3-4 少女と船出
「来たか」
統括のロウは、軽い駆動音を響かせてゴーストシステムを繰るエイリの姿を視認して呟く。
場所は街の最東端、外壁のすぐそば。時刻は既に正午を回っていて、太陽も高い。
その場にいるのは統括のほかには大荷物を横に置いたジンだけった。
「……、」
ジンは緊張しているのか眉間にしわを寄せ難しい表情をしている。
「緊張するなという方が無理な話か」
「えぇ、まぁ。外出るの初めてですし……」
ジンにとっては初めて壁の外へと出る機会だ。それも、これを逃せばあとはもう一生出ることが叶わないかもしれないという珠玉の機会。
「そうだな……本当は危険な場所に君のような優秀な子を送り出すのは気が引けるんだが……」
「……」
統括の言葉に彼は引っ掛かりを覚えた。
その言葉はまるで、エイリならば送り出すのに何の支障も、何の
「あの、統括は……、」
「どうした? 聞きたいことがあるなら、せっかくの機会だ出来る限り答えるが」
戸惑いがちに言い淀んだジンに統括役の男は割合気さくに先を促す。
「エイリのこと、ちゃんと大事に思っていますか……?」
失礼なこと言ってるな、と頭で理解しながらもジンは意を決し言葉にする。
それに対して、ビシッと決まったオールバックでダークグレーのスーツを着込んだ男は、少しだけ考え込んでこともなげに刃を返す。
「大事にしていないわけじゃない、愛してもいるさ。ただ、それ以上に私はエイリを使わなければならないんだ。それが私の立場としての義務だからね」
葛藤はあった。ただそれに拘泥してはいられなかった。
「変なこと聞いてすみません……」
「いや、君のような友人を持ててエイリは幸せだよ。こちらから礼を言わせてほしい」
友人、とその言葉だけはいささか強調されていた。
ちょうど話の区切りが良いところでエイリが二人の目の前に停止する。
「エイリ、ただいま現着しました」
「ご苦労」
ゴーストシステムのゴテゴテしい座席から降りて二人の前へと立つ。
「さてと、じゃああとはこれを上まで引いて行って、それからジンが下して出発だね」
「うへぇ」
ポンと機体を軽く叩いてそういったエイリにジンがゲンナリとした様子で相槌を打った。
「それじゃあ、二人ともよろしく頼む」
「はい!」
「行ってまいります!」
ジンとエイリに統括が声をかけ、出発を見送る。
エイリはゴーストシステムへとエネルギーを送りながら外壁に併設された階段を上り、ジンは大荷物を一人で担ぎ上げて階段を上る。
「うわぁ、出発前にこれはしんどいっての」
「そう? そんなでもないと思うけど」
「自分基準で考えるんじゃねぇよ。エイリみたいなスタミナお化けばっかりじゃねぇんだ」
「えぇ、それは酷くない? 私はちゃんと鍛えてるんだよ? そんな何にも努力してないのにスタミナばっかり有り余るやつ、みたいに言わないでよ」
「怒るとこ、そこかよ……」
乙女としてもっと気にするところがあるだろう、などとジンは心の中で突っ込みを入れ、しかし遠い道のりを想像してあいまいに笑う。
そもそもなぜ二人だけで全ての荷物を運んでいるのか。理由はいくつかある、大きなウェイトを占めているものから順にあげよう。
外壁は耐性汚染によって変質したコンクリートを用いることで外からの耐性エネルギーをシャットアウトしている。つまり外壁そのものが逆波長の耐性エネルギーを発している。そのため基本的にはノーマルは壁に近づきたがらないということ。
他には、壁を越えてくる攻撃、つまり建設当初に危惧された世界の敵による攻撃に対しての防衛機構が組み込まれている、ということ。より具体的に言えばこの街の上空はドーム状の耐性エネルギーの膜によって覆われている。つまりこれは人体を汚染する。よって壁の上へと登ることが出来るのはその影響を受けないネクストやギフトパスといった新世代か、もしくは現在街で開発されている最新型の対耐性エネルギー用の全身防護スーツを用いた人材に限られる、ということ。
総括すれば、人類にとってこの外壁は生命線であると同時に自らを汚染する感染源でもあり、滅多なことでは近づくことなどできはしないということだ。
