第33話 最速の少女

 肉眼では捉えられない程のスピードで動く魔道衣装”リンドブルム”を纏い、グルグルと風菜・沙耶を囲うように動くバルキュラス。


 まるで風菜達の緊張を煽るかのように、ヒュンヒュンと風を切る音が耳の中で渦巻いた。



「ぐああああッ!!!」


「うぐっ!!!」



 そして、突如牙をむく見えない攻撃が風菜と沙耶を襲う。

 いつ来るかもわからぬ恐怖に押し潰されてしまいそうになりながら、彼女達は攻撃を受ける直前、僅かに映るバルキュラスの姿を頼りに辛うじて攻撃を防ぐのがやっとだった。



「随分頑張るじゃない……けど、そんな程度じゃあ一体いつまでもつかしらね」



 既に防御に専念し息を切らす風菜と沙耶に対して、バルキュラスの移動速度は徐々に上がっていき、やがて防ぐ隙すらも与えぬ非常な攻撃が続くようになった。



「……ッ!沙耶!危ない!!」


「えっ……」



 と、風菜の叫ぶ声に沙耶が反応したその時、背後には沙耶の首筋を蹴り折ろうとばかりに足を振り上げたバルキュラスが一瞬視界に入った。


 気づいた時には時既に遅し、沙耶が防御体制をとる暇すらなく、バルキュラスの脚が勢いよく振り下ろさた。



「ぐっ……ぬおおおおおおッ!!!」



 刹那、沙耶を庇うようにして風菜はバルキュラスの蹴りをまともに受ける。バルキュラスの脚が頭を鋭く突き、風菜はそのまま顔面から地面に叩きつけられた。



「ふう、な……風菜ァ!!」



 一瞬、何が起こったのかわからず混乱する沙耶は、状況を把握するや否や風菜の肩を持ち、彼女を起こした。


 地面から風菜の顔を離すと、そこからはボタボタと真っ赤な血が滴った。恐る恐る風菜を仰向けにし顔を覗き込むと、彼女の額は痛々しく割れ、そこから大量の血が溢れ出していた。



「風菜!!しっかりして、風菜!!」


「ゲホッ、ゲホッ……さ、沙耶……良かった、無事で……」


「風菜!……ごめん、私のせいで……私が弱いばっかりに、こんな……ごめん、ごめんなさい……」



 何も出来きず風菜を犠牲にしてしまった自分の情けなさ、そして、自分達の置かれた窮地からのプレッシャーに、沙耶はその場で泣き崩れた。ポタポタと零れる涙が、風菜の頬に落ちる。



「……バルキュラスの言う通りだった。昨日あいつをやっつけられたのはみんなのおかげ……私の力じゃない……私一人じゃ無力で、何も出来ない……ごめんなさい、ごめんなさい……」


「……」



 と、次の瞬間、弱気になり泣き噦る沙耶に、風菜は勢いよく起き上がり、そのままおデコとおデコをぶつけた。



「いたいっ!!……い、いきなり何で……?」



 痛そうに額に手を当てながら、涙目で沙耶は風菜に問いかけた。



「いつまで謝っておるんじゃ、馬鹿者め。お主を庇ったのはアッシがやったことじゃ、謝る必要なんてなかろう。仲間なら当然のことじゃ」


「でも……私、一方的に助けられてばっかりで……」


「……ハッキリ言おう、昨日あいつを倒せたのはお主のおかげじゃ。お主がいなければ、奴には勝てなかったじゃろう……だから……今度もまた、お主の力を貸して欲しい」


「えっ……?」



 頭の血を抑えながら、風菜はふらふらと立ち上がった。震える膝を手のひらで叩き、大きく息を吸い込む。



「ふーっ、頭の血が抜けて少しすっとしたわい。やれやれ全く、アッシとしたことが……自慢の速さで負けて、少し気が動転しておったようじゃの……”臆病者の目には、敵は常に大軍に見える”とはまさにこの事かの」


