第67話 偽りの世界で

 鋭く吹き抜ける風が、頬をなぶり少女達の髪を靡かせる。


 激しい爆音を轟かせながら、魔法と魔法とがぶつかり合った。



 大量に炸裂するユリカの魔道ミサイルが、ゴッドフリートの張り巡らせた”見えない壁”に阻まれるたび爆煙を巻き上げる。


 と、次の瞬間、視界を遮るほど濃く巻き上がった爆煙の中から、隙を見て風菜と沙耶が勢い良く飛び出した。



「雷迅・ブルートレインッ!!!!」


「紅・正宗ッ!!!!」



 2人は技名を叫びながら、脚のギアを、刀を、それぞれ振り被り、渾身の一撃をゴッドフリート目掛けて解き放った。


 が、しかし、弧を描く2つの閃光は、またしても彼の”見えない壁”へと呆気なく阻まれてしまったのだった。



「ううっ……硬い!!」


「これでも突破できぬか……ならば……みずきーーーッ!!!」



 と、風菜の合図に合わせて、今度は彼女達の背後から拳を構えたみずきが、ゴッドフリートの前へと姿を現した。



「アルティメット・ブロウッ!!!!」



 みずきの放つ全体重を乗せた重い拳が、ゴッドフリート目掛けて放たれる。



 と、刹那、先ほどまでみずきの目の前にいたはずのゴッドフリートが、突如としてその姿を消した。



「なっ……!!?」



 あまりに突然のことに、飛び出したみずきは勢い余ってそのまま地面に転げ落ちる。



「こっちだよ、こっち!」



 聞こえて来るその声にみずきが振り返ると、いつの間にかゴッドフリートは彼女の背後へと回り込んでいた。


 ……いや、正確には回り込んだのではなく、おそらく空間移動を利用した瞬間移動能力を使ったのだろう。



 だが、最大の問題はそこではなかった。


 以前と比べ明らかに洗礼された動き、美しいまでに使いこなされたゴッドフリートの空間魔法に、ユリカは強烈な違和感を覚えていた。



「空間を硬化させ作り出す”目に見えないシールド”、さらには空間移動まで……やはりおかしいですわ!以前戦った時、貴方は2つ以上の魔法を使うことすらままならない状態でしたのに!それが、この僅かな短期間のうちに、ここまで洗礼されたものになるなど……第一、貴方の貯蔵魔力では、せいぜいこの空間を維持しているのがやっとのはず……一体、何がどうなっていますの!?」



 悔しそうに歯をくいしばりながらそう話すユリカの無様な姿を前に、ゴッドフリートは喚く彼女を鼻で笑った。


 そんなゴッドフリートの浮かべる表情に、ユリカはムッと眉間にしわを寄せた。



「ハッ!確かに以前は君と獅子留息吹につい不覚をとられてしまったが、今回はそうもいかないさ。……まあ、正直なところ、この力はあくまで偶然得たものなんだけどね……」


「偶然……ですって……?」


「ああ。だが、今にして思えばこうなったのにも納得がいく……君達魔法少女の魔力の源は強い”心の力”にあると聞く……だが、現状はどうだい?……そう、今、獅子留息吹の精神世界であるこの空間は僕が掌握している!であるなら、この空間に於いて、彼女の持つ膨大な魔力は必然的に全て僕の支配下にあるというわけだ……!」


「なっ……!?つまり貴方は今、魔法を使うために足りない魔力を無理やり息吹から吸い上げている状態にあると……そういうことですの!?」



 息吹の精神を追い込むだけではなく、あまつさえ命に直結した魔力を寄生虫の如く貪るゴッドフリートに対し、ユリカはイライラと腹の底を煮え繰り返していた。



 だが、彼の発言に強く噛み付いたユリカであったが、そんな中、当の本人はただ不敵な笑みを浮かべるのみであった。  


 そんなゴッドフリートの態度にしびれを切らせたユリカは、咄嗟に魔力を帯びた杖を彼の方へと向けた。



「なら……尚更ここで貴方を仕留めなければなりませんわね……!!」


「……やめておきなよ、もう十分わかっただろう?以前たまたま僕の弱点を見抜いたのは素直に褒めてやるが、あれはもう過去の話……今、足りない魔力は全て獅子留息吹が負担してくれている。その間、僕は魔力の消費を気にせず自由に空間魔法を使うことができるわけだ。彼女の魔力が尽きるその時までね……!!」


