第二話
この世界は八つの基本属性で成り立っている。それぞれ土、火、水、風、雷、光、闇、虚の属性と呼ばれている。もっとも、専門家に言わせるとあくまで便宜的な名称であり、本質的には熱エネルギーであったり弱い結合力であったりするらしいが、ここでは置いておく。
ともあれ、それぞれの属性はそれを具象化した世界を作っており、土世界を中心に寄り沿いあい、時には繋がり、時には重なっていたらしい。また、挙げた八つはあくまで『基本』であり、それらが組み合わさった、あるいは別の『因子』も加わった様々な属性も存在した。それらも、各々の属性を現した世界が小さいながらも存在していたそうだ。
この、あらゆる属性の領域全てが寄り集まった塊を『世界』と、それぞれの属性が具象化された領域を『土界』、『火界』といったように呼んでいる。
さて、ここで前世におけるマスターとの話を思い出して欲しい。世界を転移させるための基準点を作る際に、世界の一部を削って利用したという話である。このとき、世界の根幹となる『土界』はそのままにして、他の属性による『界』の大部分を削る事となった。
そして『界』を削ることで住む場所を失った者達を移住させるために作られたのが、今俺が生きている箱庭である。当然作られた当時は大量の生き物が移住した訳だが、それと同時に様々な『界』のかけらも流れ込んだのだ。
結果、この箱庭世界には『界』のかけらによって環境が大きく変化した領域が点在することとなった。それらの領域は異界と呼ばれており、かけらと共に来たいわば先住民や、危険な魔獣、そして豊富な資源が存在することが多い。
箱庭が出来た当初は住人の数も少なく問題にはならなかったが、人が増えて文明が発展するにつれ、先住民とのいざこざ、魔獣の暴走、異界を巡った国同士の衝突などが問題になるようになった。そこで四大国と一部の長命種達が主導して、国を超えて異界を管理する協会を作ることとなった。名前はそのまま、異界管理協会である。
異界管理協会は各地の異界の危険度や有用性を評価し、管理している。とはいえ、全ての異界の所有権を有しているわけではない。異界がある土地の所有権や発見の経緯を公正に審査し、正当な所有者と判断した国や団体、あるいは個人を管理者として認定、登録し、所有権と管理責任を課す形を取っている。
管理者は異界から取れる資源の優先確保権と入界料の徴収権を得る代わりに、魔獣の適切な間引きや施設の整備、定期的な報告等を行う必要がある。
また、管理者ではない一般の人も協会に登録することで協会員と認定され、管理者に入場料を払うことで異界に入ることが出来るようになる。とはいえ、彼らは協会員と呼ばれることは殆どなく、もっぱら冒険者や、越界者と呼ばれることが多い。
そして、今回訪れたヒルメスの森も異界の一つである。管理者はリソニア王国。龍穴の上に存在し、ここで得られる豊かな森の恵みと魔力の塊である魔石は、我が国の特産品の一つである。また、危険度の高い魔獣が居ないのも特徴であり、駆け出し協会員の仕事場にもなっている。
危険は少ないとは言え管理するための施設は必要であり、一個分隊だけではあるが、駐留出来るように駐屯地が作られている。また、管理者の義務として協会員が寝泊まりできるような施設を作ったところ、街道沿いにあるという好立地から商人などが集まり、徐々に村が作られるに至ったのだった。
分隊長との挨拶を終えて振り返ると、そんな村を一望することが出来た。村の入り口では旅人が小休止を取っており、旅人相手に商人が木彫りの人形や果物を勧めていた。隣の露天では、冒険者が毛皮を片手に買い取りの交渉をしている。村唯一の食堂兼酒場は昼時ということもあって賑わっており、少し離れた駐屯地まで喧噪が聞こえてくる。
大通りは木材や魔石などをこれでもかと積んだ荷台を馬が牽いており、その周りでは護衛の冒険者達が談笑していた。中央広場では屋台が数台、軒を連ねており、吟遊詩人の歌声を耳に食事をとる人々の姿も見受けられた。
普段王城に籠もっているため、こうして人の営みを間近で見る機会は本当に少ない。村人たちの活力が肌を通して伝わってくるのが感じられ、単純に感動してしまった。
(なんかすごいね)
(ああ。父上達が、歴代の王達がこの国を守り育ててきたからこそ、この光景があるのだろうな)
(守れるかな?)
