遭遇
俺たちは空中に浮かんだ後、海岸から高速で遠ざかり、そして山に向かった。そのまま空高く昇らずに低空飛行で木々の中に入る。まるで入り組んだ細い隙間を曲がりくねって流れる水のように、俺たちは滑らかに木々の間を縫って高速に飛んだ。木の葉の隙間から、昨日より更に膨らんだ月がこちらを覗き込んでいる。何故か流れる風景に
「ミア、さっきのは何だったんだ?」
問い掛けて、木の根の上に座り込んだミアが目を
その菱形の中に何かの映像が浮かび上がった。
それは縦長の長方形の透明な……
一体何なんだ? と
「来る!」
何が? と思ったのと同時に頭上で雷の
ミアは再び目を
「わっ!」
目の前一メートルほどの位置に蜘蛛のような機械がいた。太さ五センチ、長さ五〇センチの棒状のメタルブラックの胴体、そこから胴体よりも更に細い四脚が伸びている。折り曲がった脚は伸ばせば胴体よりもやや長い程度。よく見ると、その
「ミア!」
蜘蛛型ロボットから逃げるために、座ったまま目を
「ジュン、ここでじっとしていて」
「何言ってんだ、逃げないと」
ミアは目を開くと、俺が指差す先、蜘蛛型ロボットを見た。
「これはムクスレイト、私が動かしているの」
「ミアが?」
ミアは特にリモコンか何かを持っているわけではない。
「私たちの姿を隠し、護衛している」
よく分からないけど、このロボットから逃げる必要はないのか。
空の色が変わる。
振り向くと遥か南、水平線辺りの空が、切れ掛けた蛍光灯のように二・三度点滅し、元の暗い夜空に戻った。
「何が起こっているんだ」
「闘っているの。敵のフーイメアを倒している」
フーイメア? それがロボットか飛行機か怪獣か異能力者か分からないが、ミアはその何かと戦っているのか? 暗いし敵の姿は見えないし、何が起こっているのかさっぱり分からない。
俺とミアの姿が急に照らされた。見上げると、火の玉のような何かが真上を飛んでいた。真っ赤に輝くそれはまるで燃えているようだ。いや、本当に燃えているのか?
これは敵なのか⁉
恐怖で総毛立つ。今、頭上から攻撃されたら、俺には
「大丈夫、私たちは姿を消しているから」
俺の不安を感じ取ったのか、ミアが教えてくれる。俺たちは姿を消している? それは魔法なのか? それとも未知の
そしてそれは急速に遠ざかる。俺たちの周りが暗くなる。遠すぎて照らせなくなったのだ。しかし何だ、あの速さは⁉ 遠いこともあって大きさが分からないが、この町の上を飛ぶジェット旅客機とは比べものにならない、ということだけは少なくとも分かる。とんでもない速さだ。そして急旋回。誰かが見ればUFOだと思うだろう。もっとも定義としてはUFOでいいのか。ミアや敵が宇宙人なら。
ミアが宇宙人だというのは、本当だったのか?
急旋回したその火の玉は爆発した。また音のない光だけの爆発だ。
それからも、爆発は数十回ほど続いた。次々と、ではない。短時間で連続ではなく、『戦い』は長く続き、その中で数分に一度くらいの頻度で爆発が発生したのだ。優勢か劣勢かさえも分からない俺は、ただ見ていることしかできなかった。爆発の光の他に、例の火の玉も何度も現れた。夜空に突然現れる火の玉は、登場するとほとんどが数秒後には爆発した。しかも姿を見せた途端、闇雲に動き回る。まるで爆発から逃れるように。
ある仮説が頭に浮かんだ。敵も姿を消している? だから姿が
かなり時間が過ぎた後、ミアが立ち上がった。
「ミア⁉」
「後少し……ユー、オウ、アイ、」
カウントダウンっぽく
「ワーヴェ!」
途端に四つの爆発が一気に起こった。更に一つ、また更に三つ、空に次々と爆発が起こる。何か奥の手を使ったのか?
「終わったわ」
そう言ってミアは額の汗を拭った。が、ふらついて俺に向かって倒れ込む。
「ミア!」
慌ててミアを支える。顔色が悪い。苦しそうなミアの小さな唇から、
「ミア、終わったんだろう? もう休めよ」
「これから敵を救わないと」
敵を救う? 『敵』『救う』と本来結びつかない単語を続けて言ったミアは俺から離れてふらふら歩き出したかと思うと浮き上がり、一気に高速飛行して森を抜け出した。
「ミア!」
敵の元に向かうのか? 女の子が一人で行くのに放っておけるか!