「……貴方、こんなことをしてただでは済ませませんわよ……?」



 まさに下衆な台詞を吐き捨てる。


 そんなゴッドフリートのあまりに卑劣な手に、ユリカは怒りに声を震わせて、目をカッと見開いた。



 その時、今にも攻撃を仕掛けんとばかりに震えるユリカの肩に、背後からみずきがそっと手を置いた。



「ユリカ、一旦落ち着け……」


「みずき……ですけど、あいつは……!!」


「わかってる。ユリカだけじゃない……今、ここにいる全員が、あんたと同じ気持ちだ……!」


「……ッ!!」



 その言葉に、ユリカはハッと我に帰った様子でみずきの顔を覗き込む。


 と、鋭い目付きを浮かべ、肩を握る手を強める彼女の姿に、ユリカはぐっと唇の下を噛み締めた。



 すると、みずきに続き、今度は風菜と沙耶の2人もまた、杖を構えるユリカの元へと肩を並べた。



「みずきの言う通り、彼奴のしていることは到底許せることではないし、無論息吹を早く助けたいという気持ちもわかる……じゃが、突破口の見えぬ状態での無闇な攻撃は控えるべきじゃろう」


「そうだよ……私だって、息吹がこんな目に遭わされて、凄く悔しい……それだけじゃない、友達を守ることすらできない自分の無力さにも……けど、だからこそ、今はみんなで力を合わせないといけない時なんじゃないかな……?」



 そんな2人の言葉に、ユリカは構えた杖をそっと下ろすと、肩の力を抜き、強張った表情を切り替えた。



「……そうでしたわね……ごめんなさい、ワタクシ、少し気が動転しすぎてしまっていたようで……もう大丈夫ですわ。全員の力を合わせて、必ず息吹を救い出しましょう!!」



 深く息を吸い込むと、ユリカは強い眼差しで、みずき達の方へと体を向けた。


 そんなユリカの堂々たる態度での決意表明に、魔法少女達は全員、表情に薄っすらと笑みを浮かべていた。




「美しい友情と言うやつか……ハッ、片腹痛いな!こんなものにドボルザークとバルキュラスは……いやしかし、賢明な判断だ。もしさっき彼女が単独で攻撃を仕掛けてこようものなら、僕はその魔法を全力で跳ね返していたところだったよ。もちろん、獅子留息吹の魔力を使ってね……!!」




 と、突然話に割って入るゴッドフリートの声に、少女達は表情を変え、鋭い目付きで彼を睨みつけた。



「……ゴッドフリート、このままで済むと思うなよ……私達は必ずあんたを倒して、息吹を助け出す……!!」


「ふん、相変わらず口の達者な女の子だ……けど、残念ながら倒されるのは僕ではなく、君達の方だ……気づいていないようだが、既に君達は僕の魔法の射程範囲内にいる!」



 吐き捨てるように強くそう言い放つと、ゴッドフリートはニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながら高く振り上げた指を鳴らした。



