Chapter15 この手はあなたを救えない

 宇宙船を降りると、キアロは最後に見たのと全く同じ場所、同じ姿勢で固まっていた。

「馬鹿だなあ、お前」

 リアンは込み上げてくる怒りを抑え、極めて明るい声色を作った。

「ステラの気持ちはよくわかるし、勿論キアロの気持ちもわかるけどさ」

 微動だにしないアンドロイドの肩に、優しく手を置く。

「あの言い方はないよな」

 体温のないキアロの体は、寒空のせいで芯まで冷え切っていた。

「……オーナー、傷ついていましたか?」

 聞き取るのが難しいくらいの声量でキアロは呟く。リアンは鼻から息を抜いて答えた。

「自覚があるなら、自重しなさい」

 責めるような口調で言いつつも、軽く背中を叩いてやる。

「『機械』であるのにもかかわらず、オーナーに当たってしまいました」

 キアロはどうやら、自戒の念に苛まれて身動きが取れなくなっているらしい。

「機械は、人間の役に立ってこそ存在意義があるというのに。私は機械失格です」

 リアンはわざとらしく溜息をつくと、困ったように笑った。

「お前さあ。そういう無意識な言動がステラを傷つけてる、ってわかってんの?」

 アンドロイドはじとついた瞳で青年を見る。リアンは彼から目を背けて夕焼け空を見上げた。

「機械だからなんとか、って言うけどさ。それはキアロの独りよがりだろ。ステラにとって、キアロは人間と同じ。それじゃ納得できないのか?」

 もう一度キアロに視線を向けるが、相手は地面を見つめていた。

「気付いてしまったのです。『機械』では、埋められないものがあると」

 リアンは口を開くのをやめ、黙って彼の話を聞いてみることにした。

「お側にいることで、少しでも彼女の寂しさを埋められたら。今までずっと、そう思ってきたのですが」

 柔らかな声色とは裏腹に、キアロは冷厳な言葉を並べる。

「どれだけお側にいても、私だけでは埋められない。だからこそ彼女は、いつまでも機械に頼るべきではないのです。彼女は『人間』だから。私たち『機械』とは違うから」

 私〝たち〟。その言葉が、妙にリアンの心に引っかかった。

 だが、それだけではない。キアロが発した言葉全体が、何故だろうか、まだ彼の心髄まで表していないように思えたのである。

「キアロ。本当に、それだけか?」

 アンドロイドは、まばたきをしてリアンを見つめる。

「何回言わせる気だよ。俺には、普段言えないことをぶつけていいんだ」

 リアンはアンドロイドの正面に立つと、よし来い、と両手を広げてみせた。

 キアロは強く目を閉じて、両手に力を込める。そして目を見開くと、青年を真正面から睨み付けて言った。

「依存しているのは彼女ではなく、私の方だ」

 敬意が取り払われたその言葉を、リアンは無言で受け止めている。

「私がいなければ、ステラは何もできない。そう自分に言い聞かせてきた。そうしていないと、自分の存在意義がなくなる気がして」

 そこまで言い終えると、キアロは苦痛に顔を歪めた。

「私にとっては、彼女がすべて。しかし、私は彼女の〝すべて〟にはなれない」

 ――それが、どんなに身勝手な言い分だとわかっていても。

「そんな当然のことに、どうして今更……」

 かすれゆく声の中、辛うじて聞き取れたのは。

「こんなことなら、心なんてもたなければよかった」

 次の瞬間、リアンは自分の目を疑った。

 キアロの目から、大粒の涙がこぼれ落ちたのだ。

 これには当の本人も目尻を拭って目を丸くしていた。が、またすぐに肩を落としてしまう。

「リアン。私の〝罪〟を、聞いていただけますか」

 青年は胸を叩いてみせる。

「勿論。俺でよければ」

 夕月夜の下、二人の男は宇宙船に体を預けて空を見上げた。

「私は、創造主――エアデール=ヴァイスハイトを、そしてその配偶者を殺しました」

 強い北風が吹き抜けて、キアロの燕尾服の裾を引く。

「私がエアデールを尊敬するのは、彼の高い技術力ばかりではありません。彼は虫も殺さないような、慈悲深い男だったのです。機械に対してもそれは例外ではなく、彼は自分が生み出した人工知能に深い慈愛を抱いていました」

