第一部 

第一章 智龍歴6384年 王子様五歳、森を散歩しておおかみさんと出会う

第一話

 王城の敷地内のある一角に、二人の男が対峙していた。一人は筋骨隆々とした成人男性。炎のような赤髪と薄く金に色づいた瞳が猛々しい印象を与えている。もう一方はわずか五歳の少年だ。赤髪の男の腰程の身長しかないが、その黒い瞳は冷静な光を宿しており、対峙する男を真っ直ぐに見つめていた。

 両者がその手に握るのは訓練用に刃を潰した直剣だ。訓練用とはいえその重さは本物同様である。少年が持つには本来重すぎるものであるし、当たり所が悪ければ怪我では済まないだろう。


「いきます」「来い」


 二人が短く声を発すると、少年が飛び出した。相対していた五メートルの距離を、剣の重さを感じさせない速度で駆け抜ける。対する男性は、少年のものより一回り大きい直剣を無造作に握っていたが、少年が間合いに入るや滑るような動きで振り下ろした。

 少年は振り下ろされる剣に対して己の剣を頭上に掲げ、速度を落とさずに突き進んだ。二人の剣がぶつかる寸前、少年は魔術による肉体の強化を引き上げた。左足を軸にしてやや強引に振り下ろしの力を受け流し、反動を使って速度を落とさずに右前方に跳躍。すれ違いざまに相手の左脚に斬りかかろうとした。

 対する男性は少年の意図を察し、少年の跳躍を押し出すように袈裟懸けに振り下ろす。同時に右足を軸に振り下ろしの勢いを利用して反転。少年の斬撃を回避しつつ少年に向き直る。

 跳躍の目算を狂わされた少年は着地の際に硬直。その隙を逃さず、男性は見た目からは想像できない、しなやかな手首の動きと足運びで切り返した。

 少年は右側に跳んで回避。男性のさらなる追撃に背を向けて回転しながら剣を合わせ、反動を利用して距離を取った。


「敵に極力背を向けるな。そう何度か言ったはずですがね」

「ごめんなさい」

「普通なら剣を合わせるなんて芸当は出来ないんですがね。王子の空間把握が優れてるのは分かってますが、それに頼りすぎては変な癖が付いてしまいます。まだまだ動作の基本をたたき込む必要がありそうですね」

「手加減を要求する」

「それは王子次第ということで」


 王子と呼ばれた少年は顔を引きつらせながら救いを求めたが、男性の威圧的な笑みによって押し込められた。少年は渋々剣を構え直し、再び男性に向かって斬りかかった。



「今日はここまでにしましょう」


 はじき飛ばされること五回、蹴り転がされること三回、寸止めに至っては両の手では数え切れないほど。少年の息が上がってきたのを見計らって、訓練は終わりを告げられた。


「ありがとうございました」


 少年は剣を鞘に収めて礼をしたのち、ふらふらと渡り廊下そばのベンチに歩み寄りトスンと腰を下ろした。

 そんな少年に俺は内心で声を掛けた。


(おつかれ、フミヤ。また、こっぴどくやられたな)


 訓練をしていた少年の名はフミヤ=シュタインベルク。俺の生まれ変わった肉体である。


(そう思うなら訓練変わってよ、文弥)


 こう返してくるのはフミヤ。俺がこの世界に生まれ落ちた時に初めて産み出した人格であり、先程の訓練で身体を動かしていたのも彼である。


(俺がやったら訓練にならないだろうが。それに剣さばきの違いで別人なのがばれる。いずれは俺の事を話す日が来るだろうが、それは今じゃない)

(僕は別に話してもかまわないと思うけどなあ。文弥だって信用してない訳じゃないんでしょ?)