 瞬間、みずき達の目の前で、空間がメキメキと音を立てて捻じ曲がり始めたのだ。



「何か来る!!全員伏せろッ!!!!」



 その光景に、何やら嫌な予感を感じ取ったみずきは声を荒げると、全員を庇うようにしてその身を盾とした。



 刹那、限界にまで捻れた空間は、鋭い音を立てて張り裂け、その場で激しく爆発を起こした。


 そのあまりの破壊力に、盾となったみずきの装備はボロボロと崩れ落ちていった。



「「「 みずきッ!!! 」」」



 突然の出来事に視界を覆っていた風菜達が声を上げると、目の前には自分達よりも遥かに重く傷付いたみずきの姿があった。


 全身から大量の血を流し、朦朧とする意志にの中で足をフラつかせる。



 が、しかし、それでも尚彼女はその場に倒れることなく、鋭い眼差しを浮かべたまましっかりと地面に足を突き、立ち上がった。


 その光景に、ゴッドフリートは額に汗を浮かべると、一呼吸おき、改めて口を開いた。



「……へ、へぇ、これを耐えるのか……極限にまで圧縮した空間を破裂させ解き放つ”見えない爆弾”を仕込んでみたんだが……どうやら君は僕の想像以上にタフな体をしていたようだね……紅咲みずき……!」



 僅かに声を震わせながら、ゴッドフリートはみずきに対して敬意を表する。


 余裕ぶった表情を取り繕うゴッドフリートであったが、内心、容赦なく一撃でケリをつけようと考えていた彼とって、みずきのその凄まじい体力・精神力には思わず動揺を隠せないでいた。



 重傷を負いながらも、今尚真っ直ぐと瞳を伸ばし続けるみずきは、痛みに片足を引き摺りながら、じりじりとゴッドフリートの元へと迫っていった。


 その圧倒的な気迫を前に、まだまだ優位な立場にあるはずのゴッドフリートは、思わず足を後ろへと引かざるを得なかった。




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 突如辺りに鳴り響く爆発音に、幼い息吹はビクリと肩を揺らすと、不安げな表情を浮かべながら恐る恐る音のした方角へと顔を向ける。


 鼓膜がジーンと痛みを帯びるほど激しく響いたその音は、催眠状態にある息吹の注意すらも引き寄せていたのであった。



「今、何か凄い音がした……お父さん、お母さん、ボク、怖いよ……」



 フルフルとまるで怯えた小動物のように小刻みに震える息吹は、恐怖から咄嗟に母の腰回りにしがみついた。


 そんな息吹の様子を見て、母は優しく笑みを浮かべると、彼女をなだめようとその白く細い手を伸ばした。



 と、その時、息吹の母はふと何かに気がついたように、娘の頭を撫でようと伸ばした手を止めた。



 恐怖に怯えながらしがみつく息吹の視線、スカートを握る小さな手をガタガタと震わせながらも、興味津々に彼女が見詰めるその先には、真っ赤に染まる少女の後ろ姿があった。



「ゴッドフリート……私は……あんたをぶっ飛ばして……絶対に息吹を助け出す……!!」


「ふっ、また強がりを……!ろくな勝算もない癖に、一体君に何が出来ると……」


「それでもッ!!!!私はとにかくあんたをぶっ飛ばして、息吹を助け出す!!ああ、そうだ!!何度だって言ってやる!!息吹を……大切な仲間を助け出す!!……いいか、”絶対”にだ!!”絶対”に……意地でも助けてやるッ!!!!」



