3-5 少女と少年と旅路と謎

 それから、壁の外すぐの場所で一時間ほど休憩をしてから二人は出発する。

 ジンがシステムに跨りハンドルを握り、エイリは荷物を背負いその後ろへと腰掛ける。


「んで、どうやって起動したらいいんだ?」

「こう、ゴーストシステムを体の一部だと考えてエネルギーを流し込む感じ」

「おーけー、やってみる。すぅ……、はぁ……」


 目を閉じて、大きく深呼吸する。

 ゆっくりと、ゆっくりと、深く深く深く。

 ゴーストシステムの機体がゆっくりと発光し、それは走るように広がっていく。エイリが起動したときとは違う色合いだ。

 エイリが起動したときには闇のような紫だった機体の発光色は、薄く明るい藤色をしている。ジンの性格を反映しつつ、エイリの覚悟の重ささえ指し示す。


「いけた、動かせる……!」


 ハンドルに意思をぶつけ、指向性を明確にする。

 描くのは明瞭な走るイメージ。

 ゴーストシステムのエンジンが点火する。

 力が伝い、車軸が回る。


「走れッ――!」


 機体が動く。音を立て、滑るように走り出した。


「お、やっぱり巧いね」


 木々の間をすり抜け、鬱蒼うっそうとした森の中を進む。システムを動かすのに必要な事柄は三つだ。耐性エネルギーの供給、進路の指向性、それから走るという明確なイメージ。



 数時間走り続け、休息と食料の調達に一時間ほど割く。

 走行中に運悪く出会ってしまった大型の獣は容赦なくき、エイリが解体し食肉にした。

 木の根が地面をボコボコにしている森の中を、足の長い草が進路を塞ぐ草原を、朽ちたアスファルトの上を、障害物も関係なくただひたすらに東へと走るその様はまさにクロスカントリー。

 世界は変わってしまった、変わり果ててしまっていた。

 古い資料に出てくる世界はそのほとんどが灰色で、大勢の人がすし詰めのように住んでいた。機械が道を走り、列車が線路を走る。そんな当たり前の世界は既に消え失せ、耐性汚染によって変質し暴力的なまでの強靭さを獲得した植物に、動物に、蹂躙されつくしている。

 か弱い人類が生き残るのには過酷すぎる環境。

 それが、この世界の現実だった。


「にしても、すごいな。動物はデカくて強靭だし、植物も異常に繁殖してる」

「私たちは勝てなかったんだよ、拮抗することすらできなかった。耐性エネルギーっていう侵略者に」

「それが今となっては俺たち自身も共存し始めている、か」

「そう。すごいって言ったらいいのか、時間がかかったって言ったらいいのか。どっちなんだろうね」

「そうだな、どっちなんだろうな」


 進んで、休憩して、狩りをして、食べて、時々川によって水浴びをして。裸のエイリが近くにいることにジンが一人で勝手に悶々としたりもする。

 殆どぶっ通しで一日中エネルギーを供給し続け、ゴーストシステムを走らせる彼の集中力はハッキリと驚嘆に値するほどだ。

 日が暮れたらテントを立てて休息する。


「なぁ、夜は襲われたりしねぇかな」

「いくら強く大きくなったとは言え、基本的には動物だからね、火は怖がって襲ってこないよ」

「そうか。にしてもよくお茶なんて持たせて貰えたな」


 二人は火を囲んで、ゆっくりと小さなカップを啜っている。


「うん、こういう任務はね、基本的にアタシたちのメンタルに成功が左右されるでしょ? だから少しくらいはわがまま言えるの」

「そっかよ、詳しいんだな」

「まぁね、外の調査に関わって長いし」

「なぁ、そのさ……。エイリはいつから『そう』なんだ?」

「うーん、そうだなぁ。アタシが私になってからずっとかな。少なくともジンと初めて会った時には既に『そう』だったよ」

「そうか、そうだったんだな……」

「どうしたの? そんな情っけない表情かおして」

「いや、別に……。たださ、俺って何にも知らんかったんだなって……、そう思っただけだよ」


 ぱちっ、と火の粉が跳ねた。夜はまだまだ浅く、ここから殊更ことさらけていく。



 夜が明け、二人は手早くテントを畳んで支度を済ませ機体を走らせる。

 二日目も行動は変わらない、ただ真っ直ぐに進路を行く。


「なぁ、どこまで進めばいいんだ?」

「方向はあってるからそのままどこまでも、だよ」

「だよな」


 それからジンは運転に集中し、エイリも口を閉ざす。

 それからは一日目とほとんど変わらない動きだった。ただひたすらに前へと進み、獣を狩って食料にして、それからまた前へと進む。

 草原も森も、関係なくそもそも道すらない場所をただ真っ直ぐに進んで行く。

 失われた人類の生存圏を二人ぼっちで進む少年少女。

 それは世界にとってはある種の希望なのかもしれない。一度放棄せざる得なくなった世界をもう一度人類が席巻するための第一歩。逆説的な世界への人類の再侵攻の第一指。本人たちにその意思はなくとも、取りようによってはそう歪めることさえ出来る奇跡のような状況だった。


