1-2 少女とお風呂


 太陽がほとほと傾いたころになって、エイリはようやくと学生寮に帰り着くことができた。


「あー、やっと帰ってこれたぁ!」


 数日間の壁外調査を終え、高い壁を自力で登り切り、自由にできる足は自分の二足のみという何とも過酷な労働環境から解放されたのだ。


「もう眠いよ、汗を流さないでそのまま眠ってしまいたいよ……」


 大きなため息を吐き出しながら、更衣室へと入る。

 中央立第一訓練学舎、それが彼女が所属する教育機関の名称だ。壁内の十四か所に建造された学舎の中で最も所属人数が少なく、最も高等な教養を育てる場所。

 通称、一学いちがく

 全校生徒は六十名ほどで、そのほとんどが特別な才能を持っている。いわば、選りすぐりの優等生たちだ。


「うぅ、眠いけど……、返り血でベトベトだし体流さないとだよ」


 元の赤毛と地の利の赤とが混じりあい、髪の色なのか血の色のなのか判別がつかなくなったショートヘアーを指で軽くいじりながらエイリは泣き言をいう。その姿はおよそ年相応にしか思えない。

 血みどろで汚れきったジャケットとブラウス、それからスカートを脱ぎ捨てる。


「はぁ……」


 少女がため息をついた直後に、ばぁんと更衣室のドアが音を立てた。


「うわっ、なに!? びっくししたぁ……」

「エイリちゃん、おかえりー!」

「えぇ? あぁ、カナエか驚かさないでよ……」


 カナエと呼ばれた黒髪メガネの少女は健康的な笑顔を浮かべ、エイリの様子を気にする風もなく近づいていく。


「お外のお仕事から帰ってくるのを見かけたのに、一向に私のところに来てくれないから、来ちゃった。……ってエイリちゃんそのね、控えめに言って臭い……」

「知ってるよ……、流石に放置できないから先に体流しちゃうつもりだったのに……。ていうか、いきなりそれは酷くない!? 大体、血の匂いが酷いのなんて、見たらわかるでしょ!?」

「んー? んんー? ほんとだ! エイリちゃん真っ赤ー。でもいつも真っ赤だから気が付かなったー!」


 すっとぼけるようなカナエの言葉と態度に、思わずといった感じでエイリの右拳が握られた。


「あいたっ! んもう、エイリちゃん何するの!?」

「あんたが悪い! 悪かったわねいかにも鮮血を被ったような髪の色をしてて!」

「んもう、冗談だよー。そんなに怒らないでってば、ごめんねー!」

「別に怒ってはないけど……」


 エイリは嘆息とともに肩を落とす。


「よかったぁ。エイリちゃん怒ると怖いんだもん」

「あんたがいちいち怒らせるようなことすっからでしょ……」


 カナエのことをジト目で睨みつけるその姿は、呆れと安堵が混在していて、

(まぁ、でもこの空気の読めなさがいい感じに肩の力を抜いてくれるんだよね)

