第59話 骸ノ愛

 ドボルザークの変貌から数日、世間は大きく揺れ動くこととなった。



 それは、政府による『巨大未確認生命体特設災害対策本部』の設置にあった。



 これまで神奈川県内で発生した大災害を受け、政府は既にネット上の一般人投稿動画や目撃情報から噂されていた”未確認生命体”……もとい、”魔導生物”の存在を正式に発表。それにより、LDMをはじめとする特殊部隊の存在までもが、世間へと認知されることとなった。


 そして、とても現実とは受け入れ難いこの事実に、民衆の混乱が避けられない状況にあるのもまた事実。しかし、これ以上の犠牲を出さない為にも、これは懸命な判断だったと、後にユリカは”彼女達”に語った。



 だがそんな中、決して全ての事実が公表されたわけではない。その一つが”彼女達”……”魔法少女”の存在に関してであった。



 彼女達がより行動しやすく、また負担を軽減させるといった意味でも、今回の一件は必要なものだったと捉えることができるだろう。



 世の中が大きく変化を見せる中で、彼女達”魔法少女”を中心とした闇と人類の戦いは、これからさらに激しさを増すこととなるのであった……。




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 殺伐とした空気が辺りを支配する。


 ボンヤリと紫色の松明に照らされた薄暗い空間の中で、ゴッドフリートのギリギリと歯を軋ませる音だけが静かに響いていた。



「ドボルザーク……こんなことが……こんなことが、あっていいはずがない!なんだあの醜い姿は!?それに奴の最後……あれは一体どういうことなんだッ!!?」



 怒りや焦り、激しく渦巻く感情に飲み込まれながら、ゴッドフリートは一心不乱に頭を掻き毟る。


 と、その最中、光の届かぬ暗闇の中から、コツコツと小さな足音が鳴り響いた。



「”圧倒的力を得るためにはそれ相応の対価が必要になる”……そんなの当たり前のことじゃない。タダで力が手に入るほど、この世界は甘くできちゃいないんだから……それに、ドボルザークはあんたほど馬鹿じゃなかった。こうなる事を全て知っていた上で、それでも尚、あいつはこうなることを望んだのよ……」


「バルキュラス……だが、しかし……君は本当にそれで納得しているのかッ!?」


「くっ……!いつまでもウジウジと……あんたも本当はわかってるんでしょ!?あいつは人間だった……何らかの力で記憶を失い、闇の使者としてこれまで生き続けてきた……なら、あいつと同等の立場にあるアタシ達も本当は……いい加減目の前の事実を受け入れなさいよ!!」



 口を開けば弱腰に物を語るゴッドフリートの態度にシビれを切らすと、バルキュラスは彼の胸ぐらを掴み、その曇り切った瞳に訴えかけた。


 胸元辺りで力強く握り締められた彼女の拳が、フルフルと小さく震えているのが痛いほどにハッキリと伝わる。



「……クソッ!!放せッ!!うぅ……」



 感情のまま大声を上げ、バルキュラスの手を振り解くと、ゴッドフリートは膝から崩れ落ち、地面に手をついた。



「どうして……どうして、エリートであるこの僕がこんな目に……全ては降りかかる危険から自分を守るため……安全な場所からこの世界を見下ろすため……安住の地を求めて、やっとここまで登りつめたっていうのに……その結果が今の状況だっていうのか!?ふざけるなッ!!」



 ゴッドフリートの悲痛な叫びが虚しく辺りに反響する。


 もはや、自信に満ち溢れていたかつての姿はどこにもなく、危機的状況に追い込まれた彼の心境は悍ましいまでに歪みきってしまっていた。




 と、その時、2人の耳には暗闇の中からまた新たな足音が、こちらへと近づいてくるのが聞こえてきた。



「”絶対の安心”か……そんなものが貴様如きにあると信じていたとは、おめでたいな、ゴッドフリートよ」



 ズッシリと低くのしかかるような声に、ゴッドフリートとバルキュラスの2人は顔を真っ青に染めながら、声のする方へと顔を向けた。


 と、目の前には白銀の髪を靡かせた男が、色白い整った顔にシワを浮かべながら切れ長いその目でゴッドフリートを強く睨みつけていた。


 額に浮かぶ角張ったハートのような形をした烙印が、美しい顔立ちに引き立たてられ、鮮明に映った。



「なっ……ジークライン……ッ!?何故ここに……」


「いつの間に……確か貴方は、”反乱分子”の鎮圧に出ていたはずじゃ……」



 バルキュラスが咄嗟にその男の名を口にすると、続けてゴッドフリートも驚いた表情を浮かべながら、ジークラインと呼ばれる男に問いかけた。



「既に片付いている。これでしばらくはあのウジ虫共も大人しくなることだろう……」



 ”反乱分子”……そう、人間の世界同様、闇の世界もまた、決して一枚岩などではなかった。世界が長く存在する限り、そこには多くの歴史があり、そして戦いがあった。


 現在、闇の頂点に君臨する絶対女王”クイーン・オブ・ザ・ディスティニー”。その圧倒的力を前に、多くの者が彼女に忠誠を誓い、付き従っている。だがその反面、彼女を玉座から引き摺り下ろそうと企む者達も少なくはなかった。


