第85話 みずきの決意
向かい来る大きな拳が目の前に迫る。
脳裏に過ぎるその”黒い巨大な影”に、みずきはハッと目を覚まさせた。
「……ウワアアアアアアアッ!!?……ハァ……ハァ……わ、私は、一体……それに、ここは……?」
飛び起きた瞬間、天井に輝く白い光に目がボヤける。
と、ようやく視界が晴れてきたその時、そこには、真っ白な壁に囲まれた空間が、みずきの周りに広がっていた。
「ここって……病院か……?」
「ふぅ……ようやくお目覚めのようね、”ヒーロー”さん」
真っ白なベッドの上で目覚めたみずきが重い体をゆっくりと起こすと、刹那、突如耳に響いてきた声にみずきはピクリと肩を揺らすと、咄嗟に声のする方へと顔を向けた。
その視線の先……そこには、みずきの眠っていた部屋の扉に寄りかかりながら、呆れた表情を浮かべる小坂の姿があった。
「こ、小坂!……ってことは、ここはLDMの施設なのか……?」
「……ここはLDMの地下医療施設。あんた、今回無理しすぎたからここまで運ばれて来たのよ……」
「”無理しすぎた”……って……そうだ、私はあのヴォルムガングとかいう奴にやられて……それで……!!」
小坂の話を受けて、みずきの中で、ボンヤリとしていた記憶が徐々に脳裏に蘇ってくる。
と、その時、ハッと我に返った様子で、みずきは額に大量の汗を浮かべながら小坂に声を荒げた。
「みんなは……他のみんなは無事なのかッ!!!?」
仲間の安否を案じ、みずきは咄嗟にベッドから飛び出そうした。
次の瞬間、これまで味わってきたものとはまた違った鋭い痛みが、みずきの全身を電流の如く走り抜けていった。
「イッ……!!な、なんだ!?この痛み……?!!」
「ちょっと!!じっとしてなさい!!あんた今、大怪我してるだから……少しは大人しくしてなさいよ!!」
「大怪我って……私が……?」
飛び起きるみずきの肩を両手で掴み取り、目の前で怒鳴り声を上げる小坂の言葉に、彼女は恐る恐る自分の姿に目をやった。
瞬間、まるでミイラのように全身を包帯で覆われ、腕には何度も点滴を打った跡を残した何ともか弱く成り果てた自身の姿に、みずきは思わず絶句した。
「そ、そんな……これって……みんなは……みんなはどこだ!!?風菜は!?息吹は!?沙耶は!?ユリカは!?ニューンは!?……みんな、無事なのかッ!!!?」
「あーッ!!だから落ち着きなさいって言ってるでしょ!!……確かに、みんな魔力の為す超人的な回復力を持ってしても、完全回復に至るまではかなりの時間を要するほどの重傷を負っていたのは事実……だけど、全員、何とか一命はとりとめているわ……!」
「そ、そうか……よかった……」
仲間の無事が確認できた瞬間、みずきはホッと胸をなでおろす。
が、そんな安堵する彼女の様子に、小坂の眉はピクリと動いた。
「”よかった”……じゃないわよ!!人の心配もいいけど、少しは自分の身のことも考えなさいよね!!……一番最悪な状態だったのはむしろあんたの方よ、みずき……!私達が倒れた魔法少女を搬送した時、あんたは全身血に塗れてて、本当に悲惨な姿に成り果てていたわ……それに、外傷だけじゃなく、内傷も酷かった……全身ほとんどを複雑骨折していて、臓器出血も異常なまでだったそうよ……肺の中には血と粉々に砕けた骨が入り込んでいて、一時は呼吸すらままならない状態だったんだから……あれからもう3日経つけど、正直、生きてたのが奇跡……ってところね」
”3日”……そのさらっと語られた小坂の言葉に、みずきの額にはじわりと汗が滲み出ていた。
「3日……そんなにも長い間、私は寝続けてたのか……」
「むしろ、あの状態からたった3日でここまで回復する方が驚きよ……魔法少女ってのは、ほんと便利な体してるのね……とにかく、まだ目が覚めたってだけで完全に怪我が治ったわけじゃないんだから、しばらくは安静にしてなさいよ……」
「安静に……」
ヴォルムガングとの戦いによって、精神的にも肉体的にも、酷く傷付いたみずきの身を案じる小坂。
だが、そんな彼女の気遣いが、逆にみずきの心を騒つかせた。
握り締めた拳が、震えて止まらなくなる。
「3日間……って言ったよな……?その間、母さんや学校にはなんて……?」
「……一応、世間的には事故という形にしてあるわ」
「事故……?」