(アルフォンス個人は信用できる。だが、彼に縁がある人間が全て安全な訳ではないんだ)


 先ほどまで訓練相手を務めていた男性の名はアルフォンス。二年前、魔獣に襲われていたところを助けられた際に父が気に入り、以来食客として招かれている。

 最近では俺の専属護衛の候補に挙がっているらしく、現在身辺及び経歴が調べられているらしい。

 分かっていることは孤児院の出であり、若い頃から傭兵として各地を転々としていること。数々の戦場で勇名を馳せており、剣術と魔術共に秀でた使い手であることだ。

 その腕前は達人の域に達していると言って良く、こうして第一王子の訓練を任されているほか、最近では軍の教練にも招かれているらしい。

 腕が立つだけであるのならば問題はないのだが、見る人が見れば剣術、魔術共に非常に洗練されており、確固たる師に教えを受けたことが見て取れる。しかし、いくら調べても彼がその技術を学んだ痕跡が出てこないことが、いまいち踏み切れない理由でもある。

 ともあれ腕が立つのは確かであり、また真偽判定の魔術により他国と繋がっていないことも分かっているので、彼は無事食客として城への滞在を許可されたのだった。


 一連の考えを漠然としたイメージでフミヤに伝えているうちに防具は兵士によって取り外され、剣と共に整備室へと運ばれていった。

 兵士が立ち去るのを見計らって、侍女達がタオルと飲み物を差し出してきた。汗を拭きつつアルフォンスの方を見やると、別の侍女が飲み物を差し入れていた。彼女はしきりにアルフォンスに話しかけており、彼も楽しそうに受け答えをしていた。

 俺が生まれたリソニア王国は、竜の巣とも魔の山脈とも呼ばれる大陸中央にある未踏の地、それを取り囲む四つの大国の一つである。封建制を敷いており、侍女の多くは貴族達の子女である。彼女たちは行儀見習いとして来ているというのが建前ではあるが、実際のところ婿捜しも兼ねていることが殆どである。彼女たちは職務上、国内外問わず有力者と出会うことが多い。親の伝手をも利用して入手した情報を元に虎視眈々と狙いを定め、あの手この手で近づこうと画策しているのである。

 そんな獲物たちの中にあって、アルフォンスは頭一つ抜けた有力株である。そう、端的に言って彼はモテるのだ。


 髪と瞳の色から猛々しい印象を受けるがその顔立ちは整っており、立ち居振る舞いも洗練されている。フリーランスの傭兵として交渉能力も鍛えられている彼は話もうまく、その口から語られる世界各地の経験談は、噂好きの侍女達を満足させるのに十分であった。出自が不明ということで距離を置く者もいるが、そこがミステリアスで良いと感じる者も多く、有力貴族の落とし胤ではないかというのが侍女達の中でのもっぱらの噂である。

 これらの個人的な魅力に加えて未来の王様の側近候補という条件まで加われば、侍女達が群がるのも宜なるかなといった次第である。


 そんなわけで最近は訓練になると毎回のように手の空いた侍女達が見学に来ており、今も鍛錬場と廊下を仕切る柱の後ろに隠れるようにしてのぞき込んでいた。

 ある者はアルフォンスに陶酔した、あるいは獲物を見定めるような視線を送っており、またある者は、運良くアルフォンス付きの仕事を得た侍女に羨ましそうな、あるいは妬ましそうな視線を送っていた。

 そんな彼女たちのすぐ脇で警護をしてくださっている兵士の皆さん、ご苦労様です。ねえ侍女の皆さん、彼らだって王太子警護を任されるだけあって将来有望なんですよ? もう少し彼らのことを見てあげたって、良いんじゃないかな。


 そんな栓もない事を考えていたら、受け取ったグラスが空になっていた。脇に控えていた侍女に一言礼を言ってグラスを渡し、執事のルドルフに声を掛ける。


「ルドルフ、今日の予定はどうなっている?」

「賢者様の授業をお受けになった後、ヒルメスの森で狩りを行うこととなっております」

「そうか。先に汗を流したい。賢者殿には少し遅れると伝えておいてくれ」

「かしこまりました」


 アルフォンスを見るとまだ談笑をしていた。侍女には申し訳ないが、アルフォンスにはまだ仕事があるのだ。ここでお開きとさせてもらおう。


「アルフォンス、こちらは先に上がるよ。狩りの準備をよろしく頼む」

「おお、そういえば今日でしたね。王子の位階を上げるため、しっかり準備をするとしましょう」


 この世界では、魂の格を位階と呼んでいる。位階が上がることで世界の根源と深く繋がることが出来るようになり、より大きな力が振るえるようになるのだ。

 位階の上げ方は様々であり、気がついたら上がっていたという人も多く、未だ明確な法則は分かっていない。ただ、通説として魔力を多く持つ生き物に打ち克つと、位階が上がりやすいということが言われている。

