夜明け待つ夢の中で

小木優

夕暮れ

 またこの夢か。

 昼下がり、木の影にすっぽりと収まったベンチに座ってゆっくりと目を開けると、そう思った。周囲には、風により葉がざわざわと鳴る音だけがしていてとても静かだ。見上げれば木漏れ日がきらきらと光っている。

 ここは家のすぐ近くにある公園だ。住宅地にあるこじんまりとしたもので、子供達には「チビ公」なんて呼ばれている。小さい頃には近所の友達と一緒によく遊びに来ていた。母親に応援されながら暗くなるまで逆上がりの練習をしていたのもよく覚えている。

 目線の少し先にある砂場では女の子が1人で山を作って遊んでいる。ある程度の大きさになったら、砂がさらさらと流れ落ちてしまって、なかなかそれ以上に大きくできずに苦心しているの姿が微笑ましい。少し水をかけてやれば固まるのに、なんて思うのは何度目のことだろう。いい加減声をかけてあげようか。

 この公園には他にも、滑り台やブランコ、今ではその危険性からその姿をあまり見なくなってしまったジャングルジムなんかもある。しかし、遊んでいるのは目の前にいる女の子だけだ。他に子供は1人もいない。更に言えば、少女の親と思しき人物すら見当たらない。全く不用心な親がいたものだ、と思うのも何度目だろう。

 今この公園にいるのは、僕と砂場の女の子、そしてもう1人。

 キイキイと右の方から音がした。そちらへ視線を向けると、そこにはブランコに揺られている少女がいた。彼女が公園にいる最後の1人だ。

 彼女の名前は川井夏菜子。クラスメイトだ。委員長気質で、サバサバとしている。その歯に衣着せぬもの言いは、女子達からは頼りになると思われているようだが、面倒くさがりな男子からはあまりいいとは思われていない。高2のクラス替えで同じになったのだが、正直苦手なタイプだ。なぜ川井が夢に出てくるのか、不思議で仕方なかった。

 不思議といえば、今つくった山にトンネルを掘ろうとしている女の子もそうだ。知らない子なのだ。夢はいろいろな記憶をパッチワークのようにつぎはぎにしてできたものだと聞いたことがある。だから記憶にない人物が登場するとは考えにくい。

「はあ…」

 とため息をついた。どうしてこんな夢を見るようになってしまったのだろう。

 この夢を見始めたのは、5日前からだ。最初は夢の中で自分の思うように動けることに感動を覚えていた。明晰夢というのだったか。

 しかし、すぐにそんなに楽しいものではないことに気がついた。

 公園を一通り見回った後に、自分の家にでも行ってみようと考えたときのことだ。歩いて公園の入り口まで行ったのだが、そこで驚愕した。公園の外にはなにもなかったのだ。なにもない真っ白な空間に公園だけがぽつんと存在していた。

 その日は、夢なのだからなにもないなんてことはないだろうと思い、公園に背を向けて真っ白な空間をひたすら歩いていた。そして、気がついたら目が覚めていた。

 その次の日からは、公園の外のことを考えるのは諦めた。どう言うわけか、この夢にはこの公園しか現れないようだ。

 そうは言っても、行動範囲が公園内のみというのは、砂場の女の子にとっては十二分に冒険であっても、高校生の身としては非常に物足りない。だからこうしてベンチに座って、女の子が砂山に対して一喜一憂する姿をぼーっと眺めていることくらいしかすることがないのだ。

 川井に話しかけようかと考えたこともある。しかし、夢の中でまであーだこーだと文句を言われるのはごめんだ。どうせ目が覚めて学校へ行けば、また不機嫌そうな顔を見ることになるのだから、ここで事前に見ておく必要はない。

「しかし暇だな」

 思わず、そう言葉がこぼれた。あとどれくらいしたら目が覚めてくれるのだろうか。そもそも、こんなに意識がしっかりとしていてちゃんと脳は休めているのだろうか。

 いっそのことこちらでも寝てしまえばいいのではないか。そう思い、ゆっくりと目を瞑る。視界は遮られ、外の世界と自分を繋ぐものは音だけとなる。さらさらと風はながれ、その風がブランコのキイキイなる音を運んでくる。日曜の午後のような落ち着いた気温は丁度よく、まさに理想の昼寝環境といえるだろう。

 ああ、心地がいいな。思わず口元が緩んでしまうのをそのままに、目を瞑ったままベンチの背もたれに寄りかかる。

 思えば最近こんなにも落ち着いた時間を過ごせていなかったように感じる。高校2年生も2学期の中盤に差し掛かり、気温の低下とは反対に、周りのみんなの受験への意識は徐々に上がりつつあった。この前までは文化祭のことで頭がいっぱいだったからそれ以外のことを考える余裕も、必要もなかったのだが、それも落ち着くと否が応でも空気が変わってきてしまう。模試だってある。それなりの進学校だから、みんなそれなりに良い大学を目指していくのだろう。自分は未だ勉強をする意欲は湧かず、とりあえずは周りに合わせているものの、そんなみんなの空気を振り払いたくてしょうがなかった。

 そこでふと砂場の少女のことを思う。自分があれくらいの歳の頃よかったな、と。毎日が楽しく、気負いすることもなく、ただただ自分たちの世界で冒険をしていればよかった。このチビ公だって今とは見え方が違った。砂場は煮えたぎるマグマの海で、ジャングルジムは諸悪の根源が住まう城だった。そこをみなで冒険するのだ。時間を忘れ冒険に明け暮れていると、母親という本当の魔王がゲンコツを振り下ろしにやってくる。それをかわしながら仲間達に別れを告げて、一目散に家へと帰り、今度はお利口さんになって夜ご飯を待つのだ。それを繰り返していればいい毎日だった。しかし、今はと言えば…。

