第55話 意地で白星を掴め

 ワイワイと賑わいを見せる体育館。


 大勢の拍手に包まれながら、マイクを強く握り締め、息吹達は光り輝くスポットライトの照らす舞台へと足を進めた。



 ゆっくりと顔を見上げると、そこには一面を埋め尽くす夥しいほどの数の人が、目に飛び込んできた。


 一斉に向けられる視線に、もはや歓声の音は息吹の耳に一切入ってこなかった。ただただ内側から湧き出る冷たい息に、まるで凍りついてしまったかのように全身が硬直する。



(ああ……強気で出たはずなのに、やばいなこれは……注目されるのが……他人の目で量られることが、こんなに怖いなんて……)



 緊張から、思わず足を竦ませる。


 キラキラと輝くスポットライトが嫌に眩しい。これまでに感じたことのない、味わったことのないこの瞬間に、心臓がバクバクと音を立てて唸るのがわかった。


 演奏が始まるのが堪らなく怖い。


 永遠とも思えるひと時が、息吹のか細い首をジワジワと絞めつけていった。




 と、その時、暗闇を照らす一本の光が、息吹の耳に飛び込んできた。



「……がんばれー……」



 僅かに耳に響いた小さな声。


 客席から聞こえてくるその声に、息吹は初めて反応を示した。



(応援……みずき?沙耶?……いや、違う。この声は……)




「ガンバレーーーーッ!!お姉ちゃああああああああああああんッ!!!!」




(ゆっ、悠人!!?)



 ビリビリと響く声に、息吹はハッと顔を上げた。


 その先には、明るい笑顔で大きく手を振る弟、悠人の姿が鮮明に映った。


 その彼の嬉しそうな表情に、息吹の鼓動はドクドクと音を立て高まっていく。



(そうだよ……ボクは1人じゃなかった……この舞台に、客席に、いつだって背中を押してくれる仲間がついている……ここにいるみんなが、ボク達の演奏を楽しみにしてるんだ……なら、やってやるしかないじゃないか!ここが正念場……覚悟を決めろよ、獅子留息吹ッ!!)



 目の前に映る悠人の姿に、息吹は自然と笑みを浮かべた。



 刹那、カッと瞳に力を込め、息吹はスタンドにマイクを固定すると、大きく息を吸い込んだのち、他のメンバー達に目で合図を送る。


 と、同時に、理依奈が掛け声と共にドラムスティックを叩きつけた。



 次の瞬間、腹の下にドンと響く重い音が辺りに広がった。


 力強く奏でられるハードな音。


 が、その中でも一際輝きを放つ透き通った歌声が、その場にいた全員の心をガッチリと掴み取り、その歌を、魂を刻み込む。



(プレッシャーに負けるな……抗え……このステージ全てを味方にして……響かせろ……そして心に刻み込め……ボクの歌をッ!!)



 出だし、全身に響くあまりの衝撃に、誰もがしんと息を飲んだ。


 が、しかし、前奏が終わり、曲が最高潮に高まった瞬間、客席からは大観衆が巻き起こった。


 激しく揺れる人の波が、舞台に立つ者達の心を大きく揺さぶった。



(何だこの感覚……楽しい?……いや、確かにそうだけど、それだけじゃない……燃える……燃えるようにアツいこの感覚は……!!このアツさも、思いも、全部歌に乗せて……届け……届けええええええええッ!!!!)



