プロローグ5
あの出来事から二日後、俺は斑鳩寮に来ている。
つい先日買い物に来たのが、随分遠くのことのように思える。とはいえ今回は魚光が目的で来たわけではない。
石畳を直進して寮内に入り、来客用のスリッパに履き替えて二階を目指す。目的の部屋にたどり着いて扉をノックする。
「与一、俺だ。入って良いか?」
すると間髪入れずに返事が返ってきた。
「鍵は開いてる。入ってかまわんぞ」
相変わらず察しの良いやつだ。あいつのことだ、敷地内に入った時から気がついていたのだろう。
扉を開くと、窓を開けていたのか風と共に、い草の香りが鼻をかすめた。
中に入ると、座布団の上で瞑想している親友の姿があった。与一は不機嫌そうに片目を見開いて俺の方を見ると、こう問いかけてきた。
「それで何があった。そもそもお前の身体はどうした?」
説明の手間が省けそうでなにより。しかし、驚かしがいのないやつである。
ちゃぶ台を挟んで向かいに座り、これまでの出来事を説明する。
「そう……か。あれに巻き込まれたのか。だが、こうして話せるようで何よりだ。それで、こちらには戻ってこられそうなのか?」
「皆目見当が付かないってのが正直なところかな。人の身を外れるための修行なんてやったことがないんだから、想像のしようもない。与一、お前の方がその辺り詳しいんじゃないのか?」
「わからん。ただ、聞くところによると箱庭の中は外界種の隔離にも用いられているらしい。危険は伴うが、外界種を滅ぼすのが手っ取り早いだろう。普通の人間では、それでも一生を掛けなければならんだろうが、お前は管理者に段取りを整えてもらっているのだろう? ならば二、三十年で至れるかもしらんな」
こちらでは二、三年か。連絡手段はあるのだから、もう少しのんびりしても良さそうだ。安全第一に行くとしよう。
「まあ、それなりにがんばるさ。それにしても、随分事情に詳しいな。実家から通達でもあったのか?」
「それだけなら良かったのだが。あの事件で至る所の結界や境界に綻びが生じてしまってな。実家総動員で修復に当たることとなり、駆り出される羽目になった」
与一の実家は代々特殊な力を受け継ぐ家柄だ。その能力は『開くこと、閉じること』ならほぼ何でも出来ると言ってもよく、宝物庫や重要拠点の警備を生業にしている。
「閉じるのが苦手なお前にまで声がかかるなんて、相当酷い状況だったみたいだな。運の悪いことで……と言いたいんだが」
「まあ、一番ついてなかったのは文弥だろうな」
こんな確率を引くくらいなら、宝くじにでも当たって欲しかったものだ。いや、結果的に能力が強化された今、当たりくじを引き放題なのは皮肉なところか。
「事情は理解した。しかし、部活の研究はどうするつもりだ?」
「あちらに行っても何度か連絡を取ることは出来るみたいでな。可能な限りハードの設計は進めるから、ソフトはそちらに任せた。組み立ての人員は……最悪おやっさんにでも頼めばなんとかしてくれるだろう」
「あの人にはあまり借りを作りたくないんだがな。仕方ない、何とかするとしよう」
「気にしなくても良いだろ。今回の件でだいぶ責任を感じてるみたいだしな。俺が居ないことで起きる不都合に関しては、喜んでフォローしてくれると思うぞ」
「なるほど。ところで、
俺とこいつ、そしてこいつの彼女である晶の三人が中核となって、一年ほど前に部活を立ち上げた。活動が軌道に乗り始めた矢先に今回の事件に巻き込まれた訳だが、あちらに行くにあたって部活を放り投げることになってしまうのが一番の心残りである。
「いや、お前と違ってどこまで話して良いか分からなかったからな。そちらで取捨選択して説明してくれると助かる。最悪、おやっさんかノイエにでも頼んで暗示を掛けることになるだろうな」
「海外に雇われたって話か。ところでノイエってのは、門の外で待っている人のことか?」
「分かるものなのか。お前の対人レーダーはいったいどうなっていやがる」
「管理者の方々の気配は独特だからな。この街の中ならだいたいの居場所は分かるぞ。一般人や気配を消した人間では、せいぜいこの敷地内が限度だろう」
「お前鬼ごっことか、かくれんぼやったことあるか?」
「……数回やったら仲間に入れてもらえなくなった」
ついと目を逸らしながら与一は答える。相変わらず人間離れしているというか、生まれる時代と場所を間違えたような男だ。正直、だいぶ人を外れた今でも、正面切って喧嘩したら勝てないだろう。
「お前の幼少期が孤独だったことは、よく分かった。それでだ、今日ここに来たのはいろいろと渡すものがあったからなんだが、ここに置いて良いか?」
「ふむ? 見たところ手ぶらのようだが?」
「まあ、見て驚け」
俺はそう言って、おもむろに腕を宙に差し出した。その先には黒い孔が出来ており、手首まで突っ込んだ俺の手を引き抜くと、一冊のクリアブックが収まっていた。
