【第四章 レナン(心)】

 ―― サーラ(声) ――

『よく見ておけ』


 ……虚空に声が響いた。


 ―― 何を? ――


 暗闇の中、何も見えない。ここはどこなんだ?


『お前の目の前に起こる、ミアの出来事ストーリーをだ』


 ―― お前は、 ――


 誰だ? と言いかけてやめた。久し振りに聞く声。

 全てが漆黒だった視界に、ぼんやりと姿が浮かび上がってきた。

 古代ギリシャ人を連想させる、白い布を体に巻き付けたような衣装、若いようだが年齢不詳の男の声。

 かおは、これまでと同じだ。相変わらず見えない。

 奴が誰だかは知らない。

 しかし何者かは知っている。

 いや何者でもない、と言うべきか。彼は実在しない。俺の幻覚だからだ。


 初めて奴が現れたのは記憶を遡れる範囲では九歳、土砂降りの中で川に落ちた時。台風が四国南部で猛威をふるった年だった。早期に水難救助隊に発見されなかったら、俺にその後の人生というものはなかっただろう。母さんも姉さんも、当時から高校教師だった父さんまで学校での仕事を早退して病院に駆け込んできたそうだ。そして意識不明の中、病院のベッドで目覚める直前まで、奴が俺の前にいたのだった。俺は奴を『死神』と呼んでいる。

 それからたまに奴の幻覚を見た。年齢が分からないが歳を取らないように見えるのはやはり『死神』が幻覚だからだろう。最近は見なくなったのだが。


 ―― また現れたのか。何の用だ? ――


 俺は海岸でミアと助けようとしていたのではなかったか? 今、どうなっているんだ?


『いつものことさ。俺は変わらない』


 またその答えか。過去に一度だけ、この問いに対して『ただ見ているだけ』と答えたことがあったが、同じというわけか。

『死神』は実際、ただ見ているだけだ。たまに助言めいたことも言う。だけど、妙に全てを見透かしたような奴の物言いが俺は気に食わない。


『よく見ておくんだな。お前の人生を、いやお前そのものを狂わせたミアが、何を見て、何を感じ、笑い、そしてピニアを流すかを。

 お前を壊した女の生き様を、よく見るんだ』


 俺を壊した、だと?


 ―― 彼女を悪く言うな! ――


『彼女を嫌ってはいないさ。

 むしろ、愛しい……

 彼女のためなら、どんな犠牲も厭わない。

 その犠牲が、喩え宇宙エオナーそのものでも』


 ククク、と嫌な笑いを響かせている。ミアを自分のものでもあるかのような『死神』の言いざまが、しゃくに触った。だがそれ以上に、その口調に狂気を感じ、生理的嫌悪感をいだいた。


 ―― 狂ってる! ――


『そうさ。お前と同じだ。いや、お前はこれから狂うのだ』


 俺が狂うだと?


『忘れるな。お前が見る夕陽と朝日を。

 そして信じよ、おのれの想いを。

 それだけが、宇宙エオナーを見限りし果てしなき絶望ヴェゾムの中で、希望エプリを得る唯一の道なのだ』


 奴は何を言っている? また謎かけなのか?……

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