2-1 少女と人を殺さない


 あれからエイリは街の書庫に通い詰めるようになった。

 これまで普段は通らなかった道を通って、街を歩くようにもなった。

 学舎の中で不良娘になってしまったんじゃないかと噂されるようにもなった。

 そのくらい毎日毎日、書庫へと通い詰めていた。

 けれど彼女のほしい情報はなかなか見つけられなかった。

 何せ少女が探しているのは旧文明から陸続きになっている資料なのだ。時間が経ちすぎていてどれが正解なのかの裏どりさえ困難を極める。

 それでも藁にもすがるような気持ちで調べながらもエイリはどこかそれを楽しんでいた。

 それは単なる知的欲求だったのかもしれない。ただ知らないことを知るのが楽しい、それだけのことだったのかもしれない。

 分かり易く心躍る記述を見たときは天にも昇るような気になったりもしていた。その中で最もエイリの心を惹いたのはたびたび登場する滅びのあるじたる、世界の敵についての叙述じょじゅつだった。

 そいつは分かり易く万能で圧倒的だった。全世界に対して完全同期したリアルタイムなテレパシーで宣戦布告をしただとか、全世界の空挺部隊くうていぶたいによる攻撃を片手一つではねのけて、そのまま行きずりで三千メートル以上離れた軍を壊滅させただとか書き連ねられていた。

 どこまでが本当でどこからが誇張こちょうなのか、今ではその判断さえつけられない。現実的に考えればあり得るわけがないのだが、それを誇大妄想と決めつけるための判断材料さえありはしない。



「エイリ、おいエイリ嬢!」


 担当のケイリ女史がエイリの名前を強く呼ぶ。

 二度、三度と呼ばれてようやく当の本人はそれに気が付いた。


「は、はい! えと、ごめんなさいなんですか?」


 席でぼうっと、考え事にふけっていたエイリは慌てて立ち上がり、教卓の前へと駆け寄る。


「お前とジンに召集令だ」

「ジンと一緒に、ですか?」

「そうだ。ジンにはもう声をかけて先に政務塔へと向かわせた」


 授業用のいくつかのファイルを整理しながらケイリはそう告げる。


「分かりました、すぐ行っていいんですよね?」


 現在は午前授業の三限目が終わったところで、午前授業がもう一限に午後の授業が残っている。そのためエイリは一応確認を取ったのだ、もちろん普通に考えれば街の統括からの呼び出しなのだからそれくらいの融通ゆうずうはされるだろう。


「むしろさっさと行ってくれないとこちらが困る案件だそうだ」

「わっ、かりました」


 どうも緊急を要する案件らしい。だが彼女には何かが引っかかった。

 しかしその引っ掛かりを立ち止まって検証している時間はない。

 足早に荷物をまとめて学舎から外へと移動する。


(緊急を要することで、アタシが動かないといけないことなら間違いなく汚れ仕事だと思うんだけど……、)


 運動場を抜けて、そのまま中央区の大通りまで一直線に歩き出す。

 学舎の近くにはある商店といえば授業に使う備品を扱っている文房具屋とそれから手軽に食べられるジャンクフード店、あとは制服を扱っている衣裳店や水の売店など、遊びのある店はほとんどないといっていい。そもそも中央立第一学舎自体の生徒数が少ないのだから栄える道理はないともいえる。

 足早に道を通り、大通りへと差し掛かる。


(でもそれなら事は私一人で片づける必要があるはず。そういう荒事あらごとなら学生で政務塔にパイプを持ってる親を持つジンを利用できるはずがない。いくら総数の少ないギフトパスといえどそんなことは許されない、はず)


 エイリは思考しながらぐんぐんと足を動かす。

 大通りに出ればずらりと食料品を扱う商店が並ぶ。肉専門の商店、果物や野菜を扱う商店、魚を扱う専門店――魚はこの街では希少品で値が張る――、惣菜を扱う商店、高級な料理を出す店、値段控えめの大衆食堂と様々だがそのほとんどは飲食に関係している。

 旧時代の技術とエネルギーと今代こんだいの技術とエネルギーがかみ合わず、中々ローカライズがうまくいかないために食以外の娯楽はいまいち発達しきれていないのだった。


(だったら、なんなんだろう。アタシとジンを一緒に呼ぶ理由。使いやすいアタシに合わせるためのギフトパスが必要だった、とか……?)


