第51話 潮見風菜と行くぶらり鉄道旅(後編)

 乾いた風が辺りに流れる。


 長く放置され錆びついた鉄の香りが、ツンと風菜の鼻を掠めた。



「コ、ロセ……コロセ……!!」



 目を真っ赤に充血させながら、不気味に佇む男は再び風菜の元へゆっくりと近づく。


 黒いコートが揺れるたび、男の足音と共にジャラジャラと金属音が鳴り響いた。



 と、歩み寄る男を前に、風菜は咄嗟に近くの大きな鉄道車庫の中へと飛び込むようにして逃げ入って行った。



(ヤバイのう……はっきりとはわからんが、かなりヤバイ何かを彼奴から感じる……今までとは明らかに雰囲気の違う相手……じゃが、あの言いようからして、闇の使者との関わりがあるのはまず間違いないじゃろう……)



 無造作に積まれた鉄板の影に隠れると、額に浮き出た冷たい汗を手の甲でなぞる。


 これまでとは明らかに様子の違う敵を前に、風菜は荒れた呼吸を整え、冷静に状況を見極め始めた。



(くそぅ……アッシとしたことが、鞄と一緒に通信機器まで溶かされてしまうとは……じゃが、後悔しておっても仕方がない。これまでの敵とは違い、彼奴からは何故か闇独特の気配を感じない……故に、みずき達がアレの存在に勘づき助けに来てくれる可能性は非常に低いというわけじゃ。……どうやらこの局面、アッシ1人で何とか乗り切るほかなさそうじゃな……!)



 覚悟を決めると、風菜は胸元へと変身アイテムを掲げ、素早くその姿を魔法少女へと変えた。



(おそらく、彼奴の魔法は”触れたものを溶かす”といったところじゃろう。じゃが、”触れる”とは一体どこまでの行動を指すのか、溶かせる”もの”の範囲などが定かではない以上、安易に近づくのは危険じゃ……しかし……!!)



 試行錯誤を繰り返す中、男のジャラジャラと鳴らす金属音が建物中に響き渡る。


 と、ゆっくりと車庫内を巡回しながら、男は風菜のことを探り始めた。



 辺りに張り詰めた緊張感に思わず唾を飲み込むと、風菜は足元付近に転がっていた鉄パイプを2本拾い上げた。


 キョロキョロと周囲を見渡す男の目線に気をつけながら、拾った鉄パイプのうち1本を自分の隠れている位置とは反対の方向へと振りかぶって投げつけた。


 勢いよく飛ばされた鉄パイプは鉄筋の壁と衝突し、激しい音を鳴り響かせる。


 と、その大きな音に反応し、男は驚いたように体を素早く振り向かせた。



 刹那、鉄パイプを握り締めた風菜が、全速力で男の背後へと飛び出した。


 脚のギアを最大限にまで上昇させたそのあまりの勢いに、風菜の体は高く蹴り上げられ、宙を舞っていた。



(隠れてばかりおってもラチがあかん……ここは攻める他あるまい!!)



 天高く打ち上げられた体を大きく捻り、勢いそのままに風菜は鉄パイプで男の頭部を強く殴りつけた。


 大きく空中でブレる体を必死に軌道に寄せながら、宙で一回転した状態で、風菜は相手の追撃に備えた間合いを取りつつ、見事地上へと着地した。



 が、そんなアクロバティックな攻撃を成功させたにも関わらず、風菜は苦い表情を浮かべていた。



「こいつは、嫌な予想の方が当たってしもうたわ……此奴の”溶かす”という魔法は、”たとえ当人が無意識の状態であったとしても、己の肉体に接触したもの全てに有効”というわけじゃな……それに……」



 顔を青白く染めながら、風菜は恐る恐る握り締めた鉄パイプの方へと視線をやった。



 すると、風菜の視線の先、握り締めた鉄パイプの先端は、見事なまでに溶けきってしまっていた。さらに、それだけではない。微かに男の頭部を掠った風菜の手の甲は、皮膚からジュクジュクと嫌な音を立てながら真っ赤に爛れていたのだ。



「鉄であろうが人間であろうが、自分に触れたものは何であろうと溶かす……全く、わかりやすく恐ろしい能力じゃな……いてて……」



 燃えるように熱く爛れる手の甲をポケットから取り出したハンカチで抑えつけながら、風菜は溶けた鉄パイプを捨て、その場から全速力で遠ざかった。



「コロス……マホウショウジョ ハ……ミナ ゴロシ、ダ……!!」



 強く打ち付けられた頭をボリボリと搔きむしると、男は歯茎を剥き出しにし、憎悪に満ちた凶悪な表情を浮かべ、風菜の後を追った。




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「……ふう、どうやら振り切れたようじゃな。あれほどまで大量の拘束器具を全身に身に付けていながら、あんなにも素早く立ち回れるとは……つくづく恐ろしい奴じゃ……」



