Chapter11

 水曜日の朝。リアンは前日まで死にかけていたのが嘘のように清々しい笑顔で、宇宙船内の飾りつけを手伝っている。

 キアロの部屋にはステラが作った壁飾りが取り付けられ、いかにもパーティーらしい色とりどりの装飾がなされている。

 キアロは何度か二人の突飛な行動の理由を問うたのだが、笑みを返されるだけで答えは一向に返ってこなかった。

 一通り準備が終わったところで、リアンは昨日持ち帰った木箱をキアロの前に運んでくる。そしてステラに視線で合図を送り、せーの、と声をかけた。

「「キアロ、お誕生日おめでとう!」」

 二人はポケットに隠し持っていたクラッカーを画面に向け、軽い破裂音と共にテープを発射した。

「そうか」

 ようやく状況を把握したキアロは、噛みしめるように呟く。

「今日は、創造主が〝私〟を完成させた日」

 人工知能は部屋を見渡して、二人に視線を止める。

「これ、すべて私のために?」

「驚くのはまだ早い!」

 リアンは楽しそうに口角を上げると、木箱を開いて見せた。

 中には人間の男性が一人、穏やかな表情で眠っている。きめ細かな白い肌に、美しく切り揃えられた黒の短髪、すっと通った鼻筋。モデル体型に、黒の燕尾服を着ている。

 呼吸がないことが不自然に思えるほど、〝彼〟は美しかった。

「これは、俺たちからの誕生日プレゼントだ」

 キアロは言葉もなく、画面内で自分の顔や腕を触っている。木箱の中に眠っている男は、明らかに自分と似ていた。

「すると、リアンは私のせいで」

 メインコンピュータと器にコードを繋いで、リアンは微笑む。

「人間は、情にもろいんだよ」

 器にあるスイッチを入れると、いよいよコピー作業が始まった。青年は一抹の不安を抱えながらも作業を見守る。

「頼むよ、キアロ。俺の器でうまく作動してくれ……」

 リアンは何千通りのプログラムを解析して、キアロの〝心〟の正体を突き止めた。膨大な量の知識と経験を積み上げた先に生まれる思考。それこそが〝キアロ〟だった。

 キアロは元から高尚な思考をもった人工知能だったのではなく、人間と共に生活していく中でいくつもの思考を生み出し、矛盾し、葛藤があり、現在の複雑に絡み合った〝心〟を得た。

 しかしその原理が判明したところで、キアロの器を作るのは容易ではない。同じデータをコピーするだけでは、ただクローンを生み出すだけになってしまうからだ。リアンの目的はクローンを作ることではなく、キアロ本人を器に移すことなのだ。

