2-3話 法力油の謎を追え

 海鳥が鳴いている。

 港から吹きこむ風は生ぬるく、濃い潮の香りをまとわり付かせる。

『おかしいではないか。理論が破綻している』

 法力の練り方、その発露、そして利用法は私の専門分野だ。長年にわたり研究を重ねてきた。


法力ほうりきは気の力だ。生きる者からのみ発動する。植物や一部の特殊な鉱物に法力を込めて変化へんげさせることならばそれは出来る。しかし法力を物質に込めて、それを動力にすることなど、そのようなことは理論的には不可能なはずだ……』


「リュシアン、その法力油ほうりきゆとは……その、法力を持つ液体なのか? 何者かが法力を込めて精製しているものか」

 私が復活の眠りについてから既に八百年の年月が経っている。私の知らない理論が確立されていても、それは、おかしくはないのだが……


「いえ、お師匠様。法力油の採掘や精錬に関しては、国家設立以来の機密と聞いております」

 ふむ、現フォルセクイル王朝の成立にも関わっているということか……

「それで、軍艦や王城など主だったところにはよく利用されているそうですが、一般には中々手に入らない貴重なものなのだそうです」



「ふむ。そうか」

 船が行き交う波止場の堤防にそってゆっくりと木馬を進める。汽笛。波の音。潮の香り。ああ、考えがまとまらぬ。

 リュシアンはさとい子だ。こういう時、黙ったまま何も言わず、静かに付き従ってくれる。



「リュシアン、私はあの船に乗らねばならぬ」

「あの船。先ほどの大きな動力船でしょうか?」

「そうだ。法力油、で動くというあの船だ」



 リュシアンは並足なみあしで木馬を少し前に進めて、私のすぐ横まで来てささやく。

「先ほどの大きな船は軍船ですから、すぐに乗り込むことは難しいと思われます。でも、この湾内をめぐる遊覧の社交船の中に、最新式の法術式動力を持つものが周航していたはずでございます。少し小型にはなりますが……」



 ハトナハルの湾を見渡す。

 行き交う色とりどりの商船、勇ましい軍艦。

 湾の向こうに煌びやかな塔を持つ王城が少し霞んで見えている。

「ふむ。それで良い。今から乗れるか?」

「船出の時刻を確かめて参ります。少しお待ちくださいませ」


 すぐさまリュシアンは木馬を走らせた。波止場中央に建つ白い二階建ての邸宅へと向うようだ。

 ハトナハルの港は、大鳥おおとりが両の翼を丸く広げた形に、二つの岬が大海に突き出してその天然の良港を造り出している。内海は今も昔も波静かにいでいる。


『私は長年、法力を仙人だけのものとするのではなく、人の子でもその力を発揮できるよう、法力の練り方を研究してきた。あのカレルヴォの叔父上も、弱い法力でも発動できる術式の開発に力を注いでおられた。それだけでは不足だったということか……』



 リュシアンが木馬で駆け戻ってきた。

「お師匠様、ちょうど良い船がございました。ご案内いたします」

「そうか、その白い商家が船宿ふなやどか?」

「はい。就航事務所というようです。観光案内からチケットの予約まで、船に関することは皆、請け負っているようでございます」


 その事務所の扉が大きく開いて、カウンターから壮年の男がひとり駆けつけてきた。リュシアンを見上げ、木馬の口輪を取り大きな声を出す。


「若旦那様、待合に貴賓室がございますのでご案内いたします。どうぞこちらへ」

「馬を預かって貰いたい。湾を一周ひとめぐりして、またこちらへ戻ってくるつもりだ」

 リュシアンが落ち着き払って応えている。

「湾内の遊覧でございましたら、夕刻前には戻れましょう。ご乗馬は私共の厩舎でお預かりいたします」





 貴賓室付の執事に迎えられ、湾を望む白いテラスの照り返しが眩しい広い待合室に通された。

 既に幾人か先客がいる。遊覧船を待っているのだろう。身なりの良い家族連れに、品の良い老夫婦の姿も見える。

「旦那様、どうぞこちらで今しばしお待ちくださいませ。乗船準備が調いましたらお迎えに上がります」


 マントルピースの前の、湾を見渡せる大きな窓に面した席に案内され、柔らかな背もたれ椅子に腰を下ろすと、お仕着せの従僕が飲み物を乗せた銀の盆を持って近づいてくるのが見える。


「私は軽いシャンパンを貰おう。リュシアンも何か取りなさい」

「お師匠様、私は……では、レモンエードを」



 近くの席に掛けていた老夫婦のうち、白髪はくはつの美しい老婦人がリュシアンを微笑ましげに見つめている。


「あらまあ。こちらは可愛らしいお弟子様でいらっしゃいますのね」

「これお前、不躾に……」

「いえ、こちらこそ。奥方殿。お邪魔いたしております」


 席に着いたままだが、右手のひらを軽く胸につけて会釈をする。

 老紳士も右手を胸に付け、答礼を返してくれる。あの老婦人は両手を胸の前で品よく交差させる貴婦人の会釈を返してくださった。


「私共も先日からこの歴史公園内のホテルに宿泊して、都見物をしているところなのです。今日は天気も良いので、コレにせがまれまして遊覧船でのんびり過ごそうと思いましてね」

