第18話 風菜のお悩み相談所(お悩み相談するとは言ってない)


 ぼんやりと頭の中に浮かぶ真っ白な空間、そこにボクはいた。


 全身がまるで何かに包み込まれているような感覚。それはとても暖かく、どこか懐かしい気持ちになった。



「息吹……息吹……」



 ボクの名前を呼ぶ女性の声が聞こえる。耳元に囁かれるその声は、とても美しく、とても優しかった。



「息吹……あなたにはこの先輝かしい未来が待っているわ。でもね、時には悲しいことや苦しいことだってあるの。そんな時は思い出して欲しい……『人はどんなに辛いことがあっても、前を向いて歩いて行けば必ず笑顔になれる』って。いつか、あなたがこの言葉の意味を知って、大きく成長できることを信じて……ママはずっとあなたの側で見守っているわ……」



 病院のベッドの上で、小さなボクを抱きかかえながら窓の外を見る横顔、頬を撫でるその手の温もりは忘れもしない……



 ああ、そうか。お母さんの言葉だったんだ……。



 まるで澄んだ広大な海が心の中で広がっていくように、息吹の中で眠っていた記憶が鮮やかに蘇った。




>>



「悠人、お父さん……ごめんなさい……お母さん……ボクは……ボクは………」



  心の底から湧き出した涙が溢れて止まらない。


 夢にうなされながら、息吹はゆっくりと目を開けた。

  とても清々しく、澄んだ色をした目に真っ先に飛び込んで来た光景は、空を覆う一面の星空だった。



「よっ!やっとお目覚めかのう」


「うぉおおっ!?」



 広大な夜空に見とれていたのもつかの間、息吹の視界横から風菜が顔を覗かせた。


  突然現れた風菜の姿に息吹は驚き、寝ていたベンチの上から転げ落ちた。そして、自分の頬を伝う大量の涙に気がつくと、急いで涙を拭き取り、顔を真っ赤にしながら風菜を睨みつけた。



「ふっ、流石はlion選手。名前通り、睨まれるとおっかないの〜」


「ハ、ハンドルネームで呼ぶなッ!……って、何処ここ……てか、なんでお前がボクと一緒に……!?」


「ほいっ」



 ベラベラと喋る息吹の言葉を待たずに、風菜は彼女に向かって何かを投げ渡した。



「!?……とと、急に物投げるなよ!危ないじゃないか!……て、何これ?缶コーヒー?」


「アッシのおごりじゃ、遠慮せんと飲め飲め。……とりあえず、さ、ここは一旦落ち着いて腰掛けようではないか。お互い積もる話もあることじゃろうしのう。それに、お主とは一度二人きりで話してみたかったんじゃ。だからニューンに頼んで、この公園へ転送してもらった……公園で見る夜空もなかなかのもんじゃろ?」


「……紅咲みずきは?」


「ニューンに任せておる。今頃は自分の部屋で爆睡しておるじゃろう」


「…………」



 風菜の言葉を聞くと、息吹は周りををキョロキョロと見回してからベンチに座り込んだ。

  あれだけの事があった後だ、息吹もまたみずきのことが気になって仕方がなかったのであろう。




>>



「……なるほど、父親の敵討ちとはのう……」



  息吹は思いの外あっさりと自らの動機を打ち明けた。

 身構えていた風菜は少し拍子抜けしながら、缶コーヒーを一口啜る。


  以前までの息吹ならば、他人に自分の過去を明かすような真似はしなかったであろう。だが、今の息吹は違った。初めて出会った時、無口で無愛想だった彼女とはまるで別人のように風菜は感じていた。



「小さい頃母親を亡くしてから、父さんはボクの全てだった。そしてそれは弟の悠人も同じはず……初めて魔法少女の力を得た時、ボク達姉弟がこの呪われた運命から逃れるには、仇の朝霧から全てを奪うしかないと思った。そう信じてここまで進んで来たんだ……」