 目の前で繰り広げられる衝撃的な光景。


 そこには、全身から血を流し、本来ならもはや立っているだけでやっとの状態であるはずの少女が、赤い髪を靡かせながら力強くそう宣言する姿が鮮明に映っていた。


 そんな彼女の後ろ姿が、息吹には堪らなく眩しく見えたのだった。



 すると、その光景に、息吹は震える唇を噛み締め、ゆっくりとその小さな口を開いた。



「なん……で……なんでそこまで頑張れるの……?現実の世界なんて……辛く苦しいだけじゃないか……」



 しがみついた母親からそっと手を離すと、息吹はその意思とは全く関係なしに、ただ唖然とした様子で言葉を吐き出していった。




 瞬間、息吹の脳裏に、突如その少女との”思い出”が、記憶の底から大量に噴き出してきたのだった。


 その背筋に電流が走り抜けていったような強い衝撃に、息吹は膝から崩れ落ち、頭を抑えて踠き苦しむ。



「いっ……痛いッ!痛いッ!頭が……頭が割れるように痛いよぉ……助けて……誰か、助けて……ッ!!!!」



 悲痛の叫びを上げながら、息吹は頭の中に流れ込んでくる膨大な”記憶”に葛藤する。


 そんな息吹の異様な様子に、幻影であるはずの父と母もまた不安そうな表情を浮かべると、どこか悲しげな目で彼女をじっと見詰めていた。




<<



 歯を食いしばり、鋭い目つきでみずきはゴッドフリートの元へじりじりと迫って行った。


 肩で息をしながら、血生臭い息を吐き出す。



 そんな息が詰まるほど強大な彼女の放つ気迫に、ゴッドフリートは無意識のうちに足をガタガタと震わせていた。



(お、落ち着け……何を怯えることがあるんだ、僕は……見ろ!あいつはもう今にでも倒れてしまいそうなほどボロボロだ……何も恐ることはない……だと言うのに、何だこの内側から込み上げてくる不安感は……これが……これが、紅咲みずきという魔法少女の力だというのか……!!?)



 恐怖に目元がビクビクと痙攣を起こす。


 思わず反射的に後退りしようと動く足を必死に抑え込みながら、ゴッドフリートは強く拳を握りしめた。



(……だが、僕だってここで引くわけにはいかないんだ……これはチャンスだ!こいつら魔法少女を殺るなら、それは今しかあり得ない……!魔法少女を倒して、僕は僕を見下したあいつらを必ず見返してやる……!!そして……僕は……必ず、生き残ってやるんだ……ッ!!!!)



