第2章 八百年後の世界で

2-1話 ロオウの研究室

「上手く育ってきた。そろそろ苔の分量を増やしていこう」

 フラスコの中のホムンクルスは、もう魂玉こんぎょくをその身に取り込んでスモモほどの大きさまで育ってきている。順調だ。

 向こうが透けて見えていた小さな手足もしっかりと物質化してだんだんと人の子らしい姿を現してきた。小さな鼓動も規則正しくなってきている。


「もう一月ほどもすれば動き始めましょう」

 アレクも目を細めてフラスコを覗き込みつつ、リュリュに細かく指示を出している。

「蜜の水溶液の分量は正確に計測することが大切ですよ。……そうそう、スポイトで一滴ずつ、慎重に、目線は水平に……」


 法力の効力で淡く光る薫苔かおりごけを保存瓶から取り出し、分銅ふんどう五つ分を正確に測って乳鉢に入れる。そこへ神木の花の蜜の水溶液を静かに注ぎ入れて撹拌すると、それが次第に粘度を増してやがて淡い緑色に光るトロリとした蜜が出来上がるのだ。


「リュリュ、これから一月の間、三日に一度、これをふた匙ずつフラスコに与えておくれ」

「はい! かしこまりました御前様」

 リュリュは慎重にフラスコに向き合っていたが、やがて作業が終わると記録をつけ始めた。

 見せてもらうと立派なレポートだ。まとめるとよい論文になるな。


「リュリュはなかなかいいレポートを書くね、論文にまとめたことはある?」

「はい、いえあの、アレクサンテリさんに薬学を教わって、記録の取り方や実験の手順も教えていただきました」


「そうか、アレクの指導を受けたのならば、この丁寧な研究姿勢も頷けるなあ」

「リュリュはなかなか良い着眼点を持っています。薬学でも、今は特に薬草の成長する土壌に注目して実験を重ねているようでございますよ」

「ほう、土壌に……」

「はい、この聖域近くの土壌と、王都、学院領などと条件を変えて成育した薬草の成分を比べているようです。そうでしたよね、リュリュ」


 リュリュはアレクから褒められて嬉しかったのだろう、顔が赤い。

「仮説を立てて、実験を重ねているのですが、結果が予測の範囲に収まらず、推論をまとめきれていないのです」

 少し恥ずかしそうにしながらも、そう言っている姿を見ると立派な研究者になるなと思う。


「なるほど、とても興味深い研究だね。初めに立てた仮説にそぐわない事例も敢えて取り上げて検証することはとても大切だ。客観的批判の姿勢は高く評価できるよ」

「あ、ありがとうございます。あの、またレポートを見ていただいてもよろしいでしょうか?」

 頬を染めて初々しい。彼も数百年以上を生きているはずなのだが心映えは擦れていない。

 まあ、アレクが可愛がっているからなぁ。


「それはいいね。実験の対象を広範囲の事例と照らし合わせて検証していけば良いだろう。出来れば年代別の結果も欲しいが」

「はい、十年単位の変遷の記録が四百五十年分ございます」

 ……素晴らしい。リュリュは長命だから、こういうところも研究者に向いている。

「ふむ、実に面白い。楽しみにしているよ」



「さあ、これが終わりましたらお昼にいたしましょう。午後からは首都のお館にテイラーを呼んでおります。法学院のためのお衣装を誂えねばなりませんからね」

 衣装か……面倒だな。

「特に、新しく誂えることもないのではないか? 学内ならば教授用のガウンやローブでもおかしくはあるまい。それならば少し古臭くとも良い生地のものが有っただろう?」


「何を仰せられます。今の時代でございますから、いくら法学院と申しましてもガウンの下には燕尾服が基本でございますよ。それに、リュリュも院生となりますから、そのための衣装も必要でございましょう?」


 なるほどリュリュの衣装か。それは大切だ。

 法学院では、認められた優秀な院生に対して、師匠筋の教授方から黒い上質のガウンを贈る習慣がある。

「ふむ、それは良い。良いところに気がついてくれた。リュリュには私から黒のガウンを贈ろうと思う」

「それはそれは、大変宜しゅうございます」

 アレクが良い笑顔で頷いた。



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