第6話「金曜日」
「おはようヒロ! また会ったね」
午前七時四十五分。今朝も湘南深沢駅のホームに、定刻通りに到着した。
僕の姿を見つけるなり、佳子の屈託の無い笑顔がはじけた。
「ああ佳子か、お早う。まだ朝練出られないの?」
「そうなのよ~ ちょっと長引くかもしれないってお医者さんに言われちゃった。まあ、いい機会だから、部活の替わりに心霊取材するわ」
「え? 本当にやるの? 文化祭で?」
「ええ、そうよ。昨日のHRで企画が通ったの。結構みんな乗り気だったわ。女子の中には怖がってる子もいたけど」
行動派の佳子のことだから、まあやるだろうとは思っていたが、それにしても動きが速い。また、学校側もよくそんなテーマを許したものだと感心した。
「そうだ。これ見てよ。友達の古いデジカメ! 結構立派でしょ? 貸してくれたんじゃなくて、貰ったのよ。太っ腹でしょ」
そう言って、佳子はデジタルカメラをスポーツバッグから取りだして見せた。写真部で使えるような性能は無い簡単な機種だが、佳子が使うには十分だろう。
「今度、うまく撮れるこつ教えてね。色んなテクニックってあるんでしょ?」
「まあ、ね。でも、心霊写真取るコツなんて知らないよ」
「アハハ……そんなもの期待してないわよ。どうせ使うなら綺麗に撮りたいでしょ? スマホのカメラしか使ったこと無いから、デジカメって憧れてたのよ」
佳子がそう言って、カメラを取るポーズを見せると、ちょうどホームに車両が近づいてきた。佳子は、カメラを再びカバンにしまい、その話題は中断した。
しかし、その後も乗り込んだモノレールに揺られながら、僕は考えた。
佳子が文化祭でやろうとしている「あなたの知らない鎌倉」という企画。
僕がこの数日で体験した数々の出来事こそ、正しく彼女にとってはこの上無いネタなのではないかと。
もしもそれらを全て話したなら、狂喜乱舞で食いついて来るのが目に見えるが、今はまだそのつもりにはなれない。昨日一平太に依頼した「一件」が、どういう結果を出してくるかが未知数だからだ。
奴のことだから、何かを掴んだとすれば、きっと僕を学校で見つけるなり、興奮してそれを報告するに違いない。それを待ってから考えればいいことだ。
しかし、僕のそんな甘い予測を、一平太はいともたやすく裏切ってくれた。
いつものように、大船駅でモノレールから降りて、改札を抜けようとした時のことだった。なんと、出口の所で、一平太が待ち構えていた。
「よお! 待ちくたびれたぞ!」
「あれー、ペータ君! 何でこんな所にいるの~?」
改札を通り抜けながら、佳子は、何もそこまでというほど驚いて見せた。一平太は、普段なら改札を出ることなくJRを乗り継ぐのだから、モノレールの改札口にいるはずは無いのだ。
それにしても、佳子は昨日までは「楠木君」と呼んでいたはずなのに、今はもう「ペータ君」になっている。こうして、誰とでもすぐに距離を縮められるのが、彼女の特技なのだ。
「おいヒロ~! お前が携帯持ってないから、こういう時に不便なんだよ! いい加減買えよな!」
「え~? ヒロって携帯持ってなかったの? 何で~?」
「そんなの、僕の勝手だろ? そんなことより、何でこんな所で待ってるんだよ」
僕は、無論想像は出来ていたが、あえてしらばっくれて見せた。
「何言ってんだよ! 昨日の話だよ! すげえネタが入ったんだ!」
「え? 何々? 昨日の話って? 怪談か何か? 聞かせてよ!」
当然のように、好奇心旺盛な佳子はすかさず食いついてきた。
「ちょっと待ってくれよ。そんなもの後で聞くよ。今は落ち着かないから」
僕らは、足早に流れていく通勤客の群れに混じって、JR駅ホームを目指しながら、そんなやり取りをする。
「別に、今聞いても後で聞いても同じだろ? 善は急げって言うじゃねえか!」
考えてみたら、ただでさえ人の都合などお構い無しの超マイペースで非常識人間の一平太に、自制心を持つことを期待しても無駄なのだろう。僕は、諦めて奴がしゃべるのを放置することにした。
「判ったよ。で、何が判ったんだよ」
「いたんだよ! ネットで調べたら、戸塚の中学校出身の奴が教えてくれたんだ。ずばり、外国人の女の子の幽霊見たって! 制服着て学生カバン持った女の子の!」
僕は、努めて何事も無く歩き続けているつもりだった。
しかし、一平太がそう言った直後、僕の視界が一瞬だけ「全面遮断」した。
替わりに脳内に飛び込んできた、あの「夢」の映像。
電車の向かいの席に座る、制服姿の女の子……
しかも、その姿は、前よりももう少しはっきり確認できた。
髪が茶色い……
外国人……?