 額に汗を浮かべ大きく息を乱しながら、風菜は再びその身を車庫内の影に潜めていた。


 ハンカチを手の甲に括り付け、苦しそうな表情を浮かべる。だが、その瞳は決して輝くことを辞めはしなかった。



「確かに恐ろしい魔法じゃ……じゃが、付け入る隙はある……!それに、幸い、彼奴の知能は闇の使者よりも魔道生物に近い……一手一手を確実に決めれば、勝機はある!!」



 そう強く意志を固めると、風菜は男に居所を悟られないよう、慎重に行動を開始した。




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 たくさんの鉄道が並ぶ薄暗い空間を、男は不気味な呻き声を上げながらひた歩いていた。


 あちらこちらに置かれた鉄の山や工具などお構いなしに、触れる物全てを溶かし尽くしながら、真っ直ぐと突き進む。



 と、男は近くの気配に勘付いたか、その場で足を止め辺りを見渡した。



「へいへい!こっちじゃこっち!一体どこを見ておるんじゃ、このマゾ野郎!アッシは此処にいるぞーッ!!」



 突如聞こえてきた風菜の声に、男はふっと顔を見上げた。


 と、その視線の先には挑発的に手を引きながら階段を駆け上がる風菜の姿があった。


 単純な挑発ではあったが、男は風菜を見つけるや否や目を真っ赤にギラつかせ、鬼のような形相で彼女の後を追った。


 ドタドタと激しい足音を鳴らしながら階段を駆け上がり、鉄板が歪に盛り上げられた狭い足場を器用に進んで行く。



 やがて、階段を登った先の吹き抜けの通路にて、風菜は手すりに囲まれた突き当たりに追い込まれていった。


 すると、壁際に棒立ちする風菜の後ろ姿を視界に捉えるや否や、男もまた勝利を確信したのか、駆け足を止めた。


 彼女を追い詰め、男は肩を揺らしながら、かすれた奇妙な笑い声を発し出した。金属音を鳴り響かせ、男は風菜の元へとジリジリと迫り寄る。



 と、その時、笑い狂うその男の様子を見て、風菜は思わず口角を上げ、薄っすらと笑みを浮かべた。




「……ふっ、正直仕掛けている最中は成功するか不安じゃったが、お主がこんな単調な罠に引っかかるような輩で助かったわい……お主、テコの原理って知っておるか?」




 アゴを上げ、背中側に体全体を反りながら、風菜は挑発的に男を見下ろす。


 その彼女の視線に、男は直感的に嫌な予感を感じ、眉を歪めた。



 タイミングを見計らい、風菜は足元に仕込んだ鉄パイプを勢いよく踏みつけた。


 瞬間、男の足場に歪に積み上げられていた鉄板の山が、風菜の押し込んだ鉄パイプに持ち上げられる形で大きく揺れ動いた。


 その衝撃にバランスを崩した男は、咄嗟に掴んだ手すりを自らの魔法で溶かし、そのまま吹き抜けの通路から下の階へと真っ逆さまに落ちていった。



「やはり読み通り……お主の”肉体に触れたものを溶かす”魔法は、”足の裏”までは有効範囲ではないようじゃな……それもそのはず、足の裏が常に触れているであろう地面を溶かしてしまっては、ろくに身動きすらとれぬわけじゃしのう」



 丁寧に自分の推理を語り終えると、風菜は手すりに足をかけ、男が真っ逆さまに落ちた先を覗き込んだ。



 と、その視線の先、男の肉体は車庫に停められていた電車の配線にぐるぐる巻きに絡まり付いていた。



「グッ……ギギギ……!!!」



 呻き声を上げてもがくたび、身体中に纏わりついた配線はドロドロと溶け始め、やがてケーブルの中から銅線が剥き出しとなった。



 その時、ケーブルが溶け始めた次の瞬間、風菜はそっと右手を前へとかざし、大きく息を吸い込んだ。



「肉体に触れたものを溶かす魔法……速さを活かした肉弾戦を得意とするアッシの魔法とでは、明らかなまでに相性が悪い……じゃが、それは”今までの潮見風菜”に於ける話。ニコラグーンの襲撃からおよそ一週間、この間、アッシら魔法少女が何もせずただのうのうと日々を過ごしていたとでも思っておったのか……?」