「ええ……”ユリカお嬢様があんた達全員を家へ誘って、その時、送り迎えに遣わせた白爪家の車が突然現れた魔道生物に襲われた”……ってことになってるわ。その件で一昨日、私と東堂さんとであんた達の親御さんに頭下げに行ってきたところよ……秘密保持の為とはいえ、子どもにこれだけの大怪我をさせておきながら、親に対して”嘘”をつくってのはなかなかに心苦しかったけどね……」
”白爪家の車”……そう取って付けられたような小坂の話に、みずきは表情を青ざめさせながら申し訳なさそうに顔を俯かせた。
「なんでわざわざ……そんな言い方したら、ユリカや東堂さん、それに小坂も……まるで、白爪の人にも非があるみたいじゃねーか!!」
「その方が事実を隠すこっちの身としてもやり易いのよ。……それに実際、私達がついていながらあんた達を危険に晒してしまったことには変わりないから……」
「それは……仕方がないだろ!あんな”化け物”相手にできるのは、そりゃもう私達魔法少女ぐらいしかいねぇんだから……!」
「だとしても!!……責任を取るのが、私達大人の務めってもんさ……それに、これはユリカお嬢様の意思でもある。”こんな状況だからこそ、汚名被りだろうが何だろうが、自分に出来ることは何だってやってやりますわ!”……ってさ」
「そんな……」
小坂の話す内容に、みずきは思わず言葉を失う。
敗北した己の弱さが、今の惨めな自分の姿が、堪らなく許せなかった……小坂やユリカの見せる”強さ”が、今の彼女にはあまりに眩しく映って見えていた。
と、同時に、ヴォルムガングに敗北したその悔しさが、みずきの中で途端に溢れて止まらなくなった。
「ユリカ……くそっ!くそぉ……!」
震える手を一層強く握りしめ、みずきは振り上げた拳をベッドの上に叩きつける。
「なんだよ……この気持ち……あの時、私がもっと強ければ……あいつを倒すことが出来てれば、こんな気持ちになったり、みんなに辛い思いをさせることもなかった…………」
と、俯くみずきがそこまで言い掛けたその時、突如、小坂の手が、みずきの胸ぐらを掴み上げた。
「えっ……!?」
あまりに突然のことに、思わず声を漏らすみずき。そんな彼女の視線の先、そこには、ギリギリと歯を食いしばり、怒りを露わにする小坂の姿があった。
服を引っ張る小坂の腕が、小刻みに震える。
「それぐらいにしときなさいよ、みずき……!!これ以上あんたがそんな情けないこと言うんだったら、私……怪我人だろうが容赦なく引っ叩くから……!!」
「なっ……なんだよ、いきなり……!だって事実だろ!?私にヴォルムガングを倒せるだけの力があれば、あんた達にもユリカにも、誰にも迷惑をかけさせることはなかった……母さんに心配をかけさせることも……それに何より、私が強ければ、みんな苦しい思いをして瀕死になるまで戦い続けることもなかったんだ!……本来なら私達はもう……殺されていてもおかしくなかった……!!そう考えちまうと、心が痛い……苦しいんだよ……!!」
小坂のトゲのある言葉に動揺しながらも、彼女の高圧的な言い方に腹を立てたみずきは、勢いに任せて、胸の内に秘めた自身の思いを洗いざらい吐き出した。
辛い心情を告白し、息を荒げながら今にも涙を流しそうな表情を浮かべる……と、そんなみずきの様子に小坂は小さくため息を吐くと、ゆっくりと彼女の胸ぐらを掴む手を離し、再び静かに口を開いた。
「ハァ……だったら、どうするの?あんたは……その辛うじて繋ぎとめた命で、ただ愚痴を零すだけなわけ……?」
「そ、それは……」
「そうじゃないでしょ……今、あんたがやるべきことは……!」
「…………」
じっと真っ直ぐに向けられる小坂の眩いまでの瞳に、みずきは思わず目を逸らす。
と、次の瞬間、そんなみずきの様子に呆れた表情を浮かべると、焦れったくなった小坂は、自慢の怪力でみずきの体をひょいっと軽々持ち上げた。
「どわあぁ!!!なっ、なっ、なにすんだよッ!!!?」
「あ〜〜〜もうっ!!いつまでもウジウジと……いつも馬鹿みたいに元気なぶん、ネガティブスイッチ入った途端イライラするなぁ、あんたは!!」
「イテテ!痛い!ちょ……小坂!!あんた一体何するつもりだ!!私は怪我人なんだぞ!?さっさと下ろしてくれッ!!」
「いいから黙ってついて来なさい!!あんたには口で言うより、実際に見せた方が早いから……!!」
