3-1 少女とお風呂2
「ねぇ、カナエ?」
「なぁに、エイリちゃん?」
「そのさ、あのありがとう。なんだけど……、どうして?」
「どうしてって、何がぁ?」
「何って、この状況が……」
一しきり涙を流し終わった後で、カナエはエイリをある場所へと引っ張っていた。乙女としては当然の反応で、行動だ。
「んー?」
「なんで大浴場でカナエに泡まみれにされてるの?」
「だってエイリちゃん臭かったんだもん」
「酷いっ、ド直球で酷い」
血と泥と胃酸と汗と、それから死臭。それら全てを洗い流さなければニオイなど到底落ちはしない。ならば、やることは一つのみである。
「女の子がねぇー、あんな臭いはいただけないよ」
「だって、必死だったんだもん……」
カナエに頭を洗ってもらいながらエイリは少し拗ねるようにそう零す。
本来白いはずの泡はドブのような濁った灰紫色をたたえていて、つまりはエイリの髪がそれだけのドブ水と返り血を浴びていたことを証明している。
「うん、分かってる。一回流すね」
ざばぁとエイリの頭に程よい温かさの湯をかけ、汚れきった泡を流していく。
「ねぇ、そういえばさ。今はいつ?」
「今はねー、エイリちゃんが夜見つかってから十八時間くらいたったところだよ」
きれいさっぱりと泡をすすぎ落したカナエはもう一度エイリの髪に洗髪料をつけてワシャワシャと泡立てる。
「十八時間、半日以上も……」
「すごぉく心配したんだから」
「ゴメン……」
「いいよぉ」
きれいに白い泡が立ったのを確認してゆっくりともう一度、髪を流す。
汚れと返り血で元の色が判別できないほど深く濁っていたエイリの
「ぷはっ、ありがと。体は自分で洗う……」
「ダメー! 私はエイリちゃんのこと絶対に離さないんだからねー!」
「ちょっと、もー! やだってばっ、くすぐったい!」
「うりうりー、早く体もきれいにするよぉ」
「分かったよ。お願いする、お願いするから、くす、くすぐらないでってばぁ」
身をよじりどうにか逃げようとしたエイリだったがカナエの魔性の指先から逃れることは叶わなかった。
「エイリちゃんはさ、首筋とかに結構小さい傷跡がいっぱいあるよね」
「……うん」
「ずっと戦ってたんだね……」
エイリはカナエのそんな言葉に返事が出来なかった。
「エイリちゃんのお
「そう、だったんだ。
背中をやさしく洗いながら
「軽蔑したでしょ?」
カナエの力加減が変わることはない。
「ほんとのこと言うとね、ショックだったよ?」
「そう、だよね。だって私は――、」
「そうじゃないよ、エイリちゃん。エイリちゃんは確かに人の命を奪ってきたのかもしれない。それも結構沢山……」
当初、エイリは自らが殺めた人数を数えていた、一度にまとめて二十人殺した日もあった。スコアが二百を超えたときこれ以上は数えても無意味だと悟った。
それからのエイリはただ殺した。
正しいか正しくないのかは考えないことにした。
感情に蓋(ふた)をしなければきっと心が壊れてしまっていた。
「でもね、エイリちゃんがそうやって一人で重荷を背負ってくれたから、私も、カノちゃんだって、ジンもそうだし、街に住んでる他の大勢の知らない人たちだって、みんなが重荷を背負わなくて良くなったんだって、そう思うの」
エイリは何も言えなかった。それは少女が手を汚す側だったから、という理由もなくはないが、それ以上に強烈な思いがあった。
“アタシの手が血まみれの理由はそんなにきれいなモノじゃないよ。”
「だからね、エイリちゃん。エイリちゃんは汚くなんか全然ないんだよ。エイリちゃんを人殺しだなんて罵る人がいたんなら、そんなのは私とジンが絶対に許さないからー」
ワシャワシャに立った泡と柔らかいスポンジで伸ばした腕を洗ってくれているカナエに対してエイリは無意識に小さく呟いていた。
「カナエ、そこから先は触ったらダメだよ」
ちょうど、エイリの肘から先へと手が伸び始めた瞬間だった。
「エイリちゃん」
カナエは掴む、ぎゅっと掴む。
朽ちた命と乾いた血痕でドロドロのその手を、誰かに握られて許されてはいけないはずの
「エイリちゃんの手が汚れてるっていうなら、私たちはねそれを分けてもらう義務があると思うんだぁ。だから大丈夫、安心していいんだよぉ」
「……ゴメン、変なこと言った」
「うん、いいよぉ」
黒髪巨乳の母性少女はエイリの背中を軽く擦って、それからざばぁと少女の全身に湯をぶちまけた。
「ありがと……、スポンジ貸して」
「うん? はい、どこか洗い足りない?」
渡しながらカナエは首をかしげる。
「違うよ。お返ししてあげるから、ほら座って」
「ほんとー? わーい、お願いっ」
エイリは黙々とカナエの
他意も邪念もなくひたすら真剣に黙々と撫でるように洗い上げていく。