 そう小さく口にすると、風菜は目をギラリと輝かせる。


 刹那、突如、風菜の背中には踏切を連想させるような独特な形をした巨大なバックパックが出現した。


 キラキラと艶めくソレは、出現と同時に変形を始め、ゴトゴトと大きな音を立てながら2本のレールガンを伸ばした。


 顔を覗かせたレールガンの両先端に、風菜は莫大なまでの量の魔力をチャージさせる。



「前へ進むと決めた以上、こっちも生半可な気持ちではないのでのう……強化施設を何度も訪れ、アッシもまた新たな魔法を習得したというわけじゃ!!」



 彼女の放つ強大な魔力が、バチバチと電気を帯びて弾ける。


 眩しいまでに輝くその風菜の魔法に、男は怯えたように体を小刻みに揺らしながら目をカッと見開いた。




「物理攻撃が効かぬとも、こいつは最高にシビれるぞ……くらええええええええええええいッ!!!!」




 限界にまで貯められた膨大なエネルギーを、まだ身体中に銅線が絡まったままの男目掛けて、風菜は全身全霊で撃ち込んだ。


 青い光を放つ電撃を帯びた魔道弾が、勢いよく男に着弾。瞬間、溶けきれなかった銅線に大量の電流が流れ、男を一瞬のうちに丸焼きにした。




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 ぼんやりと霞む意識の中で、もくもくと煙を上げながら真っ黒に焼け焦げた男は小さく唸り声を上げる。


 もはや、物体を溶かす魔法は完全に機能を停止したものの、以前、その男には微かに息があった。


 全身の皮膚が焼け爛れて尚、バタバタと蠢くその男の生命力・執念に、風菜も思わず苦い表情を浮かべた。



「……ダ………ェル……」



 と、何かをぶつぶつと囁く男を奇妙に感じながらも、風菜は地面に焼け落ちた彼に恐る恐る近づいてみた。



「まだ息があるとは、敵ながら何という執念じゃ……しかし、此奴は一体何者なんじゃ?闇の使者……とはまた違う……どちらかと言えば、アッシ達に近いこの気配の正体は……?うーむ……」


「……カエ、ル……マッテイ……ルンダ……」


「……それにしても、此奴はさっきから何を話しておるんじゃ……?」



 敵の正体が見えず、困惑を隠しきれない風菜は、何か手掛かりとなるものはないかと、藁にもすがる思いで死に際の男の声に耳を傾けた。




「イ、ヤダ……マダ……死二タクナイ……カエル……カゾ、家族ガ、待ッテル……かエ、るんダ……生キて……帰るンだ……」




 はっきりと、確かに聞こえてきたその言葉に、風菜の背筋は凍りついた。


 ゾワゾワと鳥肌が立つ。



 少ない、しかもカタコトの言葉の中に込められた男の思い。その言葉を前に、顔を真っ青に染める風菜の脳裏には、既に最悪の予感が一つ浮かび上がっていた。



「此奴……今、確かに、はっきりと言葉にした……”帰る”……”家族が待っている”……と。ま、まさかこの男は……?!」



 溢れ出そうになる思いを言葉に吐き出そうとしたその時、近づいてくる強大な闇の気配に、風菜はハッと顔を上げた。と、彼女の目の前には突如、不気味に輝く魔法陣が出現していた。


 畳み掛けるようにして起きる怒涛の出来事に、風菜は眉をひそめ、思わず疲れ切った表情が滲み出た。



 休む暇すら与えず、風菜の目の前に出現した魔法陣からは、黒いパーカーを身に纏った青年が姿を現した。



「お主……今度こそ間違いなく新手の闇の使者じゃな?!」



 初めて見るその顔に、警戒したように構えをとる風菜。そんな彼女に対し、青年はまるで余裕そうにポケットに手を突っ込みながら、微笑を浮かべていた。



「やあ、潮見風菜。ちょっと見ないうちに随分と凛々しくなったじゃないか!かつての君からは想像も出来ないほど凄みが感じられるよ……一ヶ月も経たないうちに、人って奴はこんなにも変われるもんなんだなぁ……へぇ……」


「かつてのアッシ……?何故そんな言い回しが出来る……お主は一体……?!」


「おっと、失礼。実際に会うのは初めてだったね……俺の名はナイトアンダー、君達魔法少女のことは”監視者”としてずっと見守らせて貰ってたよ……そう、ずっとね……」


「か、監視者……?それに、ずっとアッシらを見守っていたじゃと!?お主、さっきから好き勝手なことを言いおって……いい加減アッシの質問に答えたらどうなんじゃ!」



 噛み合わない会話にしびれを切らせつつ、風菜は未知の相手にも容赦なくその苛立ちを顕にした。


 そんな風菜の言葉を、ナイトアンダーは笑顔ではぐらかす。



「……悪いね。俺も君とは前々からゆっくり話したいと思ってたんだけど、生憎こっちにも時間がなくてね……今日のところはこの丸焼けになってそこでのびてる”実験体No.201”の回収が俺の仕事なんで、さっさと帰らせて貰うことにするよ」