 意を決して、ゴッドフリートはその場でぴたりと足を止めると、片手を前へと突き出し、魔法を放つ姿勢をとった。



「よし、決めたぞ……紅咲みずき!!君を沈めるには、やはりこの魔法が最も良さそうだ……!!」



 そう声に出して呟くと、次の瞬間、ゴッドフリートのすぐ側の空間がぐにゃぐにゃと歪みを起こし、中からは黒く艶めいた物体が姿を現した。


 その黒光りする大きな物体を目の当たりにした瞬間、少女達は一斉に息を飲んだ。



「あれは……息吹のライフル!!?」


「そんな……魔力を吸い上げるだけではなく、今のゴッドフリートは息吹の魔法すらも使いこなせると言うんですの!?」


「これは、流石にマズイのう……みずきッ!!」



 風菜達が声を上げた時には既に遅く、ゴッドフリートの召喚させたライフルの銃口は、既にしっかりとみずきの頭を捉えていた。



「これで、ようやくおわかれだ……これで、さようなら……これで……おしまいだ!!紅咲みずきッ!!!!」



 渾身の力を込め、ゴッドフリートをぐっと引き金を引くようにして指を動かす。



 と、その刹那、彼の動きに連動して、宙に浮くライフルから勢いよく魔道弾が射出された。


 真っ直ぐと放たれた弾道が、みずきの脳天目掛けて突き進む。



 と、その時、まるでバイクが走り抜けるかのような爆音を響かせながら、猛スピードで走る青い影が突然みずきを抱え込み、そのまま華麗に魔道弾をかわしていった。



「……ったく、無茶しおってからに……さっき考えなしに突っ込むなと言ったばかりではないか!」



 その青い影の正体……風菜は、深傷をおいながらも無茶をするみずきを叱りつけた。



「へへ、すまねぇな風菜……どうにもさっきの爆発がこれまた思ってた以上にこたえたみたいで……」


「……いや、先に助けられたのはアッシらの方じゃ。礼を言うぞ、みずき」



 そんなみずきの見せる弱った笑顔に、風菜は少し頭を冷やした。


 ボロボロに傷付いたみずきをお姫様抱っこの要領で抱えると、風菜はそのまま彼女を庇うようにして移動する。



 が、そんな隙だらけの魔法少女達を、ゴッドフリートは決して見逃しはしなかった。



「ふん、確かに驚異的なスピードだが、果たしてそんな状態で一体どこまでもつことだろうね……!?」



 下衆な笑みを浮かべると、ゴッドフリートは再び勢いづいたようにライフルから魔道弾を連続的に放射した。


 そんな荒れ狂う弾丸の嵐に、風菜は身を挺してみずきを守り抜こうと奮闘する。



 と、その時、2人を襲う弾丸を切り裂き、今度は後方から沙耶とユリカが前へと出た。



「私達が盾になる!だから今のうちに……!!」


「みずきを安全な場所へ!頼みましたわよ、風菜!」


「お主ら……かたじけない、彼奴は頼んだぞ!」



 風菜は2人に小さく頭を下げると、みずきを抱えたまま後方へと下がっていった。



「逃すかッ!!」



 逃亡を図る風菜を絶対に逃すまいと、ゴッドフリートは再び容赦のない魔道弾の連射を開始する。


 と、刹那、風菜目掛けて降り注ぐ弾幕を、沙耶が素早く刀で切り落とし、ユリカがシールドで防御を張った。



「ちっ……小癪な真似しやがって……!!」



 沙耶とユリカ、2人の完璧な連携により、風菜はゴッドフリートからその距離を徐々に引き離していった。



 ……だが、しばらくして、ゴッドフリートの放つその魔道弾の圧倒的な数に、盾となる2人の疲労は恐ろしいまでに積み重なっていき、肉体はだんだんと傷付いていった。



「これは……ハァ、ハァ、……想像以上にやばいですわね……」


「でも、やらなきゃ……じゃないと、みずきが……みずきが……ッ!!」



 必死になって食らいつくも、少しずつ荒くなっていく防御態勢に、やがて、いくつかの魔道弾が後方へと漏れていった。




 すると、その瞬間、事態はさらに悪化の一途を辿った。



 不幸なことに、飛び荒れる弾丸の一本が、頭を抱えてうずくまる息吹の元へと真っ直ぐに伸びていったのだ。


 その弾道にいち早く気がついたみずきは、咄嗟に目を見開らかせ、傷付いた体を無理やりに動かした。



「……ッ!!ダメだ!!そっちはダメだ!!くそっ……何とか…….私が、何とかしなきゃ!!」


「お、おい!みずき!そんなに暴れるでないっ……てっ……ああっ!!」



 息吹のピンチに反応し途端に暴れ出したみずきを、風菜は絶対に落としてはなるまいと必死に彼女を抱き寄せようとする。


 が、自身が危険な状態にあるにも関わらず、無常にもみずきは風菜を押し切り、息吹を狙う弾丸の方向目掛けて全速力で走り出していってしまったのだった。



「まっ……!みずき、早まるでないッ!!」




「息吹イイイイイイイイイイイイイイーーーーーーーーッ!!!!!!」




 その時のみずきは、あろうことか風菜の言葉にすら耳を傾けず、ただ真っ直ぐに息吹の元へとガムシャラに走っていった。



 瞬間、みずきの上げた大声に息吹が顔を上げると、目の前には真っ直ぐとこちらに向かって放たれた銃弾が、視界いっぱいに広がっていた。


 突然のことに驚くと、息吹は恐怖から咄嗟に目を瞑った。


 まるで時がゆっくりと流れるような感覚に、胸が押し潰されそうになる。



(ああ……ボクは、こんなところで……嫌だ……そんなの嫌だ……!!誰か……誰かッ!!)