「ふわぁ、きもちぃ……。エイリちゃんうまいねぇ」
「ほんと、良かった……」
背中を洗い終わったエイリはむぎゅっ、と
「んっ、んなぁ!? 何するの!? エイリちゃん!」
「ずっと背中に当たってたのが気になって気になって……」
「んもうっ、だからってそんなぁ、やぁ、揉むんじゃないぃー!」
カナエの叫びも虚しくエイリの両手は止まらない。
泡とスポンジで柔肌を洗いながらふくよかな二つの膨らみをワッシャワッシャと堪能する。
「うへぇぁ、うふふっ、あはっ、うへぁははっ」
「ちょ、ちょっとエイリちゃん!? もぅなに、どうしたのぉ!?」
何か色々なモノから解放されたのだろうか、エイリはぶっ壊れてしまったらしい。
「やわらか、やわっこい、ふわふわマシュマロ、ザラメの綿菓子……、うへへ、うへ」
「も、もー!」
ごちんっ、とカナエがエイリの頭をグーで殴った。とても珍しいことだった、否、本邦初だった。
「エイリちゃーん?」
「ご、ゴメン。反省しました」
頬を膨らませたカナエがわざとらしく眉間にしわを寄せていた。
「もう、ほら早く流して!」
そして両手を大っぴらに広げてそう要求する。
「はいはい、分かったよ」
そして、ざばぁとカナエの泡まみれの体に湯をかぶせ、濯ぐ。
「さー、入浴だぁー!」
「うわっ、とと引っ張らないでよ!」
カナエはどぼんと波を立て湯船に飛び込み、エイリは引っ張り込まれて頭から湯へと突っ込んだ。
「ぶっはぁ! カナエの馬鹿! 何すんのさ!」
「あはは、ごめんねー」
揃って端へと移動して、それから同時に一息つく。
「ねぇカナエ。知ってることを教えて欲しいんだけど……」
「うん、いいよぉ。えぇと、何から聞きたい?」
「カノのこと……」
「カノちゃんは、家族のところに届けられたって、お父様から聞いたよ」
「そっか……、良かった」
「それじゃあさ、本は知らない?」
「本? うーん、私は聞いてないかなぁ」
「そっか。それじゃあ、旧学生寮は?」
「そっちは取り壊しになるって言ってたよぉ。下に続いている穴も危ないから埋め立てるって話だし」
「その地下のことについては何か言ってた?」
「地下……? エイリちゃんたちは穴に落ちただけじゃないの?」
「そっか、聞いてないんだ……」
「ねぇエイリちゃん、私が聞いたのはね。二人が穴に落ちて、それで猟奇殺人者みたいな人に襲われて、エイリちゃんが返り討ちにしたけどカノちゃんは刺されちゃって、それで即死だったって……」
エイリは迷った、そのまま嘘を信じてもらっていた方がカナエの負担にならないと思えて仕方がなかったからだ。
それでも、
「ねぇ、カナエ。違うの」
少女は決意していた。ちっぽけな隠し事で大切なものを失いたくなかった。
「違う……? それって、どういう……、」
「アタシたちはね、落ちた後洞窟を抜けて街の地下水路に合流できたの。だけどそこで街の治政を良く思っていない一味の残党の男と会っちゃった」
「それじゃあ、カノはその人に……?」
エイリは横に首を振る。
「その人はアタシが殺した。アタシがその人からカノを逃がすために一人で先に進ませたの……。それが間違いだったの……」
「それじゃ、カノちゃんは……?」
「カノは、耐性汚染で肥大化したバカみたいな大きさのネズミに喰い殺されたの……」
「……、」
「それもね、生きたままでだよ。酷いよね、最悪だよね、アタシが、アタシがカノを一人で逃がしたばっかりにさ……、生きたまま死ぬほど苦しい目に合わせて、苦しいまんまで一人ぼっちにしたままでさ……」
「そっか、そうだったんだねぇー。でもエイリちゃんはちゃんとカノちゃんと帰って来たんだもん。きっとカノちゃんも怒ってないよぉー」
カナエはよしよしと、あやすようにエイリの頭を大きく撫でる。
「エイリちゃんはこれからどうするつもりなの?」
「第一案は
「そっかぁ。あのさーぁ、」
「ダメ」
「えぇー、私まだ何も言ってないよぉ?」
「言われなくっても分かるよ、一緒に連れてってっていうつもりでしょ?」
「うん、まぁそうなんだけど……」
「絶対ダメ、絶対カナエは連れてかない。カナエまでカノみたいなことに巻き込みたくないもん」
「でも……」
「アタシは自分の身だったらいくらだって守れるんだよ。でもね、一緒にいたら、その人は守れないかもしれない。だからダメ。絶対にダメ」
「そっかぁ。ダメだなぁ私……」
「ううん、カナエは凄いよ。アタシはカナエがいてくれて良かったって思ってるもん」
「ありがとうね、エイリちゃん」
「ううん、こっちこそありがとう」
「そろそろでよっか」
「そうする。のぼせそう……」
そして二人は立ち上がり、浴場から出て行った。
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