第87話 息吹の決意

 開かれた窓から入る心地よい風が、病室のカーテンをふわふわと舞い上がらせる。


 木漏れ日に照らされて、棚に置かれた果物の山が艶々と美しく輝いた。



 そんな平穏な昼下がり、息吹の入院する病室に見覚えのある少女達が三人、皆それぞれ心配そうな表情を浮かべながら彼女の座るベッドの周りを取り囲んでいた。



「息吹さん、大丈夫!?沙耶ちゃん達と一緒に入院したって聞いた時は、私、ほんとぉーーーっに心配で心配で……!」


「……結構やばい事故だったって聞いてたんスけど、思いの外元気そうっスね……」



 見舞いにやってきた少女達から向けられる眼差しが、どうにもむず痒い……。


 制服姿の女子高生達に迫られて、慣れないことに息吹は少し戸惑いながら頰をポリポリと人差し指で掻いた。



「……ああ。もうだいぶ傷も癒えてきたし、大丈夫……わざわざお見舞いに来てくれてありがとう。舞美、知世、理依奈……実に30話ぶりの登場だね……もう読者の誰も覚えてないんじゃないかな……」


「あわわ!い、息吹さん!えっと、その……そ、そういうメタ発言はあまりよくないと思いますっ!!」



 息吹の呟くメタフィクション的発言に、大人しそうな少女、理依奈は、あたふたと動揺した様子で彼女の言葉につっこむ。



 息吹達が入院したと聞き、見舞いにやって来たのはクラスメイトである笹倉舞美、須田知世、川瀬理依奈の三人であった。


 ちなみに、本当に忘れてしまった方のために補足すると、彼女達は元々沙耶の友人であり、第53話にて息吹・ユリカと共にバンドを組んだメンバーである。



「…………じゃあ、私達はそろそろ帰るけど、息吹さん、ちゃんと安静にしててね!病院のご飯ってあんまり美味しくないかもしれないけど、栄養あるからちゃんと食べて!それと、何かあったらすぐ連絡して貰っていいから!それからそれから……!」


「舞美、心配しすぎ……まあ、アタシもそれなりに心配してるっスけど……なんて言うか……あれっスよ、あれ。元気になったらバンド……またアタシらと組むっスよ。海道祭での演奏……正直、アタシ的にかなり面白かったんで……」


「あわわ……知世ちゃんがデレてる……!そ、そうですよ!息吹さんもユリカさんも、またみんなで一緒にバンドやりましょう!だから……その……早く元気になってくださいね!!」



 少女達から向けられる真っ直ぐな瞳を前に、息吹の中で”何か”がグッと込み上げてきた。


 舞美、知世、理依奈……並ぶ彼女達の顔を見るたび、”あの日”の記憶が鮮明に思い出される。


 慣れない演奏に苦戦しながらも必死に練習を重ね、そして本番では会場を最高潮にまで盛り上げたあの瞬間を……そんな一度は苦楽を共にした三人の仲間からの激励の言葉に、ふと息吹の目元は熱くなった。



「……っ!ああ、ありがとう……バンドはまた必ず……次会う時は元気になって、学校で……!」



 一度、溢れる想いに唇を噛み締めると、息吹はそう静かに話し、見舞いに来てくれた三人に対して小さく手を振った。


 病室を後にする彼女達の背中が見えなくなるまで、息吹はその手を振り続ける……。




 と、しばらくして、彼女達の気配が病室から完全に消え去った直後、息吹は膝に掛けられた毛布をその小さな手で掴み、強く拳を握り締めた。


 短く息を吐き、全身を小刻みに震えさせ、一人静かに口を開く。



「……変わったな、ボクも……まさか、こんな気持ちになる日が来るだなんて、昔の自分からは想像もつかなかった……あの日、みずき達と出会って全てが変わった……今日、みんなが心配してくれて……ボクは……これが、”自分一人だけの命じゃない”と知った……なのに……それなのに!ボクは……負けたんだ……あんなにも呆気なく、あっさりと……!」



 絶望・悲しみ・悔しさ……あらゆる憎悪が、彼女の内で悶々と募る。


 と、心の奥から湧き立つ様々な感情に、気がつけば、息吹の目からはポロポロと涙が零れていた。



「何やってんだよ、ほんと……本来なら、負ければそこで”終わり” の戦いだぞ……またボクは、大切なものを失うかもしれなかったんだ……魔法少女としての力を手に入れて尚、また無力な自分に苦しめられるというのか、ボクは……くそ……くそぉ……ちくしょおおおお……ッ!!!!」



 張り裂けそうな思いに胸を痛めながら、息吹の上げる荒々しい声が病室内に響き渡った。


 心の底から吐き出した叫びは、病室の壁を超え廊下にも広がりぼんやりとこだまする……。




「……”お姉ちゃん”?」




 刹那、突如聞こえてきた声に、ハッと我に返った息吹は咄嗟に顔を上げた。


 するとそこには、部屋の扉の前で、息吹の荒げる声にただただ愕然とした様子で目を丸くする彼女の弟……悠人の姿があった。



「ゆ、悠人……違っ……これは……!」



 最悪のタイミングで見舞いにやって来た弟、悠人とのあまりに気不味い対面に、息吹はおどおどとした様子で必死にその場を誤魔化そうと慌てふためく。


 と、その明らかに様子のおかしい姉に対し、悠人は一呼吸吐くと、無言のまま彼女の側へと静かに歩み寄って行った。



(悠人……!)



