第三話

 辺りを見渡すが、人影は全く見当たらない。これまでと変わらない森の光景が広がるだけだが、昔頻繁に経験した気がする違和感を覚えた。


 ……そう、これは確か……思い出した! 


 斑鳩寮の庭。魚光に行くときに感じていた違和感と似ているのだ。

 転生することになってから聞いた話であるが、斑鳩寮の庭には多種多様な結界が張られており、侵入者を惑わせる仕掛けも施されていたらしい。だとすると、この森にも結界が張られているのか?

 そう考えて、『箱庭の神様』を発動する。視覚情報では相変わらず人の姿は見えないが、取り込んだ周囲の情報を解析したところ、やや離れたところに彩花が、そこから少し離れてアルフォンスが居ることが分かった。

 二人が無事であることに少し安堵する。さらに能力を使用して結界の詳細を調べると、結界の基点は森の奥、龍穴のほぼ真上であることが分かった。術式が高度すぎて結界の奥深くまでは探れないが、基本は人払いの術式にやや変則的ではあるが、迷路化を組み合わせてあるようだ。結界の基点から離れるにつれて段階的に強度が下げられており、迷路化の術式により同じ強度内の空間しか認識できないようになっているらしい。


 森の奥に何が居るのかも気になるが、まずは二人と合流することとしよう。戻ろうとすればすんなり戻れるのも斑鳩寮のものと同じであるらしく、彩花の元にはすぐに行くことが出来た。


「やあ、彩花。無事かい?」

「フミヤ王子! 王子こそご無事で良かったです。気がついたらはぐれていました。護衛として失格です。こんな体たらくでは葉月様に合わせる顔がありません」


 彩花は泣き出しそうな顔で俺を探していたが、俺が彩花と同じ階層に出ると慌てて駈け寄り、俺を抱きしめた。しばらくそのままの姿勢で自責の言葉を並べていたが、落ち着いたのか目元をぬぐい、立ち上がった。


「落ち着いた?」

「はい。取り乱してしまい申し訳ありません。しかしこれは、いったいどうなっているのでしょうか?」

「結界だろうね。彩花に気づかせない辺り相当高度な使い手だと思う。彩花はこの結界を破れるかい?」


 俺の言葉で結界の存在に気づいた彩花は、暫く基点の方角を凝視していた。


「無理そうです。あると分かってようやく認識出来ました。私では基点に至ることも難しいでしょう」

「彩花でも無理か。だとすると城に勤めている魔術師では誰も破れないかな?」

「恐らくは。賢者様ならあるいは可能かもしれませんが、あの方が城から出るとも思えません」

「分かった。いったん戻ってアルフォンスと合流しよう」

「アルフォンス様はどちらにいらっしゃるのですか?」

「あっちの方。五十メートルくらい先だけど見えるかな?」


 俺が指で示した方を探る彩花。始めは見えていないようだったが次第に焦点が合っていき、一分もしないうちに認識出来るようになっていた。


「あ、見えるようになりました。なるほど、下の階層なら認識できるようですね。上の階層は魔導具を使っても認識出来ませんでしたから。危険性はありませんが相当高度な結界です。事前の調査で発覚しなかった訳です」


 彩花はそう言って胸元のブローチを撫でた。そのブローチは俺の持っている護符と対応している物であり、護符の所持者の安全状況や位置を確認できる機能を有している。割と強力な魔術が使われているのだが、この結界の前では機能しなかったようである。

 彩花と連れだってアルフォンスの方へ向かう。アルフォンスの方からはこちらを認識出来ないはずであるが、持ち前の勘からかある程度近づくとこちらを向いて警戒をした。


「やあ」

「王子、それに彩花さんも。これはいったいどんな手品を使ったのですか?」

「さてね。見たところ設置型ではないから、手品師は基点にいるだろう。顔を拝みに行きたいところだけど護衛としてはどう思う?」


 階層を跨ぐと俺を認識出来たのか、アルフォンスは警戒を解いた。そしてその後の俺の言葉を受けて、難しい顔をした。


「この結界からは敵意を感じませんね。とはいえ万が一と言うこともあります。これだけの結界を張れる術者を相手取るには、戦力の質はともかく手数に不安が残ります。何よりも王子が行く必要は無いのではないですか?」