 思いつめた表情で語る息吹の横顔を見て、風菜は飲みさしの缶コーヒーを一度側に置くと、指を組んで真剣な眼差しで話を聞いた。



「だけどそんな時、紅咲みずきは現れた。あいつは感情的に拳を振るいながらも、ボクに色々なことを語りかけてきたんだ。その言葉を聞くたびに胸が苦しくなった……怖かったんだ、自分が信じていた道が崩れ去っていくのが……。そんな思いを抱えていた時だった、みずきがボクの怒りや憎しみを受け止め、涙を流した……それを見た瞬間、何故か心が和らいで、抑えていた感情が溢れ出してきて……それで、ボクは……」



 息吹は言葉を詰まらせた。一連の出来事を振り返り、零れ落ちそうになった涙を必死に抑えながら……。

 そんな息吹の姿を見て、風菜はふっと息を漏らして立ち上がった。



「なるほど……なら、もうアッシの出る幕はなさそうじゃな」


「えっ……?」



 そう言うと、風菜は息吹に背を向け、公園を後にしようとした。



「ちょ、ちょっと待ってよ!」



 自分を呼び止める声に、風菜は足を止め、少しだけ後ろを振り向いた。



「アッシはあやつほど大胆な事はできん。せいぜい話を聞いてやる程度が限界じゃ……しかし、息吹、お主は既にみずきの姿から『何か』を見たはずじゃ。その答えさえ分かれば、アッシの安い慰めなど必要あるまい」


「答えって……?」


「もうじきわかる。それに、そろそろあやつもやって来る頃合じゃろうしな……」


「なんだよその曖昧な返答!それに頃合ってどういう……」


「ではまた会おう、あばよ☆」



 そう言い残し、風菜は公園を後にした。

  突然の別れに、息吹はただ呆然とするしかなかった。



「行っちゃった……一体何だったんだよ、あいつ……」



「息吹ィィィィィィィィィィ!!!!」



「!?」



  風菜が帰り、ようやく一人になれたと気を緩めていたのもつかの間、何処からともなく息吹の名を叫ぶ声が聞こえた。もはや飽きるほど聞いたそのうるさい声に、息吹は苦い表情を浮かべた。



「みずき……」


「ニューンからあんた達の居場所を聞いたんだ……って、あれ?風菜も一緒じゃなかったのか?」


「……もう帰ったよ」


「えっ……あ、そ、そうか……」



 どうにも気不味い空気が流れる。


  風菜がいるていでやって来たみずきだったが、まさかの息吹と二人きりという状況に、しばらく黙り込んでしまった。


 つい先程、拳で語り合い、共に泣きあった熱い仲であったはずが、今更になってお互いどこか恥ずかしさを覚えだし、何を話せば良いのかわからないまま長い沈黙が続いた。



(……気不味い)



 しばらくすると、首元を掻きながら立ち尽くしていたみずきが、突然息吹の隣に座った。

 その行動に少し驚きを見せた息吹だったが、意を決して口を開いた。



「……ねえ、みずき、ボクは……」


「いや、いい」


「……はぁ?」


「あんたの話は聞き飽きちまったよ……」


「なっ……なんて態度だ!信じられない!ボクがせっかく気を遣って話しかけてやったっていうのに……みずき、お前って奴は……」



  怒りのあまりその場で立ち上がる息吹。

  それとは対照的に、みずきは落ち着いた表情で再び話し出した。



「息吹はもう十分話してくれた。誰にも知られたくない、思い出したくもない辛い過去を……だから、今度は私が話す番だ……」


「話すって何を……」



  少し困惑した表情を浮かべる息吹の目を、みずきはじっと見つめながら重い口を開いた。



「中学の時……いじめられてたんだ、私」


「え……」


  みずきの意外な一言に、息吹は思わず声を漏らした。

  冷たい風が辺りを吹き抜けていった。





―運命改変による世界終了まであと103日-


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