(出来るさ、俺たちなら)
フミヤは大人びているとはいえまだ五歳。王族として背負っているものが大きすぎて、その責務を理解出来てはいない。けれどこの光景は、理解を促すきっかけになったようだ。これだけでも、今日ここに来て良かったと思える。
とはいえ、ずっとこうして眺め続けている訳にはいかない。馬車に向き直ると、アルフォンスが馬車から装備を取り出していた。
彼は元から装備していた直剣の他に、刃渡り百二十センチメートル程の大剣を背負い、投擲にも使えそうな手斧を二丁腰に下げていた。どれも飾り気の無い無骨な造りだが、しっかり使い込まれているのが見てとれた。
彩花は転移門で外套を取り出し、制服の上に羽織った。そして同じく呼び出した杖を構え、魔力の通りを確認していた。
「王子、こちらをどうぞ」
俺はライアンが手渡してくれた手甲とすね当てを装備し、その間にフレッドが俺の腰に矢筒と剣を取り付けてくれた。御者から弓を受け取り弦の張りを確かめ、アルフォンスにむかって頷いた。
「それでは王子、出かけるとしましょうか」
「ああ。ライアン、フレッド、行ってくる」
「どうかお気を付けください。護符を破れる魔獣は確認されていませんが、万が一ということもあります。アルフォンス殿の指示にはしっかり従ってください」
「分かっているよ。それじゃあアルフォンス、先導を頼む」
ライアン達の見送りを受けて、俺とアルフォンス、彩花の三人は森に向かった。森の入り口には二つの柱が門のように立っており、柱の脇に警備の兵が控えていた。道の脇には小屋が二棟設けられており、片方ではこれから越界する冒険者達が入場料を払うために並んでいた。もう一方では既に狩りや採取を終えた冒険者達が並んでおり、収穫物の確認をされていた。
俺たちの一行は列を無視して、直接入り口に向かった。越界待ちの冒険者達からは、誰何の眼差しや納得した眼差しを向けられるが、気にせずに警備兵の元へと向かった。
警備兵は近づく途中で既に素性を理解したようであるが、職務に従って声を掛けてきた。
「立ち止まってください。お話は伺っていますが、確認のため身分証の提示をお願い致します」
地球が存在した『土界』を含めた、この世界に存在する全ての物質は、固有の魔力を持っている。特に生物では一人一人その波長が異なるため、それを利用した身分証明手段が箱庭世界では確立されている。
俺たちは身分証を取り出し、軽く魔力を通して警備兵の持つ魔導具に触れさせる。警備兵は魔導具の出した結果を確認し、事前に知らされていた情報と一致したことを確認すると、門の障壁を解除した。
「確認が取れました。どうぞお入りください」
「お務めご苦労さま」
アルフォンスがそう声を掛けて門を潜り、それに続いて俺と彩花も森の中へと入っていった。
門を潜ると村の喧噪は途絶え、代わりに木こりが斧を打ち込む音が、小気味良いリズムで聞こえてきた。一息吸い込むと外とは段違いの魔力が感じられ、改めて異界に来たことを実感した。
「それで、これからどうするの」
「入り口の近くは駆け出しの奴らが追い回しているので、獲物が余り居ません。森の進み方を慣らしながら奥を目指しましょう」
割と平坦な土地とはいえ、木の根による隆起や多少の高低差は存在する。アルフォンスの先導に従って高低差の少ない道を選び、枝や葉に注意して音が立たないように気を付けながらしばらく進んだ。
「それにしても、彩花さんは博識だね。どこかで植物について学んだのかい?」
