3-2 少女と日常3
一度寮に戻り、綺麗な
召喚令もアポイントメントも取り付けてはいなかったがそれでもエイリは統括の――養子とはいえ――娘だ。それにここ数年で少女は幾度もこの塔を訪れている、そのため受付に座る女性とはすっかりと顔見知りになっていた。
そんな事情も手伝って少女は一人父親に会うことを許される。
「エイリか……、丁度よかった。こちらから召集令を出そうとしていたところだよ」
「半日ぶりに目を覚ました我が子にそんな反応なんだね……」
統括は手にしていた書類を机に詰みなおし、それから立ち上がる。
「どうした、らしくもない」
「らしくないのはそっちも同じでしょ……」
エイリは気が付けば
「そういうな、俺だって父親だ。娘の心配くらいする……」
「ありがとう……」
少女は、嘘でもうれしいよという二の句は続けなかった。
ほどなくして二人は離れ、統括役のエイリの父親はまた執務用の机へと戻る。
「シイバの娘については、残念だった。こちらの管理不足の面もあるしご家族へは丁寧な対応をさせる予定だ」
「そっか。
「今は街の治安維持部隊が地下にいる可能性のあるネズミ型の耐性生物を狩りだしている最中だ。そしてそれが終わり次第、地下に転がっていた殺人鬼の根城を探る手筈だよ」
そういう体にするのか、とエイリは得心しそれから口を動かす。
「街の人には公表するの?」
「全てが終わったらな。無用な混乱を招く必要はないだろう」
「そっか、それじゃあさ。私とカノが地下で見つけた本はどうしたの?」
今エイリが一番知りたいことがそれだった。
少女の予感が正しければまず間違いなく目の前の男が掌握している。
「本? ……、イヤ見ていない。それには何が書いてあったんだ?」
「さぁ、知らないよ。地下だったし、暗くて文字なんか判別できなかったもん」
実際にはエイリは開いてすらいない。
「中を見た、と?」
「明りがなくて読めなかったけどね」
ヤレヤレとでも言いたげな様子でエイリは両手を持ち上げる。
それはある種分かり易いポーズだった。
「それから壁外調査の件だが……、二日ほど日程をずらした」
「そっか、二日で気持ちを切り替えろってこと?」
「取り方はお前に任せる。ジン君には既に通達済みだ。ほかに用はあるか?」
「ううん、平気。ありがとうございます」
「今日はゆっくりしておきなさい」
「そうする。お仕事頑張ってね」
それはまるで父と娘の会話だった。
エイリは軽く頭を下げてから、統括執務室を後にする。
外はすっかりと夕暮れ時になっていた。
エイリは寮住まいのため、あまり遅くまで出歩いているわけにはいかない。だというのに少女の足は寮へと向かわなかった。
それではどこへ向かうのか。目的地はすぐ近くにある。
街の公共書庫、政務塔のすぐ傍に建設された街唯一の知識の館。
知りたいことはまだまだ山ほどある。知らなければならないらしいこともまた山ほどあった。
「カノ……、ゴメン」
それはある種の罪悪感。
過程はどうあれエイリとカノがあんな場所へと足を運ぶことになったのはエイリが何も言わずに書庫へと足しげく通いだしたから。それはエイリにとっては変えられない真実。
だけれど、そうだったとしても、エイリは知らなければいけないと、そう考える。
ある意味でそれはエイリの義務だった。そしてまたある意味では
結局、少女は未だ答えにも、結果にもたどり着いてはいないのだから。
気になることは他にもある。
「あの本は……、」
あの出来事はエイリに何の利も、もたらさなかったのだ。
友人も失い、何かの手がかりだと思われる本の内容も知ることが出来ずじまい。
立つ瀬がなかった。
カノの死に価値がなかったといわれているようで気分が悪かった。
だからエイリは、
そうすることで結果を得て示さなければならない、少なくとも彼女はそう信じてしまっていた。
だからひたすら本を積む。知識を積む。知恵を絞る。
ただ、ほしい答えを得るために。
幸い街の書庫の蔵書量でさえエイリが生涯をかけても読み終われないほどにある。未だ可能性は眠ったままだ。
