Chapter17
次の日。リアンは誰もいない部屋で一人、朝を迎えた。よく眠れないまま早朝のうちから朝食を作り、それをカウンターに並べて、ステラが目覚めるのを待つ。
部屋から出てきたステラはキアロの様子を気にしているようだったが、リアンは何も答えないまま彼女が食べ終わるのを見届けた。
「ステラ、キアロのことなんだけど」
彼が口を開いたのは、食後のティータイムのときだった。
「うん。何かあったの?」
何も知らないステラは、不安げに青年を見つめている。
「昨日の夜、キアロはこの宇宙船を出ていった。もう帰ってくるつもりはないらしい」
少女は一瞬すべての動作を停止した。が、すぐにぎこちない笑みを浮かべる。
「さっきから、そうじゃないかなって思っていたの」
その顔を見ているのが辛くなって、リアンは紅茶を口に含む。
「きっと、私に嫌気がさしたのね」
――そんなことない。
喉まで出た言葉を、紅茶で押し流した。
「キアロ、あれでも昔はよく笑う明るい人だったのに。私が歳を取るごとに、段々暗くなってしまって。十歳になった頃から、私のことを『オーナー』って呼ぶようになった」
『オーナー』という呼び名は、二人の間に人間と機械の溝を作る言葉だった。その言葉はステラを遠ざけると同時に、キアロ自身の感情を抑えていたのだろう。
「ステラは、キアロにもう一度会いたいとは思わないの?」
リアンはカップを置くと、彼女の顔を覗き込んで言った。
「会いたいに決まっているわ。だって、あんな別れ方は嫌だもの」
少女の表情が崩れて、今にも泣き出しそうになる。
「でも、キアロが私と離れることを望んでいるのだとしたら……」
つい最近耳にしたような、自分より相手を優先させる言い方。
――迷っている、のか。
リアンは人好きのする笑顔を作って話しかける。
「なあ。ステラは俺のこと、好き?」
場違いもはなはだしい質問に当惑しながらも、ステラは首を縦に振った。
「うん。リアンは大切な友達だから」
するとリアンは、真剣な顔でステラの瞳を覗き込んだ。
「じゃあ、キアロよりも?」
「えっ」
ステラは目を見開いてから、首を傾げる。
「キアロは大切な家族で……。二人とも大切だから、比べることなんてできないわ」
――当然だ。
キアロも自分も、彼女の中にはたった一人しか存在しない。
誰もが、誰かの代わりになんてなれるはずがないのに。
「じゃあさ」
二人の問答は、まだ終わらない。
「俺のために、キアロのことは諦めてくれないかな」
ステラはさすがに言葉を失っていた。
「これからは、俺がずっと一緒にいてあげるからさ。キアロがいなくても大丈夫だろ?」
リアンは悪い笑みを浮かべる。
「結局さ。『機械』は家族になんてなれない。人間の方がいいに決まってるよ」
小さな両手がカップを握りしめ、翡翠色の瞳には涙が溜まっていく。
「彼は人間じゃない。それでも、私の唯一の家族なんだから!」
リアンは笑うのをやめて、ステラの心に耳を傾けた。
「キアロが話しかけてくれるから、他愛のない会話が楽しいって知った。キアロがいてくれるから、夜ベッドに入るときも明日が楽しみになったの。キアロは、たった一人の家族だから……」
「なら、どうして迷うんだ?」
顔を上げたステラの瞳から、雫がこぼれ落ちる。
「ステラが思い悩む気持ちはよくわかるよ。キアロが余計なことを言ったせいもあるだろうし。……でもさ」
リアンの瞳は、驚くほど純粋な色をしていた。
「ステラの『キアロに会いたい』って気持ち。『離れたくない』って気持ち。その思いは、どこに行けばいいんだ?」
互いに自分の思いを押し殺したまま、新たな幸せを掴めるとは思えない。
「でも、自信がないの」
ステラは再び俯いてしまう。
「キアロが、私になんか会いたくないって思っていたら? もし、嫌われてしまったら? 私は、彼の本心を知るのが怖い……」
リアンは彼女の瞳を覗き込むと、優しく微笑みかけた。
「信じてあげなよ。〝家族〟なんだろ?」
寂しそうな瞳が、小豆色の瞳に不安のサインを送る。
「本当にキアロが家族だと思うなら。相手を思う自分の気持ちと、今まで一緒に過ごしてきた相手の気持ちを信じてみなよ」
リアンは立ち上がって彼女の肩に手を置いた。
「実を言うとさ。俺、あいつのこと許せないんだよね。ロボットの両親しかいない俺に向かって、堂々と『機械は家族になれない』とか言いやがって。少しは俺やステラの気持ちだって考えろよ!」
不思議そうに見上げるステラに向けて、握りこぶしを作ってみせる。
「俺にとって、ロボットは家族なんだ。どんなに冷たい体をしていても、人間と違う考え方があったって、家族なんだよ」
ステラは強く頷くと、やっと心から微笑むことができた。
「リアン、お願い。私をキアロのところへ連れていって」
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