「信長の言葉……!でも、それって一体どういう……」


「お主は無力などではない……アッシと沙耶、2人で力を合わせれば突破口はある!さあ、共に行くぞ!」



 地に足をどっしりと付け、風菜は帽子を深く被り笑みを浮かべた。


 そんな沙耶から見える彼女の背中は、とても大きく感じられたという。



「ま、待って!行くって一体……見えない程の速さで動くあいつを、どうやって倒すって言うの!?」


「沙耶、あきらめたらそこで試合終了じゃぞ……?」


「……歴史の名言っぽく言ってるけど、それバスケだから……」


「……変にふざけるところもみずきに似てきたかの?……オッホン、アッシが奴の隙を作る……いや、止めてみせる、あの動きをの。一瞬、ほんの一瞬でも奴の動きが止まったその時こそが、沙耶、お主の出番じゃ。”阿修羅”の装甲を破壊する程の威力を持つお主の刀技ならば、薄い鎧を纏った今のあいつに致命的なダメージをあえられるはずじゃ」



 提示された風菜の作戦に、沙耶は思わず鳥肌が立った。

 ボロボロになった風菜には、あまりに負担の大きすぎる作戦。しかし、もしそれが可能ならば……と、身体が奥の方から震え上がった。



「……できるの、本当に?」


「ふっ、やる気になった目じゃな……やっといい面構えになったのう。”為せば成る”!……と言っても、言葉はあまりにも薄っぺらく、それだけでは信用して貰えないじゃろう。じゃから、行動に示す。あの時、みずきの姿に、お主の心が動かされたようにの」



 そう沙耶に語りかけると、風菜は帽子のツバを軽く持ち、倒れるように前のめりに体を落とすと、足に装着したブーツに魔力込めた。


 目を青くギラリと輝かせ、力強く、そして速く鋭く飛び出していった。



 無闇にそのまま高速で辺りを駆け回るバルキュラスの元へは突っ込まず、壁や天井を器用に使いながら、バルキュラスの動きを翻弄させるよう縦横無尽にフロア全体を駆け巡った。



「……ふんっ、やっと動いたかと思えば何よその動き?そんなのでアタシが翻弄されると思ったわけ?……いいわ、まずは挑戦的なあんたの身も心もズタズタに引き裂いてあげる!!」



 可能な限り俊敏に動き回る風菜。しかし、その力の差は歴然。どれだけ速く動こうとも、あっという間に背後をとられ、蹴落とされてしまう。


 だが、それでも、風菜はすぐさま立ち上がり、再び己の限界速度で動き出した。たとえ何度地面に叩きつけられようとも、風菜は立ち上がり、その足を止めようとはしなかった。



「やれやれ、これじゃまるで耐久テストじゃない。いい加減諦めて、地べたで這いつくばってくれないかしら……」



 ちょこまかと動き回る風菜に、だんだんと腹を立て出したバルキュラス。彼女の言うように、一見悪足搔きにしか見えないこの行為。

 しかし、高速で移動する中で、風菜は何やら手元を弄りながら、ある考えを巡らせていた。



(……やはりそうじゃったか。見えたぞ、僅かな突破口が!あとは確実に奴を仕留めるタイミングを見計らうわけじゃが……くそッ、足が……!!)



 何度も何度も攻撃をまともに受け、尚且つこの速度を維持したまま動き続けた風菜の体は、既に限界を迎えていた。


 足の血管が脈打ち、筋肉が熱く腫れ上がるのを感じる。身体中のあちこちが悲鳴を上げ、走るたびに激痛が伴った。



(痛い……痛い……身体中が熱い……もうとっくに限界なのは自分でわかっておった……しかし、耐えてくれ、アッシの体……!!たとえこの身が燃え尽きようとも、ここは、ここだけは!絶対に退くことの出来ない極限なんじゃ!!)



 バルキュラスと風菜、高速で動く2人のぶつかり合いは、沙耶の目にはほとんど捉えることが出来なかった。


 しかし、既に極限状態である風菜のその熱い気持ちは、沙耶の心に確かに伝わっていた。




(わかる……風菜の思いが、自分の中で必死に戦っていることが!……私も動かなくちゃ……下ばかり向いてたら、いつまで経っても前に進めない!みんなと一緒に戦うんだ……だって私は……魔法少女なんだから!!)



 先程までとはまるで別人のような目で、沙耶は刀を構えた。


 そしてそのままゆっくりと目を閉じる。見えないものを無理に目で追おうとせず、全神経を研ぎ澄ませ、その時が来るのを待った。



(”じっくり考えろ。しかし、行動する時が来たなら、考えるのをやめて、進め”……私なら出来る……いえ、やってみせる!!)