「絶対に……、」
エイリの戦いはいつだって孤独そのものだった。
次の日、結局学舎は休校になった。
エイリにとって渡りに船だろう。なにせカノがいなくなった学校生活を冷静に送れる自信がなかったからだ。
それだけ少女にとっては大きな出来事。
そしてエイリは一つだけ学んだことがあった。
「何があってもいいように……」
武器の携帯は怠らない。
もしあの時エイリの手元にシロツバキとベニツバキがあったならばもしかしたらカノは死なずに済んだかもしれない。そう思えて仕方がないのだ。二振りの刃があったならば、カノに護身用として渡すことが出来たし残りの一本で正体の分からないあの男をもっと早くに始末出来ていたかもしれない。
エイリの思考はそんなことをグルグルと考える。
後悔はいくらしてもし足りなかった。
だから、二振りのブレードを腰へと下げてそれから出かける。
目的地は相も変わらず、公共書庫。
情報源を地道に当たるしか、方法はないのだから。
だからエイリは今日も今日とて調べ物へと精を出すつもりだった。
学舎の女子寮の出入り口で待っていたジンを見るまでは。
「ジン……、どうしたの? カナエは割とお寝坊だから今日はまだ起きてこないと思うよ」
「知ってるよ。つぅかそうじゃない、俺が用があるのはエイリだ」
恥ずかしげもなくじっとエイリに目を合わせてジンは告げる。
「えぇと、告白?」
「っ、ちっ、違うっ! あーもう! つか何なんだ、急に」
「ごめんごめん、ちょっとからかいたくなっちゃった」
「はぁ、まぁいいけどよ。あー、それよりな――」
「まぁここじゃ何だし、アタシの部屋に来なよ」
そういってエイリは誘う。少女に他意はなく、純粋な申し出だった。
「お、おう。でもいいのか? 何か用事があったんじゃ……?」
「別に大した用事じゃないし、今日だけしか出来ないわけでもないから」
理由は他にもあった。カノを失ったのと同じ轍を踏みたくない、それは後悔の産物であり、分かり易い変化の兆しだった。
けれど、そんなことを知る由もないジンは全くと別のことを考えてしまう。
(えっ、エイリの部屋って……、寮だとしても女の子の一人部屋だよな……、いいのか、コレ。本当に大丈夫なのか……?)
心配事は限りなく杞憂だ。
エイリに案内されてジンは初めて女子寮へと足を踏み入れる。おそらくこんな機会は今後一切訪れないだろう。
作りは男子寮と同じように小さな個室がずらりと並んでいるだけの簡素なものだ。差異があるとすれば男子寮よりも一部屋が若干広そうというくらいのものである。
「ゴメン、椅子はないからベッドにでも座って」
エイリはドアを開きそう促す。
「お、お邪魔します」
「硬い、もっと肩の力抜きなよ」
「う、うるせー! 女子の部屋なんて、カナエの部屋くらいしか入ったことないんだよ……!」
エイリの部屋は無愛想だった。
カナエの部屋を知っているジンからすればそれはよほど奇異に思えたはずだ。
彼の知っている少女の部屋と今目の前に広がっている少女の部屋は何一つだって重ならなかった。
「どうしたの? 早く奥まで進みなよ」
「あ、あぁ」
あまりにも殺風景だった。
ジンの自室よりも殺風景だった。
ベッドと衣類をしまうクローゼット、それ以外にはほぼ何もないとさえ言える。
衝撃を受けながらもジンは部屋の中へと足を踏み入れる。
それを見届けてからエイリはドアを閉じつつ、自身も中へと入る。彼女は気が付かなかった、その姿を見ている少女の姿に。
「それで、用事って何?」
所在なさげにベッドへと腰掛けたジンの隣へとエイリ自身も腰から提げた剣を外して座る。
「いや、用ってほどでもねぇんだけど。色々あったみたいだし様子を見にだな……」
「そっか、心配してくれたんだ」
エイリは伏し目がちに呟き、それから上を向く。
「ありがとう、ね」
「んなっ、なんだよやけに素直で……」
「流石にね、アタシだってへこむんだよ。だって、アタシのせいだから」
ジンは思わず頭を抱えていた。