「ジン、集中力が切れるようなら遠慮しないで休憩してね」

「あぁ、けどまだ平気だ」


 今の座標はエイリにとっても完全に未知の領域。大型の獣、小型の獣、食べられる草、食べられない草。何が飛び出してくるのか、さっぱりと先が見えない。だから慎重に慎重を期すくらいが丁度良い。

 不測の事態に備えることの重要性をエイリは良く知っている。

 それを怠ったばっかりに少女は大事なモノを一つ亡くしたのだから。

 だから、これ以上失うわけにはいかなかった。これ以上自身の過失で失えば、きっと彼女は耐えられない。

 だから少女は少年を気遣う。

 自身でも分かっていてなお気遣ってしまう。

 少女は、エイリは自身が安心したいがためにジンを気遣っている。

 空は青くて、緑は深い。獣の鳴き声や唸り声は風を揺らし、熱を伝える。

 この世界はどうしようもなく、生命に満ち溢れている。


「エイリ今どれだけ進んだ?」

「多分、半分を少し超えたくらいじゃないかな? 着くまでもう一日くらいだと思う」

「りょーかい。んじゃ少し休憩させてくれ」


 速度をゆっくりと落として、ゴーストシステムが停止する。停止してしばらくは薄紫色に弱く発光し続け、徐々にその光量を落としていく。


「うぅん、それじゃアタシは果物とかお水とか探してくるから」

「悪い、頼んだ……」


 背負っていた荷物を下ろし、エイリは単身木々の中へと姿を消す。


「俺って、弱ェな……」


 ハンドルに体重を預け、自嘲気味にため息を吐き出す。

 睡眠と休憩時間以外はほぼずっと機体へのエネルギー供給と制御を行っているジンの負担は計り知れないほどだというのに、彼はそれ以上を望む。

 自分もエイリと同じようにもっと動けたら、そんなふうに考えてしまっている。少年は知らない、役割を分担することで個々の負担を軽減することが出来ているという事実を。少年は知らない、そもそも一人じゃないということがエイリの心的負担を軽減しているということを。

 プライドの問題なのかもしれない。男の自分が動けずに、色々なことをエイリに任せっきりにしているという事実そのもの、それが我慢ならないのかもしれない。けれどジンだって自身の消耗を無視できるほど馬鹿でも軽率でもない。だから良く分かっている、休憩中は休まないといけないという事実を。

 それでも、歯がゆい。そんな感情はどうしても拭い切れないらしかった。


「はぁ、クソッ本当にへこむぜ」


 へとへとになった心体を休ませて次に備える。少年は自身の願いと必要な在り方の違いに板挟みにされていた。

 グダグダと益体もない思考地獄に陥っていたジンの脳裏に直観が走った。


「……ッ?」


 断定は出来ず、断言もできない。だというのにジンは確信していた。


(何か、来るッ)


 始めに駆け抜けたのは突風だった。空気は大量の力を孕んでいて、彼の内臓をそのままそっくり揺すぶる。が、ジンは怯んでなどいられなかった。

 体を起こし、システムにエネルギーを流し込む。ぶぅんと、今までよりも荒々しい起動音は彼の焦りを象徴するかのようだった。

 エイリの進んで行った方角へと機体を急発進させる。

 直後の出来事だった。


「な、なんだ!? わっけ分かんねぇけど、取りあえずヤバい!」


 ちらりと横目でとらえただけでもその異常性は見て取れたようだった。

 一陣の何かが、突き抜けた。ジンに理解できたのはそれだけで、そのあとには理解の及ばない結果だけが示される。

 先ほどまで彼がいたはずの足の長い草が生い茂っていた草原はその色を変えていた。

 

 現象としては酷く単純で、だけれど理解の範疇を飛び越えている。

 ジンには訳が分からなかった。美しい緑はいつの間にか美しい青へと変わっていたのだから。

 しかもその水は一向にこちらへと流れてくる気配はない。とすれば、地形さえ変わっているということだった。


「な、なんなんだよ……、一体何が起きたってんだ?」


 ジンは呆然とゴーストシステムを停止する。

 まるで理解の範疇の外側だった、耐性エネルギーどころの話ではない。概念をまるまる捻じ曲げるがごとき所業。


「そ、そうだ……、エイリはっ、エイリは無事なのか!?」


 あまりの事態に呆然と背後を振り返り足を止めてしまったジンはようやくと思考を復活させ、もう一度前へと進もうとする。

 だが、それをする必要はなくなった。


「あれ、ジンどうしたの……? こんなところまできて……、

「はっ、エイリ何言ってんだ?」

「ん? アタシ何かおかしなこと言った……?」


 馬鹿みたいに大きなウサギの後ろ脚を引きずって、林の中から現れたエイリはまるでそれが初めからそうであったとでも言いたげな口調で問い返した。

 そう、まるで


 その日はそれ以外には変わったことは全く起きなかった。

 二人の旅路は順調に進む。

 木も草も、遠い空も、たったの一日足らずで見慣れた景色へとなり替わってしまっていた。

 一晩が明けて、なおも道すがら真っ直ぐと進む。


 そして――、

「見えた、あれだよな?」

「うん、そうだね。間違いないと思う」


 小さな集落を視認した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る