ家シホー・スノアワーエは没落していた。生活に困窮したため、使用人として雇っていた多数の知畜使具ゼレスィツヴォカを全て売却していた。知畜使具ゼレスィツヴォカの売買は個人同士で自由にできるものではなく皇室庁ユラウノの許可が必要だ。特に買い取る側は雇用主としての厳しい審査に合格しなければならず、更に雇用中も定期的な報告が義務付けられる。

 引き取られた知畜使具ゼレスィツヴォカたちは新しい主人のもとで幸せに暮らしているはずだった。しかしそのうちの数頭が虐待されているとの噂が流れる。彼は秘密裏に調査して、どうやら本当らしいと知ったものの証拠がない。

 そこでリアサターセ・スノアワーエは容疑者ヘイサナーム家シホー・ヘイサナームに侵入したのだ。彼は証拠を掴んで皇室庁ユラウノに報告する。犯人ヨホーツク・ヘイサナームは断罪ダギュース(処刑)された。しかし彼もまた、無実ではいられなくなった。不法侵入の罪咎ギュース(罪)で実刑判決を受けたのだ。そして貴族イユーセは罪を犯した場合、身位等級コティユーセプが剥奪されて平民フライバになる。

 昔ならいざ知らず、現代の聖帝崇国アーナサイデクでは貴族イユーセ平民フライバは就労や待遇に於いてほとんど差がない。また平民フライバになっても身体ソクトから準結晶器ミエニキアーファを摘出するわけではない(逆に準結晶器ミエニキアーファがなくても家族や配偶者の身位等級コティユーセプによって貴族イユーセになる場合もある)。しかし平民フライバに堕ちた彼の子どもに準結晶器ミエニキアーファは引き継がれない。先祖代々の苦労と経験は次の世代で失われるのだ。それだけなら臣民テネイロの九九.七%の平民フライバと同じ条件になっただけだ。『不幸』というのは貴族イユーセの傲慢になるだろう。だが貴種天人リイェイッカは非常に名誉を重んじる。『身位等級コティユーセプの剥奪』というのは大変不名誉なのだ。

 この事件が報道された当時、『かつて家族同然に暮らしていた知畜使具ゼレスィツヴォカを救うために、我が身を犠牲にした』ということが多くの臣民テネイロを感動させたらしい。

 こうして『リアサターセ・スノアワーエ』は只の『リアサターセ』となった。ミア/俺は最初、リアサターセさんが家名シヌンを隠していると思っていたけど、実際は家名シヌンうしなったのだった。リアサターセさんが抵抗組織ヴァランデノータに参加した理由には、その時のことも関係するのかも知れない。

 聖帝崇国アーナサイデク標準時オケインタイカでは昼過ぎでミアやリアサターセさんなどの貴種天人リイェイッカはその時刻に生活サイクルを合わせていたけど、この惑星のこの地域の地方時ロプロータイカでは一日の終わりに近付いている。つまり、この地域は今は夜になっていた。

 人通りの絶えた夜の街中を飛ぶ灰色雫デールポリンからの風景は、飛行速度が速いのでよく見えない。だけど灰色雫デールポリン情報録片ネスンティカを射出するために速度を落とした時に見える街並みがミアは好きらしく、時間がある時はよく景映面メプネーンを見にきていた。

 景映面メプネーン一杯に角層棟基ネピンタフの漆黒の壁面が映っている。そこに灰色雫デールポリン情報録片ネスンティカを射出、プシュッと音がして角層棟基ネピンタフの壁にくっ付けた。

 角層棟基ネピンタフの壁の端から夜空が見えている。透明な大気を通して星々がまたたく。遠くの角層棟基ネピンタフの窓の幾つかは灯りがともっている。地球のビルと違って角層棟基ネピンタフが黒い他は地球の風景とあまり変わらないな。

星霊魔ドラウザよ、我は誓う。ソポイトは善き人なり」

 古代の貴種天人語リイェイッカケムトで成る慣用句シークヮスでミアは祈る。ソポイトさんの身の安全を祈る。

 現代の貴種天人語リイェイッカケムトは通信や組立命令スフィルカム(プログラムの命令)など機械フルスと密接に繋がり、地域性での多様化や時代の変化などが起こらない。古代言語エヴォロケムトはそのような文化が成立する前、聖帝崇国アーナサイデク建国以前の言語ケムトらしい。『星霊魔ドラウザ』というのは貴種天人リイェイッカの宗教における恐ろしい姿のベデュアだ。正義エナイつかさどり、その者が正しければ加護を、不正であれば災厄を与える。貴種天人リイェイッカベデュアは『慈愛女神シャーナイン』など基本的には歴史上の人物ばかりで、数少ない例外が『星霊魔ドラウザ』や皇帝アーナセの象徴であり中国の龍のような『浮龍ヨーア』だ。『星霊魔ドラウザ』と『浮龍ヨーア』、そして妖精のような『幻精ウ=ペ』を合わせて『三大幻像ユー・ユレオム』と言う。

