Chapter18 この手をあなたに伸ばすから

 二人は街中を歩いて情報を集めた。幸いなことに昨晩は人通りが多く、燕尾服を着た長身の男の行き先はすぐに判明した。

 二人は大豪邸の門の前に立つと、門番のロボットに話しかける。

「昨晩、ここにキアロというアンドロイドが来たはずだ。そいつに会わせてほしい」

 ロボットは数秒の間どこかと連絡を取ると、リアンに告げる。

「申し訳ありませんが、キアロ本人が面会を謝絶しております」

「じゃあ、ここのロボットコレクターに会わせてほしい。俺はキアロの身体を作ったロボットエンジニアで、こちらはキアロのオーナーだ」

 すると今度は中へ通してもらえたので、二人は門をくぐって庭園の中を歩く。

「ステラ。もしキアロが、どうしてもここに残りたい、って言ったらどうする?」

 ステラの前に立ち止まって、リアンは問いかける。少女は少し考え込んで、それから優しく微笑んだ。

「キアロが望まないのなら諦める。だって、キアロに嫌われたくはないもの」

 リアンは困ったように笑って、ステラの肩を叩いた。

「わかった。でも、無理矢理そんな顔しないで」

 彼はステラの手を引いて、また歩き始めた。

「そんな顔されちゃったらなあ」

 リアンは誰にも聞こえない声で呟くのだった。


 富豪の待つ部屋の前に立つと、ロボットたちが大きな扉を開いてくれた。

「君たちが、キアロの言っていたオーナーとロボットエンジニアだね」

 リアンもステラも、自分たちの目の前に座っているのが少年だったことに目を丸くする。挨拶の言葉が出ないステラに代わり、リアンが一歩前に出た。

「俺はキアロの身体を作ったロボットエンジニアのリアン。こちらはヴァイスハイト家の御令嬢、ステラだ」

 二人が礼をすると、少年は両手を広げた。

「ようこそ我が屋敷へ。僕はロボットコレクターでこの家のオーナー、ヘンリー=マクファーレンだ」

 両者の自己紹介が終わったところで、ステラが話を切り出す。

「突然お伺いしてすみません。ヘンリー様にお願いがあって参りました」

 ごくりと唾をのんだステラの背中を、リアンが支える。

「キアロに、会わせていただけないでしょうか」

 富豪、もといステラと同い年くらいの少年は、不敵な笑みを浮かべて彼女の言葉をはねつけた。

「それは許可できないな」

 しかしステラも負けじと食い下がる。

「少しの間だけ、たった五分だけでも構いません」

 少年はいかにも困ったように眉をひそめた。

「君には悪いけれど、それはできない相談だ。キアロは僕と契約してここで働いている。万が一君たちに契約を打ち切られでもしたら困るんだよ」

 そして怪しげに口角を上げると、ステラを小馬鹿にしたように見つめる。

「キアロは渡さないよ。だって、君はキアロを裏切ったんだから」

 ステラは身に覚えがない言葉に首を傾げる。

「『裏切った』?」

 リアンはステラの肩を抱きながら、自分より一回りは年下であろう少年を睨みつける。

「何が言いたい?」

 富豪はリアンの視線など意に介さない様子で続ける。

「キアロは、その男が君の宇宙船に来てからおかしくなったのではないかな?」

「そんな、リアンのせいなんかじゃないわ!」

 ステラは隣のリアンを見上げてから、向かいの少年に向き直った。

「そうかな? 君がその男とばかり仲良くするから、きっとキアロは自分が用済みだって気付いたんだよ」

 リアンは嫌な空気を感じ取り、肩を抱く手に力を込めた。

「だから君の前から消えた! 信頼していたオーナーに裏切られたから!」

 少年の言葉に、ステラは口を開けたまま動けなくなってしまう。

「そんな、裏切っただなんて……」

「しっかりしろ、ステラ」

 放心状態の彼女には、リアンの声は届いていない。彼女は口に手を当てて目を泳がせていた。

「だって、話し相手が増えたことが嬉しくて。外を一緒に歩いて、寄り道をすることが楽しくて」

 ――でも。その間、キアロは独りだった? 彼はたった独り、宇宙船で私の帰りを待っていた?