「手数か……。僕も他の人に任せられるのならわざわざ危険に近づく真似はしないよ。だけど基点まで迷わずにたどり着けるのは僕くらいだと思う。何人で行くにせよ、案内役は必要だろう?」

「わかりました。とはいえ、この人数で行くのは賛成出来ません。いったん城に応援を呼ぶべきでしょう」

「もちろん応援は呼ぶとも。だけど手数を増やす心当たりがあってね。原因確認は早いほうが良いだろう?」


 先ほど彩花が行っていたが、第一王子が来るということでこの森は事前に調査が行われている。そして事前調査を行っていながら当日の警戒をしないわけがない。

 あまり大人数で森に入ると魔獣が警戒して近寄ってこないため、ライアン達は駐屯地に残してきた。なので、警護を行うとするならば遠巻きに、気配を消せる人員を当てるはずである。

 そして実際、先ほど金喰いウサギ相手に能力を発動した際に数人の隠密を確認している。恐らくは父の子飼いであろう。本人達は自身の存在がばれていないと思っているだろうし、緊急時以外顔を出さないように命令されているだろうが、この異常事態を前にしてはそうも言ってはいられない。信条を曲げてでも協力してもらうとしよう。


 二人を伴って結界の外に出る。隠密達は結界への耐性がなかったようで、早々に結界に阻まれて俺たちを見失い、途方に暮れているのが能力で感じ取れた。


「僕たちはここに居るよ。済まないが協力して欲しいことがある。姿を現してはくれないだろうか?」

「あの、フミヤ様、誰かいらっしゃるんですか?」

「ああ。僕の警護の為に父上が付けてくれたんだろうね」

「隠密ですか。リソニア国王の下には優秀な一族が仕えているとの噂はありましたが……なるほど、全く気配を感じませんな。本当にいるのですか?」

「詳細は明かせないが、僕の異能で確認しているからね。間違いないよ」


 隠密達は戸惑っていたようであるが、俺の確信を持った言葉に観念したのか木の上から一人降りてきた。


「お初にお目にかかります、フミヤ王子。掟により顔を隠したままで失礼致します。私フミヤ王子付き隠密頭を任されております、ハヤテと申します」

「初めまして、ハヤテ。君たちも見たと思うけど、どうやら何者かがこの森に結界を張っているようだ。術者の顔を確かめたい。協力してはもらえないだろうか?」

「かしこまりました。リソニア王から、王子の指示に従うように言付かっています。何なりと御申しつけください」


 ハヤテは片膝立ちのまま、頭を垂れた。流石父上。俺が彼らの存在に気づくことを織り込んでいたようである。余り父上の前で能力を使ったことはないのだが、うすうすと感づいていたのだろう。


「ありがとう。まずは全員集めて欲しい。何人で任務に当たっているのですか?」

「私を含めて十一名になります」

「なるほど、ちなみに父上に連絡は?」

「王子を見失った段階で一報入れております」

「では、結界の存在とこれから確認に当たる旨を伝えて欲しい」

「かしこまりました」


 ハヤテは俺の指示に従い魔導具を起動。王城に連絡を取り始めた。


「王子、伝達が終わりました。リソニア王からは思うように動いて良いとのお達しが来ています」

「ありがとう。それで他の隠密たちは?」

「既に集まっております。総員、姿を現して良し」


 ハヤテのかけ声を合図に、どこからともなく十人の覆面が姿を現した。


「これは……魔術の気配なんてしなかったのに」

「ええ。恐らくは異能でしょう。東方には隠密に特化した異能を受け継ぐ一族が居ると聞きますが、彩花さんの方が詳しいのでは?」


 後ろで二人が話しているのを尻目に、ハヤテに指示を出す。


「一人は駐屯地に伝令。いつでも戦闘に当たれるように準備させてください。身分を示す物はありますか」

「問題ありません」

「六人は結界の周囲の監視をお願いします。出入りする者が居たら報告をお願いします。伝令役の方も後ほど監視に合流してください。それからハヤテと腕の立つ者三人は、僕たちと一緒に結界の基点を目指します」

