第19話 追憶の記憶


 嫌な思い出ってのは、どうしてこんなにもハッキリ覚えているものなのだろうか……


  あれは私が中学に入って約半年が過ぎようとしていた時のことだった。

 その頃には親しい友達もでき、比較的自由な時間を送っていた私の中学生活は、まあそこそこ満足のいくものだった。



  そんなある日、私はたまたま通りかかった飼育小屋の横で、一人の女の子が女子の集団に取り囲まれているところを目撃した。


  髪の毛を思いっきり引っ張られ、痛がるその女の子の姿を見て、私は額が熱くなった。


 そして何より、周りで私と同じ光景を見ていたはずの生徒達が、見て見ぬフリをしてその場から離れていくのが我慢ならなかった。



「自分は弱い・無力であるという事は、人を見捨てていい理由にはならない。本当の強さとはその時瞬時に行動できる勇気、即ち心の強さだ……そうだったよなぁ、パンチマン」



  この当時からパンチマンに魅了されていた私は、迷うことなく女の子の元へと駆けつけて行った。


  そこから先は、かなり興奮していてあまり覚えていない……けど、この時、私は確かにいじめられていた女の子を救い出したんだ。あの時の満足感・高揚感は忘れもしない。


 だけど、この時の私はまだ知らなかった。

 この出来事こそが、地獄へのスタート地点だったということに……



 翌日から、私はよく絡まれるようになった。


  イキるな、しゃしゃりでるな、陰湿、キモい、死ね……ありとあらゆる暴言が、いたるところから飛び出して来る。今思えば、これこそが序章、いじめの標的が徐々に私に向いてきているということの暗示だったのだろう。


 しかし、この時の私には、まだ周りに対抗しようという意志があった。

 悪口を言われればはっきりと言い返し、他にいじめを受けている生徒を見かければ、必ずその子を庇うように行動した。


 だが、私が正しいと思う行動をすればするほど、周りの私に対する嫌がらせはどんどんとエスカレートしていった。

 個室トイレに入れば必ず水を被せられ、一度席を外せば私物は荒らされ机やノートには大量のラクガキが、ひどい時には服をハサミで切られたり、ゴミを食わされたこともあった。


 この頃から、私の精神は徐々に崩壊へと進んで行った。


  唯一、私の心の支えとなっていたのは、小さい時からの憧れの存在、パンチマンだった。どんなに辛い時でも、彼を思い出すたび私は耐え忍ぶことが出来た。耐えて耐えて耐えて耐えて……だからこそ、どんなにいじめられようとも、他人を助けることだけはやめなかった。自分が思う正義を最後まで貫き通そうと、心の中でそう誓った。私が酷い目に遭っても、それで誰かが救えられるのなら……そんなことを考えながら。


  けど、そんな思いをも粉砕してしまうようなある出来事が起こってしまった……



 それは、私がロッカーの中に閉じ込められていた時の事だった。


 突如、ロッカーの外から誰かの話し声が聞こえてきた。

恐る恐る隙間から外を覗くと、そこには三、四人の女子集団がたわいもない会話をしている光景が広がっていた。

 しかし、問題なのは、その集団の中に私が飼育小屋で助けたあの女の子の姿もあったということだ。



”……あのみずきとかいう子、どう思う?”


”……知らないわ、そんな子”


”……嘘ばっかり”


"……あんな奴らに関わったら最後、もうどうしようもない"


"……大人しくハイハイ言ってれば酷いこともされないのにね"


"……見てて虚しいだけだわ"


"……世の中の渡り方を知らないかわいそうな子"