 ツンツンした態度とは裏腹にこのじゃれつきを楽しんでいるようだった。


「んー、お詫びに体洗うの手伝ってあげるよ!」

「えぇ!? いや、いいよ……」

「ほらほらー、いいから脱いで脱いでー」

「いやいいってば! 大体湯船につかるわけじゃないし! お湯で体流して頭洗うだけだから!」

「えぇ、お風呂はいろよ! 入ったほうがいいって絶対!」

 カナエがエイリの来ているスーツを頭から脱がそうとぐいぐいと引っ張る。

「ほら、カナエ。その辺にしといてやんなって、エイリも疲れてるんだし」

「んー、でもぉ」

「エイリもさ、強情張ってないでお風呂一緒に入ろう?」


 突然現れた金髪碧眼の低身長巨乳娘のカノはカナエの頭部を軽くゆすってたしなめつつ、エイリにも諦めるように促す。


「カ、カノ……。でもね……」

「分かってるよ。今お風呂に入ったら湯船で寝ちゃうって言いたいんでしょ?」

「わ、分かってるなら……!」

「ちゃんと起こすし、沈みそうになったら助けるから」

「根本的な解決になってない!?」

「だからまぁ、諦めなって。カナエはしつこいよ?」

「そうだよね。よく知ってる……」


 エイリは頭を抱えて盛大にため息を吐き出す。


「ん? 話はまとまった?」

「なに他人事を気取っているのさ……」

「じゃまっ、そいうことでいいね」

 カノがそっけなくも強引に話をまとめ、三人は揃って身支度を開始した。



「おっ風呂ー!」


 前も後ろも上も下も開けっ広げに堂々と浴場へと突入するカナエ。


「カナエはいいところのお嬢様なんだからもっと慎みを持つべき。逆にエイリは慎ましすぎる。わたしたち同性だよ?」

「うぅ、だってアタシはあんまり女の子らしくないし……」


 特に気負う風でもなく、自然体でゆっくりと歩くカノ。その後ろでタオルでがっちりと体を隠し、こそこそと人目につかないようにと歩くエイリ。


「エイリの場合、単に引き締まってるだけ。むしろ誇るべき」

「アタシはカノくらいって贅沢は言わないけど、せめてカナエと同じくらいの肉付きに生まれたかった……」


 広い風呂場をなぜか壁伝いに移動しながら、エイリは嘆く。


「人の肉付きは食生活と普段の運動量と遺伝で決まるんだ。エイリくらい絞ったってエイリみたいにならない人だって沢山いるんだよ。解剖学がそういってる」

「諦めきれないよー!」

「じゃあ、とりあえず運動量を減らしたら? そしたら少しはふっくらするんじゃない?」

「それは無理……」

「じゃあ諦めな」

「うぅ……」


 エイリはシクシクと作り涙を抑える。


「んじゃ、座って」


 カノに促された少女は至極素直にすとんと腰掛に腰掛ける。


「カナエー、エイリ洗うよー」

「えぇ!?」

「すぐ行くよー!」


 一足先に体を洗い終えたカナエが体中の泡をざばぁっと湯桶に汲んだ湯で流す。

 そして足を滑らせて転びかねない速度でエイリのもとへと飛んで来るのだった。


「はいざばー」

「あっ、ちょっっと、自分であらうぇっぷ!?」


 抗議の声を上げた瞬間にエイリの頭に大量のお湯がぶっかけられた。

 湯が髪を伝い、乾いた血糊がじんわりと溶け出してほのかな赤を作り出す。


「うわっ、すごいべっちょり」

「髪はまかせろー!」

「んじゃ、わたしが背中を流そうかな」

「えぇっ!? ほんとにいいから! 自分でやるってばぁ!」


 ワイワイキャッキャとワシャワシャアワアワが重なって、エイリを泡まみれにしていく。


「おきゃくさーん、かゆいところはありますかー?」

「うぅ、だいじょうぶですはい」


 もはやおとなしくされるがままを受け入れたエイリは弛緩しきった声色で答える。


「おきゃくさん、筋肉すごい。腹筋われてる」

「おねえさん胸スゴイやわらかいね。うらやましい」

「当たってる?」

「あたってるー」


 赤い泡を立てては流してを繰り返すこと三回。ようやく白い泡になったのを確認し、最後にゆっくりと濯ぐ。


「おきゃくさーん出来上がりましたよー!」

「ありがと、カナエ」

「湯船にいこ」

「ふぁい」


 されるがままなすがままで、しっかりと気持ちが緩んだエイリは既にかなり眠気に押されているようで、カナエに手を引かれるままに湯船へと向かう。


「ゆっくりね」

「ふぁい……」


 半分寝ているエイリにカノが声をかけ、ゆっくりと湯浴みをさせる。


「きもちいぃ」


 真ん中にエイリ、右にカノ、左にカナエ。並びとしては中大小、身長の話だ。


「のぼせない程度に寝かせてあげよ」

「分かってるよー。エイリちゃんいつも大変だからね」

「エイリはいつも頑張りすぎる。もう少し手を抜くことを覚えてくれればいいのに」

「恩があるから止まれないんだってー」


 うつらうつらと舟をこぐエイリの隣で、二人は話す。


「カナエこそ、平気なの?」

「うん? まぁアタシは義弟もいるし、だいじょーぶ、だよ」

「あぁ、ジン……」

「えぇと、一応言ってるんだよ。エイリちゃんに突っかかるは控えてって」

「いや、あれはあれでエイリは楽しんでるっぽいし気にしなくてもいいんじゃない?」

「そっかなー?」

「多分ね」


 かくんっと舟をこいでいたエイリの首が右側へと落っこちる。

 身長差はまるっと頭一つ分あり、筋肉が多い分体重もそれなりに差がある。


 そのため、

「あ、重い……。ほら、エイリ起きろエイリ」

 もたれ掛かられるとカノには押し返すことができないのだった。

 ペチペチと軽く頬を叩いて微睡むエイリの意識へと働きかける。


「むぁ。うわっ、とと、ごめんね。ふわぁ」

「んじゃ、あがろー。これ以上いるとエイリちゃんが溺れかねないしー」

「うぅん、そうする……」


 重い瞼をこする少女はぼやけた頭で頷いて立ち上がる。


「エイリ、足元気を付けて」

「ふぁい……」


 聞こえているのかいないのか、一つ言えることは間違いなく寝ぼけているということだけだった。


「ほら、足挙げてゆっくりね」

「うん……」


 引き締まった体は緩慢に、だけれどしっかりと湯船をまたぎ浴槽から上がる。

 三人はゆっくりと浴場を後にした。

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