 迫り来る死の恐怖が、彼女の心臓を不快に撫でる。


 まるで深海のように冷たく、一面真っ暗に染め上げられた世界に、息吹は深くその身を沈めていった……。




 そんな中、一筋の光が、彼女の中で眩く輝いた。




『だから……自分の人生を、惨めな人生とか言うなよ……後先どうなってもいいとか思うなよ……一人で抱え込むんじゃなくて、今度は私達と…………辛いことも、苦しいことも、全部分かち合える。”頑張れ”じゃなくて”頑張ろう”って言い合える仲に……そんで……みんなで笑顔に………』




 かつて、ある少女に言われた言葉。


 どこまでも真っ直ぐで、不器用で、その癖とんでもなくお節介で……でも、こんな自分を、自分の過去も、全て受け入れてくれた大切な存在……。



(ああ、そうだ……あの日も確か、今みたいに夕日が綺麗だったなぁ……)



 痛みに息を荒げながら、息吹は目に映るその少女の名を口にする。



「……みず……き……みずき……ッ!!」



 震える声で、息吹は確かに”みずき”の名を口にした。




「……よう、随分と遅いお目覚めじゃねーか……息吹さんよぉ……!!」




 瞬間、耳に飛び込んできた暖かい声に、息吹はハッと目を開けた。



 すると、目の前には自分を庇うようにして立つみずきが、大量の血を流しながら、それでも優しくこちらに向かって笑みを浮かべていた。


 夕日に照らされ、キラキラと輝くみずきの笑顔を見たその瞬間、息吹はどうにもこうにも涙が溢れて止まらなくなった。



「みずき……僕は……ごめん……なさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ッ!!」


「おいおい、そんなに謝んなって……こっちこそ、助けるのが遅くなっちまってすまねぇな……苦しかっただろうが、もう大丈夫だ……!おかえり、息吹……!」



 そう最後に言い残すと、息吹の顔を見て安堵したのか、みずきはその場でバタリと崩れ落ちていった。



「み、みずきッ!!!」



 倒れたみずきをそっと抱きかかえると、息吹は再び涙を零す。


 手を握り取り、伝わってくるその温もりに、胸がぐっと締め付けられた。



 そんな光景に、辺りはしんと冷たい空気に包まれた。


 そう、1人の男を除いては……。



「当たっ、た……?……ハ、ハハハッ!やった!当たったぞ!!ハハハハハッ!!君と言う奴は、本当につくづく馬鹿な奴だな!いくら僕が創り出した空間とは言え、定義としてここはその根源である獅子留息吹彼女の世界だ。そんな中で、世界の基盤である彼女に、ましてや僕の攻撃が通るとでも本気で思ったのかい?……答えはNOだ!そんなこともわからず、自ら魔道弾に当たりに来るとは!何が美しい友情だ!所詮馴れ合いなんて、ただの足の引っ張り合いにすぎないじゃ……」



「……黙れ」



「……はぁ?今、なんて……」



 何かの聞き間違いではないか……今、催眠状態にあるはずの獅子留息吹から、彼は信じられない一言が飛び出してきたような気がしてならなかった。


 嬉しそうに淡々と語っていたゴッドフリートは一転、その余裕な表情に一片の影を落とした。




「だから……黙れって……言ってんだろうがッ!!!!」




 ……気のせいなどではなかった。


 今、確かに、獅子留息吹は自らの意思で、自らの言葉で、声を荒げて叫んだのだった。




 と、次の瞬間、突然大地が揺れ動き、空はひび割れ、世界が崩壊を始めた。



「そ、そんな……そんな馬鹿なッ!!なんで……一体何故、僕のパーフェクトな魔法が……!!?あ、あり得ない……世界が……僕の創り出した空間が、崩れて……塗り替えられていく……!!」



 思い出のあの街並みも、美しかったあの夕焼けも、何もかもが音を立てて崩れていく。


 そんな中で、みずきをゆっくり地に降ろすと、息吹はスッとその場で立ち上がり、鋭い目つきで怯えるゴッドフリートを強く睨みつけた。



「ゴッドフリート……お前は……お前だけは……絶対に許しはしない……ッ!!」



 静寂の中、涙はもう枯れ果てた。


 そんな息吹の向ける目は、これまでにないほど殺意に満ち溢れていたという。







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