何だ……これは……
瞬時にその映像は消えてしまった。
替わりに視界に戻って来たのは、通勤途中の人々の群れが早足で行きかう、いつもの駅構内の様子だった。
「え~何なのよそれ! 聞かせて聞かせて?」
佳子は、相変わらず無邪気に面白がっている。こちらの事情など知る由も無いから当然なのだが。
「おいヒロ、こうなったら約束通り聞かせてもらうぞ。何で、お前がそんなこと気にしたんだよ? 心霊ネタに興味なんて無かったはずのお前が!」
我知らず、唾液をごくりと飲み込んだ。
ここに至って、遂に決意せざるを得なくなったらしい。
これまでに起こった数々の出来事を、洗いざらい一平太に打ち明けることを。
「え? それってどういうこと? 最初にヒロが体験したの? どういうこと!」
それから、佳子にも。
気は進まないが、こうして聞かれてしまったからには、どうやら教えない訳にはいかないのだろう……
☆ ☆
「昨日、SNSのオカルト関係のコミュで、聞いてみたんだよ。そしたら、あったんだよ、反応が! メンバーの知り合いの知り合いで、横浜の私立校に通ってる一年生のレスだよ。それで、そいつにコンタクトを取って、詳しく話を聞いてみたんだ」
僕と一平太、そして佳子は昼休みに学校の屋上で待ち合わせをした。この数日に起こった出来事を必ず話すことを交換条件に、時間と場所を指定したのだ。あんな異常な体験を、通学途中で話す気にはとてもなれなかった。
「で、それがこれだよ。原文をそのまま見せる方が生々しくていいだろ?」
そう言って、一平太はメッセージが表示されたスマホをそのまま僕に渡した。
「これは、ちょうど一年ほど前、僕が東戸塚中の三年生だった時の出来事です。いつものように部活が終わり、僕は友達と一緒に下校しようとしていました。校門に差し掛かった時、ふと携帯を見ようとしてポケットを探ったのですが、中には何も入っていません。教室の机の中に携帯を入れたままにしていたことを思い出しました。僕は、友達をその場で待たせて、一人で教室に戻ることにしました。既に日は落ちており、人気が全く無い教室はかなり暗かったのですが、霊体験などが全く無かった僕は、怖いとは全く感じませんでした。
やはり、携帯は自分の机の中にありました。友達を待たせているので、携帯をポケットにしまうと、急いで帰ろうとしました。しかし、教室から廊下に出た瞬間、不快な気配を覚えて立ち止まってしまいました。
僕は、ゆっくりと後を振り返ります。
暗い教室の窓際、一番後ろの場所に、学生カバンを持った一人の女子生徒が、ぼおっと背を向けて立っていました。
驚きました。
姿自体は、どう見ても普通の女子生徒なのですが、教室に入った時には、そんな場所に人がいたはずは無いのです。また、後から誰かが入ってきた気配もありませんでした。それが、僕が抱いた違和感の正体でした。
十秒……二十秒……僕はそのままの姿勢で固まってしまいました。そして、その生徒もまた窓際に立ったまま、ぴくりともしません。急に恐ろしくなった僕は、踵を返して全速力でその場から立ち去り、一階への階段を駆け降りました。息を切らせながら正面玄関に達すると、急いで下駄箱で下履きに履き替え、校舎から外に飛び出しました。そして、校門の脇で待っていた友人の所に到達しようとしたその時です。
僕の喉から絶叫が絞り出されました。
友人の肩越しに、背を向けて茫然と立っている女子生徒の姿を見てしまったのです。
背格好も髪型も、立っている姿勢までも、間違いなく教室に立っていたあの生徒そのものでした。僕は、慌ててUターンして、その場から逃げ出そうとしました。しかし、腰から力が抜け、足がもつれ、その場でみっともなく倒れこんでしまいました。友人は何事かと思って僕に駆け寄ってきます。彼は、僕が一体何故悲鳴を上げたのか、全く分かっていないようでした。