 世界を変えたいと願うがため、権力を手に入れんとするため、戦いの中失ったものの復讐のため……理由は様々だ。


 だが、クイーン・オブ・ザ・ディスティニーの完全支配下の中で、彼女への反抗は即ち死を意味していた。



 そんな愚かにも立ち上がった反乱軍(レジスタンス)を容赦なく蹂躙していく存在……絶対女王の名の下に裁きを執行する集団、”骸ノ愛”の先頭に立つ1人こそが、この男、ジークラインであった。


 女王自らの手によって刻み込まれた烙印が、彼らの忠誠の証。”愛の烙印”を額に宿したジークラインの女王に対する忠義は底知れぬ深海のように深く、実力もまた、ニコラグーンと同等……あるいはそれ以上のものだった。



 ”骸ノ愛”として常に外部で敵と戦い続けていた男の突然の帰還に、バルキュラスとゴッドフリートは冷たい汗を額に浮かべながら、思わず足を竦ませた。



「全くくだらん連中だ……数で掛かれば勝てるとでも本気で思っていたのだろうか。あの程度の力で我らが絶対女王、ディスティニー様に逆らおうなどとは片腹痛い……そして貴様もだ、ゴッドフリート……!!」


「ハッ……!?」



 突然名指しで呼ばれると同時に、ゴッドフリートは反射的に背筋を伸ばし、地面から顔を離した。


 だが、一度崩れ落ちた足はしばらく言うことを効かず、膝は地につけられたままであった。



「一度忠誠を誓っておきながら、今更泣き言とは……ディスティニー様への忠義は即ち命を捧げる覚悟!!そんな無礼は、我ら”骸ノ愛”が許しはせんぞ!!」


「だ、だが……!」


「絶対女王の名の下に!!これ以上の異論はディスティニー様の”側近”であるこのオレが認めんッ!!!!」


「そっ、側近だと……!?」



 ”側近”、生前ニコラグーンが位置付けられていた立場をジークラインが口に出した瞬間、ゴッドフリートは思わず息を飲んだ。


 そんな彼を横目に、バルキュラスは少し呆れたような表情を浮かべながら一歩前へと出る。



「別に、驚くほど不思議なことではないじゃない……ニコラグーンが死んだ今、新たな側近が置かれるとするなら、ジークラインかスレイブ、あるいは”あの男”くらいしかいないもの……」


「ほぅ……では、オレはあくまで多々ある選択肢の中から選ばれたニコラグーンの”代わり”と言うわけか……随分な口を利くようになったじゃないか、バルキュラス」


「あら、気に触ったかしら?アタシはただ事実を言ったまでじゃない……ああ、そういえばあんた、昔からヤケにニコラグーンをライバル視してたわね。”あんな無粋な男がディスティニー様の腹心など、オレは絶対に認めない”とか何とか言っちゃってさ……最も、当の本人はあんたなんか大して興味なさそうだったけど」


「貴様ァ……誰に物を言っているのかわかっているのか……?」



 煽るように語るバルキュラスの言葉に、ジークラインの拳が怒りに震えた。眉間にシワを寄せ、ギラついた目で彼女を睨みつける。



 そんな危険な様子を察知したか、ゴッドフリートは急いでバルキュラスの元へと近づき、耳元で小さく呟いた。



(お、おい!それぐらいにしておけ!君は一体何を口走っているんだ!相手は”骸ノ愛”の一角……今となっては女王の側近なんだぞ!!それを……)


「それがどうしたっていうのよ。立場が上とか下とか、そんなのもうどうだっていい……何なら今ここで殺されたって構わない……最後くらい、アタシはアタシの維持を……意思を貫き通してやりたい……!!」


「……ッ!!”最後”だと……今、”最後”と言ったのか!?バルキュラス、まさか君まで……!!」



 不穏な言葉を口にするバルキュラスの横顔は、どこか寂しげなものに感じられた。


 ”最後”……その言葉から連想されるあまりに悍ましい光景に、目の下が痙攣を起こす。



 堪らず、ゴッドフリートがバルキュラスの肩を摑もうとしたその刹那、彼女は体を180度回転させ、その手をひらりとかわす。



「……魔法少女はアタシの獲物よ。ケジメをつけてくるわ……!」



 そして一言、そう言い残すと、彼女は暗闇に向かって足を進めた。



「……いいだろう。その覚悟に免じて今回のことは大目に見ておいてやろう……全力を尽くして、その魂を一滴残らずディスティニー様の元へと捧げるのだ!!」



 ジークラインの言葉に見向きもせず、バルキュラスは不気味な赤色の液体が詰められた黒い注射器をチラつかせながら、暗闇の中へと姿を消していった。


 その後ろ姿を見送ると、ジークラインもまた鼻を鳴らし、その姿を眩ませた。



 誰もいなくなった殺風景な空間で、ゴッドフリートはただ一人呆然と立ち尽くしていた。開いた口が塞がらない。



「……あ、悪夢だ……これは悪夢だ……」



 押し寄せる負の感情に押し潰されながら、堪らずゴッドフリートはその場で膝から崩れ落ちていった。



 辺りに灯る紫色の炎が、静かに揺れた。







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