 意識を深く沈め、チャンスを伺う。



 そして、その時は突然訪れた。



「ああ、めんどくさっ……圧倒的すぎて飽きてきちゃったわ……じゃあ、そろそろ死んで貰おうかしら。あんたから先に仕留めると言ったけど、思考を変えてみましょう。あそこでボーっとしてる刀女を秒であっさりと殺せば、あんたはどんな声で泣くのかしらね……今から楽しみだわ」



 そう口にすると、バルキュラスは方向を変え、沙耶の元へと飛び出した。


 当然、この動きは速すぎて沙耶の目に止まらない。そもそも、目を瞑っているのだから見えるはずもなかった。

 バルキュラスは大胆に正面から沙耶に接近し、爪立てた右手を振り上げた。



(ああ、勝った……こうもあっさり、圧倒的に!刀女、その忌々しいツラを今すぐ掻っ切ってやるわ……じゃあね、さようなら)



 そう心の中で勝利を確信したバルキュラスは、殺意に満ちたその右手を勢いよく振り下ろした。


 前回の敗北を払拭する程の圧倒的且つ完全なる勝利。その酔い痴れる感覚に、バルキュラスは手を振るう瞬間、心が躍った。




 が、その時、突如バルキュラスは自らの肉体にある違和感を感じ取った。



(……!?何これ……体が鈍い……)



 崩れる。



(動きが速すぎて、感覚が麻痺してきたのかしら……)



 崩れる。



(……違う、この後ろへ引っ張られるような感覚は……)



 押し寄せてくる不安の波に、勝利の二文字がゆっくりと崩れていく。



(……嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……そんなことが、あっていいはずがない……)



 自らの脳裏を過ぎった考えを信じたくない一心で、バルキュラスは後ろを振り向かなかった。


 しかし、この感覚は事実、間違いなかった。



 魔法少女達を翻弄する動き、決して追いつかれることのない圧倒的速さ。しかし、沙耶を仕留めようとしたその瞬間、突如体の動きが鈍くなった。


 いや、鈍くなったのではない。止まったのだ。



 バルキュラスの背後、そこにはブースターと腰回りを抱え込むようにして立つ風菜の姿があった。


 血に塗れボロボロになりながらも、足腰に全体重を掛け、必死に食らいつく。バルキュラスの足元には、まるで急ブレーキを掛けたような痕が残り、煙を上げた。魔力を大量に消費した風菜のブーツは真っ黒に焦げ、空気中にはバチバチと青い電流が弾けた。



「ハァ…ハァ…、掴んだぞ……お主の尻尾を……ッ!!」



 完全勝利からの落胆。押し寄せる絶望。バルキュラスにとって、永遠のように長く感じる時間の流れ。


 しかし、実際はほんの一瞬の出来事だった。その一瞬の僅かな隙を、沙耶が見逃すはずがなかった。



「……紅・正宗」



 小さく技名を囁くと、沙耶の刀は紫の閃光を宙に描きながら、バルキュラスの肉体をざっくりと斬り込んだ。


 速さを追求した”リンドブルム”には”阿修羅”のような分厚い装甲などなく、防御力はほとんど皆無である。そのため、刃は以前よりより深く、バルキュラスの肉をバッサリと斬って捨てた。



「”戦術とは、一点に全ての力をふるうことである”……世界史より、ナポレオンの言葉を抜粋」



「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!熱いッ!!傷口が燃えるように熱いッ!!」



 そのあまりの激痛に、バルキュラスは首元を掻きむしりながら地べたをのたうち回った。大量に血を散らしながら、恐ろしい表情で眼孔を見開く。



「なんで、なんでアタシがこんな目に……認めない……認めるもんか……」


「……敵がこちらの動きすら見落とすほど自惚れた時こそが絶好のチャンス。勝機とは、力差・経験差に関わらず、常に策を巡らせ、忍耐強く勝利の糸を手繰り寄せた者に降ってかかる。……これは、勝つべくして勝ったアッシらの勝利なんじゃよ」


「……あんたら如きが、一体どうやってアタシの動きを見切ったというの……?」



 ガラガラに枯れ、今にも消えてしまいそうなか細い声で問うバルキュラスに、風菜はコートの内側からある物を取り出して見せた。



「それは……カメラ……?」


「デジタルカメラじゃ。普段撮影用のカメラを持っていない時でも、この小さなカメラだけは必ず持ち歩くようにしておるんじゃ。偶然珍しい電車や撮影環境に巡り会うこともあるしの」


