Chapter2

 全ての作業を終えた青年は、ポケットに入れていた蜜柑をむきながら報告を始める。

「右側エンジンの接続不良と、扉の建て付けは修繕しておきました。その他は特に問題なかったけれど、一応エンジンだけは点検したよ」

「助かります。あなたはエンジニアですか?」

「ビンゴ。俺は地球上じゃ名うてのロボットエンジニアで、世界中を旅して回っている」

「なるほど」

 事実、人工知能は青年の腕に驚いていた。今まで何人ものエンジニアにメンテナンスをさせてきたが、彼の手つきはそれの誰とも似ていない。他に類を見ない繊細さがあったのだ。

「この仕事で食いぶち繋いでるんだ。相応の腕はあるだろ?」

「はい、感服しました」

 青年は満面の笑みで蜜柑にかぶりつくと、酸味に口をすぼめた。

 その姿を慎重に見つめていた人工知能は、息――そもそも呼吸すらしていないのだが――をのんだ。

「あれ、エンジニアの人?」

 背後から聞こえた人間の声に青年が振り向く。が、声を出したのは人工知能が先だった。

「オーナー、ご無事で何よりです。先程は危険な目に遭わせてしまい、申し訳ありませんでした」

 十代前半に見える少女は、何事もなかったように柔らかな微笑みを浮かべている。

「ううん、気にしないで。それより、あなたは?」

 彼女の期待に満ちた翡翠色の瞳を覗き込んで、青年は微笑みかける。

「初めまして、お嬢さん。俺の名前はリアン、地球上じゃ結構有名なロボットエンジニアです。俺は世界中を旅して回っていて、この宇宙船のメンテナンスをするかわりに、一週間ほどホームステイさせてもらうことになりました。というわけで、よろしくね」