俺はミアが飛んで行った方角へと駆け出した。
♦ ♦ ♦
だいぶ闇に目が慣れたとは言え、地面の窪みに足を取られて転んだりする。泥が付いたり擦り傷を作ったりしながらも南へ走るとすぐに海が見えた。どこへ行ったかと途方に暮れかけたが、東西に伸びる海岸線をとりあえず当てずっぽうで東へ走る。一/二の確率だが、暗闇で人影とすれ違いかけて俺は立ち止まった。ミアだ。
波打ち際にミアはいた。
「ミア!」
叫ぶとミアは振り返った。
「来ないで!」
そして彼女はすぐに海へと目を向ける。ミアの視線の方向、十数メートル先で何かがボウッと光っている。夜の暗闇でかすかに見えるそれは、波が絶えずぶつかって砕けている三メートルほどの卵形の岩。いや違う、よく見ると機械だ。表面の数ヶ所で人工的な光が点滅している。卵形の機械の側面がスライドして開き、中から誰かが出てきた。これが敵なのか?
現れたのは異様な男だった。服装はグレーのショートパンツのみ。卵形機械の灯りを受けて辛うじて見える屈強な肉体の色彩は何の意味があるのか緑色に、そして癖のある短い髪は紫色に染めている。体を染めているだけでひどく非日常的な存在に見えた。いや奇妙な機械から現れた時点で既に非日常的だろう。奇妙な色彩のせいで人相が分かり
ミアが男へと駆け寄りながら、何か外国語で叫んだ。いや、宇宙人の言語か? 意味はもちろん分からないけど、何かを訴えかけている? それを聞いた男の表情が歪んだ。男もミアに呼び掛ける。それは何か痛々しい、悲痛な口調だった。まるでミアに救いを求めているかのように。俺は観察しながら二人に近付いていき、既にミアと男まで五、六メートルの距離まで来ていたが、俺の存在は男の意識にはないようだ。男はミアに向かって歩きながら、両手を前に差し向ける。言葉が分からない俺にも分かる。その口調、その表情、そして動作。間違いなく、男は何かの苦しみから解放されるためにミアに
男は人型の炎になった。
一瞬遅れて俺の顔に熱風が吹き付ける。堪らず、俺は両腕で顔を覆った。ミアは無事か?
熱風はすぐに弱まり、顔を護るほどでもなくなったので、両腕を降ろしてミアを見た。ミアはよろよろと炎の柱に歩み寄ろうとしていた。
「ミア、駄目だ!」
俺はミアに飛び付いて押さえる。ミアは咄嗟に抵抗しようともがいたが、無意味だと気付いたんだろう、抵抗をすぐにやめた。熱気が少し強まり、人のシルエットを持った炎の柱はみるみる崩れ落ちていく。崩壊で起こった風が俺たちに吹き付け、焼けていく肉の強烈な匂いが熱と共に襲い掛かってきた。
現実離れした出来事の連続に理解が追い付かず、頭の芯が麻痺したように思考できない。ただ本能的に目の前の炎を避けていた。でも本当は分かっていたのに受け
だけど匂いで気付いてしまった以上、その現実からは、もう目を
あの男は焼死した。
たった今、俺の目の前で人が死んだんだ。
俺に抱き付かれた形になっていたミアは、体ごと振り向いた。俺の眼を覗き込むように向けられた双眸は、救いを求めるような、
ミアはずっと号泣し続けた。敵だった男を救えなかったことを嘆き続けた。
……
どの位時間が経ったのだろう。随分長く泣きじゃくっていたミアは、いつの間にか静かになっている。
「ミア、そろそろ帰ろう」
声を掛けたが反応がない。俺の胸にミアの頭がずっしりとのしかかる。
ミアは眠っていた。
疲れたんだな、と思ったが息が荒い。苦しそうに、形のいい眉をしかめている。そう言えば戦闘が終わった時点で衰弱していたんだ。暗くて見えないけど恐らく顔色も悪いだろう。
家からかなり遠くまで来てしまったけど、俺が頑張って運ぶしかないな。俺は彼女を担ぎ上げた。相変わらず軽い。
家出少女? とんでもない。ミアは最初の予想よりも遙かに大きな問題と関わっている。それが何かは未だ分からないが。
ミアは細い肩に何を背負っているんだ? そしてこんな華奢な体で何と闘っている?