「かしこまりました。十号は伝令。四号から九号は監視。一号から三号は付いてこい。状況開始!」


 ハヤテの号令を受け、七人が声も出さずに姿を消す。覆面といい、他者に徹底して情報を与えないようにしているようだ。


「それでは行きましょう。中では結界の影響で迷いやすくなっています。僕が一番後ろに立って指示を出すので、注意して進んでください」

「王子が一番抵抗出来るのは分かっているのですが、流石にそれは同意できませんね。せめて誰か一人後ろに付けてください」

「むむむ。……じゃあ、だれかだっこしてくれる?」


 正直前も後ろも注意するのは、首が疲れそうで勘弁したい。


「それでは護衛の意味がありませんよ」


 彩花が手を上げそうになっていたが、アルフォンスの一言で慌てて手を下げた。彩花はそのまま悩んでいたが、何か思いついたのか提案をしてきた。


「では私が召喚獣を呼び出し、それに跨がってもらうのはどうでしょうか?」

「なるほど、その手がありましたか」

「では呼び出しますね」


 彩花は右手の杖を掲げて転移門に似た術式を展開。左腕の腕輪に付いた緑色の宝玉を顔の前に寄せ、瞳を閉じて詠唱を始めた。


「其は疾きもの。其は猛きもの。其は雷を統べしもの。盟約に従いて万里を駆け、我が前に汝が姿を示せ。来たれ――『雷伯』!」


 術式が完成すると一瞬空間がゆがみ、一筋のいかづちと共に大きな虎が現れた。

 その毛皮は一点の曇りもない雪のようであり、鋭い爪と牙を備え、ひりつく空気を纏っていた。

 雷伯から放たれる空気は森の獣たちにも影響を与えており、ざわめきと共に獣や鳥たちが散っていった。


「良い子ね、雷伯。お願いがあるんだけど、私とあの子を背中に乗せてくれる?」

「グルァァウ」

「ありがとう」


 彩花は現れた召喚獣に頬ずりをした後、目を合わせて声を掛けた。話しかけられた雷伯は言葉が理解出来ているようであり、理性的な瞳で返事を返していた。


「これは……東方の伝説にある白虎ってやつですか?」

「ええ。とは言っても四神の座に居る訳ではなくて、種族としての白虎ですけどね」


 この世界には聖獣や神獣と呼ばれる、特別な生き物が居る。彼らは世界のシステムの一部であり、神、あるいはその眷属として世界の管理を担っていると伝えられている。とはいえ、かろうじて生き物の枠には留まっており、過去に数回寿命や怪我などにより代替わりしたとの記録が残っている。

 彼らは力を振るうために現世に現れることがあり、それなりの頻度で目撃されている。しかし、代替わりする以上彼ら以外の種族というものが存在するはずであるのだが、その目撃情報は極端に少なく、彼らの生態系は謎に包まれている。

 一説には神に縁のある生き物たちのみが暮らす神域というものがあって、そこで生活や繁殖が行われているのではないかと言われている。

 ともあれ、現役の神獣よりも遙かに希少な存在が、俺たちの目の前に現れたのだ。あまりの事態にハヤテ達隠密も、呆然としている。


「召喚術は世界に記録されている種族のイメージを投影することが主流と聞きますが、個体名があるということは実体召喚ですね。彩花さん、あなたはとんでもないものと契約を結んでいるのですね」


 アルフォンスは驚愕の面持ちで話し、ハヤテ達が無言で頷いていた。


「はい! 白虎さんに頼んだらこの子を紹介してくれました。今の白虎さんは彼の曾々おじいさんに当たるそうで、白虎さんも直系の子孫である雷伯君を可愛がっているんですよ」


