第46話 おかえり、ヒーロー

 横浜の空が暗く淀む。


 不穏な空の下、チカチカと明かりの灯るビルが聳え立つ巨大な箱庭に溢れる人混みを、ニコラグーンはじっと眺めていた。



「人間の築く世界……私には理解できませんね……。最も、既にこの世界には我らが偉大なる女王の”根”が張り巡らされています。終焉の時は近い……人間如きに、私達崇高なる闇の加護など一切不必要……!!」



 吹き荒れる風に短い髪が揺らぐ。



 ”横浜スカイデッキ”、横浜市内最大級の高さを誇るこの大型ヘリポートの頂上にニコラグーンはいた。


 まるでゴミを見るかのような冷めきった眼差しで、彼は地上に蔓延る人間達を見下ろしていた。



「ディスティニー様はやがて来る運命改変のその時まで、この世界に深く干渉することはないと仰られていましたが……魔法少女に興味がなくなってしまった以上、私にとって、この世界は何の価値も示さないただのガラクタ同然……やはり、地上に生きる人間達は皆殺しに……いいえ、せめて……せめて、この一角だけでも破壊し尽くさなければ、この不完全燃焼な私の欲求は満たされない……!!」



 荒れた口ぶりで一人そう語ると、長らく黄昏ていたニコラグーンは再び動きを見せた。



 真っ直ぐに差し出した手のひらに力を込める。


 と、同時に、強大な魔力がニコラグーンの内から溢れ出した。


 不穏な空気に、雲は螺旋を描き、風は騒がしく荒れ始めた。



「魔法少女諸共、何もかも消えて無くなってしまいなさい……これで、ここも少しは美しくなることでしょう……」



 溢れ出す強力な力を極限までに圧縮し、ニコラグーンは手のひらの上に小さな赤い輝きを灯した。


 その光を顔の前で掲げると、ニコラグーンは細く不気味な笑みを浮かべる。




「では、皆様……ごきげんよう」




 一言口にすると、ニコラグーンは恐ろしいまでに眩く光る真っ赤な閃光を乗せた手のひらを、ゆっくりと地上へ傾けた。


 彼の手のひらに接する光が剥がれ、赤い輝きが今まさに地上へと零れ落ちようとした……




 その時、突如何かに反応したニコラグーンは咄嗟にその手を止め、赤い光を体の内に引っ込めた。



「この気配……それにこの音は一体……」



 こちらに向かって近づく気配に、ニコラグーンは顔を上げた。


 耳を澄ませば、何やら鼓膜に響く鈍い音が聞こえてくる。気配がこちらに近づくたび、その音もまた徐々に大きくなっていった。



「何か……来ましたね……」



 ニコラグーンがそう呟いた次の瞬間、彼の立つスカイデッキの真下から突如ヘリコプターが急上昇し、目の前に現れた。


 ニコラグーンの前に立ち塞がるヘリの扉は開かれており、そこには大量の銃火器を抱えたスーツ姿の女性が待ち構えていた。


 プロペラからの強風に纏めた髪をぐしゃぐしゃに靡かせながら、女性は大きく息を吸い込みニコラグーンに向かって声を上げた。



「おうおうおうおうッ!!横浜の景色を堪能とは随分いい御身分じゃない!!好き放題暴れて、散々人を虫ケラみたいに見下しやがって……あんた神にでもなったつもりぃ!!?人間ナメてんじゃないわよッ!!!!」