逆説的に、街からノーマルが消えたその時は壁の存在意義が崩壊するということでもある。
「なぁ、そういえばさ、なんかエイリと統括の口ぶりを聞いてると何度も外に出たことがあるような感じだけどさ、実際どれくらい外出てるんだ?」
「うーん。年に四、五回くらいだから……、もう二十回は超えてるかな」
「に、二十……」
自身の予想よりも回数が多かったらしく、ジンは乾いた笑いをこぼしていた。
「そんなに意外?」
「思ったよりも全然多かった……」
「そっか、アタシはね、多分ジンが思っているほどキレイな人間じゃないよ」
ジンは逡巡する。
エイリは罰を欲しがっているのだと、そう思ったからだ。そう思って、だけれどそれに応えるのはまた違う気がした。
「俺は、俺にとっては、エイリはエイリだよ。それ以上でも以下でもないし、綺麗さや汚さも関係ない。俺にとってはエイリはエイリ、それだけなんだ」
「……、そっか、ありがとうね」
伏し目がちに呟いたエイリが何を思ったのかは誰にも分からない。ただ確かなことは一つだけ。
ジンはただ、エイリという少女に恋をしている。
それだけだ。
それからは二人とも無言で階段を昇っていった。
「さてと。ジン、荷物代わるからコレお願い」
そして頂上まで登り切ったエイリは数歩遅れてくるジンに向かっていう。
「りょーかい。先に降りててくれ」
エイリは壁の頂上にロープを固定し、
ジンは背負っていた荷物をドサッと落とし、エイリが押していた機体へと手を当てる。
「なぁ、これってエネルギーだけ供給しておけば自立で行動とか出来ねーの?」
「システム的には不可能じゃないみたいだけど、この壁を自立で走らせたら一番下で大破すると思うよ」
「そりゃそうか……」
落胆したようにため息を吐き出して、それからゆっくりと目を瞑る。
すぅと、息を吐き出した。その後ろでエイリが膨れ上がった荷物袋を背負い、ひょいとロープを掴んでそのまま軽快に壁を下っていく。
ふわりと、とゴーストシステムの機体が浮かび上がる。
正確に言えば『浮かばせた』わけではない。
ギフトパスの特殊能力にはいくつかの系統があり、それぞれが近似値を出すことは出来るが全く同じ過程を辿ることは出来ない。
ジンの
浮かせたそれをそのまま運び、ゆっくりと降下させていく。
ある程度の距離まで降下させてから、ジンは閉じていた眼を開き壁の下を覗き込む。
「うわっ、高ぇ」
ひゅぅと空っ風が頬を撫でる。
眼下に収まった地上ははるかに遠く、その先に広がる景色は見たことのないモノだった。木があり木があり木がある。人の手が微塵も入っていない原生林、鬱蒼と生い茂る森だ。遠くまで見渡せる景色は全方位が圧倒的な自然の力に塗り固められている。
「……、」
ジンの脳裏にはただ、『圧巻』の二文字だけが踊っていた。
「ジーン、早く降りてきなぁ!」
呆然としたままで壁の上から動く気配のなさそうなジンに対してエイリが叫ぶように呼び掛ける。
「あ、あぁ、すぐ降りる!」
ジンは意識を集中し直してゆっくりと機体を下ろしつつ、自身もロープを使って高い壁を下り始める。
「さて、おつかれ。初めての壁下りの感想は?」
「はぁー、はぁー、はぁー。ちょっとたんま、やばい、息がっ……」
「どうした男の子。このくらいでヘバッて情けない」
「う、うるせぇ……。なんとでも言ってくれ……。少し休ませろ……」
この場合、エイリの体力が化け物染みているというだけの話だ。
「しょうがないな。それじゃあここで少し休んでて。アタシは少し食料を調達してくるから」
「へぁ? 食料なら……」
消耗してガタガタになったジンは、「荷物の中に入ってる」と続けようとして結局ぜぇぜぇと息を吐き出すにとどまってしまった。
「水も食料もそっちは基本的に非常用だよ。自分の餌は自分で捕らないとね」
ひらひらと手を振って、木々の中へと入って行ってしまう。
「……、」
ゴーストシステムの座席に寄り掛かったジンは呼吸を落ち着けながらエイリの背中を眺める。
(ほんと、敵わねぇ……)
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