「一時期山で生活していたことがありまして……。それに、薬草や果実が魔術の触媒として用いられることは、よくあることなんです。そういうアルフォンスさんこそ、随分とお詳しいようですが?」
「傭兵として登録するのにもお金が必要でね。暮らしていた孤児院は幸いな事に経営は上手く行っていたんだが、だからといって一人一人に装備一式や登録料をまかなえるほどの小遣いが与えられるはずもない。小さい頃は小遣い稼ぎの一つとして森に通って薬草の採取を行っていたのさ」
こう語っているように、二人とも随分と植物への知識が深かった。時折有用な薬草などを見つけると、効能や保存の仕方、繁殖に適した条件などを事細かに教えてくれた。その内容はたまたま側に居合わせた冒険者が耳をそばだてて聞き入る程に造詣が深く、また教え方もわかりやすいものだった。
ここまで来る途中に何度か魔獣を見かけたが、どれも駆け出し冒険者が獲物として狙っていた。何度か狩りの風景を見てきたがやはり未熟な冒険者では苦労するようで、無事に獲物を仕留めていた者達は居なかった。
この森に生息する魔獣は、確かに危険度の低いものが多い。だが、危険度が低いことと狩りやすいことは別の話なのである。魔獣とは、魔導核と呼ばれる魔術を扱う器官を体内に持つものの総称であり、魔導核によって肉体も大幅に強化されており普通の動物とは一線を画している。
凶暴性の低い魔獣は、得てして魔導核の恩恵を危険回避や逃走能力、防御力に注いでいる固体が多い。そのため、知識や技術を持たない駆け出し冒険者では、そうそう容易に狩ることは出来ないのだ。
自身の気配を消し、察知される前に獲物を捕捉し、逃れられないようにしながら相手の防御を抜く攻撃を叩き込む。これらの基本が出来ていないと狩りを行うことは出来ない。多くの環境では、そんな駆け出しが狩りに出れば危険な魔獣に返り討ちに遭い、最悪魔獣の胃の中に収まることになる。そうでなくとも獲物がとれぬまま時間と体力を消費し、生活が成り立たなくなってしまう。
その点この森は、国の手入れが行き届いており凶暴性の高い魔獣は排除されている。また森の恵みも豊富にあるため、最低限の収入は確保することができる。これらのことからこの森は初心者の森とも呼ばれており、国の内外を問わず駆け出し冒険者が集まってきている。
時には協会がベテランの冒険者に引率を依頼することもあり、しばらく歩くと中年男性に率いられた一行と遭遇した。
「こんにちは。若手の引率ですか?」
「ああ。そういうあんたは……なるほど。お初にお目にかかります、フミヤ王子。私B級協会員のカーマインと申します」
カーマインはアルフォンスに話しかけている途中でこちらの素性に気づき、片膝をついて頭を垂れて俺に挨拶をしてきた。後ろの駆け出し達は子供がいることに首をかしげていたが、王族ということが分かると姿勢を正して直立した。
「カーマインさん、頭を上げてください。後ろの方達も楽にしてくださって結構です。ここは城ではありません。あくまで狩りに来た一協会員として扱ってください」
「かしこまりました。フミヤ様はこれから狩りに行かれるのですか?」
「はい。カーマインさん、森の様子はどうでしたか?」
「平穏そのものですな。川を渡った辺りから魔獣の数も多くなります。爆炎剣のアルフォンスがいるのなら、狩りも心配ないでしょう」
「……爆炎剣?」
「おや、ご存じないですか? 火属性の魔術を自在に操る剛剣使い。爆発的な加速で瞬時に距離を詰め、炎をまとった剛剣の一振りで辺りをなぎ払う。冒険者の中ではかなり有名ですよ」