 鳴り響くプロペラの音など物ともせず、彼女の大声は周囲に突き抜けていった。


 だが、彼女の言葉にニコラグーンは表情一つ変えず、沈黙したまま涼しい表情を浮かべていた。



 すると、全く動じないニコラグーンのその態度に痺れを切らせた女性は、あろうことかヘリコプターの扉からヒールのまま飛び出していった。


 重い銃火器達を身体中に括り付けた状態で、彼女は空を飛ぶヘリコプターからニコラグーンの立つヘリポート目掛けて宙を舞う。


 その最中、ニコラグーンの頭上を飛び越える瞬間、彼女は拳銃を手に取りニコラグーン目掛けて発砲を始めた。


 女性の放つ銃弾はニコラグーンに命中したものの、まるで手応えはなかった。だが、彼女は見事ニコラグーンを飛び越え、彼の背後に華麗に着地して見せた。



「元神奈川県警警部補!!小坂明菜26歳、只今参上!!今はもう警察じゃないけど、世界の平和のため、法にかわってお仕置きよッ!!」



 闇の使者ニコラグーンを前にし、拳銃片手にいい年した女性、小坂は有名すぎる美少女戦士ポーズを自慢げに披露した。


 そんな小坂を目にするや否や、ニコラグーンはため息を吐きながら乱れた髪を搔き分ける。流石に少しは動揺したのか、彼はここへ来て初めて小坂に動作を見せた。



「……貴方が誰で、何故私の前に現れたのか……もはや、それすらも知る必要すらありません。何故なら私はこの世界への興味を完全に無くしてしまったのですから……しかし、ここへ来たというからには、少なくとも魔法少女達に関係のある人物のはず……で、あるとすれば、少しはお相手して差し上げても良さそうですかね……」


「ゴチャゴチャうるさい奴ね……問答無用!!死ぬ気であんたの首取りに行くわよッ!!!」



 長々と語るニコラグーンに対して、小坂は早々に銃のスライドを引くと勢いよくその場から飛び出していった。


 銃を乱射しながら、ニコラグーンの周りを周回するようにヘリポートを走り抜ける。


 大量の銃火器を抱えながらのこの動き、撃ち切った弾倉を破棄し新しい弾倉を入れるまでの隙を与えぬ手先の良さ、どれをとっても彼女の動きは並の人間には到底真似出来ないようなものばかりであった。



 ……だが、それはあくまで一般的な人間を基準とした話。規格外の力を持つ闇の使者、ニコラグーンを前に、無情にも小坂の攻撃は全く効果を示さなかった。


 その後もフィールドを縦横無尽に駆け回りながら、ライフルにマシンガン、さらには手榴弾など、ありとあらゆる武器を小坂は試した。だが、それだけ大量の武器を使用しても尚、ニコラグーンは少し鬱陶しそうにするだけで、未だに反撃すら仕掛けて来なかった。



「……そんな玩具で闇の者を始末出来ると本気で思っているなら、貴方の知能は相当に低いと断定出来ますね」


「チッ、化け物が……言ったでしょ、こっちは死ぬ気で戦ってるって……ここで諦める程、私はヤワじゃあないのよッ!!!!」



 武器が効かないと見るや否や、小坂は持って来た銃火器を全て捨て、果敢にも素手でニコラグーンの元へと突っ走っていった。


 どこで習得したのかまるで検討もつかないような完璧なまでの拳法で、ニコラグーンに攻め入る。だが、いくら洗礼された動きとはいえ、銃火器を前にしてもまるで歯が立たない男に、ましてや素手が通用するわけがなかった。


 もはや正気の沙汰とは思えぬこの行動。実際、効果がないことは小坂自身も当然わかっていた。


 一瞬のうちに殺されるかもしれない……そんな死と隣り合わせの極限の状況。



 だが、それでも、小坂はただがむしゃらに拳を振るい続ける。


 その瞳に宿した炎は、メラメラと熱く燃えたぎっていた。



 しかし、敵は当然いつまでも手を出さずに見守ってくれているほど甘くはなかった。


 小坂の攻撃を何度も何度も受けるものの、ニコラグーンは相も変わらず表情を曇らせたまま、ため息をこぼした。



「……まあ、初めから期待はしていませんでしたが、所詮こんなところでしょうか……いや、むしろ人間としては相当粘った方かと……ところで貴方、この世界では”馬鹿は死ななきゃ治らない”という言葉があるそうですが、本当だと思いますか?私は馬鹿は死んでも馬鹿だと思うのですが……丁度いい、実際に確かめて来てくれませんか?」