校門の方を再び見ると、あの女子生徒は既にいなくなっていました。僕は友人に、背後に女子が立っていたと言いましたが、彼は全くそんなことは気がついていないようでした。友人は校門の外に出て辺りを見回しましたが、生徒は誰一人いません。校門の外は、例えそこから走ったとしても、そんな短い時間で姿を消せるような場所ではないのです。
僕は、あの女子は「生きた人間」ではなかったのだと思っています。
そのように考えるのには、根拠があるのです。実は、その事件が起こった一ヶ月位前に、同学年の女子生徒が事故で死亡しているのです。その生徒は別のクラスでしたが、大変有名な生徒で僕も外見は知っていました。そして僕が見たのは、間違いなくその生徒の霊だったのだと思っています。
幸い、その霊(?)は背を向けていたので、僕は顔を見ずに済みました。なのに、何故そのように考えるかといえば、理由は「髪の色」なのです。今でもはっきりと目に焼きついているのですが、それは女子中学生としてはありえないほど明るい茶色でした。もちろん、髪を染めていた女子生徒なんて、あの学校には一人もいません。しかし、問題の事故で死んだ女子生徒は外国人でした。国籍は日本だったらしいのですが、両親は二人ともフランス出身で、顔立ちも髪の色も完全に西洋人そのものでした。学校では誰もが知る存在だったのはそのせいです。
実は、その生徒の霊が出るという噂は、前からあったのです。でもまさか、自分がそんな体験をするとは、夢にも思っていませんでした。
この日の出来事をきっかけに、僕は金縛りや霊体験らしき物をちょくちょくするようになってしまいました。今考えてみれば、とんでもない災難に会ったものです」
メールを読み進んでいくにつれて、全身から血の気が引いて行くような感覚に襲われた。最後まで読み終わり、一平太にスマホを返した時、僕の手は小刻みに震えていた。
「あ……ありがとうペータ。調べてくれて……」
スマホを受け取った一平太の顔は神妙だった。今朝、駅で待ち構えていた時の得意げな表情はどこかに消え去ってしまっている。僕の尋常でない反応を見て、怪談マニアとして喜んでいられるような状況では無いと感じたのだろうか。
「礼を言うのは早いぞ。まだ情報はあるんだ。この人から友達を紹介してもらったんだ。その事故で死んだ女子生徒と同じクラスだった、窪塚って生徒だよ。これは、その人からのメール」
そう言いながら、一平太は別のメールを表示させて、再びスマホを渡してきた。
今度は、ごく短い文面だ。
「広末からメッセージ貰いました。僕は当時、問題の女子生徒と同じクラスでした。その生徒の名前はクロエ・ブーケといいました。住所もわかってます。西鎌倉……」
その「住所」を最後まで確認するや、不意打ちのように、立ちくらみが襲って来た。
頭の中身がグルグルとかき回されるような不快感とともに、視界が急速にかすんで行った。
その替わりに、またも頭の中に飛び込んで来たのは、あの「ビジョン」だった。
走り続ける電車……
向かいの席に女子生徒が座っている……
明るい茶色の髪……
顔は……はっきりとは見えないが、どうやら外国人のそれらしい……
そして、窓の外の風景が真っ暗になると同時に轟音が鳴る……
電車がトンネルに入ったのか……
それをきっかけにして、「ビジョン」は全く違う風景に変わった。
今度は……家の中を走っている……
そして、階段を駆け上がっている。
これは、「女の子を追いかけている」あの光景……か?
いや……違う……
今度は、前方に誰もいない……
しかし、同じ家。同じ階段を同じように駆け上がっている。
つまり……今度は「誰かから追いかけられている」光景……?
視界がぐるりと回転する。
一瞬、後を振り返ったのだ。
「何者か」が、こちらに向かってくる。
姿は良く見えない…… しかし、それは「何か」を手に持って走ってくる。
そしてまた視界が前方へ回転する。
二階に到達した。
前方に窓が見える!
しかし、そのまま突き進んでいってしまう。
激しく振動する視界!
ガラスの破片が周囲に飛散する。
風景が屋外に変わった?