「自分から名乗ったことは一度もないのですがね。気がついたら通り名として定着していました。困ったことに見た目も特徴的ですからね、一時期は勧誘が酷いものでした」
「そりゃあ、あんたが味方に付いた側は戦場じゃ負け無しだったからなあ。ここ最近は噂を聞かなくなったと思ってたが、リソニアに身を寄せてたのか」
「ええ。二年ほど前に縁がありまして、それ以来城でお世話になっています」
「良い選択だな。下手にそこら辺の国に仕官でもしたら、侵略に乗り出しかねないからな。その点四大国ならあんた一人に頼って戦争を起こすようなことはしないだろうよ」
四大国は八百年程前に協定を結んでおり、以来領土に変化は無い。協定の内容は戦力の殆どを魔の山脈に当て侵略戦争をしないこと。そして、四大国による包囲網を形成して魔物が大陸に流れ出る事を防ぐことである。
これでは他の国による侵略を受けそうなものであるが、もとより他と比べて国力に差があった四大国が協定を結んだことが他国に睨みをきかせる結果となり、協定締結以来周辺国の領土的野心は押さえつけられている。さらに協定によって貴重な魔物産の素材を独占することとなり、年々国力差は広がる一方である。
これらのことから長らく大陸中央は平和な時を過ごしているが、あくまで武力によって押さえつけられた結果であり、各国の野心が無くなったわけではない。侵略戦争を禁止した条約が有るわけでもないので、隙をみて領土を拡張させようとしている国はちらほらと存在する。
そんな国に単騎で戦場を支配出来る武芸者が仕官したら、どんな未来が訪れるかは察するに余り有る。
アルフォンスがリソニアに身を寄せてくれている幸運に感謝すると共に、国の機微を理解出来ているカーマインに感心した。後ろの若手達はアルフォンスが高名な傭兵だったことが分かって感激しているが、その後の話には余り関心が無いようだった。
「ええ。この国に来て、自分がまだまだ未熟だと思い知らされました。それに後進を育てるという経験を積むことも出来て感謝しています。中でもフミヤ王子は飲み込みが早く、将来が楽しみですよ」
アルフォンスは自分の通り名が知られたのが気恥ずかしかったのか、話題の矛先をこちらに向けてきた。
「ほう、爆炎剣がそこまで褒めるとは流石神童と名高いフミヤ王子。王家の将来は安泰ですな」
「特に弓の腕前は光るものがあります。既に当てる力だけならベテランの弓兵よりも上でしょう」
「そうはいっても腕力や体力はまだまだ敵わないんだけどね。魔導具で強化しなければ強い弓も引けないから射程は心許ないし、速射や連射の技術も低い。まだまだ学ぶことは多いよ」
「なに、王子はまだお若いのです。その年で自身の能力を客観的に把握できるのは、何よりの才能です。後ろの連中にも見習ってもらいたいものですな」
急に自分たちに話が向けられ彼らはたじろいだが、気の強そうな男の子が一歩前にでて言い返した。
「俺たちがフミヤ王子に劣るって言いたいんですか、カーマインさん。そりゃあ俺たちはまだ冒険者になって日が浅いですけど、今日だってちゃんと獲物を狩れました。いくら王族だからといって、五歳児に負けやしませんよ」
そういう彼の仲間の手には、二羽のウサギ型魔獣が握られていた。どちらとも無数の切り傷や打撃痕があり、また彼らの装備も泥にまみれていることからかなりの苦戦を強いられたことが分かる。それにどちらのウサギも血抜きをされておらず、しっぽも損傷が激しかった。
(ちゃんと倒してるから、問題無いんじゃないの?)