 ちなみに国宝になっている美しい衣服の材料を産出する、現代では入手不可能な『白蛗織層蟲サイタガ』という動物、虹水石サーファロ蛋白石オパール)そっくりの器官を持つ、所在地不明の植物型生物『輝精樹偽果アエヨラ』、そして同じく所在地不明で『広域遺伝子災害』の病原体として危険視されている『変妖華クレノア』を合わせて『三大幻像生物ユー・ユレオム・ムルート』と言う。

 灰色雫デールポリンが人で賑わう街から廃墟の街へと戻ってきた時、女性の声が響いた。

『その射剱フーイメアは違法行為を行っています。そのまま停止し、こちらの指示に従って下さい』

 厳しい口調でも穏やかでもない、ただ事務的な合成音声セナサーラ。すぐ近くまで別の灰色雫デールポリンが近付いてきた。『正義と平等エナイ・サ・セレンネ』の灰色雫デールポリンは白をベースに側面に青の線が二本入っている。この灰色雫デールポリン濃灰色ウォルデールをベースに側面に金色チロスの線が一本入っていた。この星系ユスペリカルムグスの戦団ダーナーのものだ。

 ソポイトさんの灰色雫デールポリンは迷ったのかしばらくそのままだったけど、すぐに逃走に移った。

射剱フーイメア操作者サジェクーに警告します。すぐに停止して下さい」

 約二.一秒ほど遅れて戦団ダーナー灰色雫デールポリンが追い掛けてきた。

 見ているミアのレナンは不安で一杯になっている。

≪どうして?≫

 ミアは小さくつぶやく。いや、声に出さないレナンの声か?

≪相手はわざと遅れて追い掛けている≫

 ドムル情報ネスンが流れてきた。聖帝崇国アーナサイデクの乗り物は有人/無人にかかわらず自動操縦だ。予め相手の動きに連動・先回りするように組立命令スフィルカム(プログラム)しているはず。知的生物ナーサイムルートの反射速度でなく、数千分の一秒の機械フルスの反応速度で動いている。相手が逃亡してから追い掛けるのに二.一秒もの時間差タイムラグが発生するはずがない。きっと何らかの意図がある。恐らく抵抗組織ヴァランデノータが逃げる行為自体が相手の計画通りであって、ソポイトさんは何らかの敵の策略に嵌まっているはずだ。

 ミアはこのことを言うべきか迷っていた。

 逃げる灰色雫デールポリンから戦団ダーナー灰色雫デールポリンは遅れずに付いてくる。追っ手を巻こうとしても巻けない。

 しばらくして戦団ダーナー灰色雫デールポリンは『正義と平等エナイ・サ・セレンネ』の灰色雫デールポリンから離れていった。

≪どうなったの?≫

 俺が感じてるミアのレナンが不安で塗り潰されていく。

 『正義と平等エナイ・サ・セレンネ』の灰色雫デールポリンは入力された組立命令スフィルカムに従って戦団ダーナーの消えた空をなおも逃げ回っていたが、途中で挙動が変わり、戦団ダーナー灰色雫デールポリンを追って去ってしまった。

 ミア/俺の横でスフォーセネさんが立ち上がった。険しい顔でリアサターセさんと顔を見合わせる。


 ソポイトさんは帰ってこなかった。


 一規日タエグ(二五時間)ほど時間をおいてから捜索隊が出された。ウアンターレ人の文化には『埋葬』というものがなかったが、彼の文化様式に沿った葬儀の後、ソポイトさんの遺体は貴種天人リイェイッカの流儀に合わせて廃墟の街の外れに埋葬された。

 電波の逆探知でソポイトさんは殺されて灰色雫デールポリンは操作を奪われ鹵獲ろかくされたのだった。敵がゆっくりと追い掛けたのは逆探知できるように長く操作させるための時間稼ぎだった。灰色雫デールポリンで時間稼ぎをしている間に、恐らく馳槍ウォレー(小型無人戦車)が建物に侵入、ソポイトさんを殺したのだろう。