「……ッ!!!」



 ニコラグーンの言葉に、小坂は思わず背筋を凍らせた。今まで必死に押し殺していた恐怖心が一気に内側から溢れ出す。


 また、超人的身体能力を持つ小坂とはいえ、人は人、当然体力にも限界が見え始めた。


 襲い来る恐怖、体力の限界、2つの大きな圧力に、小坂はついに足のバランスを崩した。



 瞬間、有無を言わさぬ速さでニコラグーンはバランスを崩した小坂の後ろに回り込み、すかさず彼女の左腕を掴んだ。


 そのまま冷酷な表情を浮かべながら、ニコラグーンは小坂の左腕を簡単にへし折った。



「ああ……アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!!!」



 バキバキと骨を砕く音を鳴り響かせると、そのあまりの激痛から小坂はこれまで以上に大きな声を上げた。


 骨を砕き切ると、ニコラグーンは雑に彼女の腕を振り落とす。そして、あり得ない方向に曲がった腕を抑えながら悶絶する小坂に、容赦なく今度は蹴りを打ち込んだ。



 ニコラグーンの長い足が腹部に突き刺さると、小坂は血反吐を吐きながら体を吹っ飛ばされ、勢いよくスカイデッキの大きな柱へと背を叩きつけた。



 ぐらぐらと視界が歪む。


 感じたことのない感覚に戸惑いながら、真っ赤に濡れた自身の手のひらに目をやる。と、途端に小坂の体は震えが止まらなくなった。



(やばい……これは本当にやばい……切り札に取っておいたショットガンも、この感じだと通用しないわよね……)



 どう足掻いても絶望的なこの状況。


 言葉を失った小坂は、込み上げてくる恐怖心から、拳を地面に強く叩きつけ、その拳を強く握り締めた。



(くそっ……くそっ……私の力じゃ、やっぱりこうなるわけ……?そりゃ敵いっこないって、私が一番わかってたわよ……でも、みずき達が……まだ高校生の彼女達があんなに追い詰められてるってのに、大の大人が黙って見てるわけにはいかないじゃない……!!)



 複雑な思いが入り混じる中、死への恐怖は徐々に形を変え、ニコラグーンへの怒り、そして自分の無力さに対する悔しさとなって小坂の心を搔き乱した。



「やはり人間は脆い……魔法少女達が如何に出来の良い人形なのかを再確認させられましたよ……しかし、貴方を殺すことによって、世界はまた少し美しくなります。それだけは素直に喜ばしいことです」



