第76話 武士の魂
太陽が空の天辺で眩しく輝く昼下がり。
住宅地にポツリと建つ一軒の家で、カツカツとうるさく食器の鳴り響く音が部屋中に響き渡っていた。
「うん!美味い!美味いぞ、こいつはッ!!」
鮮やかな皿に盛られた焼き魚の身を器用に箸でほぐし、宝石のように艶々と輝く白米と一緒に口いっぱいに頬張り込む。
ホクホクと広がる暖かい香りが、さらに食欲を掻き立てていった。
(全部昨日のあまりものなんだけど……それにしても美味しそうに食べる人だなぁ……)
振舞った料理を豪快に食べる謎の男……いや、謎の“侍”とでも言い表すべき風貌をしたその男の姿を、沙耶はキッチンの方からじっと見詰めていた。
と、一瞬のうちに全ての料理を一つ残らず平らげ満足そうな表情を浮かべながら箸を休める侍に、沙耶は興味深そうに、しかしまだどこか警戒した様子でゆっくりと近づいていった。
「おお、嬢ちゃん!いや~、助けたつもりが、こんな美味いもんご馳走になっちまって……逆に俺が助けられちまったよ!おかげで生き返った、ありがとな!」
「そ、そうですか……それはお粗末さまでした。……で、まあその……正直ツッコミどころが多すぎてどこから触れていけばいいのかわからないんですけど……その……格好もそうだけど、それ以上に魔道生物を一刀両断したあの強さ……率直に伺います。あなたは一体何者なんですか?」
沙耶の投げかける質問に対し、先ほどからずっとへらへらとした態度をとっていた侍の表情は一変、突如真剣な眼差しを浮かべると、静かに腕を組んだ。
「ほぉ……妖魔か何かだと思っていたが、あれは”魔道生物”というのか……そうだな、日本男児たるもの、挨拶は基本中の基本だったな……よしわかった、あんたは命の恩人だ。そんな人に隠し事なんざ野暮な考えだったな……全てを話そう。実は俺は…………」
と、侍の肝心なところを早く話さない焦らすような間に、沙耶は若干イラつきを見せながらも、彼の出かかった言葉に息を呑んだ。
「俺は……何も覚えていない!!いわゆる記憶喪失ってやつだ!!」
「……はぁ?」
自分には記憶がないから質問には答えられないと、そう遠回しに、しかしハッキリと言い切ると、侍は再びへらへらとした笑顔を浮かべた。
“散々引っ張っといてそれかよ”……と言わんばかりに、これには普段大人しい沙耶も思わず威圧的な気持ちが声に出てしまっていた。
「……なるほど~。さっきは全部話すとかなんとか言っておきながら、やっぱり記憶がないから話すことはない……と。結局ただのタダ飯食らいでしたかそうですかそうですか……」
「ちょっ!待て待て、嬢ちゃん!記憶がないってのは本当なんだってば!!茶を濁して悪かった……今度はもっとちゃんと丁寧に話すからさ!!その無理して作ってる笑顔が怖すぎる!!」
沙耶の毒のある言い回し、その影のある笑顔に背筋をゾクリとさせると、侍は額に冷たい汗を浮かべながら必死におちゃらけた態度を謝罪し、沙耶に向かって改めてこれまでの経緯を語り始めた。
自分には本当に記憶がなく、気がついたときには見知らぬこの地にいたこと。
また、現在、名前は愚か、家族に友人、自分の故郷すら何一つ思い出せない状態にあり、尚且つ沙耶がずっと気にしていた侍風の格好や人間離れしたその強さについても詳しくはわからないのだと言う。
だが、不思議なことに、自分自身の記憶はすっぽりと抜け落ちているのに対し、言葉はもちろん、例えば、箸の使い方や食べ物の名前、日本の歴史など、日常的に得たであろう知識だけは大半が欠落せずに残っていたのだった。
「……結局は俺自身、自分が何者なのかわかっちゃいないんだ……ここしばらく辺りを放浪としていたが、正体を知る手がかりも何もありゃしない……全く、記憶喪失だなんて、まるで漫画みたいな話だろ?」
そんな自身に起こった災難をまるで笑い話のように軽く振る舞って見せる彼の表情には、どこか影が見え隠れしており、沙耶の目にはそれが寂しげに映って見えた。
「……まさか、本当に記憶を失ってただなんて……ごめんなさい、嘘だって言いつけたりしちゃって……ちなみにぃ……その、さっき”日本の歴史について覚えてる”とかなんとか言ってましたけど、それってどのくらい詳しく覚えてたりします……?」