 体育館のライブ会場が、カラフルに輝く光に染まって行く。


 まるで、”空間”の壁をも超越せんとする息吹の魂の叫びが、歌となり辺りを支配していった。




<<



(……歌が……歌が聞こえてくる……)



 金網に囲まれたリングの上で、傷ついたみずきは息を荒くさせ、膝をついた。


 天井から浴びる光が歪んで瞳に映る。



 だが、そんな朦朧とした意識の中で、みずきの心には確かに聞き覚えのある声が、歌が、その身の内に鳴り響いていた。



「何だこれ……このホッとするような歌声……これは確か……」



 フラフラと体を揺らす中で、みずきは小さくそう呟く。



「……こんな時に独り言とは、俺も随分とナメられたもんだなぁ……ッ!!」



 ふと集中力を欠いていたその時、耳に響くドボルザークの怒鳴り声に、みずきはハッと我に帰った。



 激しい殴り合いの最中、深く刻み込まれた頭部の傷跡から、真っ赤な血が流れ落ちた。


 だが、傷ついていたのはみずきだけではない。彼女の目の前に立つドボルザークもまた、その肉体に深いダメージを負っていた。


 肩で息をしながら、ガタガタと揺れる自らの足を無理矢理に奮い立たせると、みずきに攻撃的な言葉を当たり散らす。


 目をギラつかせるその姿はまさに執念、執念のみで動く屍のような、悍ましいものだった。



 と、そのあまりの気迫にみずきが思わず一歩足を竦ませた次の瞬間、大きな唸り声と共に、拳を握り締めながら、ドボルザークが勢いよくこちらへと飛び出して来た。


 目の前まで迫った彼の拳が、まさにみずきの顎を砕かんとする勢いで、彼女の下頬に突き刺さる。



 まんまと付け入る隙を許してしまったみずきは、その直撃した攻撃に激しく体のバランスを崩した。


 大量に舞う血しぶきが、ライトの輝きに照らされる。


 消えかけた意識の中、みずきは今、まさにリングへと沈まんとした。




 ……その時、彼女の脳裏には、またしても聞き覚えのある歌声が響いた。



(この声……そうだ、この声は息吹の……そうか、もう演奏始まっちまったのか……あいつにバンドを進めたのは私なのに、その本人が見に行ってないなんて……ほんと、最低だよな……)



 ゆっくりと崩れ落ちる時の中で、みずきはスッと目を閉じ、聞こえてくる歌に身を寄せた。



「……だったら……」



 刹那、力強くリングに叩きつけたみずきの片足が、倒れかけた体を無理矢理に支えた。



「だったら……せめて途中からでも!最後の数秒だけでも!死ぬ気で仲間の晴れ舞台を目に焼き付けてやろうってのが義理じゃーねぇのかよ!!自分に言い訳こいてないで、さっさと突っ走れよ!!紅咲みずき!!」



 本来起き上がることの出来ないような体制から、深傷を諸共とせず、みずきは力一杯体を振り上げる。


 まるで、無数の手に背中を押されるようにして、彼女は再びスポットライトの照らす眩いリングへと足の裏をつけた。



 傷の一つ一つがキラキラと輝いて見える。そんな神々しさすら感じさせるみずきの姿に、ドボルザークは静かに熱く、瞳をギラつかせ彼女を睨みつけた。



「……ああ、そうか、そうだったなぁ……今、確かに見えたぜ、この俺にも……テメェの後ろに、あの忌々しい4人の魔法少女が、背中を押して倒れかかったあんたの体を無理矢理起こしていきやがったのが見えた……それがあんたの背負っているもの……テメェは俺と違って、鼻から一人で戦っちゃいなかったわけだ……全く、笑えねーぜ……」


  「……あんたにはないのか。背負ってるものが……大切な何かが……」


「俺が背負っているのは使命だけ、ただそれだけ……そう信じていた……テメェに会うまではなぁ、紅咲みずき。テメェに会ってから、何もかもがおかしくなっちまった……俺が戦う意味も、自分自身が本当に望むものが何なのかすら見失っちまって……いや、初めから見失ってなんかいなかった……ずっと忘れようとしていただけだ……何もかもを捨て、ただ闇へと身を沈めた……」



「”捨てた”……だと……?闇へと身を沈めたって、それじゃ、あんた一体……!?」



 淡々と語られるドボルザークの背景の中で、みずきはその言葉を聞き逃しはしなかった。


 すかさず、身に過ぎった疑念を率直に彼へとぶつける。



「……さあな、昔のことすぎてよく覚えちゃいねーよ。それに、テメェとの決着の中で、お互い、これ以上の情は不要なはずだ……これは殺し合い……どちらかが倒れるまで終わることのないデスマッチ……」