 差し出された右手を、少女は快く握り返した。

「よろしくね。私はステラよ。そして、さっきから話しているのはキアロ。私たちは、この宇宙船で地球の周りを漂っているの。ね、キアロ」

「仰る通りです」

 彼女は握ったままの右手を引いて、青年を宇宙船へ招き入れる。

「ほら、入って入って。まだキアロの顔を見ていないでしょう?」

 導かれるままにスーツケースごと宇宙船へと乗り込むと、そこに広がっているのはマンションの一戸を思わせる造りの空間。

「キアロはここにいるの」

 その一室、操縦のためのレバーやスイッチが並んだ上に、〝彼〟はいた。

 百五十インチはある大画面の中に、等身大の男の姿が映っている。燕尾服姿の男は無表情のまま、軽く頭を下げてからリアンを見つめた。

「初めまして、とでも言いましょうか。私こそは、世界で最も精密な感情を備えたAI。名前はキアロです」

「へえー」

 リアンは画面を隅から隅まで観察し、感心したように口角を上げる。

「てっきりロボットなのかと」

 画面内の男は、鋭い視線で反論した。

「ロボットのように実体を持つと、地球外重力下ではその機能が鈍ります」

「ああ、画面の方が便利か」

 とはいえ、実体がないと不便なこともありそうなものだが。

「ねえ、リアンさん。私たち、あなたのこと何て呼べばいいかしら?」

 男二人の様子を眺めていた少女が声をかける。

「俺のことは呼び捨てでいいよ。そっちは?」

 質問を返された彼女は、輝かんばかりの瞳を画面に向けた。しかし、人工知能は眉ひとつ動かさずに形式ばった礼をする。

「私はオーナーの『機械』です。オーナーの決定に従います」

 翡翠色の瞳は一瞬だけ陰ったように見えたが、すぐに光を取り戻した。

「じゃあ、私たちも呼び捨てにしてほしい」

「了解」

 リアンは彼女の様子が気になりつつも、爽やかな笑顔を返した。

「それでね、リアンにお願いがあって」

 ステラは両手を合わせてリアンを見上げる。

「私たちが地球に帰ってきたのは、生活必需品の買い出しのためなの。だから」

「適当な街を紹介してほしい、と」

 言葉の最後を引き継いで、リアンは少し吊り目がちな目を細めた。その目つきを観察していたキアロは、疑るように眉を寄せる。

「どうして、彼女の言うことが予想できたのですか」

「んー、なんとなく? テレパシーかな」

「はあ」

 人工知能は考え込んでから、聞き取ってもらうことを前提としない声量で独りごちた。

「……人間だから、でしょうか」

「ん?」

「あ、いえ。何でもありません」

 三人とも口を閉じてしまったので、青年は一際大きな声で話し始める。

「ここから北西に少し進んだところに、俺が先週まで泊まっていた大きな街がある。そこに行けば、大体のものは揃うだろうよ」

 その流れを汲んで、ステラも声を張り上げる。

「決まり! キアロ、北西に向かってくれる?」

「仰せの通りに」

 人工知能は先程と同じように礼をした。すると、誰も触れていないのに操縦席のスイッチが切り替わり、エンジンの起動音が聞こえてくる。

「エンジン出力、正常。十秒後に垂直上昇を開始します。十、九、八……」

 キアロが秒読みをする中、リアンの肩に手が置かれる。

「リアン、揺れるから近くの手すりにつかまって」

「ああ、わかった」

 リアンが手近な手すりを握ったとき、キアロは五秒前を知らせていた。

「五秒前、四、三、二、一」

 体が宙に浮く感覚。思わず窓の外に向けられた青年の小豆色の瞳に、遠ざかっていく地面が映る。

「ヘリコプターみたいに浮くんだな」

「原理は異なりますが、現象としては同じです」

 キアロは冷静に言葉を返して操縦を続けた。

「十秒後に前進を開始します。十、九、八……」

 レバーが勝手に上がり、船体の後ろからのエンジン音が大きくなる。

「三、二、一」

 ぶおん、という加速音と共に宇宙船は目的地へと進み始めた。

 予想以上の勢いにつんのめった青年だったが、どうにか体勢を立て直して画面に抗議の視線を送る。

「おいおい、発進が雑じゃないか?」

 睨まれている方は、平然と無表情を貫いていた。

「普段よりもエンジンの調子が良かったものですから。思わず度が過ぎてしまいました」

「ああそう」

 天然なのか計算尽くなのか。さりげなくエンジニアの腕を褒めるキアロの言葉に、リアンの怒気は削がれてしまった。

 それを見ていたステラは、楽しそうに笑う。

「珍しいわね、キアロが人見知りしないなんて」

「へえ、珍しいんだ?」

 話を振られたキアロは憮然とした面持ちで口をつぐんだ。

 その顔を見ていたリアンは、ふと浮かんだ疑問を口にしてみる。

「なあ。キアロを生んだのって、もしかして」

 リアンはそれほど多くのロボットエンジニアを知っているわけではない。しかし、世界中を旅している中で名高い技術者の評判を小耳に挟むことはある。

 キアロのように精巧な心をもつ人工知能を生み出せる人間など、たった一人しか見当がつかなかった。

「『鬼才』と呼ばれたロボットエンジニア」

 うわ言のようにキアロは呟く。

「エアデール=ヴァイスハイト」

 その名を耳にしたリアンは、はやる心を静めて微笑を浮かべる。

「……やっぱり、か」

 一連の会話を聞いていたステラは、期待に満ちた瞳で青年を見つめた。

「知ってるの? 私のお父さんのこと」

 これには、さすがのリアンも目を見開いてしまう。

「父親? じゃあ、ステラは」

 荘厳な面持ちで、キアロが言葉を紡ぐ。

「ステラ=ヴァイスハイト。我がオーナーこそは、この世界でただ一人『鬼才』の血を引く者」

「やめてよ。私、そんなにすごい人じゃないの」

 いつものことなのか、ステラは困ったように微笑んでいた。

「だって、お父さんは何も教えてくれなかったのよ。私はロボットの作り方どころか、直し方すら知らないの」

 それでも、彼女がヴァイスハイト家で育ったという事実は覆すことができない。 リアンは尊敬の眼差しを彼女に向ける。

「それにね、キアロの方がお父さんのことも機械のこともよく知っているわ。彼だって、キアロ=ヴァイスハイトという名前があるんだもの」

 しかし、話を向けられた本人は不服そうに口を結んでいた。ステラはそれに気付いていないようだが、いたたまれなくなったリアンは話を先に進める。

「エアデール博士はすごいよな。精巧な心をもつ人工知能をつくる、って噂だし」

「今では、その技術もまた彼の命と共に永遠に失われてしまいましたが」

 再び流れる重苦しい沈黙に、青年は快活な声を出す。

「ごめん、辛いこと聞いちゃったな。えっと、もっと明るい話しようか。二人は、ずっと宇宙にいたんだよな?」

 あからさまな話題転換にキアロは呆れていたが、ステラは全く気にすることなく話を受ける。

「一年に一度はこうして必需品を補給しに帰ってくるけれど、それを除けば十年は宇宙にいるかな」

「十年かあ。なあ、無重力ってどんな感じ?」

 少女は眉をハの字にして答えた。

「ごめんなさい。それは私もよく知らないの」

 すかさずキアロがフォローに入る。

「宇宙船内は重力制御システムが働いていますので、地球同様の重力があります。オーナーの体に無理があってはいけませんから」

「それはすごいな」

 リアンは嬉々として質問を続ける。

「じゃあさ、他の宇宙船とかと交信したりするの?」

「うん。すれ違った人とお話ししたり、一緒にゲームをしたり。この間は、綺麗なワインレッド色をした宇宙船が近くを通ったの。中にいる人は、そう、シケモクが好物とかなんとか」