「えっ、歴史?確かに一例として覚えているとは言ったけど……それって今の話の流れ的に関係あるのか?」
「いや、まあ……正直あんまり関係のないことなんですけど、ちょっと興味ありまして……た、例えば!私が日本史で一番好きな戦国時代だと、徳川家康ぅ……は知ってますよね、流石に?じゃあ、その彼の二男とは一体誰か!知ってます?」
記憶を失ったと語る侍に、沙耶は本題とは然程関係のない質問を、興味本位であからさまに尋ねてみた。
これまでのおしとやかな印象から一転、突然食い気味に目を光らせる彼女の姿に困惑しながらも、侍は回答を口にした。
「えっと……結城秀康?」
「せ……正解!!じゃあじゃあ!えっと……問題!織田信長のことを”高いところから仰向けに転がり落ちるような目にあう”、豊臣秀吉のことを”見所のある人物”と評価した人物は誰でしょう?」
「ちょっ、いきなり難易度上がってないか!?えっと、誰だったっけかな……あっ、安国寺恵瓊!安国寺恵瓊だ!」
「正解正解!!凄い!これもわかっちゃうなんて!じゃあ次は次は…………」
「ちょっ……ちょっちょっちょっと待て!何で唐突に歴史クイズ大会が始まってるんだぁ!?」
「あっ……」
侍の言葉に、沙耶はハッと我に返る。
好きな歴史の話となり、つい興奮して周りが見えなくなっていた彼女は、少し落ち込んだ様子で反省の色を露わにした。
「ご、ごめんなさい……私、歴史の話になるとつい夢中になっちゃって……記憶をなくしたなんて重い話をしてたのに、さも他人事だと自分だけ楽しそうにしちゃって……ほんと、今の私不謹慎でしたよね……すいませんでした……」
「いや、そんな謝らんでも!ちょっとさっきまでのテンションとの差にびっくりしちまっただけだからさ!……歴史、好きなんだな、嬢ちゃんは……よし!じゃあ俺からも問題だ!」
「えっ?あ、あの…………」
自分自身の態度に嫌気をさしていたのもつかの間、有無を言わせず、今度は侍側から沙耶に歴史問題が投げかけられた。
「こいつは難しいぜぇ〜?戦国時代より超難問!真田幸村の得意とした戦法とは、一体何だったでしょーかッ?!」
「……ッ!!」
歴史オタクの血が騒ぐ……!出題された問題に対し、脳裏に回答が過った瞬間、沙耶は咄嗟に答えられずにはいられなかった。
「影武者撹乱戦法ッ!!」
「うぐっ……!せ、正解……割と本気で難しい問題だと思ったのに、即答かよ……」
「当然!一体私が何年歴史について学んでいると思ってるんですか!ちなみに解説を付け加えると、この戦法は幸村とその旗本衆による本隊と同じ陣立ての隊を何組か作り、各隊に同じ”真田六連銭”ののぼりや馬印を持たせる…………」
「敵に向かって同時に多方向から突撃し、相手を撹乱する戦法……だろ?どういうわけだかこういうことは覚えているらしい……」
「ほうほう……さては記憶を無くす前は歴史好きか、あるいはその類いの研究職だった可能性がありますね!じゃあ今度はまた私から…………」
突如勃発する戦国クイズ合戦。
両者順番に問題を出し合いそれに答えていく様はまさに日本史の定期試験直前、後ろの席の友達同士でテストの確認問題を出し合うそれに近い光景だった。
最初、かなり怪しんでいた侍に対し、気がつけば、そこにはいつしか面と向かって座り、歴史話しに盛り上がる沙耶の姿があった。
思う存分歴史について語れる喜びに、彼女の心は徐々に開かれていった。
が、刹那、突如ハッと我に返った沙耶は、その場で勢いよく席を立ち上がった。
「んっ?嬢ちゃん、急に立ち上がってどうしたんだ?」
「いや……その……えっと……ちょ、ちょっとお手洗いに……」
「ああ、そうか。いってらっしゃい!帰ってくるまでに飛び切り難しい問題考えとくからよ!」
「あはは……期待しときますね……」
白々しくその場を後にすると、沙耶は扉を開き、廊下へと出て行った。
その後、ゆっくりと扉を閉めると、直後、沙耶は深いため息を吐きながら背後の壁にもたれかかった。
(ふぅ……もう、何してるの……あの侍、どう考えても怪しすぎるでしょ!!なんでナチュラルに仲良くしちゃってるのよ、私!?つい相手のペースに乗せられて……いや、自分から一方的に話振ってた気もするけど……と、とにかく!あの侍からは何度か”私達とは違う気配”を感じた……つまり、新たな闇の使者の可能性が高い……!)