「まあ、貴方。新型の動力船に乗りたいと、あんなおっしゃってらしたのはどなた?」

老婦人にからかわれて老紳士が眉を寄せている。


「ほお。私も、新型の動力が目当てなのですよ」

「おお、やはり。そうでしょう! ほうらご覧。船は船足の速さにこそ、その価値があるのだよ」

「まああ、殿方はしょうがありませんこと。でもお天気も良くて、景色も楽しめますわ。ね、小さなお弟子様?」


 老婦人に話しかけられて、リュシアンは恥ずかしそうに相づちをうっている。

 老紳士は大きな窓辺により、湾内を指し示しながら話し始めた。機嫌が良さそうだ。


「この遊覧船は、こちらの歴史公園を出港して、ほら、あの跳ね橋を越えた川向こうの商館街に少し立ち寄るのですよ」

「ああ、あの塔の橋ですね。今、跳ねました」

 立ち上がって窓辺に寄ると湾が見渡せる。


「そうです、そうです。その後、ハトナ湾を横断して、ほら向こうの岬の端に霞んで見えるでしょう。王宮広場前の港で折り返すのですよ。そして沖合いの聖堂の小島をずうっと回ってから、こちらの歴史公園の岬を越えた向こうの、王立学舎前の波止場に立ち寄ってから、またぐるりと岬を巡ってここへ戻ってくるのです」

老紳士は一気に語り、果実酒を傾ける。


「ほう、それは楽しみです。ではこの大きな湾を全て巡るのですね」

「左様ですとも。この航路を日が暮れる前に巡って帰ってくるというのですから、船足の速さは驚くべきものがありますな。私共、老人には昔日の感も無量ですよ」


「なるほどそれは速い。最新式の機関はご覧になったことはありますか?」

「機関部は、どうでしょう……船員でなければ近づけないと思われますよ。いや、確かにこの目で見てみれば、良い土産話になりましょうなあ」





 遊覧船のラウンジに入ると楽師が静かな弦楽を奏でている。

 談笑している家族連れ。カードゲームに興じている喫煙室の紳士。ご婦人方はサロンでお茶を楽しみつつ湾内の景色を眺めているようだ。

 子供達が甲板を走り、歓声をあげているのが聞こえる。




 遊覧船が、跳ね橋をくぐり、遠くに霞んで見えていた王城の姿がだんだんと大きく近づいて見えてきた頃、ようやく私はリュシアンを連れて、社交の輪を抜け出し甲板へ出ることができた。



「リュシアン、今から少し気配を薄くするよ」

「お師匠様、機関部への経路は既に確かめてございます」

 リュシアンはさも当然のように答える。

「そうか。機関部の法力油が見たい。案内せよ」



 気配がすうと薄くなる。

 こうなると、甲板ですぐ近くをすれ違っても、誰も私達に気がつかない。


「お師匠様、この階段から階下へ降ります」

「リュシアン、いま少し気配を薄めよ」

「はい、かしこまりました……では、こちらでございます」


 リュシアンが、階下へ通じるバックヤードの扉を開けようとした時、背後から幼い男の子の声が響いた。


乳母ぅばあや! 乳母や! 今の見た? あの人達、すうっと消えたよ! あのドアの前!」

 ドアノブに手をかけたリュシアンの手が、寸でのところで留まる。


「坊っちゃま……そんな。乳母やには、何にも見えておりませんわよ」

「ほんとだよう! お兄さんと弟かなあ。ふたりならんで、すうっと……」

「嫌でございますよ。おやめくださいまし。なんだか寒くなって参りましたわ。さ、ラウンジでお菓子をいただきましょう」

 男の子は乳母に手を引かれ、何度も振り返りながら去っていった。





 狭く暗い階段を三階分ほど降りたところの船底に機関部はあった。

 機関士だろうか、数人の逞しい男が動力部を操業している。

 細い管を伝ってくる操舵室からの指示を受け、術式の刻まれた動力部のハンドルを回して何やら調節している様子だ。


 すぐ近くで私が見ているのだか、それに誰も気がついていないことを見定めてから、機関部に施された術式をひとつひとつ確認していく。

『ふむ。術式は一般的なものだ。法力の消費が効率良く回るよう改良がなされているくらいだな』


 リュシアンが近づいてきた。そうっと手を述べて、機関部の奥の内燃部のある方を指し示す。

『ああ、あれがそうか……』

 内燃機関に大きな金属製の容器が接続されているのに気づき、静かに近づいた。



「おい! 何だか、法力がちっと活性し過ぎちゃいないか?」

「そんなあ! 機関長、こっちで貯蔵タンクのバルブ回してませんよ!」

「そりゃそうなんだが……急に術式の回路に熱が回ってなあ! 変だな、全くよう」


 リュシアンと同時に顔を見合わせる。

 ひとつ頷いて、自分とリュシアンに結界の術式をかけた。


「ありゃ……収まったか? ううん? この陽気のせいかなあ?」

「俺の整備がいいんすよ!  機関長。燃費がいいのはこないだ油回しといたせいかもですよ!」

「まあいいが、ちょっと不安定だ。ここ、よく見とけ!」



 内燃部に続く貯蔵タンクを点検している機関士の手元を覗き込むが、機関士は気づかない。

 機関士の操作する目盛りを見て、さらにタンクを見る。



『ふむ。ここでどうやら例の法力油を貯蔵しているようだな』


 気配を薄めたまま、法力を掌に集約する。

 やがて気を纏った右手の平を、貯蔵タンクの金属の肌にひたと押し当てた。


 術式の展開を始める。

 ずい、と右手をタンク側面から破り沈ませる。

 タンクからは何も漏れたりはしない。

 誰も、何も、気づかない。


 指の先にはトロリとした液体の感触が伝わってくる。しばらくして、ゆっくりと右手を再びタンクの外に出した。



 その時、ロオウのその手の中には、淡い光を放つ、とろりした液体の入った薄青い小瓶が、しっかりと握られていたのであった。

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