事情が分からないとは言え、ミアのこんな姿を見てもはや放っておけるわけないだろう。だけど、一体俺に何ができるんだ?
♦ ♦ ♦
「潤、一体どうしたんだそれは?」
父さんが驚いて訊ねるのも無理はない。ネグリジェ姿で眠るミアを両腕で担ぎ上げて外から戻ってきたのだから。
ミィも駆け寄ってきた。
「ミアがこんな格好で外に出たから探しに行ったんだよ」
「そうだったのか。ミアちゃんは大丈夫なのか?」
「うん。多分、眠いだけだと思う」
「そうか」
父さんは安心したようだ。あの戦闘のことは流石に話すわけにはいかない。
「日本の常識をほとんど知らないみたいなんだ。とりあえず、ネグリジェ姿で出歩かないように後で言っておくよ」
俺はそう言ってミアを二階に運ぶ。部屋に入ると眠っていた姉さんが起きてしまい、俺が勝手に入ってきたのを見て嫌な顔をした。仕方なく姉さんにもミアのことを説明する。視界に入った白黒ツートンカラーのスタイリッシュな壁掛け時計は、後数分で日付が変わると主張している。もうそんな時間だったのか。ミアを寝かして一階に降りると今度は母さんも起きてきた。これで全員起こしてしまったわけだ。全く人騒がせだなミアは。思わず苦笑する。
俺が降りてくるのを一階で待ち構えていたミィは、俺と父さん、母さんを見比べて、誰に構ってもらおうか品定めを始めた。
ふぎゃ〜〜〜‼
突然ミィが、今まで聞いたこともない凄まじい声をあげて、階段を一気に駆け上がって行った。あっという間に姿が消える。よほどびっくりしたのか? 一体何に?
ドン!
玄関からすごい音がした。
「こんにちは」
誰だ、夜遅くそんな挨拶をする奴は?
見ると、数人の男女が玄関にいる。
「申し訳ありません。ドアの開け方が分からなかったので破壊致しました。後で修理代をお支払い致します。
ところで、こちらにわたくしどもの仲間が入るのを見掛けたのですが」
俺たちの目の前にいるのは、まず上質そうなスーツをきっちりと着こなした、細い体格の二十代の日本人男性。真面目っぽい紳士的な人だ。彼が話し掛けてきている。
その隣には、グレーの長袖シャツとレギンスを履いた白人の少女。耳にはヘッドホン。年齢は俺と同じくらいか? その服装はシャツというよりタイツっぽい。やや小柄で敏捷そうだ。内側にカールしている、やや癖のある明るい黄金色のセミショートの髪。愛らしい顔つきだが不機嫌そうな表情は地顔だろうか。子どもじゃないけど大人になり切れない、そんな危うさとツンとすました整った美貌、そしてとても強い意志を感じさせる瞳が同居していた。
少女と並んで立っているのが、彼女と似たような服装の日本人男性。最初の一人も含めて本当に日本人かは分からないが。年齢はだいたい二十代前半か。少し軽薄っぽい雰囲気だ。少女の気の強さとは対照的に、落ち着きがなく頼りなく見える。
「きゃああ〜‼」
俺の背後から姉さんが悲鳴と共に抱き付いてきた。いつの間に部屋から出てきたんだ? とにかく姉さんの悲鳴の理由は分かる。軽薄っぽい男性の隣には、生物とも自然物とも、かと言って人工物とも思えない奇妙な物体があったんだ。いや、消去法として生物しかないのか?