相手は敵である可能性が非常に高い……と、自分にそう言い聞かせ、再び警戒モードに入る沙耶は、素早くポケットからスマートフォンを取り出し画面を確認する。
(突然目の前で倒れられた時は焦ってついLDM本部じゃなくて自宅の方にあの侍を運び込んできちゃったけど……このことは既に連絡済み。しばらくすれば、彼の身柄を保護するためにLDM部隊がやってきてくれるはず……後のことは東堂さん達にお任せしよう……!)
最初から男の存在を怪しんでいた沙耶は、裏で抜け目なく事を進めていたのだった。
だが、そんな彼女の中で、例の侍について色々と気掛かりな点が多く浮かび上がっていた。
(……でも、そうだとして、あの侍の目的は一体……私に近づくために記憶喪失のふりを?なんでわざわざそんな回りくどい真似を……第一、彼が語る時のあの表情……あれはとても演技とは思えなかった……直感ではあるけれど、彼の言っていることはどうにも嘘には思えない……)
様々な考えが、沙耶の中を駆け回る。
一度冷静になり、落ち着いて頭の中を整理していく……と、その時、一つ、彼女はある重大なことを思い出した。
(仮に彼が闇の世界からやってきていたとして、尚且つ本当に自分自身の記憶だけがすっぽりと抜け落ちているのだとしたら……あれ?ちょっと待って……これってまさか、”ニューンと同じ”じゃ…………)
そう脳内にて沙耶の推理が冴え渡っていた刹那、もたれかかる扉の奥で、突如ガラスを突き破るような大きな音が、沙耶の耳に響いてきた。
「……ッ!!何ッ!!?なんの音!!?」
突然のことに驚きながら表情を曇らせると、沙耶は急いで扉を開ける。
と、そこには真っ赤な皮膚に武装を纏った人型の化け物が二体、リビングの窓を突き破り、沙耶の家へと強引に侵入していたのだった。
「赤い体……まさか、こいつら前にLDM本部を襲ったっていう化け物と同じ種類の奴じゃ……!!」
「よう、遅かったな、嬢ちゃん。なんか突然家の中にこの赤くてヘンテコな奴らが上がり込んで来たんだが……お友達か何かか?」
「……それを本気で言ってるならまず眼科に行くことをオススメしますよ、お侍さん……!」
「……うん、ちょっとふざけた……ごめん」
沙耶のキツい当たりにシュンと凹む侍……だが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。
「ギギギ……”プロトタイプ”……発見……!」
「マスターのご命令によリ……邪魔な存在は即刻排除すル……!!」
目の前に現れた二体のセルクリーチャーは意味深なことを口にすると、瞬間、無防備に立つ侍目掛けて同時に襲いかかっていった。
(狙いは……私じゃない!?なんで……同じ闇の者なら、仲間じゃないの?!……って、そんなこと考えてる場合じゃない……今は……このままじゃ……!!)
ただ呆然と立ち尽くす侍の顔面目掛けて、セルクリーチャー達の手に取り付けられた鋭い
鉤爪が真っ直ぐ伸びる。
と、次の瞬間、彼を庇うように咄嗟に走り出した沙耶は、飛びかかるセルクリーチャー達の前へと立ちはだかり、その胸に変身アイテムを掲げた。
「……変身!!」
放たれた言葉と共に、沙耶の体が魔力で溢れ、光り輝く。
と、その眩しさに、堪らずセルクリーチャー達は後ろへ後退していった。
やがて、光の中から現れた鎧を纏い刀を握る”武士”の姿に、侍もまた驚いた様子で、だがどこか嬉しそうに笑って見せた。
「……ハッ!只者じゃーないとは思っていたが、こいつは驚いたな……それがあんたの正体かい?嬢ちゃん!最高にイカしてるぜ!」
「……私も…………」
「ん?」
「私も、あの時、あなたに助けられた……だから、今度は私が……あなたを守ってみせる……!!」
敵だとか、味方だとか、もはやそんな些細なことは沙耶の頭になかった。ただ目の前に、手を伸ばせば届く距離に、守りたいと思えるものがあった。
なら少女は、迷いなくその手を伸ばす。手を伸ばさなければ死ぬほど後悔することを、彼女は頭でも体でも理解していたからだ。
静かに熱く……沙耶のその瞳には、燃え盛る闘志が轟々と浮かび上がっていた。
「魔法少女である前に……武士として、借りを返すのが筋ってものですから……!」
決意を胸に、少女は今、刀を振り下ろす。
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