 また、位階が上がることで単純に身体が丈夫になり、寿命も延びるということが統計的に分かっている。なので王族であろうとも、多少の危険をおしてでも位階を上げることが推奨されているのだ。


 ともあれ、その前にやることがある。まずは汗を流しに行くとしよう。

 入り口の護衛二人を伴って、侍女を尻目に廊下を進む。鍛錬場のある一角は城内の中枢からは外れており、外来客や貴族が通ることはあまりない。それでも侍女や官僚などは利用することもあり、すれ違うたびに足を止めて黙礼したり、手を振ってきたりする。中には仕事の手を止めて部屋から出てきて挨拶するものもいたりする。

 シュタインベルク王家は民との距離が近いとはよく言われているが、いくら何でもフレンドリーすぎやしないだろうか? 彼らへの対応をフミヤに任せて内心そう独りごちる。


「相変わらず王子は人気者ですねー」


 護衛の一人がからかい混じりに声を掛けてきたので、皮肉を返してやることにする。


「そういう君はさっきの訓練の時も、侍女に見向きもされていなかったな」

「い、いいんです。我らの勤めは王子をお守りすること。我々が目立つようでは仕事に差し支えます。……でも、あの娘かわいかったなあ」

「おいフレッド、本音が漏れてるぞ」

「え? ライアン、俺なにか余計なこと言ってた?」

「ああ、ばっちりとな」

「ぐっ。そ、そもそも、アルフォンス殿が愛想良くするのが行けないのです。日を重ねるにつれて見学にくる侍女が増えてきており、このままでは遠からず警護に支障をきたします。王子の方からアルフォンス殿に控えるように言っていただけませんか?」


 ひがみの気持ちがないわけではないんだろうが、確かに順調に観客が増えてきている。わざわざ闘技場で訓練するわけにもいかないし、手を打つとするか。


「そうは言っても、無愛想にしろと言うわけにもいかないしな。とりあえず侍女長に現状を伝えておく。彼女ならなんとかしてくれるだろう」

「ありがとうございます!」



 そうこうしているうちに俺の部屋にたどり着いた。


「異常は?」

「ありません!」

「ご苦労様」


 扉前で警護に当たっていた兵とやりとりしている間に、ライアンが室内に入り点検する。


「室内の安全確認できました。どうぞお入りください」


 転生して五年になるが、未だにこの警護の厳重さに慣れることはない。かといって彼らの仕事を奪う訳にはいかないし、大国の一つとして周りの国からは常に狙われている。実際に警護の者が居なければ危なかった事は過去に何度もある。王族という立場につきまとう、しがらみとして受け入れるしかないのだろう。


 室内に入り、併設されているシャワー室へと足を運ぶ。着ていた衣服を壁際の箱に投げ入れ、シャワーを浴びる。

 この世界では多くの人が魔術を行使することができる。しかし、だからといって科学技術の発達が遅れているわけではない。この世界は成り立ちからして避難するための場所であり、過去に何度も現世で危機に陥った人間をかくまってきたらしい。彼らの持っていた知識と魔術が合わさり、さらに現世よりも加速された時間で歴史を積み重ねたこの世界には、魔術工学とでも呼ぶべき理論体系が成り立っている。

 そのため現世よりも快適な部分も多く、このシャワー室もその恩恵を大いに受けている。

 例えば、室内のコンソールを操作すれば、皮膚に適度な潤いを保ったまま余分な水分を取り除くことが出来る。また、衣服を入れた箱は自動で汚れを取り除き、ほつれなどを修復してくれる優れものである。