「! 転移門……ではないな。そもそも魔術の気配がしなかった。いったいどんな手品だ?」
「驚いてくれたようでなにより。まあ、固有能力ってやつになるのかな。ゲームでよくあるアイテムボックスみたいなもんだ」
「異能か。便利なものだな。それでこれは……部活の書類か」
俺が手渡したクリアブックをペラペラとめくりながら、与一が訪ねる。
「ああ、面倒だろうが引き継ぎ宜しく。データは共有ストレージに上げておいた。それから、この前のバーベキュー道具一式も持ってきたんだが、どこに置けば良い?」
「ベランダ……は持ち出す時に汚れそうだな。倉庫に置くとするか。着いてきてくれ」
与一に続いて部屋を出る。後ろ手に扉を閉めると、カチャリと鍵の閉まる音がした。
「お前のも大概便利な力だな。そういえばこの寮結構女性も多かったよな。実はお前って要注意人物なんじゃ……?」
「大家さんからは、絶対に自分の部屋以外では使ってくれるなと念を押されている。それに、大家さんの許可無しには他の部屋に使えないように、誓約の魔術を交わしている」
「そんな魔術もあるのか……。けどさ、お前の能力ならその誓約ってのも『開けられる』んじゃないのか?」
「まあな。ただ、開ければ誓約を交わした大家さんも気づく。一種の警報装置みたいなものだ」
そんな話をしながら階段を降り、右手の廊下をしばらく歩いた。突き当たり右手の扉の鍵を与一が開いて中に入ると、随分立派な物置になっていた。
部屋ごとに棚が与えられているようであり、いくつかの棚には住人の正気を疑うような品も置かれていた。
「文弥はここに入るのは初めてだったか。あまり他の棚を覗かない方が良い。酷いものやヤバいものは鍵付きのロッカーに入れられているが、見ていて楽しくないものも多いだろう」
「いや、噂には聞いていたけど、流石変人の巣窟と名高い斑鳩寮。銃刀法違反や凶器準備集合罪でしょっ引かれそうな光景だな」
「その辺りは深く考えないのが、この寮で楽しくやっていく秘訣だ。道具一式はこの棚に置いてくれ」
与一に示された棚に手をかざし、能力を発動する。一瞬黒い揺らぎが生まれて消えた後には、焼き台や火箸、備長炭等が置かれていた。
「これでよしっと。ま、次に二人して炭火を囲むのは何時になることやら」
「そんな寂しいこと言わずに晶も入れてやれ」
「いや、あいつ不器用だし食べるの専門だろ?」
「む……。次までには料理を仕込んでおく」
俺がこちらに戻るのが先か、晶が料理を覚えるのが先か。のんびりやるつもりではあるが、手心を加えるつもりはない。晶をからかうためにも、改めてこちらに戻ることを決意するのであった。
「それじゃ、またな」
「ああ、また何時か会おう」
そんな、普段と同じような別れを交わし、俺は斑鳩寮に背を向けた。今生の別れではない。しんみりとした雰囲気は俺たちには合わないだろう。だが、こちらでは数年でもあちらでは数十年の時が必要だと思うと……少し、心苦しくなる。
門を潜ると、心地よい日射しを背にノイエが駆け寄ってきた。
「お疲れ様です。お別れは済みましたか?」
「ええ、まあいつも通りです。あいつもある程度事情は知っていたみたいですからね。特に時間もかかりませんでした」
「そうですか。しかし、文弥さんのお友達があの家の方だとは思いませんでした」
「あいつの家ってのは有名なんですか?」
「それはもう! 例の『因子』を代々受け継いできた家ですからね。要監視対象です」
そいつは初耳である。いろいろ巻き込まれたとはいえ、世界の危機は縁遠いものだと思っていた。しかし、こんな身近に救済の鍵があるとは思わなかったな。
「まあ、あいつの家の家督は弟が継ぐらしいですからね。それに世界が『孔』に近づくのはまだ先なのでしょう? しばらくは何事も起きないと思いますけどね」
「そう思っていたら、文弥さんが巻き込まれてしまったのです。あまり油断するわけにもいきません」
両の拳を握って意気込むノイエ。まあ、確かにそうである。人生何が起きるか分からないものだ。
「それで、次に向かうのはアルバイト先でしたっけ?」
「ええ、いろいろと引き継ぎしなければならないのですが、だいぶ腕を買われていたので急に辞めるとなると引き留められるかもしれません。もしもの時は暗示をお願いします」
「もちろんです! 任せてください」
今日こうしてノイエと連れ立っているのは、この世界を去るに当たって生じる問題を解決してもらうためである。既に一人暮らしをしていたマンションは解約し、家具一式は能力で収納した。何もないまっさらな部屋には後ろ髪を引かれたが、何時戻ってくるかも分からないのに契約し続ける訳にもいくまい。
現世に残るしがらみを片付けたら、余った時間で旅行にいくつもりである。また何時か戻ってくるこの世界を、出来るだけたくさん目に焼き付けたいと思っている。
ともあれ、まずはバイト先への対処である。
「ノイエさん、バイト先は少し離れています。タクシーで行きましょう」