そして……
視界が回転する……
回転しながら……地面へと落下していく……
……
……
……
「おい……ヒロ。大丈夫かよ!」
一平太のその声で、僕の意識は、現実世界へと引き戻された。
「おい! ヒロ!」
自分が立っているのは、確かにさっきまでいた学校の屋上で、一歩たりとも移動していない。一体、今のビジョンを見ていたのはどれ位の間だったのだろう。時間の感覚が、完全に欠落してしまっている。
「あ……ああ。大丈夫だよ……」
ふらつく頭を無理やり水平に保ちながら返答した。声が上ずっているのが自分でも判る。
「何があったんだ! 約束通り、洗いざらい正直に話せよ。俺も、話によっちゃ真剣に相談に乗るぞ。ユリ姉ちゃんだってきっと力になってくれる。こういった話が、シャレになら無い時だってあるのは、俺は誰よりも知ってるんだからな」
佳子の顔も少し血の気が引いていて、表情は真剣そのものだ。
「あたしにも聞かせて。何か力になることができるかもしれないし。ヒロが望むなら、この話は文化祭のネタには採用しないから」
二人の言葉は心に染みた。僕は友人が少ない寂しい人間だと常々思っていたけれど、決してそんなことは無いのだ。家族が普段傍にいない僕にとって、こうした言葉をかけてくれる友人が身近にいるのはありがたいことだ。しかもこの二人は、どんな馬鹿げた怪奇体験を話しても、真剣に聞いてくれるに違いない。こんな人間はそうそういるものじゃない。
僕は一大決心をして、この4日間で起こった事を二人に話し始めた。
帰宅途中に何故か落ちていたカバン。
突然現れた少女。
そして、密室からの消失。
何物かに導かれて、見つけ出したかんざし。
ユリさんからの助言。
作った覚えの無いファイルと、謎の文字。
そして、たびたび見る謎の夢とビジョン……
全てを話し終えた時には、もう昼休みは終わりかけていた。
一平太はしかめ面を張り付かせたまま、黙りこくっている。流石の怪談馬鹿も、僕に降りかかった大量の怪異に対し、絶句してしまったのだろう。佳子の顔はもはや蒼白になっている。
「おい……ヒロ。それ明らかにまずいぞ。大丈夫なのか? ユリねえちゃんも言ってたみたいだけど、どこか身体におかしい所無いか?」
ようやく、一平太が珍しく真剣な顔でそんなことを言った。
「身体……?」
思わず、奴の言葉を復唱してしまった。一平太にそう言われて、初めて自分の身体の事を意識したのかもしれない。
「いや……」
と言いながら、僕は自分の身体を手の平であちこちさすって見る。
「別に身体がおかしいって気はしないけど……」
「それから、これ重要なことだけど、お前『怖い』と思ってるか?」
「怖い……?」
そして、このことも忘れていた。
改めて、自分の胸に聞いてみる……これだけ異常なことを経験した僕は、はたしてそれに対して「怖がっている」のだろうかと……
「いや……『大変だ』という危機感は抱いてる。でも、それは『怖い』という感じじゃないかも知れない。やっぱりあえて言うなら、高い場所に昇ることの方が怖いような……」
「なるほどな~それは異常なことだぜ。でもきっと、それが続いている間は安全なんだ。言ってみれば、お前の防衛本能が、霊障をせき止めている。逆に、それが『決壊』したらやばいってことだけど……」
「文字通り堤防が決壊するみたいに? 『恐怖』を感じた時に? 僕にはピンとこないな……」
「ともあれ……もしも何かおかしい所があったら、すぐに知らせろよ! お前に起こってること、どう考えても普通じゃないからな!」
「いや……ちょっと待ってくれよ。一つ引っかかることがあるんだ」
「ん? 何だよ」
「その事故で死んだ外国人の女の子の名前って……クロエ……?」
「クロエ・ブーケだよ」
「僕が会った子はトモエ・シズカと名乗ってた。全然違うよ」
すると、これみよがしに、一平太は随分と僕を馬鹿にしたような表情を作った。
「おい、ヒロ。考えても見ろ。その子、外国人だろ? それなのに『トモエ・シズカ』なんて名前が、本名だと思ってるのか?」
「あ、そうそう! あたしもそこ引っかかったのよ!」
突然、佳子も口を挟んできた。
「え? どういうことだよ。カコ」
「だって、それ『巴御前』と『静御前』じゃない!」
「トモエゴゼン……?」
僕には、その言葉をオウムのように復唱する事しか出来なかった。
それを見て取った一平太は、ひときわ僕を見下したような顔になって、
「巴御前は、源平合戦に関わった重要人物、源義仲の愛人だ。静御前は、あの源義経の愛人だよ。敵対する武将にそれぞれ関わった女性ってこと。知ってる人間にとっては、冗談みたいな名前だよ」
と一切淀みなく解説した。
一平太は、意外と言っては失礼だが、オカルト以外の分野でも知識人なのだ。文系科目が強い優等生の佳子も知っていたのだろう。こういう時、無学な僕は恐縮するしかない。