確かに彼は慰めに来たのだ、エイリのことを放ってはおけないと思ったからだし、カナエにばかり負担を押し付けるわけにもいかないと思ったからだ。
けれど、だけれど、ジンの想定は甘かった。
それほどエイリは重傷だった。
「おかしいでしょ? だって――!」
「なぁ、エイリ。お前は、責められたいのか?」
エイリの表情が、固まった。
ある意味でそれは真理だったから。
ある意味でそれは願望だったから。
「どう、かな? でもみんな私のことを許してくれる、良かったって言ってくれる……、それってね、辛いの。すごく、すごくつらい……」
気が付けばエイリは白状していた。
少女自身、なぜそうしてしまったのかは分からなかった。
「模擬戦しようぜ」
何をどう判断したのかは分からないが、ジンはただそれだけ呟いた。
「なにそれ……?」
「知らねぇよ! けど体動かせば少しはすっきりするだろ!」
「アハハ、そうかも。うん、シよっか」
エイリは壊れたような笑みを浮かべて立ち上がる。ジンはそんな表情には気が付かなかったようで、追いかけるように腰を上げた。
エイリは振り返って立てかけたシロツバキとベニツバキを手を伸ばす。
遅れて立ち上がったジンもまた手を伸ばしていた。
「えっ」
お互いに完全に無意識だったのか、動きは止まらず行動は重なる。
そして、二人が同時にベニツバキの鞘を掴んで引っ張り上げる。
エイリは自分の方へと引き寄せるために、ジンは一度持ち上げてエイリに渡すような挙動で。
バランスが、崩れた。
「わっ、きゃぁっ!」
どういうわけか二人の体は投げ出された。
ベニツバキを握りベッドに仰向けに倒れたエイリと、それに覆いかぶさるようにして両手をついているジン。
傍から見れば、剣を抱いたエイリをジンが押し倒している、ように見えただろう。見たものがいれば、の話ではあるが。
「わふっ!」
小さな声が聞こえた。
「わ、悪い」
「別に、いいよ。気にしないでも」
その体制のままジンは固まった。自分の体勢が非常にまずいことになっていることに気が付いたからで、それはつまり顔が染まる。
「どうしたの? というかどいて?」
「お、おう!」
下から見上げるエイリはどこまでも冷静で、その様子にジンの体はますます緊張していき、ついには腕の力が抜ける。
だけれど、エイリはアクシデントに強かった。
「い、いてぇ!」
ポーンとジンの体が浮き上がる、エイリが下から右足で蹴り上げたのだ。
「早くどかないジンが悪いよ」
「悪かったなっ!」
軽く頬を膨らませたエイリはむくりと起き上がり、そのままシロツバキも掴み上げて立ち上がる。
そしてそのままカツカツとわざと足音を響かせるようにドアまで近づいて、思い切りドアを押し開ける。
「わ、わわっ!?」
エイリにとっては聞きなれた声が聞こえた。
「えっ、カ、カナエ?」
「何しているの?」
ジンの驚きの声と若干不機嫌そうなエイリの声が被さる。
「えへへ、ちょっと気になっちゃって」
耳と鼻を抑えながらカナエが笑う。
「気になったからって盗み聞きはどうなのさ」
「えへへ」
渋い顔を作ってエイリはカナエを睨みつける。かなり意図的なポーズである。
「か、カナエっ! な、な、なっ!」
真っ赤になったジンはわなわなと震えていた。
「あはは、ジン真っ赤ぁ!」
「カーナーエー?」
「ゴメン、ごめんねエイリちゃん! 何にも聞かなかったことにするから許してぇー?」
「まぁ、大したこと話してなかったしいいけど……」
はぁとため息と肩を同時に落とすエイリ。
そしてエイリは軽く頬を膨らませすたすたと足早に自室を出て行ってしまう。
「ちょっ、ちょっとエイリちゃん? どこ行くのぉ!?」
「おいエイリ!?」
取り残されたカナエとジンが揃って声を上げる。
「模擬戦! するんでしょ!?」
エイリは止まらず、そのまま先へと進んで行く。
「お、おう!」
「そういう話だったんだぁ」
カナエとジンは慌てて立ち上がってその背中を追いかける。
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