(討伐依頼であるのなら、別に問題はない。だが、この森に出る魔獣に討伐依頼が出ることはまず無い。狩るのであれば素材として売らなければいけないんだよ。ウサギの用途としては食用に毛皮、後はしっぽが装飾品として利用される。だけど彼らの獲物は傷だらけだし、血抜きの処理もされていない。しっぽも無残なものだ。使えるとしたら膠用としてくらいだが、そう高くは買い取ってもらえないだろうな)
本来であれば指導員のカーマインが教えるべきなのだろうが、新米冒険者は得てして知識や技術のありがたみというものを理解していない。恐らくは彼ら自身の現状や知識の重要性を理解させるためにあえて口出しをしなかったのだろう。
人が悪い。そういう思いを込めて責める眼差しを向けると、いたずらがばれたような笑みを浮かべやがった。
「ちなみに指導料は?」
「協会から食事代はもらっていますが、彼らはお金を出していませんよ。サービス。あくまで付き添いです。ほら、お前らが自信満々にそんな獲物を見せるから、俺が王子様に責められちまったじゃないか。だから自分たちの能力を把握できてないって言ったんだよ」
指導料を取っているのだったら協会に言いつけてやろうかと思ったが、駆け出し冒険者のために協会から派遣されたようだ。であるならば、彼の流儀に任せるとしよう。おそらく、一回買い取り所で痛い目を見させるつもりだったのだろう。
「夕食くらいは奢ってあげなよ?」
「ええ。今日だけですがね」
困惑する彼らを尻目にカーマインとひそひそ話していると、これまで黙っていた彩花が口を開いた。
「王子、索敵に反応ありです」
彩花の声を受けて『
「金喰いウサギですね。ここで見かけるとは珍しい」
アルフォンスも気づいたのか、ウサギの方を見て種族を判別していた。金喰いウサギは文字通り金属を食べることが出来るウサギで、体内で精製した金属を爪や歯等に利用している。成体になると全身に装甲のように金属を纏い、討伐の難易度が跳ね上がる。
また、冒険者の装備に用いられている金属にも反応するため、人を襲い装備に被害を出す厄介さを持っている。とはいえ、目的は金属であるため装備を置いて逃げれば追ってくることは無く、金喰いウサギによって死人が出た例は少ない。
「王子、どういたしますか」
「僕がやるよ。カーマインさん、あの獲物は僕らが頂いてもよろしいですか?」
「ええ。先に見つけたのはそちらです。王子様のお手並み拝見いたします」
二匹はどちらも頭部に装甲が出来ている。装甲の具合から見るに生後三年ほど。ちょうど親元から離れたくらいだろうか。どちらもまだこちらには気づいておらず、すんすんと鼻をひくつかせている。
俺は弓を構え、矢筒から取り出した矢をつがえた。魔力による身体強化を軽く掛け、右腕以外の骨を固定した。弓を六割ほど引き絞り、手前のウサギに狙いを定める。周囲の風、ウサギの呼吸を計算し、意識が向こうへむいた瞬間矢を放った。
放たれた矢は始めは蛇行しながらも、狙いを過たずに風切り音を立てずに飛んでいき、手前のウサギの目に突き刺さった。矢が脳にまで達したのかウサギは一瞬身体を震わせたのち、力尽きて倒れた。
もう一羽のウサギはこちらに気づいたが、危機感よりも金属に惹かれたのかこちらに向かって走り出した。弓を地面に置き、応じるように俺も走り出す。
途中で剣を鞘から抜き、餌をやるかのように前に突き出す。釣られた金喰いウサギは跳躍し、その鋭く頑丈な前歯で噛み付こうとしてきた。俺は着地地点を見極めて減速、走りの速度を込めてウサギの顎を蹴り上げた。金属を纏ったウサギは見た目以上に重かったが、魔力を込めて踏ん張る。跳ね上げられたウサギは無防備に腹をさらしており、剣を腰だめに構えて首を狙って振り抜いた。首に食い込んだ剣は金属で強化された骨にぶち当たったが、王族の為に鍛え上げられた刃はそんなものをものともせずに切り裂いた。