「でも、その名前は逆に妙に納得できるんだよ。問題の女子生徒の両親はフランス出身だ。日本に定住する外国人は、日本の伝統文化や歴史に日本人以上に興味を持ち、精通している場合が多いんだ。フランス人はその筆頭だよ。で、その影響を強く受けて育った子供も、日本文化に造詣が深い可能性が高い。これがどういう意味か判るか?」
それは僕なりに理解できるつもりだった。しかし、頭の中でつたない思考を交通整理している間に、佳子が口を挟んでしまった。
「そっか~そういう日本的な名前に憧れていた。ひょっとすると、生きている頃にはハンドルネームとかで『トモエ・シズカ』を使っていた場合もある……ってことかも」
それは、正しく僕が口にしようとしていた解答そのものだった。
「そうだ。生きている間には使えなかった名前を、死んだ後で名乗っている。そういうことなんだよ、ヒロ」
「でも……でも……」
僕は納得できなかった。何とかして、恐ろしい仮説を否定したかった。
「それでも……あの子は普通の人間だった! 普通に見えて、はっきり話して、僕の部屋で鍋を一緒に食べて……普通の女の子だったんだ! あの子は……!」
一平太は、感情的になった僕をいなすように、むしろ冷徹に反論してきた。
「おい、この前俺が話した、『大学で講義を受ける自殺した同窓生』の話を忘れたのか? 俺がどういう意図であの話をしたのか、理解してないんじゃないか?」
僕は、一平太が何の話をしているのか、直ぐには判らなかった。しかし、自分の貧弱な記憶領域を探り、何とか思い出すことができた。大学の講義に高校の同窓生が出席していたが、実はその生徒は受験ノイローゼで自殺していた、という話のことだろう。
「そうか……その体験をした人は、もしも仮に別の学生からその人が自殺していたという情報を知らされなければ、幽霊だとは一切考えなかったってことだよな……ごく当たり前の生きた学生だとしか思っていなかった……」
「なるほどな……やっぱりお前は、あの話をそんな単純な理解で完結させてしまってるんだな?」
一平太は、にわかに勝ち誇ったような口調になった。
「ん? どういうことだよ」
僕には、一平太のいけすかない表情の意味が全く判らなかった。
「お前さ。大学の講義に一度ではなく、何度も出席していた生徒が、実は幽霊だったなんて話が、本当にあると信じられるか?」
「え? 今更何言ってんだよ。それは普通じゃありえない話に決まってるだろ?」
「だろ? そんな奇怪な話があり得るんだったら、そのミナイっていう学生が死んだ事を教えてくれた『相川』の方こそ、生きた人間だったという保障はどこにある?」
意表を突かれた。それは全く考えていなかった。
「そ……そんな馬鹿げてるよ!」
「ん? 何で馬鹿げてるんだよ。 その『相川』とは、その後二度と会うことが無かったんだぞ。何度となく目撃した『ミナイ』よりも、一度きりしか会ってない『相川』の方が幽霊である可能性は高いと思わないか? この話はそこまで考えるべきなんだよ」
冷静に考えると、確かに理屈ではそういうことになる。強引な論法にも思えるが、少なくとも筋は通っているのだ。しかし、奴の言葉に納得するのは、どうにも負けた気がしてしまって抵抗がある。
結局、うまい反論も思いつかなかったので、僕はあえて黙っていたのだが、
「まあ、そう言う事だ。昔から毎日のように顔を合わせている俺達みたいな存在で無い限り、お前の目に映る全ての人間について『本当は幽霊である可能性』を完全には排除できないってことだ。それからヒロ、もう一つ気になることがある」
一平太は、急に眉をひそめて、躊躇無く切り出した。
「ん? 何だよ」
「お前……その子に特別な感情を抱いたりしてないか?」
「な……何でだよ!」
「何でって、明らかにそういう『妙な気配』をお前から感じ取れるからだよ」
不本意ながら、言葉に詰まった。図星だったことを認めざるを得ない。
「言っとくけどな。間違っても、冷静さを失うなよ。そいつに気を許すな。でないとお前『持っていかれる』ぞ。下手すると、二度とこっちの世界に戻れなくなるからな!」
僕は、冷静さを装ってはいたものの、その実、背筋の辺りに、ザワザワと冷たい怖気が走っていた。一平太の、そんな断固とした言葉を聞いたのは殆ど初めてだったかもしれない。
「い……いや、大丈夫だよ。そんなことは……」
その言葉の最後の方は、昼休みの終わりを告げるチャイムの音にかき消されてしまった。
気がつくと、メールを読み始める前に食べ始めた昼食のサンドウィッチは、殆ど手付かずのまま残っていた。
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