「ソポイトという人物の物語は、今ここに閉じられた」

 仲間を代表してリアサターセさんがウアンターレ人の様式で葬儀の言葉を唱える。ウアンターレ人は貴種天人リイェイッカによる支配以前の文化を保持しているけど言語ケムトは奪われたから、現在は貴種天人語リイェイッカケムトでこの言葉を唱える。続いてリアサターセさんは貴種天人リイェイッカ式の言葉を唱えた。

冥王ヴァディエムよ、の者のニンはソポイトである。この清きニンを覚えたまえ」

 『冥王ヴァディエム』というのは貴種天人リイェイッカの宗教の冥界メフェメトベデュアで『冥福を祈る。その人物の名前ニンを覚えて冥界メフェメトで丁重にもてなして欲しい』という意味だ。

 誰もがソポイトさんの埋葬跡の周りでそれぞれ冥福を祈る。

≪わたしがもっと早く気付けば!≫

 何もできなかったことをミアが嘆く。

 急に俺の視界がぼやけた。目の前の風景が全く分からなくなる。そして視界が暗闇に転じる。ミアが両手で顔を覆っているのだ。両眼にはピニア怒涛どとうの勢いで溢れていた。

「うっ、ううっ、ソポイト……死んじゃった」

 ミアは堪え切れずに泣き始めた。

「どうしたの、ミア?」

 眼を閉じたミアの近くからリプの声がした。

「怪我したの? 眼から水が出てるけど」

「それは貴種天人リイェイッカの感情表現さ。『ピニア』って言うんだよ」

 そう言ったのはスフォーセネさんだ。

「プミアィエニ、元気出しなよ。ソポイトだってそれを望んでる」

 ターライヘさんが慰めの声を掛けてくれた。ターライヘさんたちロソカーイネ人の宗教では、死者の魂は親しい人たちの傍に永遠に存在する。現代ではそれを事実だと信じているわけじゃないけど、それでも今もなお彼等は、それが真実であるかのようにとらえることがあるらしい。日本人が故人のことを『天国で見ている』『草葉の陰で泣いている』というような感覚か。

「リプ、ターライヘ、プミアィエニのことはそっとしておくんだ。貴種天人リイェイッカ精神性メンタリティにはそれが一番なんだ」

 そう言ったのは誰だったのか? 恐らく周囲の人たちはみんな、ミアのことを心配している。

「スフォーセネ⁉」

 何故かリプが驚きの声を上げた。

「大丈夫、あたしたちマサルーセイ人は貴種天人リイェイッカと接触しても問題ないから。プミアィエニ」

 その声はすぐ傍から聞こえた。と思うと俺の身体ソクトはスフォーセネさんに抱き締められる。人類の女性に較べると大柄な、雌牛を思わせるマサルーセイ人の暖かな優しさに包まれる。


 ミアはスフォーセネさんの胸の中で声を上げて泣いた。


 俺のレナンにミアの強烈な感情が押し寄せてきた。ミアの中にいる俺には、相手から言葉を聞いたり表情を見たりするよりも直接的ダイレクトに気持ちが伝わってくる。割と冷めている性格の俺に較べると圧倒的に豊かなミアの想いミュイストが、洪水のように俺を覆い尽くしてしまう。俺のレナンは押し流され、ミアのレナンが俺を占領した。