切り口から血しぶきが舞うが、俺はそのまま駆け抜けて回避。剣を振るって血糊を飛ばし、ベルトに挟んでいた布でぬぐってから鞘にしまう。そのまま始めに射たウサギに駆け寄り、矢を切り落とし、矢羽を回収する。
矢羽には静音や弾道安定化の刻印が刻まれており、高価かつ再利用可能なため回収できるのならするのが決まりである。これも国民の税によって賄われている。税を無駄にする王家は滅びると相場が決まっているのだ。
金喰いウサギの脚を持って戻ろうとしたが、俺の身長では引きずってしまうことに気がついた。仕方ない、ここは魔術に頼るとしよう。
『箱庭の神様』内に保存してある術式を検索。浮遊魔術の術式を即時展開。対象に指定されたウサギの遺体がふわりと浮き上がる。そのまま俺の歩みに合わせて移動させ、首を切り落としたもう一匹にも同じ魔術を掛ける。後ろにウサギ二羽を浮かべたシュールな格好のまま、アルフォンス達の元に戻るのであった。
「お見事。中堅の冒険者でもここまで動けるのはなかなかおりません。爆炎剣の、お前さんどういう仕込み方をしたんだよ」
「吸収が早いからつい……ね。とはいえ、純粋に才能ですよ。いくら訓練をしたからといって、本番で動けるとは限りませんからね」
「ウサギの目当ては金属だったからね。敵意や殺意を向けられていたら、さっきみたいに動けたか怪しいよ」
「それでも、動く相手を封殺出来たのはすばらしいことです。しかし、ウサギを蹴り飛ばしたのは減点ですね。魔力が豊富な者ほど陥りやすいのですが、本来魔獣に正面からぶつかるのは危険な行為です。側面や背後から攻める、あるいは罠に掛けるという手段もあったはずです。帰ったらその辺りを重点的に鍛えるとしましょう」
「スパルタだな、おい。こりゃあ強くもなるわけだ。お前ら、王子様の動きをよく覚えておけよ!」
アルフォンスとしては先ほどの戦闘に不満があるらしい。まあ、確かに初めて一人で魔獣に相対したことで、少々調子に乗っていたことは確かである。普段アルフォンスにやり込められているから、正面から潰したかったのだ。
ちなみに若手一同はと言えば、皆、口を開けて放心した表情でこちらを見ていた。呆然とはこのことだろう。再起動するまで暫くかかりそうなので、血抜きを済ませてしまうとしよう。
「アルフォンス、ロープと瓶持ってる?」
「ええ。血抜きですね。手伝いましょう」
アルフォンスからロープと瓶を受け取り、ウサギを一羽渡した。両足首をロープで括り、手頃な枝に吊そうとしたのだが、如何せん身長が足りなかった。おのれ、ここでも身長の低さが足を引っ張るか。仕方なしに自身の身体に浮遊魔術をかけ、枝に吊すことにした。
俺の固体は首を切り落とした個体であり、逆さにすると自然に血が垂れてきたのでこれを瓶で受け止めた。金喰いウサギの血液は金属性魔術の触媒として利用することができ、結構な値段で取引されるのだ。
しかし、出が悪いな。切り落とした際にある程度飛び散ったとはいえ、まだ残っているはずなのだが。隣を見ると、アルフォンスはウサギの頸動脈を切り、なにやら魔術を掛けていた。
「王子、金喰いウサギの血は粘性が高いので、逆さにするだけでは余り抜けませんよ。彩花さん、血抜きの魔術は使えるかい?」
「は、はいっ。今掛けますね」
アルフォンスはこちらの様子に気づき、彩花をよこしてくれた。彩花はこちらに駆け寄ると、ウサギに魔術を掛け始めた。
浮遊しているため顔がだいぶ近くにあるのだが、彩花から懐かしい匂いが漂ってきた。久しく嗅いでいなかった匂いだが、これはたしか……
(母上と同じ匂いだねー)
