第15話 暗い過去を持ってる奴は大抵人気キャラになる



  チカチカと点滅する電信柱の街灯が、塀際に捨てられた白いゴミ袋をつやつやと照らしていた。


  ボクが家に着く頃には、辺りはすっかり暗くなってしまっていたようだ。

  アパートの階段をゆっくりと登ると、無雑作にポケットへ入れられた鍵を取り出し、分厚い我が家の扉を開いた。



「あ、おかえりお姉ちゃん!も〜、帰りが遅いから心配したよ……連絡ぐらいくれたっていいでしょ、普通」


「……ごめん」



  家に入ると、味噌汁のいい香りが鼻を掠めた。


  目の前でエプロンを身につけ、まるで母親のように調理台の前に立っているのはボクの弟、獅子留悠人(ししどめゆうと)だ。



「あ、今日風呂掃除の当番ボクじゃ……」


「ああ、僕が変わりにやっといたから気にしないで」


「……ごめん」


「姉弟なんだから、一々謝らない!そんなことより早く手洗いうがい済ませて席へ着く!ご飯冷めちゃうよ」


「……ごめん」



  相変わらず出来のいい弟だ。 昔はボクにベッタリだったのに、まさかこんなにしっかりした中学生に成長するとは……悠人のお陰で、ボクはいつも助かっている。

  ボクは手洗いうがいを済ませると、悠人と食事の並べられたテーブルを挟んで向かい合うように着席した。



「いただきます……」


「ちょっと待った!」



  軽く手を合わせ、すぐさま料理に箸を伸ばそうとするボクに、悠人が注意を促した。



「お姉ちゃん、いつものやつは?」


「……ねえ、そろそろアレやるのやめにしない?」


「ダーメ。食事前は必ず言うって、二人で決めたでしょ」


「……はぁ」


「はい、じゃあ手を合わせて……」



  ごく普通の家庭では、食事の前には”いただきます”と合唱するのが一般的だし自然なのだろう。だけど、我が家の食前挨拶は少し周りとは違っていた。



「じゃあ手を合わせて、いくよ、せーの……」



「「どんなに辛いことがあっても、前を向いて歩いて行けば必ず笑顔になれる……いただきます」」



「……よし、じゃあ食べようか」


「……うん」



  この長い台詞を二人同時に言うことで、ようやく我が家の食事が始まる。

  この習慣は、悠人と二人暮らしを始めた当時からずっと続いていた。


  何でそんな面倒な習慣があるのか?そもそもご両親はどうしたかって?……それを説明するには少しボクの過去を振り返る必要がある。




>>


  幼くしてボク達姉弟は母を亡くした。


  元々病弱な人らしく、悠人を産んですぐに還らぬ人となった。なので、お母さんとの思い出はもうほとんど覚えていない。


  そんな不幸な環境の中、男手一つでボク達を育ててくれたのが父さんだった。



  ボクの父、獅子留龍一郎(ししどめりゅういちろう)は当時、自分の子供達に不憫を掛けさせたくないという思いで必死に仕事と子育ての両立に打ち込んでいた。


  やがて、父さんは起業家としての頭角を現し、メキメキと成果を伸ばしていった。

  会社を立ち上げ、家族のために奮闘する父さんは、まさにボクにとって憧れの存在であり、同時にボクにとって最高の父親でもあった。



  だけど、そんな父さんを良く思わない連中も沢山いた。


  父さんの事業規模が大きくなればなる程、蠢く社会の闇はどんどんと過激な方向へ出るようになった。

 

  誹謗中傷、他企業からの圧迫、企業妨害紛いの行為、社内スパイ……などなど、父さんの目に余る才能に嫉妬した奴らの嫌がらせが後を絶たなかった。


  父さんの身に一体何が起こっているのか。当時、小学生だった頃のボクに理解することは困難だった。


  ただ、日に日に顔色を悪くする父さんを見て、ボクはいたたまれない気持ちになった。

  そんなボクの心配そうな表情に気がつくと、父さんは決まっていつも



「大丈夫、何も心配することはない」



  と言い、無理矢理な笑顔を見せながらボクの頭を撫でた。



  そんなある日、新しいプロジェクトの企画を進めていた父さんは、いつもより朝早く家を出ようとしていた。


  玄関で靴を履こうと腰を下ろす父さん。


  ドア窓からの光を浴びたあの時の父さんの背中は、今でもはっきりと覚えている。



「お父さん……ボクたち今日も留守番なの……?」


「息吹!?もう起きてたのか。まだ朝の……」


「お父さん」



  話を逸らそうとする父さんの目を、ボクは強く見つめていた。


  じっと見つめていると、しばらくして、父さんはため息をこぼし、遠い目をした言った。



「………ああ。ごめんな息吹、いつも遊んでやれなくて……」


「……いや、いいんだよ。仕事大変そうだし……いってらっしゃい」



  気落ちするボクの顔を見て、父さんは難しそうな顔で何かを考え始めた。

 

  そしてしばらくすると、突然、その場で勢いよく立ち上がった。



「……よし、今回プロジェクトが成功すれば少しの間だが暇が出来る。その時は息吹の行きたいところ何処でも連れてってやる!もちろん、悠人も一緒にな」


「……!!何処でもいいの!?」


「ああ、何処でも」



  父さんの言葉に、ボクは目をキラキラと輝かせた。


  久しぶりに父さんが一緒に遊んでくれる。あの時は本当に嬉しかった……本当に……。



「じゃあボク、ゲームセンターに行きたい!!」


「おいおい、よりによってゲームセンターか。動物園とか遊園地じゃなくて」


「ダメ……かな?」


「もちろんいいに決まってるだろ!今まで息吹が行ったことないような、どでかいゲームセンターに連れて行ってやる!」


「ほんと!?じゃあ、約束!」


「ああ、約束だ……」



  そう囁くような声で言うと、ドアを開け朝日が眩しく輝く外へと、父さんは家を後にした。


 