 彩花は雷伯の頭を撫でながらそう語った。雷伯もやや照れた調子で唸り声を上げていた。


「いや白虎さんって、そんな隣のおじさんみたいな言い方されても……。と、ともかく、まさか幻獣にお目にかかれるとは思いませんでしたよ。彩花さん、稀少な経験をありがとうございます」

「いえいえ、どういたしまして」


 彩花は自分のやっていることの凄さを理解していないのか、どうとでもないことのように返事をした。馬車の中である程度釘を刺したつもりだったが、まだ甘かったようだ。いったいどういう環境で育てば、ここまで召喚術の基準に対するハードルが上がるのか不思議である。おそらく彩花にとっては、馬車の中の出来事も、先ほどの出来事も、召喚術士であるならば出来て当然という認識なのだろう。

 馬車のなかで彩花にする説教の内容を考えていると、彩花は雷伯と共にこちらへ来て、俺を抱き上げて雷伯に跨がらせた。そして彩花は俺の後ろに跨がり、俺を抱きしめて固定した。


(柔らかいねー)


 俺の後頭部には彩花の胸が当たっており、その感触にフミヤはご満悦である。制服に隠れて分からなかったが、以外と大きいようだ。思わずその感触に、説教の手を緩めてやるかと考えてしまった。


「彩花。ちょっと恥ずかしいんだけど……」

「慣性制御や防風の効果は使役者にしか働かないので、こうやって密着しないとフミヤ王子に負担がかかるんですよ。それに……ほら、この格好はなんか収まりが良いですし」


 周りからの、ほほえましいものを見るような、かつ若干羨ましそうな視線がむずがゆくて仕方ない。


(ふにふにー)


 気恥ずかしいが、フミヤが堪能しているようなので我慢するとしよう。腹をくくってしまえば快適なぬくもりと柔らかさであることだし。


「あー。気を取り直して出発するとしよう。基本的に魔力が濃くなる方に進んでくれ。進路がずれていたら僕が修正する」


 アルフォンスを先頭に、二人ずつ脇を固める形で森の中を進む。アルフォンスやハヤテは割と耐性があるようで、惑わされることは少ないが、一号から三号と呼ばれた隠密たちは結構な頻度で道を逸れそうになった。

 彩花を通して雷伯に指示を出しつつ進むこと十五分程。ようやく基点に近づくことが出来た。ここまで来ると術者の気配を捉えられるようであり、皆緊張の面持ちであった。中でも雷伯は敏感に感じ取っているらしく、毛を逆立てながら唸っていた。


「さて、次の階層が最後だ。みんな覚悟は良いかい?」


 俺の問いかけに皆無言で頷く。


「おそらく中心に出れば人払いは作用しないはずだ。僕と彩花が後衛。アルフォンスとハヤテが前衛。他の三人と雷伯は遊撃を担ってくれ」


 深呼吸を一つ。余計な力は入れず、いつでも能力を全開に出来るようにスイッチを入れる。


「行くぞ!」


 俺の号令と共に最後の結界を潜る。境界を抜けた瞬間、今まで感覚を鈍らせていたものが取り払われた。感覚の急激な変化に酔いそうになるが、気を取り直して前を見据えた。


 そこは木が一本も生えていない広大な空間でありながら、不自然さを感じさせない場所であった。その中心には巨大な狼がうずくまっていた。うずくまってなお四メートルを優に越える大きさであり、その体毛は銀色に輝いていた。額には青色に輝く石が埋まっており、その周りに特徴的な紋様が描かれていた。


『お前達は何者だ』


 その狼は首をもたげ、思念を送ってきた。どうやらいきなり敵対するような展開にはならないようである。


「僕はフミヤ=シュタインベルク。このリソニア王国の第一王子です。ここは我がリソニア王国が管理する異界ですが、あなたはどこからいらっしゃったのですか? そして、よろしければ結界を張った理由をお聞かせ願えないでしょうか?」