 物心がついて以来、なかったことだが、

 誰にも、ミアにさえ届かない声で、俺は慟哭した。

 俺とミアのレナン同調シンクロし、スフォーセネさんの胸で泣き続けた。


    ♦ ♦ ♦


「今後は射剱フーイメアを使用した活動は危険だ。ぼくたちの活動は、今が退ぎわかも知れない」

 抵抗組織ヴァランデノータ正義と平等エナイ・サ・セレンネ』のメンバーが集まった中で、リアサターセさんはそう主張した。

「それは受け入れられないね」

 すぐに答えを返したのはスフォーセネさんだ。

射剱フーイメアを使って多くの貴種天人リイェイッカ知畜使具ゼレスィツヴォカにメッセージを伝える。そのためにあたしたちはここに集まったのよ」

「俺もスフォーセネに同感だ」

 アリカミエさんもスフォーセネさんに賛成する。アリカミエさんの種族スネプスィトリカナイ人は水陸両用の知的生物ナーサイムルートだけど、双星ヴェネクタイセーナイア(二連星バイナリスター 一角獣座ε星イプシロン・モノシローティス)の惑星メセイカンが陸地のない海だけの天体であるにもかかわらず、彼等はリュキスヴェトリイェさんたちダルファーツィエ人と違って泳ぎが下手だ。陸地のない惑星を故郷とするのに水陸両用、そして泳ぎが下手だという事実が俺には不思議でならないが。生命の宝庫である惑星メセイカンの海は同時に、多くの危険に満ちている。首長竜に似た全長七〇メートルの肉食獣ムオローア、地球の太古の大型水棲爬虫類モササウルスのような五メートルの肉食獣ゴザロス、全長七センチだが集団で襲い掛かり、体重一〇〇キログラム程度の生物ムルートならあっという間に食べ尽くしてしまう細長い魚のフォルムをした肉食動物カルパなど、文明を持った知的生物ナーサイムルートであるトリカナイ人でも死亡率が高い。死亡すると多くの死肉喰スカヴェンジャーが群がり、死体が発見されることはまずない。そのため、トリカナイ人の社会では移動中に(トリカナイ人の表現で言うところの)『祖先神ウスカイに呼び寄せられる』ことは珍しくなかった。彼等にとって命は軽いのだ。

「でも、危ないよ。また誰かが死んじゃう」

 ミアが不安げに言う。

「危険は承知の上だ。始めからそのつもりで俺たちは集まったんだ」

 一人がそう言うと、周囲の者も同意の身振りを示す。

 他の仲間たちもほとんどが、これまで通り活動を続行することに賛成していた。

「分かった。作戦は続行しよう」

 それぞれが意見を言った後、リアサターセさんが渋い表情で、全員の意向を反映した結論を出した。だけど、これは彼が望んだ結論ではなかっただろう。ミアも、そして俺も。

「ただし、危険が迫ればすぐに任務を放棄して逃げることにしよう」

「なんだ、始めからそういう結論にすれば良かったじゃないの。長々と議論するまでもなかったわね」

 そう言ったスフォーセネさんが人類や貴種天人リイェイッカに似た笑顔の表情を作る。それにつられてミアも笑った。ミアの安堵した気持ちが俺に伝わってくる。

 だけど俺はすぐに気付く。あの時はすぐに逃げられたのか? 気付けば手遅れじゃなかったのか? スフォーセネさんも他の仲間たちも気付いていないわけがない。自分のレナンを騙しているだけなんだ。リアサターセさんだって、この結論を採用するしかなかったのだろう。

「決まったな。次は俺が当番だったな。早速行ってくるよ」

 そう言ったターライヘさんの言葉には、危険な任務に向かう気負いが感じられなかった。

「心配するな、俺は大丈夫だ」

 泣きそうなミアに、励ますようにターライヘさんが言った。


 ターライヘさんは、戻ってこなかった。


    ♦ ♦ ♦


「今度こそやめよう」

 二度目の対策会議ですぐにリアサターセさんが言った。前回もそうだったけど彼の意見は受け入れられなかった。しかし今度のリアサターセさんは簡単には譲歩しない。でもそれは抵抗組織ヴァランデノータとしての活動停止を意味する。ここにみんなが集まった意味が失われることを意味していた。みんなは続行を主張する。リアサターセさんはなおも食い下がり、やめさせようとする。

「ならば対策を立てよう。それができたら活動再開だ」

 どうしてもみんなが納得しないので、最後にリアサターセさんが言った。

「対策を立てられると思っているのか?」

 ノヴォトゾーエさんが言った。リアサターセさんは黙り込む。訊ねた方も訊ねられた方も分かっていたのだ。戦争のプロが操る射剱フーイメア馳槍ウォレー抵抗組織ヴァランデノータごときが太刀打ちできないことを。

「出てこない解決策を待ち続けるつもりはないわ。だったら闘いましょう」

 ホミル人のムーアさんが言い、それぞれが種族スネプスィごとの作法で同意を示した。喩え組織と心中してでも活動を続けることを誰もが望んでいた。元々抵抗組織ヴァランデノータの活動とは、勝てない敵に挑む行為だ。だけどいつか誰かが勝てるかも知れない。そのわずかな可能性のために犠牲を出し続けることだった。遠い、或いはもしかしたら近いかも知れない未来、アルタイマトリ聖帝崇国アーナサイデクはきっと知畜使具ゼレスィツヴォカ貴種天人リイェイッカが対等な友として共に生きていく素晴らしい社会になっているだろう。そんな歴史の影には幾つもの犠牲が存在するはずだ。


 その犠牲になろうとここにいる誰もが思っていた。自分たちの子孫が笑って暮らせるために、自分の命を使おうとしていた。


 ミア、そして俺はここにきて、ようやく仲間たちの覚悟と真の望みを、それらの壮絶な重みを実感した。


 ≪真実の紺紫石ホヨースニー・エイナローセ……≫


 ミアは父から預かった御守りミエニレイを握り締めてつぶやいた。

 これから行う自分の選択が正しいと信じるために、そして父に後押ししてもらうために……

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