  そしてこれが、父さんとボクの最後の会話となった。




  朝日が眩しく輝くある朝の日、

 

  父さんは死んだ。




  交通事故による死亡。

 

  大型トラックの下敷きとなり、父さんの遺体は無残な姿に。

  父さんを轢き殺した大型トラックは、ガードレールをぶち破りそのまま川へと転落。ドライバーは死亡。


  父さんの持っていた鞄、新しいプロジェクトの資料やデータが詰まった大切な鞄も、川に流され紛失してしまったらしい。

 


  そして、この悲痛な事故の後、ボク達をさらなる絶望の淵に叩き込む、恐ろしい事態が発生した。


  まだ企画段階のはずだった父さん発案のプロジェクトが、どういうわけか『朝霧グループ』という企業の名の下、世間に発表された。


  これが意味する答えはあまりにも残酷すぎて、思い出しただけでも吐き気がする。


  後に、朝霧グループは大企業へと急成長を遂げた。父さんから盗んだモノを利用して……。

 

  それはもう生活していく上で、朝霧グループのロゴを見ない日はないという程までに至った。


  もちろん、これに納得のいかない父さんの仲間達はすぐに朝霧グループを裁判所へ告訴し、この事件は一度は波紋を起こす事となった。

  しかし、地に根を伸ばしていた連中の計画的かつ巧妙な犯行は、すでにボク達の想像を遥かに超えた深みにまで達していた。


  結局、証拠不十分により父さんはただの事故死とされ、事件は永久に闇へと葬られた……。

 

  そして、父さんが必死の思いで立ち上げた会社も、龍一郎を失いみるみるうちに衰退していき、そのまま朝霧グループに吸収される形となった。



  ボクはこの現実に必死で抗った。


  呪われた運命にもがき苦しみながら、あらゆる人に縋る思いで助けを求めた。が、誰もボクに答えてはくれなかった。

  所詮ちっぽけな存在であったボクは何も出来なかった。どうする事も出来なかった。


  悲しかった。


  苦しかった。


  悔しかった。


  母を亡くし、父を殺された自分の運命を呪った。そんな運命を与えた神様を呪った。


  いろんな感情が頭の中を駆け回り、一度は消えてなくなろうとも考えた。

  だけど、ボクにそんな選択は許されなかったんだ。



「お姉ちゃん……」


「……悠人」



  泣き叫ぶボクの後ろで、3歳下の弟が背中をくいくいと引っ張った。

 

  今にも涙が溢れ出しそうな表情で、ボクを慰めようとしていた。


  その姿にボクの胸が強く痛んだ。

 

  と同時に、残された唯一の家族である弟を、今まで以上にとても愛おしく感じた。

  気がつくと、手が自然と悠人の肩を抱き寄せていた。

 


「……どんなに辛いことがあっても、前を向いて歩けば……必ず笑顔になれる……。大丈夫だよ、お姉ちゃんが守ってあげるから……何があっても、悠人を一人ぼっちになんてさせないから……だから……」



  そこまで言うと、ボクは悠人を抱いたまま泣き崩れた。




  ”どんなに辛いことがあっても、前を向いて歩けば必ず笑顔になれる”




  悠人を抱き寄せた時、この言葉が自然と頭の中に浮かんだ。

  昔、何処かで聞いたような気がするこの言葉。

 

  口にするたびに、今でもぼんやりと記憶が遠退くのを感じる。


  遠い記憶の、大切なこの言葉は、今でも僕たち姉弟の心の支えとなり、胸の内で静かに生き続けていた。




>>


  遠い記憶を思い出し、ボクは食べる箸を止めた。



「……お姉ちゃん?」



  ボーっと遠くを眺めるボクの姿を、悠人は不思議そうに見つめた。



  ボクはあの時は、悠人を守ると誓った。


  だけど、ダメなボクとは違い、悠人はしっかりとした人間に着々と成長していった。


  親戚からの新しい家族になろうという誘いを断り、父さんが残したこの家で二人暮らしを始めようと言い出したのもボクだ。

  だけど、ボクはいつも悠人に甘えて、いつの間にか面倒を見られる側になってしまっていた。


  何か自分に出来る事はないか、ずっと探していた。



  そして今、手に入れたんだ、この力を。


  この力で悠人を幸せにしてあげられるとしたら……



  解き放とう、悠人を、そしてボク自身を、この呪われた運命に終止符を打とう。




「……ごちそうさま」


「え、もういいの?大丈夫?食欲ないの?」


「まあ、そんなとこ」



  ボクは席から立ち上がると、フラフラと自分の部屋へと向かった。



「……悠人」


「んっ、何?」


「明日……ちょっと早く家出るから」


「またゲームセンター?ダメだよ、そんな生活ばっかりしてたら」


「……ああ」


「……今日のお姉ちゃん、なんか変じゃない?」



  いつもとは違うボクの異変に気付き、悠人は心配そうにこちらを見つめてきた。

  そんな悠人を見て、ボクは薄っすらと笑いながらこう答えた。




「大丈夫、何も心配することはない」


 


  そう言い残し、食卓を後にした。




  翌日、『朝霧グループ 神奈川支部』のオフィスビルが大規模な爆破テロを受けたとの報道が全国に流された。





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