『そうか、ここはリソニアであったか。我は智龍が眷属に連なりし一族、天狼族の末裔である。不覚にも狼藉者に深手を負わされ、龍脈を通って此処へ逃げ込んだのだ。結界はその狼藉者を近づかせぬ為のものである。汝らは結界を渡る術を有していたようだが、そのことが狼藉者達に知られれば無理矢理にでも利用されるであろう。我のことは忘れて早々に立ち去るがよい。直に此処も奴らに見つかるであろうしな』


 ここからでは見えないが、どうやら傷を負っているようである。しかし、蓋を開けたら聖獣の末裔が出てくるとは驚いた。この世界には八龍信仰というものが存在し、各々眷属となる聖獣を有していると伝えられている。目の前の狼は聖獣そのものではないがその一族であり、将来の聖獣候補なのである。

 もはやその身は世界の根源と半ば同化しており、その血肉は最上級の魔術触媒となりどんな奇跡でもなし得ると伝えられている。故に邪な野心を抱く者達はその命を狙っており、今回の件もその一つだろう。

 ただまあ、雷伯と似たような存在と考えるとそこまで珍しい存在ではないと感じてしまう辺り、彩花に毒されているだろうか。そもそもなんで同じ日に幻獣を二体も見ているのだろう。

 ちなみに幻獣とは、存在が確認されているが生息域が確認されておらず、目撃情報も極端に少ない生き物の総称である。


「お話を伺うに聖獣に連なる方とお見受けします。そんな方の危険を知りながら見過ごしたとなれば、我が国の名折れになります。どうか、我らにもお力添えをさせてください」

『ふむ、その年で国を背負う気概を見せるか。よかろう、世話になるぞ』

「お任せください。まずは傷を見せて頂けますか」

『うむ。傷は深くはない。だが毒を使っていたようでな、傷の治りが遅い上に普段の半分も力が出せぬ』


 天狼は身をよじってこちらに傷口を見せてくれた。脇腹には一メートルほどの切り傷があり、血は殆ど止まっていたが禍々しい気配を感じさせていた。


「彩花、傷の手当てを。それから毒に詳しい者は種類を調べてくれ」


 彩花とアルフォンス、それにハヤテの三人は傷口を前にして相談を始めた。


「これは……なんて禍々しい気配。単純な毒薬ではなく、呪術の力も加えられていますね」

「我らの一族も毒には詳しいが、呪術が絡むとなると専門外だな。匂いと色から察するに毒薬のベースは南国の虫と植物を使った物のようだが、それ以上は分からん」

「南国ですか。確かに呪術の術式にも、南国特有の癖がみられます」

「南国の毒で聖獣にも効く物か……。あー、天狼殿、力が出せないとのことだが、それは自身の能力が落ちている感じか? それとも現世への干渉力や、世界との同調が阻害されている感じだろうか?」


 アルフォンスは心当たりがあったのか、天狼に訪ねた。


『ふむ、毒そのもので多少身体能力は落ちているが、確かに世界への同調や干渉が上手くいかないようであるな。そなたは何の毒であるか心当たりがあるのか?』

「ああ。おそらく使われたのは世界樹殺しの毒と呼ばれるものだろう。この世界の根源たる世界樹を滅ぼすことを目的としたと聞く。実際はそこまで至っていないようだが、対象を世界の枠から切り離し、弱体化及び封印することが出来る毒だ。聖獣に連なるあんたには辛いものだろう」