  私がロッカーの中にいるとはつゆ知らず、心なき言葉が次々と聞こえてきた。


  聞こえてくる会話は、全部途切れ途切れのものばかりだったが、私の胸を針串刺しにするには十分すぎる言葉の数々だった。


  誰がどの声の主なのかはわからない。だが、この中には私が助けた彼女の声も混じっている。信じたくはない。だが、それが事実だった。



  私は何で人を助けようと思ったのだろう……こんなことを言われるために助けたわけではない……私は……私は結局、何がしたかったのだろう……



 ふとそんなことを考えた瞬間、体の震えが止まらなくなった。


 目の前が真っ暗になる。


  怖くて、フラフラして、押しつぶされそうな感覚から、私はついに”逃げ出したい” と思ってしまった。



 家に帰ると、私は暗い部屋の中で一人泣いた。


  泣いて泣いて泣いて……頭がどうにかなっちまうんじゃないかと思うくらい泣き続けた。

 やがて涙は枯れ果て、圧倒的虚無感が私の心を蝕んでいった。


  無気力にベッドで横たわり、ふと、テレビのリモコンに手を伸ばした。

  電源を入れると、画面にはさも当たり前のようにパンチマンの映像が映し出された。



『超絶ヒーローパンチマン 第23話』


  かつてない強敵の出現、パンチマン到着までの時間を稼ぐため、クリキン仮面が敵に挑み、ボッコボコにやられるシーン。


 パンチマンが駆けつけた時には、既に街は崩壊し、仲間のクリキン仮面も戦闘不能にまで追い込まれてしまっていた。



「パンチマン、すまねぇ……街を、人々を、俺は守れなかった……俺が弱いばっかりに、お前にはいつも迷惑かけちまう……俺は……俺はヒーロー失格だ」


「柄にもないこと言うなよ、クリキン。お調子者のお前は一体どこいっちまったんだよ。……それに、俺はお前のことを弱いだなんて一度も思ったことはない。お前はいつも全力で、どんなに手強い奴が相手でも絶対に背を向けない。頑張って頑張って頑張って頑張って、必死で食らいつける、逃げ出さない勇気を持った男だ……そんなお前は、間違いなくヒーローだ」


「……へっ、こんな時に泣かせてんじゃねーよ……」



 パンチマンの後ろ姿、そしてその熱い言葉に、うつ伏せに倒れたままクリキン仮面は涙を流した。



 その映像を見ながら、私もまた曇った目から細い涙を流した。

  画面が滲んで、視界が虹色に輝く。



「ごめん、パンチマン……私、逃げ出しちまったよ……もう立ち上がれない……私はパンチマンのようなかっこいいヒーローにはなれない……」



 届かない願い、ザラつく感情。


 この日、私は身も心も投げ出して、深い闇の中に閉じこもってしまった……。




>>



「それから高校には上がったものの、過去のトラウマ引きずって、結局学校には数回程度しか行かなかった……そんで気がついた時にはクソ引きこもり女になっていたわけですよ、これが」


「…………」



  みずきの打ち明けた意外な過去に、息吹はただ黙るしかなかった。冷たい風が、並んで座る二人の髪をなびかせる。



「あの時、もしも私があいつを助けていなかったら……あの時の行動が本当に正しかったのか、時々考えることがある」


「みずき……」



 意を決して、息吹がみずきに声を掛けようとしたその時、みずきは勢いよくベンチから立ち上がり、軽く笑って見せた。



「けどさ、今ならあの時の私は間違ってなかったって信じてやれるんだ。何故なら、今の自分がいるのは、きっと過去の自分がいたおかげだと思うから……過去に一度、辛い目に遭って、挫折して、逃げ出したからこそ、今の私は覚悟を決めることが出来たんだと思う。今度こそ、もう絶対逃げたくない……ってな」



 辛い過去を打ち明けながらも、笑顔を見せるみずき。魔法少女としての過酷な経験が、いつな間にか彼女に大きな成長をもたらしていたのだった。


 そんなみずきの笑顔が、息吹には眩しくて仕方がなく思えた。



(人はどんなに辛いことがあっても、前を向いて歩いて行けば必ず笑顔になれる……ボクもなれるのかな、みずきのように……)



  なんてことを考えながら、息吹はみずきから少し目線を逸らした。

  そんな思いつめた表情を見て、みずきは息吹の前に仁王立ちで立ちはだかった。



「さて、これで私があんたに話したかったことは全て伝えた……後はあんた次第だ、息吹。これから先、どんな未来を選択するかはあんたにしかわからない。だから、私はそれまで待つことにする。あんたが決めるその時まで」



  みずきの話に、息吹は言葉を失った。顔を俯かせ、しばらく沈黙を続ける。



「……みずき、ボクは……」



 息吹が決意を固め、顔を上げたその時、



「あれえ!?いない!?」



 みずきの姿はもうそこにはなかった。

 慌てて息吹が辺りをグルグルと見渡しすと、みずきは既に公園の出口付近まで移動していた。



「あ〜あ……眠くなってきたし、そろそろ帰るわ。あんまり一人娘の帰りが遅いと、母さんも心配しちまうだろうしな」


「お、おいみずき!まだ話は終わって……」


「じゃ、また明日」



  動揺する息吹に、みずきは背を向けたまま手を振った。



「……また明日」



  驚くほどあっさりとした別れ。

 この時、息吹の口からは”また明日”という言葉が不思議と自然に零れ落ちていた。


 幻想的な夜空に、野鳥達の鳴き声が響き渡った。






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