「私、キアロだから大丈夫だって、わかってくれるはずだって思ってた……」

 ステラは頭を抱え込んでしまう。見かねたリアンが珍しく声を荒げた。

「違う! キアロは、ステラを責める気なんてなかった。あいつはいつだって、ステラのためを思って」

「いいのよ、リアン」

 ステラに袖を引かれ、リアンは言葉をのんだ。

「ヘンリー様、あなたの言う通りかもしれません。私は、キアロのことをきちんと理解していなかった」

 少年は罠にかかった獲物を見るような目つきで笑う。

「そうだよ。だから君は」

 しかし彼をまっすぐに見据える瞳は、まだ希望を捨ててなどいなかった。

「でも、向き合うことはできます。しっかりと向き合っていれば、キアロの気持ちを感じ取れたのかもしれない」

 これには、さすがの少年も言葉を失った。

「もしかしたら、キアロは二度と私になんか会いたくないと思っているかもしれません。でも、それが真実ならそれでいいんです」

 すべての音が消え、静寂がステラの言葉を待っている。

「私は、いつまでも彼の本心と向き合うことから逃げて、キアロの気持ちを意味のないものにしたくはない!」

 ――聞いたかよ、キアロ。

 リアンは心の中でアンドロイドに呼びかける。

 ――ステラは、お前なんかよりもずっと。本当に、強い子だよ。

「キアロは、私から離れていってしまいました。それほど私は彼を傷つけた。それをなかったことにするなんて、私にはできません」

 そして、ステラは悲しげに微笑んだ。

「本当に大切に思っているなら、その人のどんなことからも目を背けてはいけないのです……」

 いよいよ返答に窮したのか、少年は二人を指差してロボットたちに大声で命じた。

「あいつらを追い出せ!」

 広い部屋のありとあらゆる扉から、大小様々なロボットたちがぞろぞろと出てくる。

 リアンはステラを後ろ手にかばいながら、肩をすくめた。

「やれやれ。お次は人海戦術ですか」

 そんな中、一台の人型ロボットが少年の腕を引く。

「ヘンリー様。いけません、こんなこと」

 すると少年は感情のない瞳でそのロボットを見つめて、周囲のロボットたちに命じた。

「こいつを処分しろ」

 何台かのロボットが一斉に飛びかかり、辺りにすさまじい機械音が響く。

「ステラ、見るな」

 その光景に、リアンは思わず少女の頭を自分の肩に押し付けた。

 機械音が止み、青年の肩から解放されたステラは、ぼろぼろと大粒の涙を流している。

「ひどい。彼らにだって、心があるのに」

 彼女の涙ながらの訴えを、少年は鼻であしらった。

「ひどい、だって? ロボットはオーナーの思うがまま。それがロボットの宿命だろう」

「違います!」

 ステラは涙声のまま反論する。

「そんな一方的な関係だけじゃない。機械に救われることだってあります。心から大切に思っている人だっているんです!」

 ふと、リアンは無意識に近くの柱へと目をやった。そしてその柱の陰から、見慣れた燕尾服の裾が見えていることに気付く。

「キアロ!」

 彼はステラをかばったまま、アンドロイドに声をかけた。しかし相手はそこに立ったまま、一歩も動かない。それでも彼は声をかけ続ける。

「ステラはお前と向き合おうとしているのに。お前は本当にそれでいいのか? お前の思いもステラの思いも伝わらないままで、本当に彼女が幸せになれると思うのか?」

 迫り来るロボットたちを払いのけて、リアンは声を張り上げる。

「お前の罪も、苦悩も、嘆きも、悲しみも。一つも無駄になんかしなくていい!」


 その声は、確かに。

 人間のものではない〝心〟を、揺さぶったのだった。


 黒い風が吹き抜けて、リアンとステラの前に立ちふさがっていた無数のロボットたちがなぎ倒されていく。

「オーナーを悲しませるなんて。私は、『機械』としてはもう不良品ですね」

 黒い影は、椅子に座る少年を見据えて言う。

「不良品ついでに、御主人との契約も命令も打ち切らせていただきます」

 少年は慌ててロボットたちを止めた。

「どういうつもりだ、キアロ」

 額から冷や汗を流している少年に、アンドロイドはしれっと言葉を返す。

「どういうつもり、も何も。たった今申し上げた通りですが」

 そして彼は、背後に立っていたステラに向き直った。

「オーナー……」

 キアロは少しの間表情を緩めたが、またすぐに引き締まった顔で少女に声をかける。

「オーナー、私に〝命令〟してください。あなたの命令があれば、私は迷うことなくお側に戻ることができます」

 ステラは口を開こうとしてから、首を横に振って言葉を変えた。

「駄目よ、キアロ」

 悲しげに揺れる灰色の瞳を見つめて、少女は微笑む。

「家族には命令なんてしないのよ。だからね、これは私からの〝お願い〟」

 ステラは小さな両手でアンドロイドの冷たい左手を取って言う。

「キアロ。宇宙船に、帰ってきてくれる?」

 キアロの右腕が、彼女をしっかりと抱きしめた。

「仰せのままに……」

 彼の腕の中で、ステラはまた涙を流す。

「ごめんなさい。私、気付かないうちにあなたを傷つけてた」

「悪いのは私です、オーナー。私が、自分のことしか考えていなかったから」

 キアロは少女を離すと、彼女の両肩に手を添えて膝を折った。

「エアデールにあなたを任されてから、ずっと。最もあなたの近くにいるのは私だと、自負していました。幼くして天涯孤独になったあなたの心を癒すことも、私にしかできないことだと思っていました」