 随分と特殊かつ物騒な代物らしい。となると、使う連中も限られるだろう。


「アルフォンス、解毒方法と使っている連中のことは分かるか?」

「解毒は可能です。使っている連中は古くから存在する地下結社としか。魔物と繋がりがあるとの噂を聞いたことがあります」

「……分かった。解毒は今すぐ出来るのか? 何か必要な物があれば王城から取り寄せるが」

「問題ありません。幸いにもここへ来る途中で摘み取った薬草が使えます。ただし、解毒には時間がかかると思われます」

「そうか。ではすぐに解毒を始めてくれ。傷口はそのままで良いのか?」

「解毒薬は経口摂取なので、傷は治してもらってかまいません。彩花さん、お願いできますか?」

「はいっ!」


 彩花は傷口を魔術で清め、治療を開始した。


「ハヤテ。天狼殿の他に森に侵入者が居ないことは確かなのだな?」

「はい。地脈を通るなんて芸当は並大抵の生き物には不可能ですからね。まだ異界には進入していないでしょう」

「分かった。念のため、四号から十号は外に向けて森の中を再探索したのち、越界。そのまま異界潜りをする者が居ないか外で見張らせろ。越界術は全員使えるな?」

「はい。七人では心許ないので、城から応援を呼んでもよろしいでしょうか?」

「許可する。ついでに二個小隊をヒルメスの村に派遣するように手配してくれ。装備は対人兵装。対毒、呪術を想定させるように。それから、狙撃用の弓を一張り用意させてくれ」

「かしこまりました。それでは先に結界の外へ向かいます。一号、二号、三号は王子から離れるな」


 ハヤテはそう答えると、結界の外へ目にもとまらぬ速さで駆けだしていった。

 未だ跨がったままの雷伯の頭を一撫でし、現状を確認する。

 聖獣の末裔が傷を負わされ我が国に逃げ込んだというのは、相当な一大事である。目の前の天狼は、我が国を含めて世界規模で信者を持つ八龍信仰における、いわば神の使いのようなものである。

 人里に現れることは千年に一度あるかないかであり、発見された土地はもれなく聖地認定されている。このことが知られれば信徒が大挙して押し寄せてくるだろうし、傷を負わせた連中を血眼になって探すだろう。

 当然我が国としては国賓として遇さなければならないが、古くから存在するという地下結社と何の準備もなく全面抗争に入るのは望ましくない。この場は内密に切り抜ける必要があるだろう。


 ――まずは父上と連絡を取るべきか。


 そう考え、右手首の腕輪を起動させる。この腕輪は通話機能を有しており、父上に繋がる宝玉に魔力を込める。暫くすると相手が起動した合図として、宝玉が点滅した。


「父上。お時間よろしいですか」

「ちょうど政務も一息付けたところだ。ハヤテから結界の内部に侵入すると伝えられているが、その後どうなった?」

「そのことですが、かなりの重大事です。人払いをお願いしたいのですが、よろしいでしょうか?」

「そこまでか。ここにはシラヌイしかおらぬ。かまわず話しなさい」

「分かりました。まず、結界の術者は天狼族でした。天狼殿は毒を受け、龍脈を使ってこの地に逃れたとのこと。また、アルフォンスによると使われた毒は世界樹殺し。ある地下結社が使っている物のようです。連中はまだ天狼殿を狙っている可能性があり、独断で二個小隊をヒルメスに向かわせました」

「聖獣が関わってきたか! ……なるほど。天狼殿の存在を知っているのは誰だ?」

「私とアルフォンスに彩花。それからハヤテとその部下三名です。天狼殿の存在が広く知られるのは問題ですが、それ以上に下手人によって害されることは避けなければなりません。父上には、何者かがヒルメスの森の管理権を奪おうと襲撃を起こしたと、協会に発表するように働きかけて頂きたいのです」

「それが最善か……。協会の連中も余計な騒ぎを起こすのは本意ではない。天狼族の存在を伝えれば快く引き受けてくれるだろう。協会への交渉は任せなさい。そちらにはクロックフィールド侯爵を送る。不埒者達への対応は任せたぞ」

「かしこまりました」


 通信を終えて一息つく。流石に父上も、聖獣絡みだとは思わなかったらしい。ともあれ、これで根回しは出来た。あとは守りを固めるだけである。


「天狼殿、我々は外の守りを固めに行きます。解毒が終わるまでは結界の強度を上げておいてください。アルフォンスはそのまま解毒を頼む。あとどれくらい時間がかかりそうだ?」

