2-2話 首都ハトナガンド

 ハトナガンドの館はそう大きくはないが、ここがハトナハルと呼ばれた鄙びた漁村であった頃よりの建築だ。ハトナ湾を望む岬の突端の高台全体をその敷地としている。


 瀟洒な館は、海辺の保養地にふさわしく開放的な造りで、爽やかな風が邸内を吹きわたりとても心地が良い。今も柔らかな風がロオウの髪を乱して通り過ぎていった。

「ああ、浜風はもうすっかり春だなぁ」


 テラスからは広い大海原がゆったりと望める。凪いだ海面がキラキラと光って眩しい。

「海は変わらないが、港町の方はすっかりと様変わりしてしまったことよ」

 眼下に望める人里は、かつてはんびりとしたいい保養地だったのに、今やもう正に首都然とした大都会と化していた。白い石造りの邸宅街や、スレート葺きの瓦屋根を持つ赤い煉瓦の大きな商家が軒を連ねて、下の海岸から遠く向こうに霞んで見える岬の先までずっと街並みが続いている。

「向こうの岬に聳えているのは、あれは王宮か? 離宮か? 煌びやかなものだな」


 この館の辺りだけは結界がさえぎっていたためか、開発が殆ど進んでいない、元のままだ。

 防風林に囲まれた庭園はさながら空中の楼閣のようで昔と変わらず美しい。

 庭園の外れの岬の突端から、すぐ下の海岸まで九十九折つづらおれの小道が通っていて、外界からは遮断された白い浜辺に降りることができる。ここを降りる他に道はないので、静かな磯に波の音が響くばかりである。




「御前様、テイラーが参りました。採寸をお願いいたします」

 アレクに呼ばれて客間に行くと、すっかり準備が整って仕立て屋が弟子を連れて待ち構えていた。

「採寸だけで良いのかい? 生地とかは?」

「御前様、生地や意匠はこちらで既におおよそのお見立てをさせていただいております。このテイラーでしたら腕も確かでございますので、どうぞお任せくださいませ」


 アレクに任せておけば問題はなかろうが……

「法学院では、普段はガウンかローブを上に羽織る。その下に着る物はゆったりしたものも欲しい。出来れば、ズボンではなくチューニックのような長衣が好みなんだが」


「御前様、左様に仰せではございますが……」

「家令殿、御前様のご意向もごもっともな事かと……法学院の教授方の中には、伝統的な仕立ての衣装をお好みになる方もお見えになりますよ。別途、儀礼に沿ったものもお仕立てなさいましたら、其れはそれでもよろしいかと存じます」


「うむ、それで良い。後はアレクに任せるよ。よろしく頼む。それよりもリュリュだ。私の弟子の衣装も一緒に仕立てて貰おう」

「左様でございましたね。リュリュもこちらへおいでなさい。学院の衣装を誂えますよ」

 おずおずと近づいたリュリュは、たちまち仕立て屋の弟子に捕まってあちこち採寸されている。


「こちらのお弟子様は、またずいぶんとお若くていらっしゃいますが、法術学院高等科の予科の制服で宜しゅうございましょうか?」

「ああ、いやそうではない。彼は私の研究棟の院生だ。法学院の院生の衣装を誂えたい」


「これは失礼いたしました。高等科も大学も飛び級なさっておられたとは、私共の考えが至りませぬことで、お許しを……」

 高等科? 予科? 大学? ふむ……法学院の学制もかなり変わって来たと見える。



「御前様、学院領には昔からの研究棟の法学院の下に、大学、高等学院、予科と色々ございますから、制服を誂える時はそれを指定するのでございます」

 ……なんと、ずいぶん様変わりしたものだ。想像もつかぬな。

 ふむ、まるで……あの夢で見る、あの不思議な世界の、医科大学や高等学校のような話だ。

 師匠と弟子の一対一の教授法ではなく、大勢の学生を一堂に集めて教えているのかもしれない。なんとも不思議な心地がする……


「ああ、そうだったね。すまなかった。彼には法学院の院生の衣装を頼むよ。私の大事な弟子なのだからね」

 左様でございましょうとも、左様でございましょうともと、調子よく話を合わせながら仕立て屋はアレクと共にリュリュの衣装を次々と決めていく。


「ああそうだ。彼には優秀生の黒のガウンも仕立てて貰いたい。家紋は当家の紋章で良い」

「そうそう御前様、左様でございました。店主殿、ほまれのガウンも仕立ててください。生地はこちらの上質なのものを。それから学帽も一緒に頼みます」




「少し、港の方まで船を見てくるよ。木馬で出るから夕刻には戻ろう」

 潮の香りに誘われたわけではないが、先ほど遠目で見た港に大きな船が停泊していた。近くで見てみたい。


「それは宜しゅうございます。日が傾きますとまだ少し冷えますからフロックコートをお召しください。このシルクハットも」

「いやいや、私はマントでいいよ」

「御前様、ここは首都でございます。ドレスコードにそぐわぬ装いでは、ご身分に相応しい扱いが受けられぬこともございましょう。ここはご辛抱くださいませ」


 リュリュが前身頃の短いダブルのフロックコートを出して来てくれて、いつの間にやら着せられてしまった。まあ、これはこれで着心地はいいのだが……革の靴もぴったりだな。しかし、それにしてもいつも思うが変な帽子だ。こんなものが、そんなにいいのか?