 箱から取り出した衣服を身につけるが、これだって着ている者への毒や、魔術による呪いといったものを防ぐ機能が織り込まれている。

 とはいえ万人に行き渡っているわけではなく、洗濯などの仕事を行うための女中がこの城にも大量に勤めている。


 シャワー室から出て机に向かい、昨夜まとめ上げたレポートを確認する。

 賢者ノリスは長命種であり、千年ほど前には既に食客として図書館に住み着いていたと言われている。その豊富な知識と知恵を買われてご意見番として、また、王族の家庭教師として働いてもらっている。その教え方は非常にわかりやすいのだが、復習、反復記憶にうるさく、毎回のようにレポートを課してくる。レポートに不備があるとその部分を繰り返し教えてくるので、提出前の最終確認は重要なのだ。

 まあ、何もなくても話を繰り返す場合があるのだが、たぶん、それだけ大事な内容なのだろう。決して呆けてきてる訳ではないと思いたい。


(僕、ノリスの授業きらいー)

(そうか? わかりやすいだろう?)

(そうだけど。けど、なんか窮屈っていうか、僕のことあまり見てくれてない感じで嫌なんだ)


 フミヤは根本的に俺と同一の存在であるため、洞察力が鋭い。ノリス自身は決して頭が硬い訳ではないのだが、千年同じ事を繰り返してきたためか教え方に一種の型が出来ている。それ故分かりやすいのだが、同時に遊びが少ない訳で、その辺りがフミヤには合わないのだろう。


(それなら今度、正直に伝えてみるか。ノリスだってたまには変わった教え方をしてみたいかもしれないしな)


 まあ、教え方を変えたところでフミヤに合うかは別問題なのだが。とにかく、レポートの確認も終わったことだし、図書館に向かうとしよう。



 ノリスの授業が終わった頃にはだいぶ陽も昇っていた。狩りへ行くために通用口に向かっていると、一人の女性と出会った。


「これはフミヤ王子。ご機嫌麗しゅう存じます」

「たしか、クロックフィールド侯爵でしたか。お久しぶりですね」


 彼女はエミリア=クロックフィールド侯爵。軍馬の名産地を抱えており、軍に強い影響力を持っている家柄だ。


「覚えておいでになられたとは、流石神童と名高いフミヤ様であらせられます」

「ありがとう。ところでエミリア殿は父上に何か用でもありましたか?」

「ええ。次の遠征に関する相談をしてきたところです。あとは、毎度のことではありますが、早く夫か養子を取れと催促されました」

「それは……心中お察しします。ですが、クロックフィールド家はリソニアを支えてきた歴史ある家柄。父も途絶えさせるのは忍びないと考えているのでしょう」

「これまでも何度か縁談はあったのですが、最終的に父を納得させるものが一人もおらず、今に至ってしまいました。ウエディングドレスにも興味はあるのですがね」


 エミリアは苦笑しながらそう語った。彼女の父は軍の最高責任者である元帥の地位に就いている。かつては侯爵と兼任していたが、エミリアが成人したのを機に早々に家督を譲り、現在は将軍職に専念している。

 故に彼女の婿や養子になると言うことは、将来的に軍の要職が約束されることと等しい。もちろん世襲で継げるほど軍隊というものは甘くないが、クロックフィールド家に伝わってきたノウハウを得られる事は大きな武器である。故にその知識、延いては軍の要職を狙っている貴族の次男や三男から、ひっきりなしに求婚や養子の縁組が申し込まれているらしい。


「こんな時に兄が居てくれたら。そう願うのは、いけない事なのでしょうね」


 エミリアには年の離れた兄が居たそうだ。軍に所属しており、将来も有望視されていたらしい。しかし、作戦行動中に行方不明となっている。記録によると火竜の討伐に赴き、火竜の環境魔術に巻き込まれたそうだ。以降姿は発見できず、また、火竜の被害も収まったことから、相打ちになったのだろうというのが軍の見解だ。


「居ない人の事を話しても仕方ありません。しかし、公式に死亡が確認された訳でもないので、もしかしたらひょっこりと顔を出すかもしれませんね」


 この世界は割と人の命が軽いくせに、奇跡も起こりやすいときている。死んだと思った人間が数年後に現れるという話も世界各地で確認されている。決して考えられない話ではないのだ。