 柱の壁に寄り添い項垂れる小坂に、ニコラグーンはゆっくりと歩みを進めた。


 迫り来る脅威を前に、小坂は完全に戦意を喪失させる……



「……まだ……」


「んっ、何か言いましたか?」




「……まだ、終わってない……!!」




 否、小坂の瞳に宿る炎は未だ健在。この絶体絶命の窮地を前にしても、決して消えることはなかった。


 そう、彼女の中にはまだ、確かな希望があった。




『”助けて!ヒーロー!”そう心の中で唱えれば、私は必ずやってくる……必ずな!!』




 パンチマン第3話、悪の組織に襲われた小さな少女の窮地に駆けつけたパンチマンが、彼女に向かって放った名台詞。


 ”心の中で唱えれば、私は必ずやってくる”……ヒーローは確かにそう言ったのだ。




「……助けて!!!ヒーロー!!!!」




 力の限り、小坂は全力で声を上げた。


 突然の行動に、ニコラグーンも思わず驚いた表情を浮かべる。




 刹那、凄まじいスピードでこちらに向かってくる魔力の存在に気がついたニコラグーンは、咄嗟に小坂に迫る足を止め、背後を振り返った。


 その瞬間、目の前には人の形をしたピンク色の奇妙な生物が、物凄い勢いでニコラグーンの体に纏わり付いた。



「ホ……モォォ………」



 不気味な呻き声を上げるその生物を前に、ニコラグーンの脳裏には”彼女達”の姿がはっきりと浮かび上がった。



「この魔法は……!!感じます……大きな5つの力を……!!こちらに向かって来る……ああ、これは……実に素晴らしいッ!!!!」



 纏わりつく謎の生命体を振り払うと、ニコラグーンはその顔面を片手で掴み、そのまま力任せに生物の頭を握り潰しす。


 魔法で出来た生物が煙のように姿を消すと、ニコラグーンは白く並んだ歯を剥き出しにし、ニヤニヤと不気味な笑顔を浮かべた。



 彼の浮かべた笑みの訳……


 そう、ニコラグーンがユリカの召喚したゴーストに気を取られている間に、彼の目の前には既に5人の魔法少女が再び顔を揃えていたのだ。



「み、みずき……」



 魔法少女達の登場に、柱の壁に寄り添い項垂れていた小坂も思わず顔を上げ、小さくみずきの名を囁いた。


 強く、そしてどこか気高く、一列に並ぶ魔法少女達の姿に感動すら覚える。



「小坂、待たせたな……!」


「……ふんっ!来るのが遅すぎんのよ、馬鹿ッ!!こっちは本気で死ぬかと思ったんだから!!」


「な、なんだよ、割と元気じゃねーか……まあそうカッカすんなよ。ヒーローってのは常に遅れて登場するもんなんだぜ!」



 みずきはキメ顔でそう言った。


 指を立てニッと笑顔でこちらを振り返る彼女の姿に、ボロボロとなった小坂の表情も自然と和らいでいった。


 スッと息を吸い込み、小坂は一言、みずきに言葉を送った。




「……おかえり、ヒーロー!!」




 小坂の送った言葉。


 短い一言だが、そこには彼女の様々な想いが確かに込められていた。



「……ああ、ただいま」



 小坂の言葉を一身に受け止め、みずきは一言そう答えると、前を向いた。


 霞む意識の中、小坂は並ぶ魔法少女達の大きな背中を眺めると、安心感からか、緊張していた体からは一気に気が抜けていった。


 その表情に薄っすらと笑みを浮かべると、小坂は再び柱の壁に寄り添い、彼女達の勝利を信じゆっくりと目を閉じた。




 決意を固めた表情で、魔法少女達は真っ直ぐとニコラグーンを見詰めた。



「……ハハハッ、これは驚きましたね……紅咲みずきさん、貴方は確実に殺したと思ったのですが、まさか生き返って来るとは……全く、貴方方魔法少女は一体どこまで私を楽しませてくれるんですかッ!!!!」



 高らかに笑い声を上げるニコラグーンの不気味な雰囲気に、魔法少女達の足は竦んだ。


 やはり脳裏に焼き付いたトラウマは、そうそう簡単に払拭されることはない。


 だが、それでも、彼女達は目の前に映る壁から目を背けるようとはしなかった。



「やっぱり、いざ目の当たりにすると信じられないくらい怖い……でも、私はもう逃げないって決めたから……!!」


「沙耶の言う通りですわ……勿論、ワタクシだって内心、泣きたくなるくらいビビりまくってましてよ!……ですが、隣に皆さんがいるから頑張れる!!勇気が湧いて来るんですの!!」


「ここまで来れば、もはや後戻りは出来ぬ!総力戦じゃ……生きるも死ぬも、最後までお主らと一緒じゃ!!」


「……語ることはない。ただ目の前の壁を打ち破るだけ……そして……みんなで一緒に帰るんだ……!!」



 お互いに肩を並べて支え合う、一片の曇りもない美しい魔法少女達の……いや、魔法少女としてだけではない、純粋な少女達の友情。


 先程までの小動物のように怯えていた面影など全く感じさせない彼女達の真っ直ぐな眼差しに、ニコラグーンは背筋をゾクゾクと揺らした。




「さあ、決着をつけるぞ……この変態野郎があああッ!!!!」




 みずきが上げる声と共に、魔法少女達は一斉にニコラグーンの元へと飛び出していった。


 決戦の火蓋が今、切って落とされた。





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