 そして視線はリアンへと向けられる。

「ところが、あの日リアンと出会い、あなたが新しい経験を重ねていく中で。私は、強い不安と焦燥に駆られたのです」

 視線をステラへと戻して、キアロは続ける。

「リアンと共に過ごしていく内、あなたは以前よりも楽しそうに笑うようになって。私の存在だけでは埋められなかったものがそこにあると、気付いてしまいました。だから、あなたのお側を離れようと思ったのです。私の存在意義が失われてしまったように感じたから」

 アンドロイドは痛々しい表情を浮かべる。

「本当は、リアンの人の好さに嫉妬していただけなのです。『機械』だということを言い訳にして、自分の弱さと向き合うことから逃げていただけなのです」

「キアロ」

 体温のない手を取って、ステラは話し始めた。

「私はね、自分の世界が広がることも、大切な友達ができたことも嬉しかった。でも、だからこそ、キアロは他の誰とも代えられないってわかったわ」

翡翠色の澄んだ瞳の中には、キアロの姿がしっかりと映り込んでいた。

「私、キアロのことが大好きよ。だから、これからも一緒にいてほしい」

 見開かれた灰色の瞳からは、大粒の涙がこぼれ落ちて。

「ずっと、お側にいます。私も、ステラのことを愛していますから」

 二人は涙目で笑い合ってから、同時にリアンを見上げた。しかし、彼は不機嫌そうにキアロを見つめている。

「ちょっと待った。俺、キアロから謝罪の言葉を聞いてないんですけど?」

 キアロは涙を拭うと、すぐにリアンに向かって頭を下げようとする。だが、それを右手で制してリアンは言う。

「俺はいい。それよりも、まずはそこに座っているお坊ちゃんだ」

「御主人。ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」

 事の顛末を黙って見届けていた少年は、きまり悪そうにそっぽを向く。

「そして、出動させられたロボットたちにも」

「すみません」

「最後に、ステラにもう一回ちゃんと謝りなさい」

 キアロはステラにも深々と頭を下げた。

「すみませんでした」

「ううん、こちらこそ」

 ステラは優しい微笑を浮かべると、リアンの方を指し示す。

「でも、一番謝るべきはリアンに対してだと思うの。だって、彼は私たちのために手を尽くしてくれたのよ。それに、『機械は家族になれない』という言葉に一番傷ついていたのは、他でもなく彼だもの」

 キアロは改めてリアンに頭を下げた。

「すみませんでした」

 しかし、当のリアンは困ったように手を横に振っている。

「いや、俺がキアロの精神状態を不安定にした引き金だから、俺も二人には頭が上がらないんだよ。ごめん、二人とも」

 二人は、とんでもない、というように首を横に振った。

「なあ、キアロ」

 リアンはアンドロイドを真剣な表情で見つめる。

「お前は、『機械』でいいんだよ。人間になれなくたっていいんだ。ステラにとっても、勿論俺にとっても。〝キアロ〟じゃなきゃ駄目なんだ」

 そして青年は、ふっと表情を緩めた。

「機械とか、人間とか、もうどうでもいいだろ。キアロがキアロでいてくれれば、俺たちはそれで充分だよ」

 キアロは強く頷くと、今度こそ青年に届くように言った。

「ありがとう、リアン」


 三人が部屋を出ていく様子を見送ってから、富豪はいくつかの壊れたロボットたちを眺めていた。

「すぐに処分致します」

 いつものように残骸を片付けようとした数台のロボットを、少年はその小さな右手で制した。

「いや、捨てなくていい。……こいつら、修理に出したら直るのか?」

「はい、直ると思いますが」

「じゃあ、修理に出しておいてくれ」

 ロボットたちは、不思議そうに少年を見上げ続けている。

「今日はそういう気分なんだ」

 するとロボットたちは、一様に〝喜〟の感情を表して言った。

「かしこまりました、ヘンリー様」

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