第86話 風菜の決意

 澄み渡る青空の下、観葉植物が多く並べられた空間で、少女の髪がふわりと風に靡く。



「ふぅ……風が傷跡に染みるのう……」



 黒いカメラを首にぶら下げて、冷たい缶コーヒー片手に、風菜は遠い目を浮かべながら病院の屋上から広がる街並みを眺めていた。


 柵にもたれかかり、流れ来る風に黄昏る。




 と、突如背後から近く人影に、風菜は咄嗟に後ろを振り返った。


 瞬間、頰に何やら冷たい感触が走る。



「……ッ!?ち、ちめたいっ!!」


「オッス、風菜!アイスコーヒー買ってきたからあんたにもやるよ!……って、あれ?なんだ……せっかく私が気を利かせて買ってきてやったのに、もう既に同じやつ飲んでやがったか、こいつ……」


「お、お主のう……!!……いや、それはそれとして、コーヒーの方は有難く貰っておくとしよう……」



 咄嗟に飛び出た自身の変な声に、風菜は思わず顔を赤くしながらも、照れ臭そうにみずきの手渡す缶コーヒーを受け取った。



 直後、その様子に、みずきは嬉しそうな笑みを浮かべると、風菜と同じように柵にもたれかかり、彼女の隣に肩を並べた。


 と、どこか浮かない表情を浮かべる風菜の横顔をじっと見詰め、しばらくして、みずきは静かに口を開いた。



「……どうしたんだよ、そんな顔して……らしくねーじゃん。風菜、一般病棟に移ってからあんまし元気ないみたいだけど、なんかあったのか?」



 遡ること2日前、みずきが重体を乗り切り目を覚まさせたことで、魔法少女達は皆、地下施設から一転、一般の病院へと移動させられていた。


 退院が近いということもあるが、主な理由としては、魔法少女達それぞれの家族や友人ら”一般人”との面会を受け入れるためだという。見舞いを許可しようにも、LDM地下施設は世間に非公開のため使用不可能……と、なれば、外部との面会を可能にするには、少女達の治療環境を移さざるを得なかったのだ。




 と、珍しく鋭いみずきの観察力に、風菜は小さくため息を溢した。



「はぁ……全く、鈍感な癖にそういうところは相変わらず鋭いのう。……さっき、家族が見舞いに来てくれたんじゃ……その時……」


「……何か落ち込むようなことでも言われたのか?」


「いいや、怒られるどころか、寧ろえらく心配されたものじゃよ……ただ、そんな家族の顔を見るたび、どうにも胸が張り裂けそうな思いになるんじゃ……」


「……どうしてだ?」



 いつになく重い口調で話す風菜は、みずきの質問に対し一度呼吸を置くと、ふと屋上から見える景色に指をさす。


 と、その風菜の指し示す先にみずきが目をやると、そこには真っ直ぐと伸びる路線の上を、風を切り走り抜ける青い電車の姿があった。



「ほれ……凄いじゃろ?なんと、この場所からは”東急東横線”が一望できるんじゃ!入院しながらも電車の撮影が出来る夢の空間……この屋上は、アッシが見つけた隠れ撮影スポットなんじゃよ」


「あー、だから病院の中でもカメラ持ち歩いてたのか〜。なるほどなるほど……って、それとさっきの話に一体なんの関係があるんだよ!?」



 みずきの繰り出すキレキレのツッコミに、風菜は思わずクスリと笑みを溢すと、改めて彼女の瞳を真っ直ぐ見詰め、その重い口をゆっくりと開いた。



「ふふっ……おっと、すまん。あんなことがあった直後じゃというのに、相変わらずいつもと変わらぬお主の様子につい笑ってしまったわい……ふう。実際、直接的には関係のない話じゃ……が、どうしても考えずにはいられぬのじゃ……もしもあの時、ヴォルムガングがアッシらを見逃していなかったら……その時は、大切な家族も、大好きなこの景色も、何もかもが闇に消え去っていたかもしれない……そう思うと……」


「ああ……なるほど、そういうことか……」


「あの時……彼奴の力を目の当たりにした時……正直、自分の命が堪らなく惜しくなった……じゃが、この胸を締め付ける恐怖は、迫り来る死に対するものだけではなかった……”魔法少女の敗北=世界の破滅”……その重くのし掛かるプレッシャーが、アッシの足を竦ませたんじゃ……」


「…………」



 これまでに見たことのないほど酷く弱気になった風菜の言葉に、みずきはただ静かに耳を傾けた。


 語るたび、その時の光景が鮮明に脳裏に蘇る……と、話を続ける風菜の手が、徐々にガタガタと震えて止まらなくなった。



「覚悟……していたはずなんじゃがな……改めて実感させられたわい……”世界を守るという使命が、これほどまでに重い”ということを……!!」



 風菜の吐き出す言葉に、風の吹く音がぴたりと鳴り止む。


 初めて目の当たりにした風菜の”弱音”を吐く姿に動揺しながらも、みずきもまた、彼女に対しその重い口を開いた。



「…………ッ!!……あー、ダメだ……上手く言葉が出ねぇ……!ついこの間までなら、結構大口叩けたはずなんだが……正直、私も同じ気持ちだったからさ……怖くて、不安で、どうしようもなくて……けど、それでもやるしかねぇ……!ああ、やるしかねーんだ!!私達、魔法少女が!!……そう奮い立たせてくれたのは、他ならない”仲間”の存在のおかげだ……!みんながいるから戦える……風菜、あんたがこれまで側に居てくれたからこそ、今の私があるんだ……だから……これからも一緒に戦ってくれ……!!」



 熱く、真っ直ぐと放たれるみずきの言葉が、風菜の胸に突き刺さる。


 ドクドクと胸を打つ高鳴る鼓動の音に、彼女の瞳が大きく揺れ動いた。



「……優しいのう、みずきは……本当に、強くて優しい……まさに、誰もが思い描く”ヒーロー”の像そのものではないか……!無論、これからもアッシは戦い続けるつもりじゃ。このまま負けっぱなしなど、腑に落ちんしのう……!女に二言はない!魔法少女となったあの日から、決意は今も変わらずこの胸に刻み込まれておる!……じゃが…………」



 強く、凛とした決意の目を浮かべる風菜。


 ……であったが、次の瞬間、彼女は再び気落ちした様子で側にある柵に肘を掛け、悲しげな表情を見せた。




「……やはり、辛いものじゃな……明日から……また、頑張るから……今は……今だけは……お主のその優しさに、甘えさせてはもらえぬか……?」




 顔を俯かせ、垂れ下がる髪が、風菜の顔を覆い隠した。


 涙は決して見せない。


 そして、みずきもまた、項垂れる彼女の横顔を直視しようとはしなかった。



 ただ彼女の隣に寄り添い、肩を並べ、手に持った缶コーヒーを一口啜る。


 屋上に吹き抜ける冷たい風が、何処か物悲しい音を立てて鳴いた。






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