第88話 沙耶の決意

 小鳥のさえずりが響き渡るほどの静寂の中で、不意に、”少女”の漏らす掛け声が辺りの空気を一変させた。


 

「やあッ!とおッ!……ダメ、全然違う……もう一度やり直し……やあッ!とおッ!」



 トレードマークの赤い眼鏡を汗で濡らしながら、一心不乱に一定の動作を繰り返す。




 早朝、病院の背にひっそりと佇む裏山。


 そこで、沙耶はまだ怪我が完全に回復していないのにも関わらず、こっそりと病院を抜け出し、一人懸命に剣の鍛錬に取り組んでいたのであった。



 一面木々が生い茂る静かな空間の中、少女が握り締めた竹刀を強く振り下ろすたび、風を切る音が辺り一面に響いた。



「……ダメ、どうしても上手く立ち回れない……せっかくこの前、東堂さんに剣術を教えてもらったのに、まるで成長出来てない……こんなんじゃ、私……いつまで経っても強くなれない……!!」



 震える声でそう小さく呟くと、漂う絶望感に、沙耶は思わず握り締めた竹刀を地面に落とした。


 ヴォルムガングとの戦いで、彼女もまた心に深い傷を残していたのだった。


 もっと強くなりたい……みんなの役に立ちたい……自分の弱さを知るたび、沙耶の葛藤は激しさを増す。



 ……と、その時、葛藤する沙耶の耳に、突如”何者かの囁き”が飛び込んできた。




『力が欲しいか……?』




 聞こえてくる怪しげな誘惑に、沙耶は咄嗟に声のする方へ顔を向ける。


 と、目の前には見覚えのある”男”の姿があった。



「……なーんてなっ!生憎、幼気な嬢ちゃんを闇落ちさせちまうような悪趣味な特殊能力、俺は持ち合わせてなくてな……今のは軽い冗談だ」


「あなたはあの時のお侍さん……”零”!」



 古風な和服を見に纏い、腰に刀を携えた男……そう、目の前に立っていたのは、以前沙耶と奇妙な出会いを果たした侍……”零”であった。


 あまりに突然の再会に驚く沙耶。そんな彼女の動揺した表情を見るや否や、零は嬉しそうに再び声をかけた。



「おっ!覚えててくれたか、神童沙耶!」


「……覚えてるも何も、あなたみたいなインパクトしかない人は忘れようとしてもそうそう頭から離れないと思いますよ……」


「ハハっ!確かにな!……さて、今日はやけに元気がないじゃないか、神童沙耶。また悩み事か?」



 冗談を言いつつもどこか暗い表情を浮かべる沙耶に、零は彼女に対し感じた印象を包み隠さず素直に口にした。


 そのあまりに直球な質問に、沙耶は少し呆れた様子を見せながらも、一呼吸吐き、重い口をゆっくりと開けた。



「……鈍感そうに見えて、相変わらず変なとこ鋭いんですね、零は……私、やっぱり強くなれそうにないです……自分が弱くて、情けない存在で……みんなの足を引っ張るばかりで……それが、堪らなく許せなくて……」


「…………」



 切り出された沙耶の言葉に、零は先ほどまでのヘラヘラとした表情を一変させ、真剣な眼差しで彼女の話に聞き入った。


 そんな零の姿に、沙耶は口ごもりながらも話を続ける。



「……ごめんなさい……以前、零からも強くなるためのヒントを教えてもらえたっていうのに、こんな弱音ばっかり吐いてて……あの時、せっかく求めていた”強さ”を掴みかけていたのに……なのに、結局私は……負けてしまった……負けてはいけないこの戦いで……何より、散々悩んで、迷いに迷って、もう立ち止まらないと心に決めた矢先、この有様だなんて……そんな自分が情けなくて……本当に弱々しくて……!!」



 震える声を懸命に絞り出し、沙耶は内に秘めた想いを洗いざらい吐き出す。


 そんな弱々しく映る沙耶の姿を前に、零は一度大きく息を吸い込むと、彼女の言葉を飲み込み、静かに口を開いた。




「……まあ、いいんじゃないの?たまには立ち止まってもさ」




 意外、そのあまりに軽い零の返事に、沙耶は思わず動揺を見せる。



「……ッ!!で、でも、それじゃ……!!」


「わかってる。嬢ちゃんはそこに弱さを感じてるんだろ?……確かに、何があっても前を向き続けられる奴ってのは相当強い奴だ……俺だって、いざそう出来るかどうかって聞かれたら正直自信ないしな」


「…………!」



 零の返す言葉に、沙耶は唇を噛み締める。


 と、言葉を失う沙耶に対し、零は一呼吸吐き、再び話を続けた。



「……けどな、どんなに目を背けたところで、運命って奴は俺達を放っておいてはくれねぇんだわ、これが。結局、いつかは進むしかなくなる……なら、ちょっとくらい俯いてたっていいじゃねぇか!少し休んで、また自分のペースで進めばいい!……たとえ、その歩みがゆっくりだったとしても、諦めず何度でも立ち上がる信念こそが真の”強さ”だと、俺はそう思ってる」