「御前様、リュリュもお供にお付けくださいませ。リュリュはこの港にしばしば魚介を求めに出てくれております。土地勘もありますので、良くご案内出来ると存じます」

「おおそうか、リュリュお願いできるかい?」

「はい! 御前様。今、港に大きな船が入っております。私もぜひ近くで見てみたいです!」

 目を輝かせているなあ。船は良いよね。


「リュリュは木馬は大丈夫?」

「はい、御前様。アレクサンテリさんに術式を教えていただきました」

 素晴らしい。ああそれからそうだな、ふむ。


「リュリュ、今後は私のことを師匠と呼びなさい。君はこれからは法学院の院生なのだから。私もきちんとリュシアンと呼ぼう」

「それは宜しゅうございます、御前様。私もこれからはリュシアンと呼びましょう。よかったですね、リュシアン」


「えっ……学院領だけでなく普段からお師匠様とお呼びするのですか?」

「そうですよ、リュシアン。私も昔……そうですね、今から千三百年ほど前のことになりますが、学院領で院生として御前様に師事させていただいていたことがありましてね。学院を卒業する時までは、御前様のことをお師匠様とお呼びしていたものです」


「そうなんですか? アレクサンテリさんも?」

「そうだよ、リュシアン。アレクはあの学院でも著名な薬学の権威だ。図書館にはアレクの論文や、著書もたくさん納められているはずだよ。あの頃のアレクは、そうだね、とっても若々しくて跳ねっ返りで、研究馬鹿なんて呼ばれていたんだよ」

「アレクサンテリさん……」

「左様でございますとも。御前様はそうですね、聖域にお籠りになる直前でしたから、威厳に溢れたまさしくローデヴェイク翁の名に相応しいご立派なご様子でしたね、外見は。中身のご性格は、今と変わらない面倒くさがり屋さんでいらっしゃいましたがね、ふふふ。きちんとした格好が苦手で、昔風のご衣装がお好みなのもかわりませんなぁ、ははは」

 ああ、アレクには敵わないなぁ、はは……

 リュシアン、そんなに不思議そうな目で見つめないでおくれ……




 ニワトコの木の木馬でリュシアンと二人、のんびり首都の街並みを歩んで港をめざした。リュシアンの造った木馬は栗毛で少し小柄だが、生き生きとした可愛い目をしている。術式の腕もなかなか大したものだ。


 街並みはそうだ、なんといったらいいのか、そう、近代的だ。あの不思議な夢の世界で私は欧州の大学に薬学研究で留学したことがあったが、その時に見た、ちょうど英国のビクトリア王朝時代の様式に近い気がする。ふむ……夢の世界に囚われ過ぎているのかもしれぬな、私は……


「お師匠様! 港はあの角を過ぎればもうすぐそこですよ!」

「おお、リュシアンありがとう! この道は中々良い景色だねぇ」

 港への近道だからか、首都の中心街からは外れているにもかかわらず、この賑わいだ。広い通りは美々しく石畳が敷き詰められて、箱型の立派な馬車が多く行き交っている。騎馬の騎士も多いな。今は紳士というのだったか……

 広場や公園には徒歩で歩くご婦人方の姿も見える。ふむ、時代が余りにもうつり変わってしまって目が回りそうだ。

 あの夢の世界を体験していなければ、もっと驚いたことだろう。



「お師匠様! 港です! あちらに大きな船が入って来ましたよ!」

 リュシアンの声に顔を向けて見上げた。

 そこには、帆のない、そして途轍もなく大きな黒い船が刻々とこちらに迫って来るのが見えた。


 あれは、何だ? あの船は? 動力は何を使っている? あの不思議な夢の、あの世界の戦艦のように石炭石油でも使っているというのか?


「リュシアン、この船は……」

「ああ、お師匠様、この船は最新式の法力動力船です! 法力の籠った法力油、法油で動く術式動力船だそうです。大きいですねぇ」


 今、リュシアンは法力油と言ったのか……

「そんなものは、有り得ない……どういうことだ、これは? いったい何が起きているのだ、今の世は……」

「お師匠様……?」


今、まさに入港してきたその船は、ボオウと大きな汽笛を鳴らす。

そして、悠々たるその巨体を見せつけながら、私の目の前を静かにゆったりと通り過ぎていったのだった。

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