1-6 少女と世界の過去
エイリは事後報告を終えて統括執務室の扉を静かに閉じてため息を吐き出した。
辛気臭くなるなという方が無理な話である。
「自由……、自由なんてそんなもの、必要ない」
時刻は午前十時を少し回っている。本来ならばエイリは学舎にいなければならない時間だが、今回は一応公休扱いになっているため焦って飛び出す必要はない。
付け加えるならばエイリ自身もそんな気になれないようで、足取りは重く、背中もしょげている。
理由は明白だろう。相対したときは心のブレーカーが落ちていて、今は元に戻っている。少女は目的のために自己を殺せる人間だというだけなのだ、人を殺すことに躊躇いを覚えないわけでもない、後悔や自責の念にだってかられる。
初めてだったから、というわけではない。エイリはこれまでにも幾度か似たような仕事をクリアしている。クリアして、そのたびに自らの行動の責任の重さに押しつぶされそうになっている。何度でも、何度でも、これまでと同じようにそしてこれからも同じように。
ただある種の諦観を少女が抱えているのもまた事実で、それが覆るものではないという絶望にも似た確信を得ている。
ただ、どんな境遇でなにを為そうとも彼女は未だ少女である、たったのそれだけが純然たる事実で、少女のよりどころでもあった。
「……、はぁ」
陰鬱な気持ちを抱えたままでエイリは政務塔を後にする。
歩みは遅く、行く先さえも決まっていない。
だとしてもエイリには止まることが出来なかった。止まったら何もかもを失ってしまうかもしれない、そんな恐怖が強烈にこびりついて離れなかった。
だから彼女は歩いた、ただただ歩いた。
這うように視線を下げて、道順などまるで考えずにただただ歩き続けた。
三十分か、一時間か、それ以上なのか、少女にはそんなことさえ判別がつけられなかったが、気が付いた時にはそこにいた。
間違いなく政務塔から真っ直ぐ歩いてきたわけではない。何故ならば彼女が立っているこの場所は件の塔から目と鼻の先なのだ。
つまり、街中をぐるぐると歩き回って最終的にたどり着いた場所がここなのである。
「街の、書庫……」
二階建ての大きな建物でその広さはエイリが住む学舎寮の五倍ほどあり、蔵書量は二十万冊程度。
この街、唯一にして最大の書庫だ。
そしてこの施設最大の特徴は開かれていること。
どこの誰であろうが中に入り本を読むだけならば許される。さらに言えば身分を証明することが出来れば蔵書を借りられる。
(そうだ、世界の秘密みたいなのがあるとか言ってた……)
目の前の建造物を見上げながらに思い返す。
そして、それ以外にも大事なものを見つけた。
「そうだよね、それでも空は青いんだもんね」
彼女が信じる蒼穹が、そこにはいつでも広がっているのだから。
エイリは思考し、それから決断して公共書庫のドアを開いた。
歴史書、学術書、娯楽本、画集に美術書。可能な限り収集した街の知識、その全てが集まっている場所。それがこの書庫だ。
エイリが目指す場所は一つ。
「この世界の本当の歴史……学舎で教えていない、大多数の大人さえ知らない歴史の真実……」
果たしてここにそんなものが蔵書されているだろうか、よしんばされていたとしてもそれを読むことが出来るのか、問題は考え出せばきりがなかった。
けれどエイリはそんないろいろなことを振り払って一つの欲求だけで行動を起こす。
即ち、
「知りたい」
という好奇心だ。
目ぼしい本を何冊か本棚から抜き出してまとめて机へと運び、広げる。
エイリが知っているこの世界の歴史といえば、『大昔今から何百年も前は人類は世界中にひしめくほど存在していたがある日唐突な外敵の進行によって衰退と滅びの一途を辿らされ、それからまた二百年、三百年と時間をかけて復興して、現在に至る』というようなものである。
これは彼女が養女として迎え入れられたときに義父親に聞いた話でもあり、学舎に通う前の個人授業を受けていた時に教えられた話でもある。
ページをめくる、めくる、めくる。
書いてある内容はどれも似たり寄ったりではあった。けれど記述されている内容に誤りがないのだとしたら、エイリたち子供は、いや子供だけに限らず多くの住人たちは誤解をしていることになる。
始めに開いた本の内容は『耐性エネルギー』についての歴史的観点を重点的にまとめていた。エイリがその本を選び出したのは全くの偶然だったし、タイトルから受けた印象だけを語るのならば、「何の関係があるんだろう」であった。次に開いた本は遺失した旧文明の資料や技術体系を復元することの難しさを綴ったもの、その次は混沌と失意の中でゆっくりと命を失っていく少女の手記。
ほかにも数冊を当たってみれば一様に同じような記述が残されていた。
これだけの資料が残っていながら何故誰もがこの事実を正しく認識していないのか、それともそれを話すことにそのものに不都合があるのか、エイリには判別がつけられなかった。
だけれど少女はそれを話さない人たちの気持ちが痛いほどに理解できてしまった。
「人の世界を滅ぼしたのは、たった一人の男……?」
書籍の中に描かれた旧文明はエイリの知る限りの世界と比べて圧倒的なスケールを誇っていた。
曰く、億に達する大軍勢と強固な兵器で以て標的を
曰く、世界を汚染する男を許すことなかれ。
曰く、科学とは戦争の歴史である。
そして極めつけはこれだった。
『その日世界から軍隊が消えて、人類は防衛のために壁を建設することを決定した』
この街の壁はそもそもにおいてたった一人の男から同胞たちの身を守るために建造されたものである、エイリの開いた書籍には差異はあれどほとんどがそう記述されていた。別の記述があったのは悲観論者が書いたと思われる著書『人の破滅その歴史は繰り返す』だけであり、その記述内容は壁を作ったことによって人は緩やかな自殺を開始したのだ、という妄言甚だしいものだった。
「嘘、だよね……。だってコレ、これじゃおかしい……、よ」
あまりにも荒唐無稽なその話にノーと突き付けたい衝動に駆られ、それからそんなことをしても意味なんかないんだ、とエイリは自らを冷静にさせる。
目の前の信じがたい事実を受け入れる、まず第一歩はそれからだ。少女はそう考える。
真実とは嘘という枝葉を取り除いていって最終的に取り残されたモノのこと。
なればどんなに荒唐無稽だとしても、全ての枝葉を取り除いた先にあったものがそれだというのならば、殆どの場合それが本当に真実なのだ。
「でも……、それとこの街と一体何の関係が……?」
少女の前に出された問題の解は未だ得られない。
だから少女は知りたいと願った、この世界の本当を。
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