Chapter13

 時刻は昼を過ぎた頃。コンクリート壁で全面を覆われた巨大な研究施設の前に、三人は立っていた。

「ここが、リアンの家なのね」

 〝家〟という言葉の響きからは程遠い無機質な建物を眺めて、ステラはキアロの左手を握る力を強めた。

「まあ、正しくはここの地下なんだけどね」

 リアンはおじける様子もなく自動ドアをくぐる。

「二人も入ってきな。大丈夫、どうせ無人だからさ」

 キアロは小さく頷くと、ステラの右手を引いて足を踏み入れた。

 自分たちの足音だけが響く廊下を進み、階段を下りていく。リアンの言う通り人の気配はどこにもなく、目に入るどの部屋にも機械が並ぶだけである。ここで生まれ育ったリアンや妙に落ち着き払っているキアロならともかく、ステラが怖がるのは当然だった。ただでさえ寒い研究所なのに、ステラは心まで冷えていくような気がした。

「俺の部屋はこの先だよ」

 地下二階にある扉を開いて、リアンは手招きをする。

 どんなに暗い世界が広がっているのかと恐る恐る足を踏み入れたステラだったが、予想に反してそこは明るかった。クリーム色の壁に囲まれ、暖色の照明に包まれて、柔らかい空気が広がっている。

「ただいまー」

 リアンが声をかけると、部屋の奥から二体の人型ロボットが顔を出した。

 先に出てきた赤いロボットはリアンに声をかけた後、すぐにステラとキアロの元へやってきて挨拶をした。

 しかしロボットが話していたのは英語だったので、首を傾げているステラのためにキアロが通訳をする。

「彼女はリアンの母親で、教育ロボットのメールさんだそうです」

 後から来た青いロボットと会話していたリアンが、英語でメールに声をかける。

「母さん、そのお嬢さんはドイツ語しか話さないんだよ」

 すると二体のロボットは、流暢にドイツ語を話し始めた。

「はじめまして。わたしはメール、リアンの母親です。あなたの名前は?」

 ようやく言葉を理解できるようになったステラも、同じように自己紹介をする。

「私はステラ、リアンの友達です。そしてこちらは兄のキアロです」

 青いロボットも二人の元へやってきて、メールよりも低い声色で挨拶をする。

「わたしは教育ロボットのパドレです。リアンの父親をしています。今日は、リアンの友人に会えてとても嬉しく思っています。何もないところですが、ゆっくりしていってください」

 そしてリアンも話に加わった。

「俺は生まれてから十八になるまで、この二人に育ててもらったんだ」

 彼の言葉を聞いていたメールは、声のトーンを上げて言う。

「リアンはわたしたちの息子なのよ。でも、彼はわたしたちと違う。『ニンゲン』なの」

 その言葉に、リアンは小さく溜息をついた。

「母さん、もうその話はやめよう」

 息子の忠告をきれいに無視して、メールはキアロを見つめる。

「あら? キアロさん、あなたは」

 見られている方は眼鏡を直して居心地が悪そうにしていたが。

「あなたも、ニンゲンじゃないのね」

 先程から口数が少なかったキアロは、さらにその動作まで止めてしまった。

「わたしたちと同じ、ロボットだわ」

 ステラはキアロの異変に気付くことなく、楽しそうに質問する。

「あなたたちには、キアロがロボットだとどうしてわかるの?」

「あら、そんなの簡単よ。だって、体温が全然違うもの」

 ――それはつまり。

 キアロは思考の末、一つの結論を導き出した。

 ステラは何も感付くことなく、メールとおしゃべりを続ける。

「キアロは私の大切な家族なのよ。リアンにとってのあなたたちと一緒ね」

 近くにいたリアンが、ようやくキアロの異変に気付いて声をかけた。

「キアロ? おい、どうした」

 アンドロイドは微動だにしない。パドレも心配して彼の不具合を探してみたが、キアロの身体は正常に動いているようだとリアンに伝えた。

 ――身体じゃないとしたら、あとは。

 リアンは父親に女性二人のことを頼むと、キアロだけを扉の外に連れ出した。

「毒気に当てられたか」

 精巧に作り込まれた顔を覗き込んで、リアンは母親への皮肉交じりに言う。

「ごめんな。母さんは悪気があるわけじゃないんだけど、他人の気持ちを顧みないときがあって。俺も昔はよく何気ない言動に傷つけられたよ」

 リアンがあまりに痛々しい表情をするので、キアロはやっと口を開いた。

「いえ。悪いのはリアンでも、お母様でもありません」

 キアロの自虐的な表情に、青年は溜息をついて冷たい床に腰を下ろす。

「俺も、ここに来たら嫌なこと思い出しちゃってさ」

 そう言うと、彼は眉を下げたまま、無理矢理口角を上げて笑顔を作った。

「氷期のとき、ここ、信じられないくらい寒かったんだ」

 四年前。十八歳の誕生日に、青年は両親から『部屋の外の世界』の存在を教えられた。それまで彼にとっては部屋の中だけが世界のすべてであったから、物語の中にしか存在しないと思っていた世界が実際にあると知って、彼は驚愕した。そして同時に、抑えようのない好奇心が沸き上がったのだ。

 一体、どんな世界が広がっているのか。好奇心にせき立てられて重い扉を開いた彼は、部屋の外に伸びる薄暗く冷たい廊下を目の当たりにして、途方もない恐怖と孤独に心を支配された。

「うわ、思い出しただけで鳥肌が」

 キアロが心配してリアンの背をさすると、彼はどうにか微笑んだ。

「大丈夫、今は独りじゃない。ステラもキアロもいる。だから怖くないよ」

 その言葉は、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。

 黙って話を聞いていたキアロは、重い口を開く。

「どうして、孤独を感じたのですか。あなたには『両親』がいたのに」

 うーん、と唸ってリアンは答えを探しあぐねている。

 その顔から一瞬も目をそらすことなく、キアロは彼の答えを待った。

「どうしてだろう。でも、多分」

 リアンは自分の左手を見つめる。

「冷たかったから、だと思う。自分と違って、両親には体温がなくて冷え切っていたから。俺の世界で温かいのは自分だけ、って思ったのかな」

 キアロも自分の手を見つめていた。彼の体にもまた、体温は存在しない。

「だからこそ、初めて研究所を抜け出したときは本当に心臓が止まるかと思ったよ。外界はやっと氷期が明けて春が来たばかりでさ。暖かくて、見たこともない色にあふれていて、自分と違う生き物が動いていて。ああ、これが世界なんだ、って思った」

 明るい表情で青年は立ち上がる。

「それから色々な文献で知識を手に入れて、どうやらこの世界には自分と同じ姿をした『ニンゲン』が星の数ほどいるらしい、と知った。だから、俺は決めたんだ。今まで会えなかった世界中の人間に会って、ついでにロボットに恩返しをして回ろう、って。それが今の俺になった」

 リアンの過去を聞いて表情を硬くしているキアロに気付き、リアンは笑い声を上げた。

「そんな湿っぽい顔するなよ。過去は過去、今は今だ。今、俺は普通の人間として生きていられる。それだけで十分さ」

 キアロは感心したように呟いた。

「リアン。あなたは、本当に強い人ですね」

 その視線を真正面から受けて、リアンは笑みを浮かべている。

「強かったわけじゃない。強く、なったんだよ」

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