 そう考えて、あまりにも自分本位に考え過ぎだろうかと頭を軽く振った。

 足は止まらず直線真っ直ぐに通りを抜けていく。現在の時刻は昼前、つまり街はあまり賑わっていない。

 だからエイリが人目をはばかることもないし、前を見ることもなくずんずん進んで行ったとしても誰にも迷惑は掛からない。


(だめ、アタシとジンを一緒に使って得になる事象が全く分からないよ)


 いくら考えても答えにはたどり着けない。当然だ、エイリの持っているピースだけでは問題を埋めるには至らないのだから。

 カツンッと意識せずに革製のショートブーツが一際高い音を立てた。何のことはない、政務塔の入り口の目の前で一度止まった、それだけの話だった。

 エイリは頭の中を切り替えて、それからドアを開けて中へと入る。



 前に来た時と何一つ変わらないただ広いだけの執務室。

 街で二番目に高い景観を持つその部屋にはエイリの義父ちちである統括と先についていたジンが待っていた。


「お待たせしました。エイリただいま参上しました」


 エイリの挨拶に彼女の義父は黙して頷き、それからゆっくりと口を開いた。


「まずは急に呼び出して済まない。が、君たちに頼みたい急務が出来てしまったんだ、仕方ないと諦めてほしい。君たちにやってもらいたい仕事というのはだね……」


 そこで彼は一度言葉を区切り、二人を机のそばへと呼び寄せる。

 そこには大きな地図が広げられていた。

 巨大な円で囲われた街にどうやら広大に広がるらしい外の土地。

 それは紛れもなくエイリたちの住む小さな世界の外を描画したものだった。


「見ての通りここがこの街だ」


 縮小された街の位置を指で指示し、そのまま北東方向へとスライドしていく。


「この辺りにどうやら人が住んでいるらしい」

「人探し、ですか……?」


 統括の言葉にジンは思わずといった調子で呟いた。


「正確には違う。君たちにお願いしたいのは調査だ。本当に人が居たならば壁の内側に住む気のあるなしに関わらずこちらに報告をあげてくれればいい。いなければそれまでとしてそのまま帰ってきてくれて構わない」