 何も言わず迫り来る悠人の影に、現状、不安定な精神状態にある息吹は、その彼から放たれる謎の圧力に堪らず目を背ける……。




 と、次の瞬間、ベッドに座る息吹の肩を、悠人はその小柄な体で強く抱き締め、彼女を胸に包み込んだ。



「…………ッ!!!?えっ、ちょっと!悠人!?いきなり何を……急にこんなことして、どうしたんだよ……!」



 そのあまりに突然の出来事に状況が掴めないでいる息吹に対し、悠人はその胸の内の想いを彼女の耳元で囁いた。



「大丈夫……大丈夫だよ……”お姉ちゃんは僕が守る”から……だから……!!」


「なっ……!ゆ、悠人……一体、何を言って……!?」


「……ごめん。僕自身、何を言ってるのかよくわからない……ただ、今のお姉ちゃんの姿があまりに弱々しく見えて……それで……気がつけば、体が勝手に動いてたんだ……”お姉ちゃんを守ってあげなくちゃ”って……」


「…………ッ!!」



 宥めるように優しく語りかけてくる悠人の言葉に、その温もりに、息吹の目元は再び熱くなる。



 そう、これはまるで…………




『……どんなに辛いことがあっても、前を向いて歩けば……必ず笑顔になれる……。大丈夫だよ、お姉ちゃんが守ってあげるから……何があっても、悠人を一人ぼっちになんてさせないから……だから……』




(まるで、父さんを亡くしたあの日……”ボクが悠人に言ったあの言葉”そのものじゃないか……!)



 悠人によって思い出されたかつての自分の言葉が、荒んだ息吹の心に深く突き刺さる。


 と、動揺を隠せないでいる息吹に対し、一度乱れた呼吸を整えると、掠れた声で悠人はさらに話を続けた。



「……少し、変な話になるかもしれないけど……この前、不思議な夢を見たんだ……辺り一面真っ白の空間に僕が立っていると、突然、背後から懐かしい声が聞こえて来たんだ……」



『悠人も大きく成長したんだね……最後にその姿を見れただけでも、僕は嬉しいよ……』


『忘れないで。どんなに辛いことがあっても、前を向いて歩いて行けば必ず笑顔になれるから……だから……ううん、やっぱりいいわ。そんなこと、言わなくても今の悠人ならちゃんとわかってるものね……そうじゃなくて、今、ちゃんと言葉にしなきゃいけないことは……”愛してるわ、悠人”。これからもお姉ちゃんをよろしくね……じゃあ、またね』



「……って。一語一句、今でも記憶に残ってる夢での言葉……目が覚めると、顔は涙でびちゃびちゃに濡れてて……それで……!」


(それって……!)



 悠人の語る夢の話……この不思議な話に、息吹は覚えがあった。


 そう、それはあの時……ゴッドフリートの策略により、息吹が彼の造り出す異空間に閉じ込められてしまった時のこと……その時、息吹もまた、悠人の言う夢と同じ”奇跡”を目の当たりにしていたのだった。



(そうか……あの時、父さんとお母さん、ちゃんと悠人にも会うことが出来たんだ……そのことを知れてよかった……本当に……ありがとう……!)



 あの時起こった”奇跡”に改めて感極まり、全身に鳥肌が立つ。


 と、今にも溢れ出そうな涙をグッと堪えると、次の瞬間、息吹はふるふると小刻みに体を震わせる悠人の肩を、自身の胸に抱き寄せた。



「ありがとう……本当に、ありがとう……けど、もう無理しなくていいんだよ……悠人の想いは、ちゃんとボクに伝わったから……!」


「……ッ!うっ……お姉ぇ……ちゃん……うっ……ううぅ……」



 じわりと服に滲む涙の感触が、息吹の胸に熱を走らせる。


 抱き寄せた悠人の流す涙に、息吹は大きく息を吸い込むと、静かに熱く、その瞳を真っ直ぐ光り輝かせた。




(ああ……本当に、何を怖気付いていたんだ……ボクは!”過去の敗北”にいつまでも囚われて……また自分を見失ってしまうところだった……一体、いつまで繰り返す?……いや、そんなの、もうたくさんだ!昔のボクとは違う……歩み続けることの大切さを知った今、もう……立ち止まってなんかいられるものか……!ボクは進むぞ、前へ!!大切なものを守るために……!!)




 瞬間、外を流れる風が騒ぎ出す。


 と、開けられた窓の隙間から入る風が、互いに抱き合う姉弟の髪を靡かせた。



 決意を胸に、雲を吹き飛ばし、透き通るように澄み渡った息吹の心はうずうずと、もう、じっとなんてしていられなかった。







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