そう意味深なことを口にしながら、小坂は暴れるみずきを無理やり近くに置いてあった車椅子に積むと、彼女を乗せ、足早にその部屋を後にした。
「あー、もう……なんだってんだよぉ!!」
暴君ぶりを発揮する小坂にされるがまま、みずきは叫び声を上げながら地下施設の長い廊下を駆け抜けて行った。
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小坂に無理やり車椅子を押されながら長い廊下を進んで行くと、しばらくして、みずきの目には眩い光が飛び込んできた。
「さあ、着いたわよ」
「うっ……まぶしっ……!ここは……?」
ショボショボと目を細めながら、ようやく視界が晴れてくる……と、次の瞬間、みずきは目の前に広がる光景に大きく口を開かせた。
「風菜……!息吹……!沙耶……!ユリカ……!みんな……!!」
みずきの目に映る光景……そこには、みずきと同じように全身を包帯でぐるぐる巻きに覆う魔法少女達の姿があった。
皆、見るからに酷い怪我を負った様子だった……が、しかし、重傷を負いながらも、彼女達は、決して寝たきりで弱った状態などではなかった……。
みずきの入ったその部屋で、魔法少女達は皆ボロボロの体を必死に奮い立たせながら、それぞれが懸命に”リハビリ”に取り組んでいたであった。
「こ、これは……!」
「ここにいる全員、体が動くようになってから早々ずっとこの調子よ。こっちとしては万一のことも考えて安静にしてて欲しいのが本音ではあるけど……みんな、自分の意思で始めたトレーニング……邪魔立てしちゃ、悪いわよね」
小坂のその言葉に、みずきの中で激しい衝撃が走った。
純粋な瞳に映る仲間達の努力する姿……皆、あの時の絶望など、とうに乗り越えていたのだった。それなのに、自分は一人いつまでも”負け”を引き摺って……。
そんなことを考えているうちに、やがて、悩んでいたことすら馬鹿馬鹿しくなり始めたみずきの眼差しは、徐々にかつての輝きを取り戻していった。
そんな彼女の輝く瞳を前に、ふっと笑みを浮かべると、小坂は息を大きく吸い込み再び話を続けた。
「……”七転び八起き?甘い甘い……100回転べば101回立ち上がる!1000回転べば1001回!10000回転べば10001回!何度だって立ち上がってやる!!”」
「それって……パンチマン第5話の名言……?!」
「聞いたわよ……今度の相手、”アルティメット・ブロウ”を使ってきたんだって?しかも、あんたも同じ技をぶつけて完敗したとか……だからどうしたっていうのよ!1回負けたぐらいで大袈裟な……あんたのパンチマン愛って、その程度だったわけ!?……違うでしょ。私の知ってる紅咲みずきは、馬鹿でアニオタでおまけに色々と抜けてて……けど、真っ直ぐでキラキラと眩しい奴だったはずだけど……?」
「小坂……ああ、そうだったな……!」
小坂の口にする言葉の一つ一つが、みずきの胸に熱く染み渡る。打ち付けられるたび、鼓動が高鳴りを上げた。
と、そんな小坂の激励を受けて、みずきは自らの頰をパンパンと手のひらで叩き、喝を入れ直す。
その瞳に、もう曇りはなかった。
「決めたよ、小坂……私、強くなる……!世界を……いや、そんな大それたことよりも何よりも、みんなを……そして、自分自身を守れるだけの力が欲しい……だから……掴み取ってやるよ、それだけの力を……この手で!!」
決意を胸に、みずきは拳を握り締める。
と、そう宣言するや否や、みずきは手もたれに腕をかけ、ゆっくりと車椅子から立ち上がった。
震える足を必死に奮い立たせ、フラフラと覚束ない足取りで、しかし確実に、一歩づつ仲間達の元へと足を進めて行った。
すると、敗北を糧として、再び立ち上がったみずきの背中を前に、小坂は小さく独り言を呟いた。
「ふぅ……全く、ほんと立ち直るのが早い奴……最初、やられたあんた達の姿を見たとき、正直顔が真っ青になったわ……それなのに、あれだけ痛い思いをしても尚、そんな顔して立ち上がれるあんた達はみんな間違いなく”ヒーロー”の素質あるわよ……だから……今度は負けるんじゃないわよ……!」
まるで太陽のような眩い輝きを放つみずきの後ろ姿に、小坂は薄っすらと笑みを浮かべるのであった。
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