 そこでリアンは、二つの媒体が同時に記憶を共有できるように器を調整していった。どんな姿であってもキアロが一人しか存在しないように作るのは、至難の業だった。

「リアン」

 青年の強張った表情を眺めていたキアロは、穏やかな声色で話しかける。

 今まで彼の厳しい声色に慣れていたリアンは、耳にした柔らかな声色に思わず振り向く。

 そして、はっと息を止めた。

 画面内の男は、普段の真顔からは想像もつかないような天使の微笑を浮かべていて。

「心配することはありません」

 一番不安なのは、他でもなく本人であるのにもかかわらず。

「私は、怖くなんかありませんよ。あなたの腕を信じていますから」

 リアンは自分の顔の前で、両手を強く握る。すると、小さな両手がその上に添えられた。

 キアロは、自分も手を重ねたような気分で続ける。

「自信をもちなさい、リアン。あなたは、他ならぬ私が認めたロボットエンジニアです」

 やがて作業は完了して、画面の電源が落ちた。リアンとステラは、一目散にキアロの器へと駆け寄る。

 永遠にも思える長い静寂の中、キアロはそのまぶたを開いた。

輝くように美しい灰色のドールアイが最初にとらえたものは、手を取って笑い合う二人の姿。

「キアロ!」

 先に抱きついたのはステラだった。続いて、リアンが体温のない手を強く握る。

「信じてくれて、ありがとう」

「当然でしょう」

 涙腺が緩んでいたリアンに向けられたのは、聞き慣れた厳しい響きで。

「重要な作業なのですから、むやみに疑って失敗されても困ります」

 これには部屋中に広がっていた感動の空気もどこかへ飛び去り、リアンもステラも声を上げて笑った。

「やっぱり、キアロはこうじゃなくちゃな」

 キアロはしばしの間二人を真顔で見つめていたが、やがて口角を上げると上半身を起こした。二人が体から離れると、彼は腕を上げたり手を握ってみたりして感覚を確かめる。

「これが、身体を持つということ……」

 そしてその両手で、頭の上から足の先までくまなく形を確かめていく。

 器は人形のものとは思えないほど柔らかい肌に覆われ、かつなめらかに動く。肌の弾力を確かめようと自分で頬をつねったキアロは、思わず顔を歪めて手を離した。

「『痛い』?」

 疑問形になったのは、それが初めての感覚だったからだ。

 黙って見守っていたリアンは、キアロの左手をとって自分の首に押し当てた。

「キアロ、これは?」

「『温かい』、です」

 正解、と言ってリアンは笑う。

「じゃあ、これは?」

 ステラはキアロの右手に、リアンの工具を握らせた。

「『冷たい』、ですね。そして同時に『硬い』」

 少女は幸せそうに目を細めると、青年を見上げる。

「すごいのね、リアン! この体、何でもできるみたい!」

 リアンはそれに応えるように微笑み、キアロの背からコードを引き抜いた。

「何でも、とはいかないけどね。動力は半永久、身体とメインコンピュータを接続すれば、画面内に戻って宇宙船を操作することもできる。キアロの体にないものは、体温、味覚と嗅覚。あとは睡眠・食事・排泄・呼吸の必要もない。それと」

 リアンはショルダーバッグの中から銀縁の四角い眼鏡を取り出した。

「人形師が言うには、キアロにはめ込まれたドールアイは普通の人形にいれるグラスアイとは違うらしい。より人間の瞳に近付けてあるんだけど、その分光彩まではっきり浮かびすぎていて逆に不自然なんだ。だから、もし本当の人間に近付けたいと思うなら」

 リアンは持っていた眼鏡をキアロにかけさせる。

「この方がいいだろう、ってさ」

 ステラは頷いて同意する。

「確かに、これならアンドロイドだなんて思わないかも」

 二人の視線を受けて、キアロも頷いた。

「では、このままかけていましょう」

 キアロはリアンの肩を借りて両足で立ち上がると、よろけながらも歩き始めた。

 最初はぎこちなかった二足歩行だが、三十分もしないうちに支えなしで自然に進めるようになった。

 青年は、いつかの自分を見ているような気分でキアロを見ていた。まるで、初めて外界を目にしたあの日のように。今のキアロには、すべてが違って見えるのだろう。

「キアロ」

 歩く練習を続けていたアンドロイドは、ステラの声に振り向こうとして大きくよろける。リアンがとっさに支えて、なんとか転ばずに済んだ。

「これで、本当の家族になったね」

 キアロは何の迷いもためらいもなく、その言葉に頷いた。その様子を隣で見ていたリアンは、少し寂しげな笑みを浮かべる。

「なあ、キアロ。頼みたいことができた」

「何なりと」

 唇の動きも自然になってきたアンドロイドは答える。

「明日、俺の故郷まで飛んでほしい。アメリカの東海岸、メリーランド州だ」

 ステラが心配そうに顔色をうかがっているのに気付いて、リアンは笑顔を作ってみせる。

「ちょっと、家族が恋しくなってね」

 ステラは納得したように大きく頷くと、キアロに視線を向ける。

「キアロ、私からもお願い。リアンの家族に会ってみたいの」

 断る理由もなかったので、キアロはリアンの頼みを二つ返事で聞き入れた。

「では、今日の内に様々な動作を試しておかなければ」

 ずれた眼鏡を直しながら彼は言う。

「私も、お会いしてみたいですからね」

 それはつまり、キアロも二人と一緒に外へ出るということだ。

 キアロの一大決心に、二人は快く夜まで付き合ったのだった。

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