第23話 ケイオストラスト

 強張った表情から意を決したルオンが小さな三匹をお供に飛び出した。


「ブロンちゃんはゲッチちゃんを! ペロスちゃんはマーシャお姉ちゃんを! アルちゃんは私と! 助けるよ!」


 ルオンが黒石板アルと、シュランの元へ向かい飛んでくる。


 巨獣アンリは数百の熱線を防御結界で軽く反射させ、三色巨大石板ヘカトンケイルの一つに体当たりし、捩じ伏せた。その側面から飛び出したルオンを見て、アンリは後ろへ跳躍する。


 鈍重そうな巨躯とは裏腹に、アンリは軽快な身のこなしで、何十回の宙返りをし、ルオンの前に重音を響かせ着地した。


《――ふん!》


 アンリは極上な笑みを貼り付け、その片脚でシュランが捕らわれた水晶塊を踏み付ける。

 それを見て、立ち止まったルオンはアンリを怒りで睨み付けた。


「シュランさんを――!」


《たかが、贄の癖に! 我らを睨むなど、身のほどを知れ!》


 アンリは怒号を発し水晶塊を蹴り飛ばした。


 へし折れたシュランの入った水晶は、ルオンへ猛烈な衝撃力と共に直撃した。ルオンの細い肢体が血の糸を引きながら、空に舞って、次元壁の床へ強烈と打ち付けられる。


 ルオンの頭の左角が折れた。乾いた音が響かせ、左角が転がった。

 惨めに、鼻も砕かれた。


「きーっ」


 怒った黒石板アルが無謀にも向かっていった。

 アンリが鼻で笑い軽く放った衝撃波があって、黒石板アルはシュランの水晶に激突する。幼体の巨人などアンリの足下にも及ばない。雑魚だ。


「シュラン……さん……」


 ルオンは倒れた半身を起こし、身をこすり付けながら這い進んだ。片方の角は折れ、砕けた鼻からは血を流す、悲愴な姿であった。

 ぼろぼろの黒石板アルを抱えると、少し這って進み、手を伸ばす。


 ルオンは横倒しにあるシュランの水晶に手を添えて言った。


「ごめんなさい、シュランさん……おえ!」


 吐き気を催したルオンは折れた前歯の一本をけつたんと混じらせ吐き出した。


「……ごめんなさい。ううん! みなさん、ごめんなさい……!」


 ルオンは顔を見られたくないのか、背けていた。震える小さな肩越しに、涙がこぼれているのが見えた。


「ミャウ姉ちゃん……ゲッチちゃん……マーシャお姉ちゃん……みんな、ごめんなさい……! 私の所為で、こんなことになっちゃって……ごめんなさい……!」


 ルオンの砕けた鼻からぽたぽた滴る血も、見えた。


「ごめんなさい……! ごめんなさい……! きゃ!」


 巨獣アンリの顔から伸びてきた黒き手がルオンの細い足首を掴んだ。引き摺られる。水晶の破片が散乱する黒い地面を強引に引っ張られ、ルオンの身体はぼこぼこと無様に揺れた。


「ごめんなさい……! ごめんなさい……!」


 ルオンは顎を打ち、胸を打ち、額をぶつける。激しく全身を強打され、身をこすられ傷つけられも、ルオンはなんとか声を発して、シュランへ片手を懸命に伸ばす。


 ルオンの涙で潤む瞳がまっすぐと捉える。

 もちろん、捉えたのはシュランの姿。

 最後の最後に、忘れないように、その目に焼きつけるのだ。


「ごめんなさい……シュラちゃん……」


 ルオンは永遠の別れを自覚して、愛しく微笑んだ。

 世の中はいつもこんなものだ。


 購えぬ運命の力で、妹を失い、父を失い……。


 マーシャも、ゲオルグも、ミャウも……。


 そして、ルオンも……。


 ――嘆くことはない。不条理に怒ることも! 


 誰かが囁いた。


 ――こんなものなら、正せばよい! この世界を粛正せよ! 怒りに身を任せ、破壊するがいい! 立ち上がれ! 魂から咆哮せよ! 心から忿怒せよ! 俺は世界の改革者! 持つのだ、それを!


 もう――シュランは持つしかなかった。


 少年のあの日、選ばなかったものを。


 


 けたたましく水晶がひび割れて砕け去った。


 ――それは、瘴気を吐くもの!


 その破片となって散乱した水晶が、さらに衝撃で飛沫となって弾けた。


 ――いや、それは、空間を腐敗させるもの!


 踏み締められた次元壁がぼこぼこと沸騰する。 


 ――そして、それは、怒れるもの!


 異獣如し、人の形をした何かは、凄まじき咆哮を響かせた。


 水晶の飛沫が煽られ、青の風塵となって渦巻く。

 青の風塵より楔形の金属の尻尾が飛び出て、アンリの手を鋭く叩き裂き、ルオンを解放した。


 それはまさに、この絶望のじんかいを破壊する魔神――


混沌次元変化ケイオストラスト――ビースト!》


 異獣の魔神が降臨した。

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