「そうだと嬉しいのですが。それでは私はここで失礼いたします。お話につきあって頂きありがとうございます、王子」


 そう言うと、エミリアは踵を返して来た方向へと戻っていた。

 たしかあちらには、軍の共同墓地があったはずである。もしかしたら、兄の墓参りに向かったのかもしれない。

 さて、こちらも目的地に向かうとしよう。



 通用口に行くと、王族用の馬車と馬が三頭用意されていた。傍らでは御者とアルフォンスが談笑をしており、俺に気づいたのか振り返り声を掛けてきた。


「王子、こちらです。賢者様の講義はいかがでしたか?」

「いつも通りといった感じだったよ。四大国の成り立ちについて嫌って言うほど聞かされた。あそこまで詳しいと、その頃生きていたのではないかと疑いたくなる」

「ははは。賢者様でしたらあり得そうなのが恐ろしいところですね。あの方は何年生きているのか想像もつきません」


 アルフォンスと話している間に、フレッドとライアンは馬の装具の点検を済ませて跨がっていた。


「それでは参るとしましょうか。一時間もかからずに到着する予定です。ご昼食は馬車の中に用意しております」


 アルフォンスもそう言って馬に跨がった。扉を開けてくれた御者に礼を言って乗り込むと、中には先客が一人居た。


「は、初めまして、フミヤ王子。本日の護衛召喚士を務めます、北条ほうじょう 彩花あやかと申します」

「初めまして、彩花。そう硬くならなくて大丈夫だよ」

「あ、ありがとうございます」


 彩花は肩まで伸びる黒髪が舞い上がるほどの勢いで、頭を下げた。

 この世界では割と多くの人が魔術を使うことが出来るが、こと召喚術となると特殊な才能が必要であり、扱える人の数は一万人に一人と言われている。

 召喚術は空間や世界の境界に働きかけることが出来、転移門なども召喚術に分類される。もちろん才能の多寡はあるものの、軍隊を遠隔地へ即座に送ることや、大量の物資の保管や輸送なども可能であり、各国とも戦略の要として囲い込みや育成に力を入れている。

 またその能力は暗殺や誘拐にも有効であり、対抗するためには専用の術式を刻んだ魔道具か同格以上の召喚術士が必要である。もちろんこの馬車にも国の粋を集めた対抗策が施されているが、それを十全に発揮するためにも取り扱う召喚術士は不可欠である。

 そのため王族が外出する際は、優秀な召喚術士が護衛として付くことが決められている。


「僕の護衛に選ばれるって事は、彩花は相当優秀なんだね。他の護衛の人たちよりも随分若く見えるけど、もしかして長命種だったりする?」

「いえ、私はまだ十六歳になったばかりです。それに優秀なんて。先輩達には教わることばかりで、毎日自分の未熟さを痛感しています」

「へー。けど十六歳って、学院はどうしたの?」


 この国では十歳から五年間の義務教育を課している。またその後三年間、希望する職種に合わせた学院に通うことが一般的である。さらに国お抱えの魔術師となるのであれば、その後二年間の専門育成機関に入る必要がある。なので、二十歳に満たない彩花が城で魔術師として働いていることは、普通では考えられないのだ。

 他の国から来たのであればまた話は違うが、そもそも優秀な召喚術士はどこの国も放したがらないので、よほどの理由がない限り他国から召喚術士がやってくることはない。


「え、えっと……。ちょっと事情がありまして……。と、ともかく、全力をとしてフミヤ様をお守りいたしますので、お任せください!」


 なんか勢いでごまかそうとしている。まあ、本人が言いたくないのであれば、無理に聞く必要もないだろう。アルフォンスと違って正式に護衛として採用されているということは、安全性は十分に確認されているのであろうし。



 気がつくと馬車は市街地を抜け、城壁の外へと出ていた。城下町には劣るものの、きれいに舗装された街道を馬車はひた走る。外には一面の農地が広がっており、時折農民が馬車に気づいて手を止めて頭を垂れるが、その姿もすぐに過ぎ去っていった。