 敵意を全身から放ち、構えを取り直す。


 答えをはぐらかすドボルザークに、みずきは口を紡ぎ、これ以上質問するのをやめた。


 ただ深く息を吐き出すと、こちらもまた再び臨戦態勢に入る。




「……そうか、なら遠慮なくこの勝負、私は意地でも白星を掴み取らせてもらう!……そして、あの世で一生供養してろ……あんたの……あんた達の殺した大勢の人間のなぁッ!!」




 みずきの上げた声を合図に、第2ラウンド開始のゴングが告げられた。


 再び激しくぶつかり合う両者の拳が、真っ白なリングの上を赤く染めていく。



 殴り、蹴り、そしてまた殴る。



 戦闘における知識も技術も、もはや何一つ意味をなさない醜いまでの争い。これを戦いと呼べるものなのだろうか……ただひたすらに血を流し、互いの魂をぶつけ合う。



 その狂気的なまでの執念に、遠目でこの勝負を見届けていたゴッドフリート達も思わず顔を引きつらせていた。



「なっ、何なんだこれ……さっきからドボルザークの奴は変だ!こんな醜い戦いに、一体何の意味があるっていうんだ!さっさとスレイブから貰った強化剤とやらを使って、手堅くあの小娘を叩き潰すにこしたことはないっていうのに……」


「……ええ、確かに醜い争い。見るに堪えないわ……けど、どんなに惨めで見るに堪えない戦いだとしても、こんなにも自分をさらけ出しているドボルザークを見るのは初めてよ……アタシ達にとっては醜いものにしか見えないとしても、それでも、これがあいつの本当に望んだことだと言うのなら……アタシは、これを最後まで見届けてやらなきゃいけないような気がする……」


「バルキュラス、君まで……どうかしているとしか思えないよ!理解し難いね……全くナンセンスだ……!」


(ドボルザーク……偉そうで、捻くれてて、それでいていつもアタシ達を見下す嫌な奴……そう思ってたのに……何よあんた、そんなに熱く拳を振るう奴だったのね……それがあんたの残す生き様だって言うんなら、アタシは何も言わないわよ……元より、あんたなんか、何とも思ってないんだから……)



 金網の外で、ゴッドフリートとバルキュラスの会話が為されている最中にも、リングの上ではみずきとドボルザークの激しい殴り合いが続けられていた。


 無我夢中に、荒々しく振るい合う拳の中で、みずきは大きな声を上げた。



「おいっ!ドボルザーク!なんでそんなに私に拘る!?そんなに私が憎いか!!それとも、逆に惚れてんのかぁ?!全く、これだからモテる女は辛いなぁ!!」


「こんな時まで余裕ぶっこいてんじゃねーぞ……ああ、憎い!!テメェのツラを見てるだけで、何故だか無性にムカついてきやがる!!……理不尽だろぉ?ああ、理不尽さ……なんせ俺は、極悪非道の闇の使者なんだからなぁッ!!!!」


「おおそうかよ!!私もあんたが大嫌いだ!!あの日、あんなに怖い思いをさせられて……そんで何度も何度もしつこく現れやがる!!今日だって、あんたがいなけりゃ私は今頃、息吹とユリカ達のライブで盛り上がってたところなんだよッ!!あんたが憎くて仕方がねぇ……だから、こいつは勝負とか決着とか、そんなお堅いもんじゃねぇ……喧嘩だ喧嘩!!ただの喧嘩だ!!拳でしか語れねーことがあるんだよ!!御託はいらない……あんたの全てを、真っ正面から打ち砕いてやるッ!!!!」



 みずきの張り上げる声が、辺りに反響し、うるさいまでに響き渡る。



 光に照らされた血みどろの戦い。


 血で血を洗う狂宴は、互いの意地と意地とがぶつかり合い、もう長らく続けられた。







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