「かなり、その、遠いですよね。足はどうするんですか? まさか歩いて?」


 地図にある距離はどう概算してみても街を端から端まで移動すること二回分程度は離れている。歩きだけで進めば最悪片道一週間は掛かる距離だ。

 そうなれば荷物もかなりの量を持って行かなければいけないし、外の野生動物への対策も講じなければならない。


「足については問題ないよ。この間のヤツを利用できるように掛け合ったから」

「ゴーストシステム、ですか」


 確かにあれなら速い、とエイリは得心した。


「あの、それって一体?」


 事情を知らないジンは一人首を傾げる。


「自動自転車、みたいなものかな。取りあえずこの距離なら二日くらいで着くと思う」

「そうだ、期間は一週間程度とこちらでも見積もっている」


 エイリが説明し統括が補足する。ジンはそれを聞き、分かったような分からないような何とも微妙な表情をしていた。


「それってえと、エイリが動かすんですよね?」

「いや、ゴーストシステムの運用は君が最適任者なんだ、ジン君」

「俺……、自分がですか?」


 懐疑的な反応だった。


「そう君だ。今この街で最も優秀なギフトパスのうちの一人であり、エイリとも旧知の仲。それなら君が最適任だろう?」

「そういうことなら……、そうかもです。けど……、そのゴーストシステムってのは俺が操縦できるもんなんですよね?」

「そのあたりは問題ないよ。君も自転車は乗れるだろう? 大体同じ感じだから」

「そう、ですか」


 なんだか思っていたイメージと大分違うぞ? とジンは内心で毒づきつつも、納得したようで「分かりましたやります」と付け加えて押し黙る。


「それで統括、いつからの予定ですか?」

「予定ではこちらの準備が済むのが明日の昼ごろ。だから早ければ明日の夜から、遅くとも明後日には立ってもらうことになる」


 エイリと統括は慣れた様子で先へ先へと展開していく。ジンは完全に取り残された部外者になった気分だった。


「心得ました」

「りょ、了解です」


 エイリはいつもの調子で、ジンは慌てて取って付けたような、しかしどちらもハキリと返す。


「それじゃあ今日はもう下がりなさい。午後の授業は間に合うようなら出なさい」

「はい、失礼しました」

「し、失礼しました」


 頭を下げて二人は退出する。

 エイリはすっかり慣れてしまっていることもあるし、相手が義父ちちであるということもあり普段のそのままだったが、ジンは違った。

 いくら彼の実家が政務塔に努める政務官でお金持ちだったとしても相手は階級上はその上にいる存在。緊張しない方がおかしな話である。


「うわぁ……。はぁぁ」


 だからドアを出てから盛大にため息を吐き出してしまうこともそれは仕方のないことだったといえよう。


「まぁ、最初は緊張するよね。お疲れさま、まぁなんていうかよろしくね」

「お前、すごいな鉄の心臓かよ。なんでこの街のトップと会ってるのにあんなに平然としてんの?」

「いや、だってあれアタシのお義父とうさんだし」


 エイリがさらりとそう告げれば、ジンはギギギと音がしそうなほどにゆっくりと首を振り視線を合わせる。


「え゛っ?」

「あれ、カナエから聞いてなかったの?」


 さらりと発せられた驚きの真実にジンは硬直した。

 エイリ自身は隠していたつもりもなく、ただタイミングがなかったから言っていなかった、別に言わなくてもバレているだろうくらいのつもりだったらしく、驚きのあまり硬直したジンのリアクションに驚いていた。


「あれ?」


 そしてダダダッと出口を目指して一気に政務塔を駆け下りて行ってしまう。エイリも慌ててそれを追いかけて、二人は早々に出口から外へと駆け出した。


「あれじゃねー! 知らなかったよ! エイリが統括の娘だなんて! 全ッ然知らなかったぁ!」


 そして、思い切り叫んだ。それはもう叫んだ。腹の底から空気をすべて吐き出すまで叫んだ。


「う、うるさい! そんなに驚くことじゃないでしょ」

「いや、おまえ驚くぞ! めっきり心底驚くぞ!」

「うんむぅ、黙ってたのは悪かったけどさ、別に隠してたわけじゃないよ?」

「そういう問題じゃねぇよ! やだもー、エイリ怖ぇ」

「そんな大げさな……」

「いや、すまん驚きすぎて我を忘れた……。もう大丈夫だ、多分」

「そっ、それなら改めて、よろしくね」

「あぁ、よろしく」


 そこまで考えてからジンは驚異的な事実に気が付いた。

 気が付いて、表情を赤くする。


(もしかしなくてもエイリと二人きり……、なんだよな。しかも一週間も……!)


 年頃の男子としては正常な反応である。

 そして年頃の女子は気づいているのかいないのか、気にしているのかいないのか、さっぱりと分からないのだった。


「ジンどうしたの? 顔赤いけど……、もしかして緊張しすぎて熱出た?」

「いや、ちげーよ! そーいうんじゃねーから!」


 過剰反応するジンにエイリは何を言ってるのと表情で訴える。


「いいから! 問題ないから、学舎にもどろーぜ」

「そう? ならそうするけど……、なんかあるんならちゃんと言ってね?」

「分かってる、迷惑はかけねぇよほら、だから行くぞ」


 照れ隠しにジンはエイリの背中をグイグイ押して移動しようとする。

 だが、彼は墓穴を掘っていた。


(あっ、今普通にエイリに触ってる……)

「ほんと、どうしたの、大丈夫?」

「だい、大丈夫だから!」


 どたばたと街の大通りに悲鳴にも似た叫び声が木霊した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る