 キアロは遠い昔を懐かしんでいるのか、夕闇に浮かぶ淡い月を眺めて柔らかく微笑んでいた。

「だからこそ彼は、私――精巧な心をもつ人工知能を生み出した後、自分の行いをひどく後悔した」

 不意に、リアンは自分の方へ視線が向いたのを感じて、そちらへ顔を向けた。

「リアン。オーナーを亡くした人工知能がどうなるか、知っていますか?」

 アンドロイドの美しいドールアイは、闇をたたえていて。

「創造主は、私たちの未来を憂えたのです。人工知能を生み出すことは、人間を生み出すことと同じ。その上、私たちはオーナーを失っても、永遠に死ぬことはない」

 リアンが見上げた月は、紅く染まった雲に覆われていく。

「優れたエンジニアが存在する限り、人工知能はその命を長らえて苦しみ続けるでしょう。二度とは帰ってこない、大切なオーナーの面影を追いながら」

 青年は、呼吸のないアンドロイドの代わりに白い溜息を吐く。

「それが、キアロが前に言っていた、『心をもつロボットを作ること』の罪なんだな」

 アンドロイドは強く頷くと、そのまま自分の足元を見つめた。

「エアデールは、生涯苦しみ続けました。心を病んでしまった彼にはもう私の言葉など届かず、それどころか、彼は私の姿を目にする度に涙を流して謝罪するようになってしまった――」


「――すまない、キアロ」

「どうして謝るのですか。私は、この世に生をうけたことを後悔なんてしていません。あなたがくれた命ですから。この先どんなに苦しもうと、それでも、生まれたことを悔やむはずがありません」

「すまない。本当にすまない――」


 キアロは自分の胸ぐらを強く掴むと、苦しそうに目を閉じる。

「そして、最悪の事態は訪れてしまった。もうすぐ地球に氷期が来ることを知った彼は、決意してしまったのです。私と愛娘のステラ、そして愛する妻を宇宙へと避難させ、自分は凍った地球で息絶えようと」

 急に外気が冷たく感じられて、リアンは身震いをした。

「私は必死になって説得しました。でも、彼の心を変えることはできなかった――」


「――エアデール、どうか思い止まってください! 私が生をうけたことが罪だと仰るのならば、私はこの永遠の命を以てその罪を償いましょう。いや、あなたが救われるのならば、この命を捨て去ることも惜しくはない。設計図ごと、跡形もなく消されてしまっても構いません。

 エアデール、私はただの『機械』です。それを忘れないでください。私の命など、人間の命に比べれば大した価値もありません。

 だから、だからどうか。あなたは生き長らえて――」


「最終的には、御夫人も地球に残ることを決めてしまい。私はエアデールの〝命令〟に従う他なく、二人を見殺しにして宇宙船を発射させました。それが彼のためになるのだと信じて。まだ三歳になったばかりのステラを任され、何に代えても彼女を守ると誓って」

 リアンは、空を見上げ続ける。

 宵闇が紅を飲み込んでいき、月も星も黒い雲に隠れて二人の様子を見守っている。

「最初は、ただの機械としてステラに接するつもりでした」

 今まで苦悩に満ちていたキアロの顔に、微笑みが浮かぶ。

「しかし、彼女は成長していくにつれて目鼻立ちが父親に近付き、さらに『機械は人間と同じ』、『あなたは私の家族』だと言うものですから……」

 ステラに受け継がれた創造主の面影は、キアロの傷跡を深くえぐると同時に、固く凍りついた彼の心を溶かしていった。

「私が犯した罪は、許されてもいいのだと。私は人間と同じように、彼女の家族になれるのだと。そんな勘違いをしてしまいました」

 そして、彼はまた傷ついた。自分だけでは少女を満たせないと、気付いてしまったから。

「リアン。最後に一つだけ、頼みがあります」

 青年は一度頷いてから、意味深な言葉に首を傾げる。

「『最後』?」

 彼の疑問には一言も触れずに、キアロは話を続ける。

「あなたになら、私にないものも埋められる。だから、オーナーをよろしくお願いします」

 丁寧に頭を下げた後、背を向けて歩いていくキアロの腕をリアンが掴む。

「何言ってるんだよ。お前、何に代えてもステラを守るって誓ったんじゃないのか?」

「だからこそ、私はあなたに頼んでいるのです」

 月光も届かない宵闇の中、リアンにはキアロの表情が読めなかった。

「それ、責任放棄って言わないか」

 アンドロイドは背を向けたまま、青年の手を払いのけた。

「向き合えなかったのは、私の弱さです」

 低い声色が、重く言葉を紡いでいく。

「それでも、これが互いにとって最も良い決論なのだと思います」

 リアンは怒鳴りたいのをこらえ、もう一度左手を伸ばす。

「キアロ。機械でも、俺たちにとっては家族なんだよ」

 しかしその手はわずかに届かず、空を切った。

「機械が家族になれる、だなんて。そんなものは、幻想です」

 黒の燕尾服は闇に溶けてしまった。

 リアンはその場に立ち尽くし、言葉にならない声を上げて頭を抱える。

 地面に落ちて割れた眼鏡を見つけて、小さく舌打ちをした。

「何なんだよ、あいつ……!」

 リアンは初めて抱くやるせない思いを、晴らす術も知らないまま押し殺すのだった。

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