それは高さ一メートル余りの石灯籠に見えた。ただし直径三〇センチほどの胴はまっすぐで幾何学的な円柱ではなく生物的な曲線で凹凸がある。薄い灰色の表面が石に見えたから『石灯籠』だと思ったけど、よく見るとテレビで見たリクイグアナのような皮膚の肌理をしていた。床に接しているゴムのような部分はスカートのように裾が拡がっているけど、足がないのか見えないだけなのか分からない。そして柱の上端は直径四〇センチほどで果物のように丸く膨れ、金属を思わせる複雑な光沢を放っている。何かに似ている、と思ったけど、それが
「紹介が遅れました」
スーツ姿の男性が言った。不思議な生き物に見入っていた俺は我に返る。
「こちらの男性がリイェイッカ人のヴァルカートワ様、背が高い方の女性がダルファーツィエ人のリュキスヴェトリイェ様、背が低い方の女性がザブワヴァイド人のデベルナ=ユトマ様でございます。うち二人は
この人はコンピュータなのか? 言われてみれば表情が全く変わらない。もっとも、これだけの技術力があれば人間らしい表情もできそうな気がするけど、そうしないのは必要がないからか。そして女性が二人だと言ったけど、この謎の物体が『背が低い方の女性』なんだろう。
その『物体』から鉄工所に響く機械音のようなものが聞こえた。コオロギの声を重低音に、錆付いた金属をこする音に近付けた感じ。その音を聞いてカティヴェさんが言った。
「デベルナ=ユトマ様の言葉を通訳させていただきます。『私に生理的に不快感を持ったようだが外見と美意識は生物ごとに異なるため、やむを得ないと考える。しかしながら対等な知的存在として可能な範囲の配慮を望む』」
「うっ、ごめんなさい。女性だもんね」
俺の背中越しに姉さんが謝った。その後でデベルナ=ユトマさんの、音にしか聞こえない声を聞いた。そしてカティヴェさんが再び通訳する。
「『要望を受け入れてくれて有難い。きっとお互いに友情を育むことになるだろう』とのことです。ちなみにザブワヴァイド人は女性でなく男性が美しく装います」
「あの、彼女に質問ですが」
父さんがカティヴェさんに話し掛けた。
「不快感を持ったと、どうして分かったのですか? もしかして人間の表情が読めるのですか? ぼくの方はあなたが何かの感情を持っても、正直分からないのですが」
「『ヴァルカートワと長く共にいるので彼の表情を見てきた経験から類推した。偶然的中したが、リイェイッカ人とホモ・サピエンスが別の生物であることを失念していた。今後は慎重に判断しよう』と仰っています。申し訳ありませんが、日本語の謙譲語はわたくしどもの文化にそぐわないため、こちらの文化様式に合わせて通訳させていただきます。ご容赦下さい」
カティヴェさんに続いて、ヴァルカートワと言う男性が口を開いた。
「プミアィエニ、ここデス、カ」
この人は少し日本語が話せるのか。プミアィエニという言葉は聞き覚えがある。ミアが自己紹介をした時は聞き取れなかったけど、確かこんな音の響きだった。ミアの正しい名前なんだ。
「彼女をどうするつもりですか?」
俺はヴァルカートワさんに問い掛ける。
「仲間。一緒、に、イマス」
仲間だと言うが、信用できるのか?
「もし俺が断った場合、あなたたちはどうしますか?」
これは賭けだ。力づくでミアを奪おうとしないなら彼等は信用できるかも知れない。だけど、そうでなかったら? なにしろ敗北した仲間を焼き殺す連中だ。俺たちを皆殺しにしてもおかしくない。俺は獅子の潜む茂みをつついているのか?
ええい、割り切れ俺! 彼等が味方なら元々問題ない。敵ならミアを護って俺たちが殺されるか、ミアを奪って俺たちを見逃すか、そしてミアを奪って俺たちも殺すかだ。この三択は元々で、俺の問い掛けで状況が悪化したわけではないはずだ。
ヴァルカートワさんは困ったような顔をして
「話シ合ウ。理解デキル。トモダチ!」
ヴァルカートワさんが懸命に説得を始めたのを見てホッとした。どうやら武力で突破するつもりはないらしい。じゃあ信用してもいいのか? 俺がまだ迷っているとヴァルカートワさんは俺の顔を見詰め、ハッと何かに気付いたようにカティヴェさんに耳打ちする。何を話している? それを受けてカティヴェさんが短く一言発した。
「惚れる」
はあっ?
「ホレル! ホレル!」
ヴァルカートワさんは
「潤、そうだったの?」
「母さん、
一体何なんだ、この人は?