 その言葉を聞いていたリアンとキアロは目を合わせる。

「この子、本当にシケモクなんて知ってるのか?」

「知らないでしょうね。教えた覚えもありませんし」

 ぐりゅるるる。

 場違いな腹の音が宇宙船内に反響する。

「あー、やっぱり蜜柑二つじゃ足りなかったか」

 青年は胃を押さえつつも可笑しそうに笑い声を上げる。

「ステラはもう朝食はとったの?」

 質問された少女は目を丸くしながら答えた。

「えっと、私はあまりお腹が空かない体質だから」

「長年の宇宙生活の影響だと思われます」

「そっか」

 リアンは少しの間俯いて胃をさすった後、二人に向けて口角を上げた。

「お腹が空くのは困りものだけどさ。お腹が空かないっていうのも、ちょっと寂しいよな」

 キアロが目を伏せ、弾かれたようにステラが手を叩いた。

「そうだ。せっかくだから、宇宙食を味見してみたら?」

「お、いいね。お願いしてもいいかな」

 ステラはダイニングらしき部屋に戻ると、カウンターの前にあるボタンを押す。すると、がしゃん、という音と共に、真空パック詰めの蒸しパンが出された。

「はい、これが有名な『宇宙蒸しパン』」

 手渡されたパックを器用に開いて、リアンはそれにかぶりつく。だが、彼は首を傾げたまま咀嚼だけを繰り返した。

 思わしくない反応に、ステラもキアロも彼の様子をうかがったまま黙ってしまう。

「ごめんね、まずかった?」

 見るからに気を落とした様子のステラを見て、リアンは大きく手を横に振る。

「いや、美味しいよ。美味しいけど」

 眉を下げた表情のまま、リアンは微笑む。

「何かが、足りない気がするんだ」

 リアンの思考を遮るように、キアロは次の動作を告げる。

「前方に街を確認。現在、目的地から六キロメートル地点。三十秒後に着陸します。三十、二十九、二十八……」

「リアン、つかまって!」

 蒸しパンを頬張りながらも、リアンはステラの指示に従って手近な手すりを握る。

 窓の外から見える街並みは、徐々に宇宙船へと迫って来ていた。先程まで見ていた土の地面はすでに見当たらず、今は灰色に覆われた滑走路が見えるのみだ。

「五秒前、四、三、二、一」

 がうん。大きな縦揺れを伴って宇宙船は着陸した。

 ステラは手すりを離すと、窓に張り付くようにして街並みを眺める。

「高いビルが並んでいるのね」

 その隣で、青年が指を差しながら説明した。

「あれは住宅街。海沿いは屋台や市場ばかりだよ」

「目的地、ムンバイに到着。郊外に停船します」

 やがて宇宙船が動きを止め、地面にその船体を置いた。

「ねえ、ムンバイってどんな街なの」

「中央アジアインドの西側に位置する港湾都市であり、インドの主要貿易港であるとともに金融・商工業の中心地で」

「この街は、美味しいマンゴーや伝統の刺繍が有名なんだよ。見に行ってみるか?」

 自分が答えて当然だと思っていたキアロは、説明に割って入ったリアンを睨む。しかしリアンの視線はステラに向けられており、彼女の視線もまたリアンの方へ向けられていた。

 ――私、ではない?

 しかも、当のステラは実に幸せそうな笑顔で。

「うん! ありがとう、リアン」

 キアロではない、名前を呼んだ。

「じゃあ、リアンと買い出しに出かけてくるわね。キアロはお留守番よろしく」

 いつもは即座に返ってくるはずの返事がない。ステラは不思議に思って画面を振り返る。

「キアロ?」

 すると、画面内の男は慌ててステラに頭を下げる。

「失礼致しました。お気をつけて行ってらっしゃいませ」

「行ってきます」

 日常的に繰り返されてきた会話、そして。

「行ってきまーす」

 非日常の存在が、一人。

 キアロは二人がいそいそと出かけていくのを黙って見つめていた。

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