 ナイトアンダーが指差す先、そこには、風菜の攻撃により戦闘不能となった男の姿があった。


 ナイトアンダーは大火傷を負い項垂れるその男を乱暴に担ぎ上げると、再び不気味な魔法陣を宙に描き、そのまま早々とこの場から立ち去ろうとした。



「ま、待て!!……最後に……最後に、これだけはハッキリとさせて貰おう!!」



 呼び止める風菜の声に、ナイトアンダーは振り返ることなくその場で足を止めた。


 ナイトアンダーが聞く耳を持ったところで、風菜は少し荒れた呼吸を整え、恐る恐る重い口を開いた。




「其奴は……お主が実験体と口にしたその男は……元は”人間”なのか……?」




 風菜の口にした言葉と共に、辺りにはざわざわと不穏な風が靡いた。


 木々を揺らす音だけが、ただ響き渡る。彼女の突き付ける質問に、ナイトアンダーは答えることなく黙り込んだ。



 そんな彼の様子を見て、風菜はより一層顔を白くさせた。いやに冷たい汗が、額にじわじわと湧き上がってくる。



「……やはり、そうなのじゃな……貴様らは……破壊と殺戮を繰り返し、人間を見下すだけでは飽き足らず、挙げ句の果てには人をモルモットとして手駒にするか……貴様らは……貴様らは……一体どこまでアッシらを侮辱すれば気が済むんじゃ……!!!!」



 言葉を口にするたび、風菜の握り締めた拳が怒りに震えた。悔しさに唇を噛み締め、目の前に立つナイトアンダーを強い眼差しで睨みつけた。


 静かに、しかし熱く、風菜の怒りを帯びたその瞳は、轟々と炎を燃え滾らせていた。



 だが、そんな強い怒りを全身から滲み出させる風菜の姿を目の当たりにしても尚、ナイトアンダーは涼しい顔のまま鼻を鳴らして再び微笑を浮かべた。


 挑発的な彼の視線が、さらに風菜のはらわたを掻き乱す。



「……はぁ、全く、わざわざ知らなくていい事まで……本当に勘のいい小娘だ……。悪い事は言わない、君達は魔法少女である以前に元は普通の女の子なんだ。君達がどれだけ足掻こうとも、”その時”は……タイムリミットは刻一刻と迫っているんだよ……ここらで俺達からは手を引いて、残された時間を青春とやらで有意義に過ごすことをオススメするよ」


「タイムリミット……じゃと?……貴様ら闇の使者が一体何を考えておるかは知らん。じゃがな、今更そんな安い言葉に、アッシが……アッシら魔法少女が頷くとでも本気で思っておるのか……?」


「ふっ、ふふ……そうかそうか……なら、また会おうじゃないか。今度は世間話の相手じゃなく、戦う相手として……!」



 どこまでも挑戦的な態度を見せつけると、ナイトアンダーは魔法陣を潜り、闇の遥か深みへとその姿を消していった。



 そんな中、薄暗い車庫でただ一人立ち尽くす風菜は、心のどこかにポッカリと穴が開いてしまったような、そんな感覚を覚えていた。



「……迷うな。進むと決めたのじゃろ……アッシは……これでいい、これで良かったんじゃ……もし、結果として魔法少女の力で人を殺めたというのであれば、その罪はアッシ一人が背負えば良いだけのこと…ただ、それだけのことじゃ……」



 ズッシリと心を締め付けるようなこの罪の意識は、まだ16歳の少女にとっては、あまりにも、あまりにも重く辛いものであった。


 内から湧き上がる罪悪感に、風菜はひたすら自問自答を投げ掛けた。




 しばらくして、ナイトアンダーの気配を察したみずき達が、ニューンの魔法を使い風菜の元へと集まって来た。



 だが、風菜は起こった出来事について、その多くを語ることはなかった。


 破裂せんとするまでに大きく膨れ上がった”罪の重し”を心の奥にしまい込みながら、彼女は周りを心配させまいと、また、自分自身を誤魔化すように、無理やりな笑顔を浮かべた。



 古びた鉄道車庫の前を、微かに肌寒い風が音も立てずに吹き抜けていった。





―運命改変による世界終了まであと86日-



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