 そこまでいって、砂利を踏む音に思考が遮られた。

 なんだと思って目を開けると、眩しさを感じた直後に、自分の前に人が立っているのが見えた。川井夏奈子だ。

 彼女は気の強そうな切れ長の目でこちらをじっと見つめていた。その目をぼーっと見つめ返す。今の顔を鏡で見れば、自分の間抜け面に腹を抱えることになるだろう。夢の中でもまたなんか怒られんのかな、と思っていたのだが、川井は一向に口を開く様子はなく、お互いの目を見つめ合いながら時間だけが過ぎていく。

 暖かい風が川井の髪をなでていった。胸のあたりで切りそろえられた髪は想像以上にさらさらしているようで、風になびいてふわっと広がった。太陽の光を反射してきらきらと輝く黒髪を、悔しいながらも綺麗だなと思ってしまった。そんな風に様子をじっと見ていたのがなんだか恥ずかしくなって、思わず目をつむる。なんでこいつが自分の夢の中に出てくるのか。何度も繰り返した疑問を心の中でぶつくさと呟いた。

 急に自分のすぐ右隣から音がした。人の気配を感じる。どうやら川井が隣に座ったようだ。彼女の突然の行動が理解できず、不覚にも鼓動が速くなる。確認したいのはやまやまだが、目を開けるタイミングを失ってしまい、とりあえず気づかぬ振りを貫くことにした。

 しばらくの沈黙の後、右肩に何かが触れる感覚に体がびくりと反応した。。急なことに驚き、見開いた目で隣を見ると、人差し指をこちらに向けた川井も同じく目を見開いていた。視覚情報を頼りに考える限り、川井が人差し指で肩を突いてきたのだろうと予想ができる。またもお互いを見つめ合ったまま固まることになった。そんな沈黙を破ったのは、川井の声だった。

「触れるんだ…」

 川井は手を膝の上に戻し、居住まいを正すと、自分に語りかけるかのようにそう呟いた。それを聞いて、いまだに固まったままの自分に気がつき、緊張をといて再び砂場の少女に視線を戻した。

 触れるんだ、か。それはそうだろうと思った。別に幽霊なわけではないのだから。

 隣に座る彼女が自分の知っている川井に比べ遥かにしおらしい姿に違和感を覚えたが、現実との差異は夢である証拠だろうと自分を納得させた。しかし、どうしても拭い去れないのが、以上なまでの存在感。本当にそこにいるかのようなのだ。表情も、動きも、息遣いも、何もかも。夢に出てくる人なんて、ゲームでいうNPCのようなものだという認識でいたのだが、そうは感じられない。それもこれも、今見ているのが明晰夢だからなのだろうか。

 それにしてもなんとも不思議な状況だ。学校でなら、苦手意識があって自分から好んで近づくことなんて絶対にないあの川井が、隣に座っているのだ。川井だってきっと、男子なんて敵だくらいに思っていることだろう。川井といえば、目を釣り上げ、胸の前で腕を組み、仁王立ちで偉そうなことを言っているイメージしかない。そんなやつとこんな和やかなところで一緒にいるなんて、夢でなかったら到底あり得ない。悪友たちに見られたら1週間はばかにされそうだ。

 風が流れ、木の葉が歌う。風に揺られてブランコがキイキイと音をたてる。砂山の頂上からはさらさらと砂がこぼれ落ちてゆく。木漏れ日は色をかえ、影が濃くなってきた。気がつけば日は傾き始め、辺りをオレンジ色に染めていく。カラスの鳴き声があったら更にいいのになと頭の隅で思った。どうやら今日の夢もそろそろ終わりのようだ。

「あの…さ」

 ずっと黙って座っていた川井が口を開いた。言葉は返さず、ちらりと視線だけ向ける。川井は前髪をいじりながら続けた。

「橘彰人くん、だよね?」

 どんなことを言ってくるのだろうかと構えていたが、予想だにしない質問がとんできて驚いた。何に驚いたかって、それは自分にだ。自分の深層心理は、一体川井に何をさせたいのだろうか。

「そうだけど」

「そう…だよね。ごめん」

 ああ、そうかと少し納得した。なるほど、自分は川井に謝らせて優越感に浸りたかったのか、と。いつもいつも上から目線で皮肉めいた事を言われ続けているのだから、夢の中でくらいこちらが勝ってもいいだろうと。きっとそういう気持ちがあったのだ。

 思わず口角がつり上がった。なんでかって、夢の中でしか仕返しできない自分が情けなくなったからだ。

 そんなことをしている内に視界がぼやけてきた。目が覚めたら、まだ少しだけ残っている宿題を終わらそう。ほんの数分で終わるはず。そうしている間にお腹も空いてくるだろう。朝は食欲がないから、ヨーグルトとかがいいな。今日もきっとなんだかんだギリギリに家を出て、駅まで走ることになるんだ。寝癖を直す時間はあるかな。

「あのさ!覚えてたらでいいんだけど、学校で会ったら声をかけて!」

 夢の終わりに、隣に座っていた川井がこちらを向いて何か叫んでいた。

「待ってるから!」

 そして、視界の端には寂しそうに手を振る少女が映っていたような気がした。

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夜明け待つ夢の中で 小木優 @yu-ogi

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