交差点で無人タクシーを呼び出し、ノイエと共に乗り込んだ。
途中通り過ぎた喫茶店『時の旅人』を目にしてこの街に思いをはせ、数年しか住んでいないが随分と愛着が沸いていた自分に気がつく。次にこの街を訪れたときには、果たして街並みはどのように変わっているだろうか……
楽しみではあるが、ほんの少し、寂寞の思いを感じるのであった。
コンソールやモニターが壁一面に並ぶ無機質で広大な部屋。その一角で、俺とノイエはコタツを囲んでいた。
あの事件から一週間。ついに箱庭世界へ行く日がやってきたのだった。とはいえ、まだしばらく時間はかかるようなので、こうしてコタツで時間を潰しているのだ。
「ノイエ、みかん頂戴」
「はいです」
みかんの入った木編みの籠が差し出される。四等分に割って実を取り出し、摘まみながら緑茶をすすった。脇に積んであった漫画を手に取り、部屋を見渡す。
俺を招くに当たって急ぎ片付けたのだろう。以前強く拒否したほど、散らかっているとは思えなかった。だが、抱き枕やカップ麺が転がっている辺りに、ノイエがどんな生活をしているのかの片鱗が見て取れた。
ちなみに、今俺が読んでいる漫画はこの世にはないものである。管理者たちは繰り返す歴史の中で生まれた文学や芸術の類いをデータとして保管しているらしく、暇つぶしにこうして実体化させて読むこともあるらしい。中には作者の夢に働きかけて、繰り返しのたびに物語の方向性を変えようとしているのも居るとか。それで良いのか、
ともあれ、微妙に歴史や地名、道具の名称が異なっているのが興味深く、読んでいて飽きることはない。
しばらくすると、ノイエが耳をピクリと動かした。
「名残惜しいですが、あちらの受け入れ体制が整ったようです」
「ようやくか。今まで世話になったね」
モニターの前に近寄り、ノイエの頭を撫でる。
「いえいえ。危険なのはこれからなのです。何かありましたら遠慮なく呼び出してください」
「ま、危険は未然に防ぐのが信条だ。話し相手が欲しくなったら呼ぶとするよ」
ノイエのふさふさとした耳から手を離す。ノイエはしばらく俺の手を追っていたが、気を取り直してコンソールに向かい、操作を始めた。
「こちらの準備も整いました。いつでも行けます」
「りょーかい」
俺はそう答えて扉を潜った。
扉の向こうは、白一色の立方体をした部屋だった。一般人では距離感がつかめずに平衡感覚を失っているだろう。そもそもこの部屋には立方体という設定しかされておらず、距離の概念がない。前にマスターが話していた権能付与に適した儀式用の部屋であり、術式に応じて部屋の大きさは変えられるのだろう。
能力を使って部屋の中心にたどり着くと、宙に画面が投影されてノイエの顔が現れた。
「それではこれから転送を開始します。事前に説明したように、転移に当たって文弥さんの肉体は分解されます。違和感を覚えるでしょうが、抵抗せずに受け入れてください」
今の俺が抵抗すると、術式が破綻するらしい。未知の感覚に抵抗するなというのは難しい注文だが、やってみるしかあるまい。
軽くうなずくと、足下に術式が展開された。
「それでは、しばしのお別れです」
モニター越しに、ノイエのしょんぼりとした顔が見える。そのモニターに映った額に、少々『力』を込めてデコピンをお見舞いする。
「だから言っただろ? 責任者がそんな顔をするなって」
「うぅ……そうですよね! それでは転送を開始します!」
ノイエを映し出していたモニターが消えると、俺の身体が光に包まれた。身体の感覚が徐々に薄れていく事態に違和感を覚えるが、つい最近同じ違和感を覚えたことに気づく。
これは……そう、あの漆黒の孔に飲み込まれた時の記憶だ。飲み込まれた身体は分解されていき、俺は必死に抵抗したのだった。あの時と同様に身構える心を宥める。今回は冷静に分解される身体を観測すると、細かい粒子となって術式に吸い込まれていった。やがて全てが分解されると術式の収縮が始まり、俺の精神体を包み込むと強烈な光を発したのだった。
――ここはどこだ?
気がつくと、酷く心落ち着くざわめきに包まれた真っ暗な場所にいた。
しばらく身体を動かしてみて、本能的に母親の胎内であることを悟る。どうやら無事に転生できたようである。
能力を発動してまっさらな人格を形成する。
さて、しばらくは身体の主導権を彼に任せて、俺は引っ込むとしよう。
そう考えて主導権を渡した直後、彼の身体は押し出されて安息の地を追い出されるのであった。
おめでとう、名も知らないおれ。ようこそ箱庭世界へ。さあ、まずはその産声をこの世界に響かせるんだ。
かくして俺(かれ)はこの世界に生まれ落ちた。いろいろと予想だにしなかった出会いの数々を果たす事となるのだが、それはまた後で語るとしよう。
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