 リソニア城の周囲は殆ど開拓されており、危険な魔獣は滅多に姿を現さない。平和で良いことではあるのだが、おかげで狩りに出ようとすると、今回のように遠出をする羽目になってしまう。この馬車は魔術工学のおかげで揺れを全く感じないが、普通の馬車で行く駆け出し協会員は、たまったものではないだろう。


 外を眺めるのにも飽きたので、昼食を取ることとしよう。

 車内に備え付けられていたテーブルを展開し、ランチボックスを置いた。このランチボックスも魔術工学の賜物であり、内部の時間を停止していつでも作り立てが食べられるという優れものである。

 これ一つで城下町の一等地に屋敷が建つと言われており、正直弁当一つにやり過ぎではないかとも感じてしまう。だが、こういった贅沢品を作ることで貴重な技術が維持、継承される側面もあるわけで、将来国を背負う身としては一概に悪と断じるわけにも行かないのが頭の痛いところである。

 術式を停止させて箱を開けると、文字通り出来たての料理が顔を出した。メインディッシュは金喰いウサギのローストで、薄く塗られたマスタードソースが食欲をそそる匂いと照りを放っている。また、箱の片隅には季節の野菜とチーズ、ローストビーフを挟んだサンドイッチが敷き詰められていた。パンは焼きたてのものを使ったのか湯気が立ち上っており、その熱でチーズが溶け始めていた。異界産の高級な果物もきれいに飾り包丁が入れられており、料理長の意気込みが垣間見える出来映えである。


 まずはサンドイッチを一つ、と思い手を伸ばしたところで、向かいからの視線に気がついた。彩花は俺の弁当を凝視していたが、俺の手が止まった事に気がついたのか視線をこちらに向けてきた。


「…………」

「食べる?」

「い、いえ! 自分の分は用意してありますので、お構いなく!」


 しばらくは目が合ったまま赤面していた彼女だが、俺の言葉で正気を取り戻したのか激しく首を振って否定した。

 彼女は乱れた髪を整えると、一息ついて宙に術式を描き、同時に詠唱を始めた。


「其は此方と彼方を繋ぐ門。外なる理にて内なる理を破り、彼の地の物を我が前に示せ――転移門ポータル!」


 彼女の魔力で描かれた術式は円陣を象り、詠唱に導かれるように円陣の中に文様を刻んでいった。そして最後の一言が放たれると共に術式は完成し、光を放って空間を歪めた。

 光が収まった後には、可愛らしい柄の布で包まれた弁当箱が現れていた。弁当箱は重力に引かれて彩花の手に収まった。


「お見事」

「私はまだまだです。詠唱を省けるようになるのは暫くかかりそうです」


 なかなか良い物を見せてもらった。そう思いながら手を叩くと、彼女はかぶりを振って否定した。

 謙遜しているのか自己評価が甘いのかは分からないが、今の芸当を出来る召喚術士がいったいどれだけいるものか。リソニア国内では十人も居ないだろう。


(いまの魔術ってそんなにすごいものだったの?)

(すごいなんてものじゃあないぞ。国賓として遇されるか、あるいはその首が付け狙われてもおかしくない)


 だが、本人がそのことを自覚していないというのは、少々危ういところである。ここは少し釘を刺しておくとしよう。


「そんなことはありませんよ。そもそもこの馬車は魔術対策が厳重に施されています。特に暗殺や誘拐を警戒して、召喚術への対策には力を入れているとか。あなたはそんな馬車の中に、外から物を召喚したのです。それに術者が移動しながらの術式展開、対象物への慣性制御など、目立ちはしませんがどれも高等技術です。これらを僅か三節ほどの詠唱で成しえたのです。誇って良いことだと思いますよ」

「ありがとうございます。でも、やっぱりお師匠様や先輩に比べればまだまだ……」

「彩花さんがどんな環境で学んだのかについて今は問いませんが、あなたのその才能はとても希有なものだと自覚してください。その年でそれ程の使い手は、まず国中を探しても見つかりません。末恐ろしいものですよ」