「零……」



 ”自分のペースで進めばいい”……それは、ずっと仲間達の背中を必死に追ってきた沙耶にとって、これ以上にないほど衝撃的な言葉だった。


 僅かだが、心がスッと軽くなったような気がした。彼の名を小さく口にする沙耶の瞳には、徐々にかつての輝きが蘇っていった。



「どうだい、沙耶の嬢ちゃん。少しは気が楽になったか?……刀にはそれを握る本人の心が伝わる……少しでも迷いがあれば、いくら技術や才能があってもその本当の力を出しきることはできない……生きてんだよ、嬢ちゃんの”相棒”も……!」


「私の刀が……生きている……」


「ああ、生きているからこそ、必ず成長する。お互いにな!命ある限り、諦めるって選択肢はあまりに勿体無いぜ!」



 零の言葉に魂が震える。


 高鳴る胸にゆっくりと手を当て、乱れる呼吸を整えると共に、沙耶は静かに口を開いた。




「諦める……?そんなの、嫌……強くなりたい……絶対に!だから……私は……まだ、諦めたくない……!」




 目に薄っすらと涙を浮かべながら吐き出された沙耶の想いに、零はふっと笑みを溢す。一瞬、彼女に対し何か言葉を口にしようとするも、零はそれをグッと堪え、静かに口を閉じた。



 静寂の中、2人は互いに口を閉ざし、風に揺れる木々のざわめきを耳に暫しの余韻に浸る……。




 と、その時、突如何処からか”少女の声”が、山々にこだまし沙耶達の耳に届いた。



『……お〜い……沙耶〜……一体どこにおるじゃ〜……』



 その聞き覚えしかない独特な声・口調に、沙耶はハッと顔を上げる。



「……風菜!?私を探してる……もしかして、何かあったのかな……?」



 聞こえてくる風菜の声に、キョロキョロと辺りを見渡す沙耶。


 そんな彼女の様子を見て、零は小さく息を漏らすと、薄っすらと笑みを浮かべながら立ち去るようにして沙耶から背を向けた。



「零!もう行くんですか……?」


「……ああ!嬢ちゃんのお友達も探してるようだし、”邪魔者”はとっとと撤退させていただきますよっと。……じゃあな、沙耶の嬢ちゃん。あんたは間違いなく強くなる!だから諦めず、しっかりとこれからも精進しなよ!それじゃ、またな!」



 そうさっぱりとした別れを告げると、零は背を向けたまま沙耶に向かって片手を軽く振り、キザにその場を後にしようとした……が、次の瞬間。



「……おっと、そうだ。危うく言い忘れるところだった……」



 ふと思い出したように足を止めると、零は一度呼吸を置き、落ち着いた様子で沙耶に語り掛ける。


 その瞳は先ほどまでとは打って変わり、真剣な眼差しを浮かべ、その重い口をゆっくりと開いた。




「”スレイブ”という名の男には気をつけろ……!」




 零がその名を口にした瞬間、木々を揺らしていた風はぴたりと鳴り止み、辺りの空気は一変した。



「スレイブ……ですか……うーん、聞いたことない名前ですね……でも、どうして急にそんなことを?」


「それは……」



 沙耶からの質問に零は苦い表情を浮かべると、一度呼吸を落ち着かせ、改めてその重い口を開いた。



「……相変わらず記憶は戻らないものの、何故かこの男の名前だけは妙に頭に残ってるんだ……脳裏に焼き付いた嫌な感覚……何をされたかも、どんな奴だったのかも全く思い出せない……が、これだけは言える……奴はあまりにも”危険すぎる”……!」


「それって…………」




「あーっ!いたいた!おーい、沙耶!やっと見つかったわい……お主、こんな朝早くから山奥で一体何をしておったんじゃ?」




 と、ここで、沙耶が言葉を口にしようとした刹那、突如、背後から聞こえてきた風菜の声にビクリと肩を揺らすと、彼女は咄嗟に後ろを振り返った。



「風菜!?私はさっきまでここで刀の稽古を……って、そんなことより!!……あれ?零……?」



 風菜との会話を断ち切り、ふと沙耶は零のいる方へと顔を向ける……が、その時、既に彼の姿はもう何処にも見当たらなくなってしまっていたのだった。



「おお!一人隠れて鍛錬とは、お主なかなかやりおるな!しかも、それなら寧ろ好都合……のう、沙耶。あの時……ヴォルムガングとの戦いの最中、二人で連携して編み出した”即席の技”を覚えておるか?実は、アッシはあの技をもっと精密なものとし、きっちりと完成した”必殺技”にしたいと考えておるのじゃが……って、お主聞いておるのか!?」



 話を再開しているのにも関わらずどうも落ち着かない様子でいる沙耶に対し、風菜は少し大きめの声を張り上げる……が、それでも尚風菜の話を上の空で聞く沙耶は、ただひたすら考え事に耽っていた。



(”スレイブ”……もし、それがまだ見ぬ闇の使者の名前だったとすれば、いずれ戦うことになるかもしれない……なら一層、私はもっと強くならなくちゃ……!焦らず、自分を信じて……遅くても一歩づつ、確実に前へと進み続ける……それが、私の決意……!!)



 もはや、周りのことなど全く目に入らないほど集中した沙耶は、零の残した言葉の意味について、頭の中で深く考え巡らせていた。


 隣で頭を掻く風菜を他所に、沙耶は一人、決意を胸に抱くのであった。







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