二階から声が聞こえた。振り向くとミアが階段の上からこちらを見ていた。これまでに何度か聞いた未知の言語でヴァルカートワさんと会話を始める。これはやっぱり外国語じゃなくて
「この人たちは私の仲間」
信用していいってことだな。
「まあまあ、こんな所でも何ですから、みなさんお上がり下さい」
母さんがそう言って彼等をダイニングルームに通した。
「ちょっと、潤!」
姉さんが慌てた表情で俺に訴えかける。
「どうかした、姉さん?」
俺が訊ねると、珍しく甘えるような
「運んで。立てない。腰が抜けた」
よっぽどびっくりしたんだな。俺の方もさっきの駆け引きでかなり気力を消耗したよ。
「分かったよ。ダイニングルームに連れて行けばいい?」
「あたしはいい。話は明日聞くから、あたしの部屋に連れてって。今日は疲れた」
ミアにしたのと同じように姉さんの膝の後ろと背中に腕を入れると、姉さんは俺の首に両腕を回す。これは結構恥ずかしいぞ。同級生の女子が相手でも恥ずかしいだろうけど、血の繋がった姉弟だから余計に妙な照れ臭さがある。女の子を運ぶことなんて普通ないよな。なのに俺はこの二日間で三度目だ。そのうち二回はミア。焦ってたから照れる余裕もなかったけど。
姉さんが睨むような眼で俺の顔を覗き込んでいた。
「なに?」
「腰が抜けたからって笑わないでよ? あたしだってこんなの初めてなんだから」
「笑わないって」
そう言って姉さんを
「俺だって今、背中にびっしょり汗かいてる」
「あはは」
「ひどいな。人に笑うなと言っといて」
「ごめんごめん」
姉さんをベッドまで運ぶと、部屋の中で待ち構えていたミィが姉さんに飛び付き、体を擦り付けてきた。彼等がよっぽど怖かったんだな。姉さんはミィを抱き上げて一緒にベッドに入った。ミィは無理矢理入れられた布団から這い出して、姉さんの頭の横で丸くなる。「今度は勝手に部屋に入るな!」と姉さんは俺に釘を刺したかと思うと、早速寝息を立て始めた。本当に疲れたんだな。まあ受験生はそっとしておこう。
部屋を出るとすぐに階段を降りてダイニングルームに向かう。これから彼等の話を聞かないといけない。とても気が重かった。これでミアが
俺は今、何に巻き込まれているんだ?
♦ ♦ ♦
「これは『
カティヴェさんが母さんに、何とも間抜けな質問をしていた。
「ええ、麦茶よ。みなさんどうぞ。カティヴェさんも飲めるのかしら?」
母さんは食卓のみんなの前に麦茶を出していた。カティヴェさんは自分はケータイや腕時計と同じなので『さん』付けは不要だと言う。それは呼びにくいと母さんが抵抗すると、せめて正式名か略称の『カティヴェ・ウェインスレイ』に『さん』を付けてくれれば問題ないと言った。略称は『機種名+製造番号の下一桁(ただし十二進法)』だそうだ。直接手に持って操作する機械なら間違って隣の機械を動かしてしまう心配はないけど、この人(?)を使う時は音声で遠隔操作し、呼称をトリガーにして操作の受付を行うわけだ。だから間違って別の機械が命令を受理してしまう恐れがあり、対象を正確に選んで指示を出すためにも正式名か定められた略称以外で呼ぶのは問題らしい。ただし、そのどちらかで呼ぶ限りは『さん』付けをする程度は特例的修飾として解釈処理できるそうだ。
「この透明な固体は私のデータにはありませんが?」
「透明なもの? ああ、これね。ただの氷よ」
「氷。理解しました。しかし水は液体の方が摂取が容易だと察しますが、敢えて凝固させるのは
予想外の質問に母さんは困った顔で答える。
「別に宗教とかじゃなくて、お茶を冷やしてるだけなんだけど」
「冷却材を直接投入。大胆な料理ですね。確かに溶解しても飲むことが可能なので合理的かも知れません」
俺たちにとって当たり前のことがそういう解釈になるのか。
「それよりみなさん、どうぞ座って下さい」
全員が立ったままだったので父さんが椅子を勧めたが、ヴァルカートワさんだけが座った。リュキスヴェトリイェさんとデベルナ=ユトマさんは日本語は話せないようだけど反応を見る限り聞くことはできるらしい。と思ったけど、よく考えたらリュキスヴェトリイェさんのヘッドホン、あれで通訳しているんじゃないのか? デベルナ=ユトマさんは不明だけど。
「リュキスヴェトリイェ様は肉体の構造上、座るという行為は体への負担が大きいため、このままの姿勢で失礼致します。デベルナ=ユトマ様も座ることができません。わたくしもこのままの姿勢で疲労やエネルギーロスは発生しないので立たせていただきます。
折角いただいた麦茶ですが、ヴァルカートワ様以外は現時点では身体への影響を確認中なので、遠慮させていただきます。わたくしも水素で活動する存在なので残念ながらいただけません」
カティヴェ・ウェインスレイさんが丁寧に頭を下げる。地球に来てからどう情報収集したのか、『麦茶』など名前さえ分かれば知識は既にあるようだ。そんなことより本題だ。まずは俺たちの方も姉さんの分まで自己紹介をする。その後、カティヴェ・ウェインスレイさんがテーブルの上に長さ一〇センチ、幅三センチほどの細長い透明な機械の部品らしいものを置いた。
「急遽もぎ取ってきたので不恰好ですが、わたくしどもは人間の通貨を持っていませんので、このダイヤモンドをドアの修理代とさせていただきます」
この塊はまるごとダイヤなのか⁉
「あの、こんなに受け取れないわ!」
母さんが慌てて言った。
ダイヤモンドって指輪に小さく付いてるのでも高いんだろう? この大きさはすごくないか?