そう、俺の母がよく付けていた香水の匂いである。匂いに紐付けられ、遠くに行ってしまった母の思い出が次々によみがえる。しばらく思い出に浸っていたが、アルフォンスに問いかけられた。
「王子、内蔵はどういたしますか?」
「解体するのは時間が惜しい。それに僕たちはお金に困っている訳ではないしね。せっかくだから彼らに持ち帰ってもらうとしよう」
解体に時間を取られるのは避けたいところであるし、このまま持って狩りを続けて遺体が冷めてから解体するのも面倒である。せっかく知り合った彼らが帰ろうとしているのだ、夕食代の足しにしてもらうとしよう。
「カーマインさん、一緒に持ち帰って頂けますか?」
「よろしいのですか? こちらからは何も見返りを出せないのですが」
「気にしないでください、未来の冒険者への先行投資です。彼らの夕食代に当ててください」
「かしこまりました。王子の期待に応えるためにも、明日からみっちりしごかなければなりませんね。おまえら、王子様に感謝しろよ! 狩りの光景や血抜きの手順を見せて頂いただけでなく、獲物まで譲って頂いたんだ。将来この恩を返すように!」
彼らはまだ呆然としていたが、しばらくして自分たちの報酬が増えるということが理解出来たのか、お互いに顔を見合わせて喜び合った。
「お前ら、返事はどうした!」
「「「「「「はいっ。フミヤ王子、ありがとうございます!」」」」」」
現金なもので、噛み付いてきた男の子も一緒になって返事をしていた。彼我の力量差を理解できたということだろうか。血抜きを終えた獲物と血液の入った瓶を手渡すと、素直に受け取った。
「それでは、僕らは先に行きます。内蔵はそのままなので、早めに処理するようにしてください」
「ええ。村の職人に任せるとします」
カーマイン一行に別れを告げて振り返る際、縄に括り付けられたウサギの頭と目が合った。そのつぶらな瞳に無言で責められている気がしたのは、きっと感傷なのだろう。手前の位階上げという都合で狩らせてもらったが、彼らの血肉となるのであれば無駄な殺生にはなるまいと思い込むこととした。
おこぼれを狙っていた猛禽類の視線を背に、しばらく森を進んだ。途中で何度か魔獣に遭遇したが、単独で、あるいはアルフォンスや彩花に手伝ってもらって狩りを進めた。イノシシ型や蜥蜴型、昆虫型等を倒したが、時間の関係でどれも魔導核を採るに留めた。
この世界は不思議なもので、同じ獲物を同じ数だけ倒しても位階の上昇に寄与する、いわば経験値を得る量が人によって異なるのだ。これまでの研究で様々な要因が寄与すると考えられており、中でも明確に影響すると分かっているのが狩った獲物の処理の仕方である。
獲物を放置した場合と、しっかり捌いて売ったり食べたりした場合とでは、後者の方が得られる経験値が多いのである。中でも魔導核を取り出したか否かの違いは大きく、手間を省くときは魔導核だけを取り出すことが一般的である。
また倒した獲物を供養したり、輪廻転生の輪に加わることを願ったりした場合も得られる経験値が増えることが分かっており、自身の行動に対する意志や思い、与える影響をどれだけ認識出来ているかなどが、経験値の根幹ではないかと考えられている。
そんなわけで、魔導核を回収しつつ獲物の来世を願い、狩りを続けたのだった。
森に入って二時間ほど。森もだいぶ深くまで進んだ。出てくる魔獣も徐々に手強くなり、龍穴に由来する魔力も濃くなってきた。魔力も度が過ぎれば人体に害を及ぼすことが知られており、そろそろ常人では進むのが辛くなる頃合いであった。
「アルフォンス、そろそろ戻るとしようか」
そう振り向いて声を掛けると……そこにはアルフォンスも彩花もおらず、ただ森のさざめきだけが存在していた。
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