「それがどうしたっていうのよ……」



 一見関係のない話に思えるこのカメラに、バルキュラスは疑念を抱いた。すると、そんなバルキュラスに向かって、風菜はカメラのシャッターを一枚きってみせた。



「……お主は速い。いや、速すぎた。いくらスピードが出せるとはいえここは地下、動けるのは限られた範囲の中だけじゃ。……と、なると、お主がスピードを落とすことなく特定の場所へ方向転換するには、アッシもしていたように壁や天井、フロア全体を足場に蹴って進むしかないんじゃ」



 そう言って風菜が指さした先には、おそらくバルキュラスが足を掛けたであろう黒い跡がいくつも見つかった。



「そしてこの足跡を見て何か気付かんか?……速すぎる故に、お主の動きは単調。A地点からB地点へ移動する時、必ず同じ足場を蹴って移動しておる。そう、無意識のうちにある程度パターン化されていたのじゃよ、お主の動きは」


「なっ……!!?」



 バルキュラスは驚きで目を見開いた。しかし、まだ納得いかないといった表情で風菜達を睨みつけた。



「で、でも、仮にそうだったとしても……あんた達にはアタシの姿は見えなかったはず……そんな足跡だけで位置を特定するなんて不可能なはずよ……ッ!!」


「だからこのカメラじゃよ……この目にはお主の姿を捉えることはできぬ。しかし写真ならば、お主の姿を写すことが可能じゃ」


「……!!!」



 ここまで来て、バルキュラスはようやく理解した。しかし、本人はその事実を信じたくないといった表情で、蹲りながら頭を掻いた。



「……何よ、じゃああんたは悪足掻きをしているように見せかけて、実はずっとカメラを弄りながらアタシの動きを予想していたってわけ?……そんな、そんな器用な真似が並の人間に出来るはずが……」


「あまり人をナメとるんじゃない。アッシが今まで、一体どれだけの鉄道をカメラに収めてきたと思っとるんじゃ。車両位置・背景・光の加減、全てが好条件なチャンスはほんの僅か。そんな撮り鉄の世界で生きるアッシは、もはや”並”という言葉では括りきれないのではないか?……受け入れい。お主は負けたのじゃ、格下と見下していた人間にの」


「……く、屈辱よ……屈辱の極みよ、こんなの……うう……くそぉ……くそがああああああああああああッ!!!!」



 体を震わせ声を荒げながら、ボロボロに崩れ落ちたバルキュラスは闇へと消ていった。


 静寂がしばらく辺りを包み込んだ。


 そしてようやく緊張が解け、風菜と沙耶は息を切らせながら床に尻餅ついた。



「ハァハァ……やっ、やった……あっ!風菜、怪我は大丈夫!?ごめんね、風菜ばっかり危険な目に合わせちゃって……」


「これこれ、また謝る癖が出ておるぞ。……それに、アッシの怪我など大したことはない。危険だったのは寧ろお主の方じゃ。あの時、沙耶に向かって行くバルキュラスの動きをアッシが止めることが出来ていなければ、今頃お主は……」


「私は平気……だって、風菜のことを信じてたから!」


「沙耶……」



 沙耶の見せる笑顔に、風菜は少し照れ臭そうに目を逸らし、頬を掻いた。



「だから……これは、これが、2人で勝ち取った勝利なんだね!」


「……ああ、そうじゃな」



 2人は顔を見合わせ、互いに笑みを浮かべた。


 緊張しきった心身を休め、ほっと一息入れると、ふとあることが脳裏に過ぎった。



「みんなは大丈夫かな……」


「……相手もまた本気じゃ。決して簡単な戦いではなかろう。しかし、今は信じるんじゃ。みずき・息吹・ユリカ、彼女ら3人を……」


「……そうだよね。私達が弱気になってちゃダメだよね。……みんな、頑張って……!」



 仲間の安否を気にしつつ、風菜と沙耶、そしてバルキュラスの戦いは一旦幕を閉じた。


 しかし、魔法少女達と闇の使者との戦いは、まだ続くのであった。





―運命改変による世界終了まであと100日-


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