 いや、ほんとに。そして何よりも恐ろしいのは、国内ではまずあり得ない師や兄弟弟子が存在する環境で学んだ彼女が、こんなところに居ることである。前世を含めた俺の経験が、確実に厄介事の種になると警鐘を鳴らしている。

 そんな彼女は、うつむきながらもこう答えた。


「えっとですね……。その、余り同年代の友達が多くなくて、自分の腕がどれくらいなのかよく分かっていないんです。そ、それからっ、王子様のお年でそんなことが分かる方が、よっぽど末恐ろしいと私は思います!」


 意外と言うものである。まあ、打ち解けてきたと思えば良い兆候ではあるか。


「ありがとう、これでも国内では神童として通っていてね。お互い将来が楽しみな者同士、仲良くしようじゃないか」

「はいっ!」

「ただし二人きりの時はともかく、周りの目があるときは言葉遣いに気をつけるように。不敬と取られると面倒だからね」

「う……。か、かしこまりました」

「よろしい。それじゃあ、冷めないうちに食事をするとしようか」


 しばらくは無言で食事を進めた。彼女の弁当を見ると、おにぎりに唐揚げ、卵焼きなど、懐かしさを感じる内容であった。


「彩花さん、そのお弁当は自分で作ったの?」

「はい、そうですよ」

「意外と料理出来るんだね」

「意外ってなんですか、意外って」

「いや、なんか箱入りのお嬢様っぽかったからさ」

「う……。修行していたときは持ち回りで食事当番をしていたんです。本職の方には劣りますが、それなりにレパートリーも豊富なんですよ」

「へえ? それじゃあ、本職の作ったサンドイッチとそのおにぎり交換してみる?」

「良いんですか?」

「うん。久々にお米も食べたいしね。それにさっきからずっと目で追っていたでしょ?」

「あう。ばれていましたか」

「ばればれでした。はい、どうぞ」


 サンドイッチを掴んでそのまま彼女の口元に差し出し、返す手でおにぎりをひったくった。

 久々の米の甘みと海苔の風味が、口の中に広がった。ふむ、具材は梅おかかか。良いチョイスである。

 彼女はしばらく赤面していたが、サンドイッチが落ちそうになったのを慌てて掴み、食べ始めた。


「あ、おいしい。ローストビーフの肉汁をチーズがしっかり支えて味に奥深さを出しています。それに野菜の歯ごたえがアクセントになって飽きを感じさせません。さらにレモンベースのソースとチーズ、ローストビーフに用いられた燻製の香りが野菜の臭さを抑えつつ全体を上手く調和させ、すばらしい一品に仕上げています。こんなにおいしいサンドイッチは初めてです。私、感動しました!」


 彼女は立ち上がり、そう吠えた。なんというか、グルメリポーターにでもなれそうである。


「すばらしい感想をありがとう。きっと料理長も喜ぶと思うよ。それにしても、よくそんな味の違いが分かるね。きっと幼い頃から色々とおいしい物を食べてきたんだろうね?」

「え、あ……う。そ、それはですね、昔住んでいたところは交易が盛んで、屋台がたくさんあったんですよ。それで食べ歩いているうちに、自然と舌が肥えてしまったんです」


 この期に及んでお嬢様説を否定したいようである。まあ、そのうち話してくれるのを待つとしよう。


 しばらくたわいない話をしつつ食べ進め、食べ終えた頃には目的地が目視出来るようになっていた。


「あれがヒルメスの森ですね」

「みたいだね。駐屯地があるらしいから、そこで一息つくことになると思う」


 森の隣にある村が見えてくることには、浄化機能により食事の匂いはなくなっていた。村に入って大通りを抜け、馬車は軍の駐屯地にたどり着いた。

 馬車から降りると、ひょろっとした温和な顔つきの男性が俺の前に立って敬礼した。


「ようこそおいでましたフミヤ王子。ヒルメス駐屯地の職員一同、歓迎いたします」


 馬車に乗ること一時間。ようやくヒルメスの森に到着したのだった。さて、狩りに出かけるとしよう。

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