「それではご相談がございます。わたくしどもは事情により、すぐに地球を離れることができません。そのために地球で住宅を確保するまでの数日間、この家に滞在させていただいてもよろしいでしょうか? ダイヤモンドはその謝礼だと思って下さい」
そう来たか。まさかコンピュータが交渉を仕掛けてくるとは思わなかった。しかも表情がないから駆け引きが難しい。
「構いませんよ。どうぞ泊まって下さい。だけどやっぱりこれは謝礼としてはもらい過ぎだ」
警戒している俺を
「申し訳ありませんが他に謝礼としてお渡しできるものが御座いません。どうぞお受け取り下さい」
結局受け取ることになった。残った問題は彼等がどこで寝るかだけど、全員一緒にいたいらしいのでとりあえず居間が充てがわれた。ミアは今夜も姉さんの部屋で寝るらしい。話を終えて母さんが居間に来客用の布団を敷くのを俺も手伝ってから、俺はミアと一緒に階段を上がった。そして姉さんの部屋に入ろうとしたミアを呼び止める。俺にとってはむしろこれからが本番だ。
「もう少し話をしたい。君とも、彼等とも」
俺の言葉にミアは怪訝な顔をする。
「どうして? 聞きたいことがあったのだったら、さっき聞けば良かったのに」
「家族には聞かせたくなかったんだよ」
ミアはよく分からない、という顔をする。でも彼等にも伝えてくれると言ってくれた。彼女の言語なら父さんたちに知られずに伝えることができる。俺はミアと共に再び一階に降りる。
居間ではヴァルカートワさんとリュキスヴェトリイェさんが早速横になっていた(布団で寝る
「リュキスヴェトリイェさんは起きてたんですか?」
カティヴェ・ウェインスレイさんに訊ねる。
「ダルファーツィエ人は空気呼吸する
『ユスペリ何とか』とか『何とかサカルヴェキュ』というのがよく分からないけど、星の名前か? 常に脳の一部が起きているって、イルカと同じだ。だったら人間と全く同じ姿はなおさら不自然じゃないか。もしかして俺たちが見ているのは本当の姿じゃないのか? 人類に接触するためにこの姿に
とりあえずカティヴェ・ウェインスレイさんとミアと話して、父さんたちが眠った後だろう三〇分後に俺の部屋に来てもらうことにした。ふと気になって三〇分という時間の長さが分かるか訊ねたが、大丈夫らしい。
「何だよ、人が折角、……ってあれっ? えっとジュンか?」
今の声は誰がしゃべっているんだ?
ヴァルカートワさんが起きてきた。
「何か用か? 俺眠いんだけど」
眠そうに眼をこする。この人の声だ! まさか流暢な日本語が話せたとは。あの不器用な日本語は演技か? 俺は騙されたのか?
「あんた日本語が分かったんだ」
俺が言うとヴァルカートワさんは急に自慢気な顔になった。
「いや、まだこれからさ。カティヴェ・ウェインスレイが、えっと、ええ〜と、」
リイェイッカ語?でカティヴェ・ウェインスレイさんに何かを聞く。
「『収集・解析・整理』」
「そうそう、シュウシュウ・カイセキ・セイリした日本語を、眠っている間にトレッグから脳に入れていた途中だったんだよ」
そう言って
「まあ見てなって。明日の朝には日本語がバッチリだ。お前の家族もびっくりするぜ」
本人はそう言っているが、今でも充分
「話は聞いたぞ。三〇分後にお前の部屋だな」
父さんたちに聞こえないよう、ミアを介して伝えてもらったのに、この人のせいで台無しになってしまった。幸い、父さんと母さんは聞いていないようだった。
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