「問題無く動けるようになるまでは二、三時間といったところでしょうか。完全に抜けるには一ヶ月はかかりますね」

「ならば、とりあえずの解毒が終わったら防衛に加わってくれ。彩花、出るぞ!」

『すまぬな、リソニアの若き王子よ。この恩は必ず返そう』

「あなたが無事であることが一番の恩返しですよ。それではまた後で会いましょう」


 彩花は再び俺の後ろに跨がると、雷伯に指示を出して駆けさせた。

 風を切って雷伯は軽快に森を抜けるが、隠密の三人は問題無く付いてきた。途中結界を抜けたところでハヤテと合流し、俺たちの一行は駐屯地を目指した。村への道のりを十五分足らずで駆け抜け、駐屯地へと到着した。伝令のおかげか村の空気は引き締まっており、分隊長の指示に従って防壁が築かれていた。


「王子! ご無事でしたか」


 駐屯地に着くと、ライアンとフレッドが駈け寄ってきた。


「二人とも、心配を掛けたね。こちらの様子はどうだった?」

「普段通りでした。怪しげな侵入者も見られません。現在は軍上層部からの命令で、非戦闘員を駐屯地に避難させ、防壁の構築を行っています」


 ライアンの言葉を受け、村の様子を見渡す。防壁を準備しているとはいっても、元々は開放的な村である。戦場になることは想定していないため、陣地を構築するのにも限度がある。確実に防衛出来るのは駐屯地くらいなものだ。

 こちらが動員出来るのは分隊員とたまたま居合わせた冒険者を会わせても、おそらく三、四十人程。まだ敵の全貌が把握できず、何時、どれだけの規模で攻めてくるか予想が出来ないが、敵の数によっては防衛するのも厳しいだろう。

 城を出た軍が到着するには、二時間ほどかかるはず。それまで何も起きなければ良いのだが、俺の能力はその楽観的な願いを否定してくる。天狼族とはそう簡単に害することができる存在ではない。そもそも狙って出会うことが困難なのだ。それを見つけ出すことが出来た敵の探索能力からするに、此処が割り出されるのも時間の問題だろう。

 さらに言えば天狼を害することが出来る敵の戦闘能力を鑑みると、対等な数でぶつかった場合、現状の戦力では一時間も保たないだろう。

 故に天狼を守るためには早急に軍隊を呼び寄せる必要がある。


「彩花、働かせっぱなしで悪いが、最大で何人転移させることが出来る?」

「距離や条件にも因りますが、二百人ほどならいけます。二個小隊と合流して転移させるおつもりですか?」

「ああ。頼めるか?」

「はい。ただし、確実を期すために転移陣を用意したいです。五分ほどお時間を頂けますか?」

「ああ。よろしく頼む。手助けは要るか?」

「一人で問題ありません。ただし、空間接続型の陣を描くための壁が必要です。兵舎の壁を使ってもかまいませんか?」

「分隊長、かまわないか?」

「緊急時です。致し方ありませんな」

「彩花、やってくれ。それから分隊長、敵は異界潜りを試みるかもしれない。界面の強度は上げられるか?」

「ノーマンとお呼びください、フミヤ王子。先日予算が下りて異界制御用の魔導具が配備されたところです。財務部と管財課に感謝ですな。スペック通りなら、三時間は確実に隔離できるでしょう」

「不幸中の幸いか。ノーマン、その魔導具はどこに配置されている?」

「兵舎の地下です。床等の壁面は結界加工された特殊素材を使っているので、扉を守り切れば進入される恐れはないでしょう」

「上出来だ。ハヤテ、四号達からの報告はあったか?」

「全員越界を済ませました。森の中に異常は無いとのことです。現在は境界の監視に就いています」

「監視を継続させろ。見つけても異界潜りを試みている間は手を出さなくて良い。こちらの勢力と合流する素振りを見せたら足止めに徹しさせるように」

「かしこまりました」

「ノーマン、聞いての通りだ。隔離を始めさせてくれ。それから防衛の指揮は誰が執ることになっている?」

「駐屯地は私が分隊を率いて当たります。村内の防衛は、B級協会員のカーマイン殿が、居合わせた協会員、及び有志の指揮を執ることになっています」

「わかった。隔離用の魔導具を確実に守ってくれ」


 ノーマンとの話を終え、中央広場に降りる。途中で横切った工房では、職人達が大急ぎで木を削って防壁用の杭などを作っていた。


「やあ、また会ったねカーマインさん。防衛の指揮を担当してくれるようだけど、戦力の確認は出来ているかな?」

「これは、フミヤ王子。襲撃相手の詳細が掴めていないので何とも言えないのですが、幸いにも普段に比べればだいぶ戦闘員の数が多いです。並大抵の相手だったら撃退できるでしょう」

「並大抵の相手では無いようだから問題なのだけどね。詳細は掴めていないが、手練れの集団と考えて間違いないだろう。特殊な毒を使う可能性もある。近づけないに越したことはないと思う」

「急造の寄せ集めでは厳しいでしょうな。まあどこから現れたのか、こちらにもかなりの手練れがちらほら居ます。彼らの力を借りれば足止めは出来るでしょう。……彼らはフミヤ王子の差し金ですかな?」


 最後の一言は、顔を寄せて小声で話しかけてきた。カーマインの意識の向いている先をさり気なく見ると、明らかに周りの協会員とは雰囲気の違う者達が何人かいた。服装は一般的な協会員といった拵えであるが、周囲への目の配り方や重心の置き方、足運びなどに共通点が見られ、明らかに訓練された痕跡が見て取れた。


「いえ。恐らくは父の子飼いの者達でしょう。僕の護衛に付いていた隠密と雰囲気が似ています。斥候は彼らに任せれば問題無いと思います」

「なるほど。何人かには既に斥候を任せています。彼らの情報が信頼出来るかどうか不安だったのですが、リソニア王の手の者であるなら問題無いでしょう。ありがとうございます、フミヤ王子。これで人員の運用にも目処が立ちそうです」

「存分に使い倒してください。僕たちはこれから王都を出た軍を迎えに行きます。軍が到着するまで、この村を宜しくお願いします」

「任せてください。異界を守ることこそ我ら協会員の本分です。王子こそ道中お気を付けください。この地を狙う輩が情報の漏洩を遅らせるために、王都へ向かう王子一行を狙う可能性もあります」

「ええ。まあ、あの馬車にはいろいろと備えがしてあります。最悪防御に徹しさえすれば、軍と合流するまで持ちこたえることは出来るので、ご心配は要りませんよ」

「要らぬ心配でしたな。では、出来るだけ早いお戻りを期待しております」

「心配といえば、あなたが引率していた彼らはどうしています? ここには見当たらないようですが」

「彼らは防衛を任せるには未熟です。故に非戦闘員の誘導兼護衛として、駐屯地に向かわせています」

「それが良いでしょうね。僕が言うのも何ですが、彼らにはこの先成長してもらわないといけません。こんなところで倒れることのないよう、気を配ってあげてください」

「お任せください」


 カーマインとの会話を終えて駐屯地に戻ると、ちょうど彩花の準備が終わったところだった。


「そっちの準備は問題ないかい?」

「はい。いつでも出られますよ」

「ライアンとフレッドもいけるな?」

「問題ありません」「準備万端ですよ、フミヤ王子」

「ハヤテ達は馬車の上で待機。姿を消して周囲の警戒に当たってくれ」

「かしこまりました」

「行くぞ。敵を見つけても殲滅よりも突破を優先するように」


 彩花と共に馬車に乗り込み、御者に合図をだして発車させる。ノーマンの敬礼を背に俺たちの一行は、一路王都へと急いだのだった。


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